アーダ、コーダ、イーダ!

浮かんでは消えていく想い。消える前に名前をつければ、何かにつながるかもしれない。何処かにいけるかもしれない。

『わたしたちの教育再生会議』を読む(2)

2007年09月28日 20時13分36秒 | Weblog
官製改革の中で、教員のほうも、自由にものを考えて独自に発想するということがなくなっている。理念とか哲学を問うことなく、とにかく何かやればいいんだ、ちょっとでも特色を出せば他との違いが出るんだ、という改革競争をやっている。そうなると逆に現場のほうが「再生会議化」する危険性がある。実際にそれを進めているのは校長たちなんだけれども、授業もしない暇な人がものを考えるとロクなことがない(笑)

 「教育再生会議を斬る」の一部。こういうことをはっきり言えることが素晴らしい。

 時々校長が授業を観て回ることがある。生徒にはこう説明する:
「歳を取るとああやってウロチョロするんだ。これがホントのローカ現象」

 もちろん、素晴らしい校長もいる。ある校長の話しはメチャクチャ面白くて、全校朝礼が愉しみだった。生徒もシンと聞いていた。静かさや生徒に染み入る校長の言葉。

 おそらく、現場が教育に意識的に向き合う時期なのだ。再生会議の無責任な連中に任せるのではなく、現場で考え、再生会議の空虚な発言を撥ね帰さないと、本当に学校はダメになる。

 ヤンキーはヤンキー先生だから意味があるので、ヤンキー参議院センセイじゃあ、意味がない。ああいう手合いに色々言われたくない。

 この話題、続く。

『わたしたちの教育再生会議』を読む(1)

2007年09月28日 18時44分54秒 | Weblog
 「教育再生会議を斬る」の対談は、痛快だ。再生会議を木っ端微塵に打ち砕いてくれる。クビをかしげていたことが、明快な言葉になり、そうだよ!と膝を打つ。

 今年は校内研修も入れれば、20回を越すんじゃないかと思うが、受けてよかったと思うのは少ない。研修をきちんとしていますというための研修ではないかと思うくらいだ。時代の要請だから仕方ない。研修は受ける。しかし、受講者が喜ぶものにしてもらいたい。どうもやっつけ仕事の感がある。

「わたしたちの教育再生会議」が面白いかもしれない

2007年09月27日 22時31分25秒 | Weblog
 寝る前になって書店から届いた袋を開ける、と、「こころの科学」別館で、タイトルの冊子。副題に「現場からの批判と提言」とある。
 巻頭言を短く、引き締まり、いざ闘いの太鼓が響いてくるようなワクワク感がある。表紙には「対談 教育再生会議を斬る」とある。

 文科省の若い人間が現場で教師として経験しているが、それがどうなるのか、まだわからない。ただ、教育再生会議は異様だった(まだ、あるのかな)。ヤンキーが途中で投げ出すんだから推して知るべしなんだろう。上から下へ締め付けるだけの現在の教育行政は間違っている。

 日本評論社 1524円(税別)

 

ちょっと慌てちまった、罪な月

2007年09月27日 21時33分01秒 | Weblog
 うっすらと目を明けると、カーテンの隙間の向こうが明るい。ヤバイ、こりゃあ寝坊だ、と、時計を見たら、まだ3時。月明かりだったのだ。安心して、もうちょっと、と、眠ったら、6時前。どうせなら、月明かりの中で、犬と散歩すればよかった、と、起きてから思った。
 泉谷しげるの歌に「季節を眺める余裕もなく・・・」という歌詞があるが、そうだな。精神が貧しくなっている。

変化がうねりとなるのか

2007年09月26日 22時40分34秒 | Weblog
 自民党が新総裁の下で少し変わろうとしている。
 相撲界も、殺人にまで至れば、全部できちんと建て直しをはからないと、満員御礼は今後今は昔の語り草になってしまうかもしれない。
 全く違う畑でも、問題が起これば、自分の畑に当てはめて考えないといけない時代なのだ。伝統は守るものではなく、時代と共に生きることができる高い能力ではないかと思う。
 実は、これは学校にもある。以前から何回か書いているが、管理職の任命方法だ。明らかに相応しくない人間が何故か管理職になっている。そういう人間は自分のことしか考えないから、すぐに見破られてしまい、信頼のない学校経営になってしまう。文科省は学校をよくしようと思うなら、まずそこから改革すべきだろう。上の言うことに逆らわないYESMANを任命するようになってから、学校はおかしくなってきた面がある。教委は自分たちの仕事がしやすいだろうが、結果として病根を広げてしまった。相撲界はおそらく変わるだろう。しかし、学校は変わらない。空虚な研修を増やすことでアリバイを作る教委自体が変わらなければならないのに、まだ気付いていない。昔は、学校が社会で一番進んでいたところだったのに、今では時代に取り残されてしまっているのに。

石破茂新防衛大臣の話し方

2007年09月25日 22時19分06秒 | Weblog
 彼は防衛大臣に相応しい。火の手が上がる、そこに彼が来る。彼のねっちょりした話し方で、しらけてしまう。火がおさまる。勢いをそいでしまうんだな。面白い人間だな。彼の考え方には賛成できない部分はあるけれど、あのオブラートにくるんだ喋り方は油断できない。ホント、油を断たないと、心配だな。

政治ショーの終焉

2007年09月25日 22時02分20秒 | Weblog
 声高なパフォーマンスやミエミエのカメラ目線。今度の首相はそういうところとは無縁な感じが濃厚。それが政治に濃厚で、その結果日本が安定すればいいナと思う。政治はそれほど見えなくていい。改革、改革で、その結果今の日本は混乱と格差拡大になった。調子のいい、口当たりのいい言葉に惑わされた。国民はもっと賢くなれってことを教えてくれた貴重な人たちだったのかもしれない。

 おそらく、自民党がつぶれてしまった時の方が日本は混乱するのかもしれない。ただ、子どもに、と、いうのは良くないな。多分そこには利権やおいしい所があったからで、濡れ手に粟状況があったからだと思う。それが困難になりつつあるので、今までほどじゃないと思うが・・・。

 1円の領収書とかあるんかい、と、言った政治家はいる。バカだね。1円まで明確にしようという意味がわからない、そういうバカな政治家に国政を任せてはいけない。そういう連中をクビにできるのは国民だ。今夜、月が明るい夜、そのことを確かめ合おう!

地方分権なら、学校にも

2007年09月20日 22時31分23秒 | Weblog
 ずいぶん前からになるが、管理職が外の顔色を窺うようになった。以来、外向けにアドバルーンをあげるようになった。実の伴わない広告。(これはJAROに言ってもいいのかな?) 
 大臣のゴタゴタで安倍の任命権者の責任が問われている。学校の管理職も同じだ。現在の管理職の8割は、自分の保身をまず考えている。それが職員に知られてしまうと、もう指導力はない。自分がそう言えば、そうすれば、それを職人がどう考えるかという感受性が全く欠如しているのだ。
 それは文科省や教委も同じで、何か事件があると文書が出るが、具体的なことは何もない。「配慮するように」って、バカが、そこを具体的に書かないお前らは単なるアリバイつくりをしているだけじゃねえか。管理職はそれを言えないみたいだな。その辺りを解決しないと学校はよくならない。
 学校事情に応じて学校で判断する部分は多い。だから学校に委ねればいいのにできないのは、管理職を信用していないからだ。管理職もそこまでできる自信がない。何度でも言う、尊敬できる管理職ならば、学校はよくなる。

異常気象、異常犯罪解決に向けて

2007年09月18日 19時44分29秒 | Weblog
 日本版プレイボーイ誌が発刊されて、手塚治虫へのインタビューが数号目で掲載された。丁度巨大隕石が地球を襲う映画(『メテオ』だったかな?)が公開される前後で、そうなったらどうなりますかという問に手塚は「大丈夫です。そういう時に地球の人たちの気持ちが一つになり地球は救われます」ときっぱり。

 そういう時期なのかもしれない。日本国民が一つになって、今の「美しい自然」の日本とそこに住む全ての生命の生活を守るために本気になった方がいいんじゃないか。政治家もヤクザも時にはいいことをしようじゃないか。そういう時だ。そんなことを考える回数が増えてきた。

よくぞ名付けた小泉チルドレン

2007年09月13日 22時30分45秒 | Weblog
 小泉チルドレンが、「親」を担ぎ出そうとした。親は断ったようだが、それにしても、もう死語だと思っていた「小泉チルドレン」が久しぶりに出てきた。しかし、小泉チルドレンという一括りで、一人一人の顔が見えない。まだモーニング娘の方がマシだな。
 彼らは親から「次の選挙で勝てるとは限らない」みたいなことを言われたけれど、結局、ノホホン状態で何もできなかった、しなかったのは、小泉チルドレンと括られたからで、その悲喜劇が見える。あんたら、親がいないとまだ何もできないんだよね。だからチルドレン。あれからオトナになっていないじゃないか。あんたらが議員になった年に生れた子どもはもう一人で歩けるようになっている。それに比べて、情けない連中だ。