アーダ、コーダ、イーダ!

浮かんでは消えていく想い。消える前に名前をつければ、何かにつながるかもしれない。何処かにいけるかもしれない。

解散、あるいは政治家の貧困

2012年01月26日 22時43分54秒 | Weblog
 自民党の谷垣総裁が解散を喚いた代表質問。解散すれば、自民も民主も数を減らすことは明白。特に民主は壊滅的打撃を受けることは確実。そういう状況なのに生きた議論をせずに曖昧な質問と曖昧な答弁。今や国会はバカの博覧会。

 国会議員は日本のことを考えるのが仕事。そのため考えに違いがあれば、とことん話し合えばいい。ところが、そこに政党や選挙区の事情を持ち込むからおかしくなる。機能しなくなる。国会議員の辞書にはその手の言葉以外はないようだ。わめくがいい。

 以前は解散しても、投票する政党も政治家もいなかった。しかし、橋下大阪市長の維新の会が出てきた。国会が空虚な馬鹿騒ぎをするほどに、維新の会に傾斜していく。多くの議員は短い議員生活を味わえばいい。次はただの人。解散という不適格の烙印を押された、日本をダメにした人間になる。

民主政権下での増税に反対する

2012年01月08日 08時35分22秒 | Weblog
 日本が危機にあり、だから消費税を上げたほうがいいと想う。しかし、野田政権での増税には反対する。
 何故なら、何もやっていない(できない)政権が、一番やりやすいことだけやろうとしており、増税しながら、別のところで税金の垂れ流しをしているのでは全く意味がないからだ。まず垂れ流しをストップした上で、これだけ足りないというところを明示しした上で、国民に協力を求めるのが筋ではないか。それをやっていない。加えて、沖縄には夜討ちのようにダンボール箱を持ち込み(あれは一種のテロのように思える)、武器輸出を認めたり、国民と向かい合っていない政権を信用できるはずがない。

 民主を離れた連中が「きずな」とかいう名前で新党を立ち上げたが、昨年の東北の災害の時に「絆」を感じたのは人々との絆であって、そこに政治も政治家も感じ取ることができなかった。それだけに「絆」を使うのは火事場泥棒のような気がする。むしろ「打算」のほうがピタリではないかと想う。彼らに何ができるのだろうか。期待している人がいるだろうか。

 これ以上政治皮疹を募らせるのは、政治家のためにもならないと想う。