アーダ、コーダ、イーダ!

浮かんでは消えていく想い。消える前に名前をつければ、何かにつながるかもしれない。何処かにいけるかもしれない。

異動した学校

2007年03月29日 17時49分55秒 | Weblog
 やたら廊下が長い。距離感がないからかもしれない。
 言葉遣いが丁寧になったりする。
 新任者には窮屈な時間がしばらく続く。生徒の制服も奇妙だ。
 新入生にとってはそれ以上なんだろう。まだ中学生の顔をしている。
 異動には多くの思惑が絡んでいると思う。絡んでいない者がコマとして埋められていく。それでもいいじゃないか。思惑の連中はいずれ暴かれる。そういう人間に教師面して生徒に「ルールを守れ」をいえることが可笑しい。
 それと、講師についてはもっと思いやりをもってしないと、いけないだろう。思いやりがないのだな、人事には。こんなことを続ける限り、学校は安定しない。

人事異動の表と裏

2007年03月26日 21時42分16秒 | Weblog
 人事異動にはルールがある。もちろん例外はある。例外が適応される人間には理由がある。極めて優秀で引きが強い。極めて困るのですみません。極めてバックが強いのでどうぞ。
 例外が多いからルールが存在しないと同じ。そうなっている裏にはあぶくだまが生じては消えているのだろう。そういうものがあるから、イエスマンが生まれる。学校がよくならないのはこの構図ではないか。

北朝鮮への対応を見ていると

2007年03月22日 21時22分19秒 | Weblog
 問題行動の多い生徒へのあの手この手をやっているように思える。ウダウダ言わせずぶっ飛ばせ、という強硬派もいれば、いやそうじゃない、彼の気持ちを聞いて、そうだね、気持ちは分かるよ、で、どうしたいの?というカウンセリング派。というより、小学生の喧嘩だ。
 彼は盗んだものの幾つかを返した。その他にもまだある。それを返せというのに、いつまでグダグダ言ってるんだと言う。加害者の発言ではない。被害者が納得していないんだから、納得するまで説明するのが当たり前なのだ。
 ところが、そこに色んな友達が入ってきて、話し合いになった。ダメだ。当たり前だ。平気で盗んで、平気でシラバックレテ、腹減ったからカツ丼くれと催促する奴だ。カツ丼やる前に全部反省させるのが筋じゃないのか。そんなのは子どもの世界では通用しない。学級委員長じゃダメ。クラス担任出て来い!

女子高校生のお手柄

2007年03月20日 23時06分30秒 | Weblog
 金属泥棒が横行する日本。ある女子高校生が捕まえた。何か音がする、と、出たら家の電線を車に積み込んでいる男。父親からそういう泥棒がいるときいていた彼女は、走って行き、走り出そうとする車から男を引きずり出し(この辺については?)、「お父さんに謝りなさい」と。
 この話でいいことが二つ。
 一つは、彼女の勇気と行動力。これは日本国民見習うべきだろう。
 もう一つは、「お父さんに謝りなさい」という言葉。この言葉は彼女の家族状態が良いことを語っている。家族関係がよければ、行動の全ては良い方向に行く。しかし、家族の関係が希薄になると・・・。
 ただ名前も顔も知らない女子高校生のことをヤンヤヤンヤで終わってはいけない。近くにそういう子どもは少なくないのだ。そう考えて、見ることだ。そしてできれば動くことだ。住んでいる場所を良くするにはそういう一人のささやかな気持ちからではないか。
 ライターを握り締めている男に「いい天気ですね」の一言で、男は空の青さと風と緑の心地よさに、ライターをはなすかもしれない。

桜の季節

2007年03月20日 21時37分32秒 | Weblog
 東京で桜の開花宣言。桜前線という言葉が死語になってしまったか。
 一つ山を越えて20キロ先の勤務先に行くが、この季節山のあちこちが白くなる。ああ、あそこに桜があるのか、と、嬉しい発見をしながらの運転は心が和む。休みの日には、目星をつけた所を目指し、足で訪ねてみようと思う。毎年思う。しかし、思うだけ。
 桜は美しい。しかし、その美しい花の下で、酒を飲んでの狂気のドンチャン騒ぎは醜悪だ。桜の木の下には死体が埋まっているというのに。
 桜の楽しみ方は色々あろう。人気のない田舎の桜を、好きな人と散歩がてら眺めながら、深呼吸の合間に言葉を交わすってのが、ぼくの理想だ。

シンドイ時こそ

2007年03月19日 21時11分22秒 | Weblog
 銀行のカウンターで袋を出して「金を入れろ」と要求して、100万入れると「もっと入れろ」。その時、凶器を持っていないことに気づかれ、捕まったという事件。最近の事件の多くは日本人が脆くなっていることを語っているように思う。
 格差社会。上の方のウハウハに比べ、下の方は年々きつくなっている。ただ、きついからヤケクソになるのではなく、そういう時こそきちんとした生活を考える時だと考えた方がいい。そこでメチャクチャやってしまうと、更に悪くなるだけだ。
 立松和平だったか、売れない頃に、鍋に湯を沸かし、それにちぎった新聞紙を入れ、醤油をかけて食べたという話を読んだことがある。そんな生活は想像できないし、とても耐えられない。しかし、そうなれば、どこの新聞のどのページが美味しいかを書いて投稿してやろうと考えてもいいかと思う。シンドイ時こそ端正な生き方をしなければ、と、思う。

チョイワルオヤジ、或いは明日を待たない生き方

2007年03月18日 15時40分22秒 | Weblog
 子どもが手を放れたら、定年を迎えたら、と、明日を考えるお父さんは多い。

 ぼくが生徒会の顧問をしてた時の分掌の上司の話を一つ。
 「生徒会のことは分からないから好きにしていい。もし何かあったら責任を取る」と彼は言ってくれ、ぼくは放牧された。彼の母親が入院して、毎日見舞に行ってたある日、母親の食事に手を出して、掴んで、食べた人間がいた。その男は退職した校長。その退職校長は、ナント、その後病院の廊下で立ちションをした。上司は病院を出ると、ディーラーに行き、「このクルマをくれ」とクラウンを買った。「いつか買おうなんて我慢して、その時に使いものにならなかったらどうしようもないと思った」と彼は言った。

 漱石は49歳で死んだ。『吾輩は猫である』を書き始めたのが40歳。全集の殆どの作品は10年で書いた訳だ。彼は病気を持っていたから、明日しようなんて悠長なことは言っておれなかった。
 今したいことは今しないといけないのではないか、と、思う。何かの業績を残した人間が必ずしも良い家庭人ではなかったことがそれを証明してくれるかもしれない。
 丸山健二が電通に勤めていた頃、彼は会社の空き部屋にこもって小説を書いた。彼を探す上司に同僚は上手にはぐらかせてくれた、とか、芥川賞受賞の言葉で読んだことがある。
 全てを手に入れることはできない。何かを手に入れようとすれば、何かが疎かになるのは仕方あるまい。
 今の自分を満たすことが肝心なのだ。チョイワルオヤジってのは、服装でカッコつけることではなく、生き方でカッコつけることではあるまいか。ファッション業界に貢献しても、何も残らない。生き方に充実していれば、活力のあるいい顔になり、家族の不満もそれほどではあるまい。

 日本のお父さん、自分のために時間と金を!

アメリカのスペリングコンテスト

2007年03月17日 11時24分00秒 | Weblog
 子どもが与えられた単語のスペルを言い、不正解だとそこで失格となり、最後に残ったものが優勝。地区大会から全米大会まであり、そこに出る単語はまず日常生活では使わないものばかり。日本での漢字検定一級もかなりマニアックだが、それと似ている。だって、新字体を旧字体で書きなさいっていう問題があるのだから。
 それに向けてドイツ語、フランス語、スペイン語の家庭教師を雇う家もある。子どもの部屋にはウエブスターの分厚い辞典やらが置かれている。一日5,6時間、休みの日には8時間くらい勉強するらしい。
 アメリカらしくショーとしても成立している。全米チャンピョンはヒーローになる。それだけの価値がある。

無能の証明

2007年03月15日 21時26分24秒 | Weblog
 一本5000円の水がどうのこうの。政治家ってホントバカだな。こんな問題に時間ばかりかけて、何もない。会社でこんな不毛の議論をやってたら、クビやわな。松岡も安部もとにかく辞任。衆議員解散。全員が投票しなければいい。
 安部総裁も、国民のことは眼中にないな。夏までのわがままがとんでもないことにならなければいいと思う。自民党はストップできるんかいな。田中角栄が裏では色々やったらしいが、威勢のいい言葉をボンボン投げた。あの頃と時代は違うが、安部に何ができるのか。美しいという実体のない言葉を連発するだけの無能と無神経の塊じゃないか。
 松岡が一本5000円の水を飲むために、税金が使われているのか。
 ゴミじゃないか。