官製改革の中で、教員のほうも、自由にものを考えて独自に発想するということがなくなっている。理念とか哲学を問うことなく、とにかく何かやればいいんだ、ちょっとでも特色を出せば他との違いが出るんだ、という改革競争をやっている。そうなると逆に現場のほうが「再生会議化」する危険性がある。実際にそれを進めているのは校長たちなんだけれども、授業もしない暇な人がものを考えるとロクなことがない(笑)
「教育再生会議を斬る」の一部。こういうことをはっきり言えることが素晴らしい。
時々校長が授業を観て回ることがある。生徒にはこう説明する:
「歳を取るとああやってウロチョロするんだ。これがホントのローカ現象」
もちろん、素晴らしい校長もいる。ある校長の話しはメチャクチャ面白くて、全校朝礼が愉しみだった。生徒もシンと聞いていた。静かさや生徒に染み入る校長の言葉。
おそらく、現場が教育に意識的に向き合う時期なのだ。再生会議の無責任な連中に任せるのではなく、現場で考え、再生会議の空虚な発言を撥ね帰さないと、本当に学校はダメになる。
ヤンキーはヤンキー先生だから意味があるので、ヤンキー参議院センセイじゃあ、意味がない。ああいう手合いに色々言われたくない。
この話題、続く。
「教育再生会議を斬る」の一部。こういうことをはっきり言えることが素晴らしい。
時々校長が授業を観て回ることがある。生徒にはこう説明する:
「歳を取るとああやってウロチョロするんだ。これがホントのローカ現象」
もちろん、素晴らしい校長もいる。ある校長の話しはメチャクチャ面白くて、全校朝礼が愉しみだった。生徒もシンと聞いていた。静かさや生徒に染み入る校長の言葉。
おそらく、現場が教育に意識的に向き合う時期なのだ。再生会議の無責任な連中に任せるのではなく、現場で考え、再生会議の空虚な発言を撥ね帰さないと、本当に学校はダメになる。
ヤンキーはヤンキー先生だから意味があるので、ヤンキー参議院センセイじゃあ、意味がない。ああいう手合いに色々言われたくない。
この話題、続く。