羽を休める鳥のように

きっとまた訪れる薄紫の夕暮れを待ちながら

遺された言葉

2011年01月31日 | Weblog
ぽつんと時間があいた夜。
ふと思い出して古いノートを開いた。
父が亡くなってから、書斎を娘の病室にするため、
バタバタと片付けたことを思い出す。
何冊かのノートや手帳を目にしたと思う。
でも手元にはあまり残っていない。
あとで整理しようととっておいてどこかにいってしまったのだろうか。
俳句ノートは請われて卒業生さんに託した。
俳句が書いてある手帳も渡してしまった。
「俳句集」として冊子にしていただいたが、
今度、返していただこう。そう思うほど、
手元にある一冊が貴重な父の記録だった。

短文、数行の日記、創作、授業のための覚え書き。

ノートのなかでわたしは父に再会した。
父は誰かに読まれるとは露ほども思っていなかっただろう。
独特の字体の走り書きが多く、判読できない箇所が多い。
でも父は、わたしになら読んでもいいよと、言ってくれる気がする。
晩年の父の青年のように瑞々しい個人的なノート。

戯曲のような始まり方をして詩のかたちになっている文があった。

登場するのは「童がふたり」

「おどかしてごめんね
 とまどいがかけめぐって
 聞きとれないほどのうたを聞いたように

 せっせと自分の積み木を運んで
 つみあげてきて天にとどかせようとしてはいけない

 ひとつひとつがつながりあう仕事の手を休めよう

    (略)

 たたえられたものが泉のように吹きだす
 そのこんこんとした泉のなかに身をひたせ
 洪水のなかに溺れて行け
 流れてゆくお前の積み木にやさしく
 ていねいに さよならをいおう」


この「わらべ」は時どきどこかに登場するようだ。

「おどかしてごめんね」の一行で涙がこぼれた。
まったくほんとうに不意打ちのように驚いた。
10年も開かずに過ぎていたから。

父が遺してくれた言葉たち。
さいごはほんとうに「わらべ」のように子どもじみて入院を拒んだ。
涙さえ浮かべてわたしと母に訴えたのだ、家に帰りたい、と。
帰れないままにとおくへいってしまった。凍てつく一月の夜だった。
そしてもう一度、父と語り合う夜がきた。
ノートを遺してくれて、読ませてくれて、
やっぱり「ありがとう」と言いたい。