羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

見守る犬

2013年05月11日 | Weblog
今日こそはやる!とかたく決意し(大げさ)自分の部屋の片付け開始。
散らかすのがすごく得意。ふだんはリビングや母のところ息子の部屋を
どうにか片付けて、誰の目にも触れないマイルームはほったらかし。
バタバタと出かけるときドアを閉めながら、
もしも何かがあってわたしがここに帰れず誰かが開けたら卒倒するんじゃないかと
思うくらいだった。
にゃんこの駿がいるとき、駿は床に散らかったあらゆるものを
律儀によけて、あるいはうっと飛び越えて、時に障害物の前で逡巡して、
部屋の入り口からやってきた。
ネコが歩きやすいように片付けよう!と思ったものだ。
たまに片付けて床にものが散乱していないと
駿はニャーと、とっとこ小走りでわたしのデスクまでやってきた。
「やったね、母ちゃん!片付けたんか」と顔にかいてあった。

駿がいなくなってしまった。
でもだからといっていつまでも散らかしてはおけない。
いつもはささっと床や机の上などをテキトーに片付けてオシマイにするんだけれど
今日は久しぶりに引き出しもすっかり整理した。
(引き出しを整理しないと入らなくてチェストや机の上がゴチャ)

途中でお昼休みにしてからさあ午後の部!と再び部屋にきたら
引き出しが全部あいていて、物があふれて散乱し、
泥棒が入ったってこうはならないだろうと思わずスマホで一枚パチリ。
ついでに大切な犬の写真。
            

この犬はわたしが本当に幼い頃、ビクターの首をかしげる犬の置物が欲しくて、
でもそれが手に入る前にどこかでこの犬を見つけて「これが欲しいこれが絶対欲しい」と
親にねだって買ってもらったものだ。
それから何十年もいくたびか引越しをしてもずっとわたしのそばにいる。
駿がこの犬を見ていたこともあった。ネコパンチしないかと見守っていたが、
棚の上にあるものは大事なもの、とわかっていたのかそっとしておいてくれた。
何にでも名前をつけるわたしがこの犬には名前がない。
何十年もわたしのそばにいてくれた、きっとすごくトシをとっていると思う。