アーダ、コーダ、イーダ!

浮かんでは消えていく想い。消える前に名前をつければ、何かにつながるかもしれない。何処かにいけるかもしれない。

教師集団作り(2)

2006年06月19日 06時03分01秒 | Weblog
 学校作りを考えれば、教師が同じ方向を向くことから始まるのだけれど、それが難しい。おそらく、このまま学校はどんどん悪くなっていくだろう。オオモトが躍起になってはいるけれど、それはほころびを繕うだけで、真の学校改革にはなっていない。もっとも彼らなりに懸命だろうが、根本を見据えていないからだ。
 ある人に頼んで異動に配慮してもらう。それが現在どれくらい行われているのかはわからないが、以前はあった。多分、現在もある。そう考えないとどうしても納得できない人事があるからだ。また、管理職を選ぶところにも何かあるようだ。推測の域を出ないところで考えるのは間違いだろうが、その辺を改革することで、ぼくらはオオモトが本気になったと考える。その辺をきちんとできないで下部にだけ厳しい通達をするのでは、現場は不満が増す一方だろう。オオモトが変われば学校は変わる。それだけのことだ。それがわからないで躍起になっている諸君の退陣を望む!

教師集団作り

2006年06月18日 19時39分28秒 | Weblog
 何人かが集まり、活動を始める。それがどんな活動であれ、大切なことの一つが仲間作りだろう。学校の部活動の場合、それは顧問の負うところがおおきいけれど、それでは、教師集団の場合は、どうか。
 これが、本当に情けないけれど、情けないのが本当という状況だ。
 これには原因は二つ。一つは教師は個人商店主みたいなところがあること。英語商店が家庭科商店に口を出せない、そういうこと。もう一つはそういうテナントを貸している主、つまり校長にその力量がない場合が多いこと。大抵の校長は2、3年で異動する。短いのは1年だ。その間に学校をきちんと見極め、どうすればいいかを考えることができるはずがない。彼らの多くは自分がいる間には大きな問題が起きなければいいという消極的姿勢だ。この2点、特に後者が解決できれば、学校は良くなる。
 これについては、また。
 また、一週間が始まる、ナ。
 

電車男

2006年06月17日 20時41分33秒 | Weblog
 電車男が話題になっていた頃は興味がなかったが、子どもの具合が悪くなったりで早退や年休を取ることが多くなって、夕方の再放送を観る機会が数回あった。面白かった。ヒロインはきれいで、指の動きもきれいだった。
 電車男が画期的だったのは、一つの部屋の一人の人間が様々な場所の様々な状況の様々な人間とつながっているインターネットが主役だったところだろう。
 つまり生徒もそういう世界の真っ只中にいる。年配の教師はそういうところと無縁で、生徒からすれば「幼稚」なところもあると思う。ツイッギーが来日してミニスカートが流行った的なところで世界を考えている教師もまだ生息していて、そういう連中が管理職になっている。だから話しが通じない。
 そういうのはどうでもいいけれど、電車男の恋の形は極めて古典的であることも忘れてはいけない。だから主役はインターネットだということも。

素晴らしい朝焼け

2006年06月16日 05時32分11秒 | Weblog
 書き込みをした後、犬と散歩に出た。昨日は雨で、散歩に行けなかった。ほぼ田植えが終わった水田の間を歩く。遠く東に目をやれば、輝くばかりの朝焼け。活力を増してくる朱色をしばし眺める。こういう時間が持てることが一番の幸せかもしれない。
 さて、金曜日。今週のラスト・ファイトだ。

ボランティアの問題

2006年06月16日 04時35分36秒 | Weblog
 最近ボランティアの募集が多い。中には人数を指示しているものもあり、担当者は集めるのに四苦八苦している。何のことはない、金がないか、イベントを安くあげようというだけのことで、学校を利用しているのだ。これで果たしてボランティアと言えるのか、と、少々腹立たしくなる。
 年末が近づくと、募金が来る。中には品物をドンと送ってきて、その代金の一部が募金になるというのもある。 多分、羽根関係の募金も割り当てになっているはずだ。学校は金を集める格好の場所として使われている。
 学校には授業料にさえ苦しんでいる生徒が沢山いるのだ。考えるほどに、腹立たしくなる朝だ。

学校の不思議(2)

2006年06月15日 05時30分56秒 | Weblog
 朝の職員朝礼で時々指示がある;「生徒がネクタイをしていないで授業に臨んでいます。授業開始前にきちんと締めさせて下さい」
 ぼくは以前それに反対していた。授業を考えれば、ネクタイをきちんと締めるのは機能的じゃないからだ。だって、教師だって授業に熱が入れば、ネクタイをゆるめるじゃないか。不思議だ。
 一年に一回ほど、自転車点検をする。ライトやブレーキ、登録証などを確かめる。2、3割の自転車には傘がついている。それは「私は傘差し運転をします」と看板を出しているのも同じ。傘差し運転を禁じているのに、点検項目以外は見ない。不思議だ。
 シャツを出す生徒が多い。シャツを出してもいいようなデザインのシャツを制服にしてそれに対処している学校も多い。それは教師側の敗北でしかないと思う。ただシャツ出しはダメを言いながら、女性教師の殆どはシャツを出している。指導の基本は例外を認めないことだと思うが、これも不思議の一つ。
 ある学校の廊下には「必要に応じて走れ」と書いてある。これなら、授業に遅れても教師は廊下を走ることができる。
 

生徒百景(7) 声優になりたい症候群

2006年06月13日 23時16分31秒 | Weblog
 おそらく、教室に一人は声優に憧れる生徒がいる。そういう生徒はソレ系の学校に行く。しかし、それで声優になれるのか、怪しい。ある声優の専門学校の話によると、声優で登録されている人は800人程度。その収入をズラッと並べると、最下位の年収は数万だとか。また、ある専門学校を卒業した人は、声優になるために、劇団の養成所に入ったとか。
 声優希望の生徒を見ていると、外に向いていない。内向的な生徒が多い。内向的だからその動きを知ることはない。
 何故、声優なのか。
 自分を表現したい、こうしたい!けれど、自信がない、怖いなら、いつまでも声優にはなれない。声優は声で演技する。アニメのキャラクターやジュリア・ロバーツに命を吹き込む。そこには生の感触が要ると思う。声優希望の諸君、堂々と自分の一歩を踏み出しなさい。生の自分と生の世界に触れるのだ!
 
 

保健室の重要性

2006年06月13日 22時49分09秒 | Weblog
 おそらく、学校で一番機能しているのは保健室。
 「保健室受験」の事情も全て知っているし、その他の様々と色々とアレコレも。でも保健室は何も言わない。全国の養護教諭が「保健室便り」というタイトルでブログを立ち上げたら、凄いことになるだろう。なのに、なのに、保健室の重要性を理解する管理職って少ない。
 保健室の皆さん、頑張って下さい!

保健室受験

2006年06月13日 20時31分31秒 | Weblog
 いつからか、試験の際、保健室受験のために試験監督が配置されるようになった。インフルエンザにかかったのに試験のために学校に来る生徒も時にはいて、そういう生徒のためになら分かる。その生徒のためにも、他の生徒のためにも必要な措置だろう。
 ところが、試験の度に保健室受験を申し出る生徒がいる。彼らは勿論元気がない。ただ、それが本当に元気がないのか、それとも保健室受験をする手前そういう風に装っているのか判然としない。ただ、いずれにしろ、安易に保健室受験を認めてはいけないのではないか。学校まで来る元気があれば、教室で受験させるべきだ。安易なOKが保健室受験の数を増やすからだ。実際、保健室受験という名前だが、他の空き教室や会議室を「保健室受験」の場所にしている学校が増えている。本当に悪い生徒だけが本当の保健室受験を受けることができるためだ。
 悪ければ休めばいい。インフルエンザの生徒に、卒業がかかっているから受験しなさいという学校がある訳ないのだ。
 保健室受験は、果たして優しさなのか。ぼくはそうじゃないと思う。

学校を捨てる

2006年06月12日 15時50分29秒 | Weblog
 昔、学校は時代の最先端を行っていた筈だ。
 それが今では時代遅れの場所になりつつある。学校でなくても学ぶことはできるし、学校で出来ることより、学校外で出来ることの方が遥かに多い。
 何故そうなったか。学校が時代に迎合し始めたからだ。きちんとすることと迎合とは違うことを知らない。それは子どもの人権を認めることが子どもの要求に甘くなることだと勘違いしている保護者と同じだ。迎合して窮屈になっていく学校から創造的な部分が消えていく。それは活力と歓声を失うことにもなる。教育実習に来た大学生に積極的に教師になることを勧めることができない。
 優秀な人材が教師にならないし、学校を辞める生徒の数が増えている。これは「学校を捨てる」ということではないか。