何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

下を向いて生きよう。

2009-09-19 18:33:46 | Book Reviews
「下を向いて生きよう。」 安田佳生・著、サンマーク出版、2007年11月5日

p.30 目先の損得に固執するケチな人は、足元の小銭を拾うのに忙しく、自分が大きな落とし穴にはまっていることが見えなくなっているのだろう。

p.60 人は何のために上を目指すのか? 本当は幸せな人生を手にするためであるはずだ。それがいつの間にか「上を目指して進むこと」自体が目的となってしまい、「幸せを感じること」が二の次三の次に追いやられてしまっている。

p.74 私にとって魅力を感じる経営者が少ないのは、志の低さが原因なのだろう。なんだかんだ言っても、ほとんどの経営者が目指しているのは「お金」でしかない。社会に対してこういうことを実現させたいといった「高い志」を持った人は残念ながらとても少ない。

p.77-8 「社長」と「経営者」、これはイコールだと思っている人が多いが、実は似て非なるものである。
 経営を「している」からといって「できている」とは限らない。
 経営者であると言える第一条件は、「経営とは何か」という問いの答えを持っていることだといえる。

p.111 あまりにもできなかったせいか、そのころから徐々に、もしかしたら自分は劣っているのではなく、他の人とは違う、特別なヤツなんじゃないかと思うようになっていった。
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できれば晴れた日に

2009-09-18 23:19:09 | Book Reviews
「できれば晴れた日に 自らの癌と闘った医師とそれを支えた主治医たちの思い 板橋繁・著、へるす出版新書、2009年6月5日

 著者は「なぜ、かくも卑屈にならなければならないのか」の著者でもある。
 40代半ばで過酷な運命を宣告され、いやがおうにも“戦闘の場”に駆り出される。それを先輩が、同僚が、同士が支える。しかし皆に見守られながらも、召されてしまう。

 なぜ、かくも残酷な運命を与えられなければならないのか。残された時間において、いかに葛藤し、精一杯生きるとはどういうことか。与えられた苦悩とは、本人や家族が受け止める課題において、あまりにも容赦なさすぎるのではないか。

 傍で見ていた者も、どうしようもない。手をこまねいていたのではなかろう。しかし医療が病気に負けたとは思いたくない(勝ったとも言えないが)。

 いずれ人は誰もがそこに至るとはいえ、いつ宣告されてもいいよう、今を精一杯生きることがそれを緩和するだけかもしれない。その時、周りからこのように惜しまれるのは、惜しまれなくてもいいから違う状態を著者は望んでいたのかもしれないとはいえ、これほどまでに幸せな医者がいるだろうか。
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小さな人生論

2009-09-17 23:00:13 | Book Reviews
「小さな人生論」 藤尾秀昭・著、致知出版社、2003年9月5日

p.13 社会のどこにあっても、その立場立場においてなくてはならぬ人になる。その仕事を通じて世のため人のために貢献する。

p.17 「あらゆる荒廃は人間の心の荒蕪から起こる」

p.41 「夢を見ることは重荷を背負うことだ」

p.79-80 一業を成した人には、突出して二つの共通した要素があるのを感じないわけにはいかない。一つは、「価値を見出す力」、もう一つは、価値を「信じる力」である。

p.99 「百遍倒れたら百遍立ち上がれ。万策尽きたと言うな。策は必ずある」

p.102 「私の課題は私を成熟させることだ」

p.107 一流といわれるプロに共通した条件をあげる。それは「神は努力する者に必ず報いる、と心から信じている」ということである。不平や不満はそれにふさわしい現実しか呼び寄せないことを知り、感謝と報恩の心で生きようとする。

p.112-3 人は望まないのに、苦しい状況や辛い目に遭うが、それは人生の節なのか。そしてその節から新しい芽が生まれてくるのか。

p.119 「一隅を挙げて三隅を以て反せざれば、すなわち復びせず」――四角なものの一角を教えられたら、あとの三つの角は自分で考えてわかろうとする者でなければ、教える必要はない、と。自分でやろうとする自主性、積極性が肝要なのである。
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ちょい太でだいじょうぶ

2009-09-16 21:29:02 | Book Reviews
「ちょい太でだいじょうぶ メタボリックシンドロームにならないコツ 鎌田實・著、集英社文庫、2009年8月25日

p.17 60代、70代で倒れると、内臓の力がある分、介護を受ける期間が長期化する傾向にある。90代まで元気だと、倒れても介護の期間が短いことが多い。だから、自分のためにも家族のためにも、長生きすることがだいじなのだ。「ぴんぴんころり」のコツは健康に長く生きること。

 久下部羊の「破裂」の中で、ペプタイド療法が研究されていた施設は諏訪方面にあったような設定であった。秘かに人の手でPPP(ピンピンポックリ)が進められようとしていた。
 鎌田さんは長年、諏訪中央病院の院長を務められていたが、何も関係がないとはいえ、「ぴんぴんころり」と「ぴんぴんぽっくり」、諏訪という地域のオーバーラップが奇妙に感じた。

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セルフ・コーチング入門

2009-09-15 22:34:50 | Book Reviews
「セルフ・コーチング入門」 本間正人・松瀬理保・著、日本経済新聞出版社(日経文庫)、2006年4月14日

p.13 良いコーチングとは、そうした主体性をうまく引き出す質問と傾聴の技術であると言ってもよいでしょう。

p.14 セルフ・コーチングで効果を上げるためには、「いつもの自分とは異なる立場から質問を発するもうひとりの自分」をイメージして、自分自身を客観的にとらえる視点が必要になります。

p.50 「あきらめる」という表現が消極的に聞こえる方は、「諦観を持つ」「達観する」と言い換えてもいいでしょう。
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結果を生んだプロセスに注目

2009-09-14 22:45:24 | 心に残ること
 イチローが9年連続200本安打を達成した。イチローらしく節目は派手にホームランで飾るか、内野安打か、ヒットなら測ったようにセカンドベース上を抜けるセンター前かと思っていたら、遊撃内野安打だった。

 イチローは常々語る。「失敗を重ねないと(安打は)生まれない。それが打撃。それで、奥深くなっていったらいいと思う」(朝日新聞 2009.9.14 夕刊)

 TVでは、「高めた技術にさらに磨きをかけた」とか、「試行錯誤を繰り返し」とか、「常に挑戦し続ける」などとイチローの軌跡を形容する。

 これらのイチロー語録を聞いていて、薬局におけるリスクマネジメントや質の向上にあてはまるフレーズだと思わずにはいられなかった。

 調剤エラーを、自らの失敗だと思うのなら、それに学んで繰り返さないための試行錯誤はどれほどしてきているといえるのか、事例を経験したことで自らの調剤レベルが向上しているのか、より薬剤師としての成長にどこまでつなげられているのか、専門性を高めるところに際限はなく、常に前向きな努力を続けているといえるのか、世界の宝になど程遠いわれわれが、いかに努力をしていないか、それでいてその道のプロのような顔をしていることを思うと、汗顔の至りである。



 イチローは結果のために野球をやっていない。日々、最高のパフォーマンスを心がけ、その積み重ねの中での通過点として結果があるのだ。
 常に結果を求めるような考えでは、結果は得られない。日々のプロセスを磨きあげてこそ、意味のある活動ができるのだろう。
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【ジェネリック】 医師はどこまでジェネリックへの変更を承知しているか?

2009-09-14 22:43:07 | ジェネリック de リ・スタート!
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃ ★ ジェネリック de リ・スタート!
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┃  2009.8.16 通巻22号
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┃ ■購読希望(登録、変更)・配信中止はこちら
┃    http://www.mag2.com/m/0000286496.html
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 みたキタ企画、薬剤師のsukeです。

 このメールマガジンは、ジェネリック医薬品(後発医薬品)が
適切に使用されることを目的とするものです。

──────────────────────────────

 先週は、地震や台風で驚かされました。

 近年、自然災害によって家屋を失って、緊急避難を強いられる報道
をしばしば目にします。

 幸い、地震の時は本棚から本が何冊か落下した程度で済みました。
が、それでも寝ているときに、頭上にでも落下したら、どうなったか
わかりません。

 台風の影響で大雨に見舞われたときは、ズボンが大濡れで弱りました。
駅から50メートルほど歩いただけなのに、膝から下はずぶ濡れ!(泣)

──────────────────────────────

 その程度の被害ならまだマシなのでしょう。

 ある日突然、家屋を失い、避難生活を余儀なくさせられた時に、
あると役に立つのが「お薬手帳」です。
 万一ってこともありますから、お作りしておいたほうがいいですよ、
などと勧められた人もいるでしょう。

 しかし、緊急時であれば、持ち物を持って逃げる余裕すらないで
しょうから、被災時に持っていろということ自体、無理な注文をして
いるようでもあります。土砂等で家全体が飲みこまれたような時は、
どうしようもないのですから。

 であれば「お薬手帳」の維持を、患者さんのほうでではなく、
むしろ薬局側が、過去に遡って「お薬手帳」を復元してあげるくらい
であってもいいのではないでしょうか。


 阪神淡路大震災や中越沖地震の時も、「お薬手帳」があれば・・・
などと言っていましたが、逆ですね。患者さんからすれば、薬局に
薬歴が残されていれば助かるのだが・・・。そういった視点になる
ように思います。

 室内では家具が倒れないように固定したりしますが、薬局では
何をさしおいても、薬歴を守ることこそ必要なのかもしれません。
薬なんて入手しようと思えば、どこからでも入手できますので。

 しかし情報だけは他を頼るわけにはいきません。
 「薬」は資産だからと、薬を守ることに目が向きがちですが、
それは薬局側の論理。患者さんの立場になって考えれば、どちらが
重要かと言われれば、おそらく薬歴(簿)なのではないでしょうか。


★★★ さて今回のテーマは、
──────────────────────────────
 医師はどこまでジェネリックへの変更を承知しているか?(2)
──────────────────────────────

 TVコマーシャルで、

患者「私の薬、ジェネリックにできますか?」
医者「はい、しましょうねぇ」

 というのがあったのを覚えておられますでしょうか。

 この医者は、たいへん人当りが良さそうで、優しそうな雰囲気を
漂わせているのですが、そもそも医者にジェネリックの希望を
申し出なければいけない(あるいは申し出たほうがいい)という
こと自体が、患者さんにとってまず負担でしょう。

 患者側から申告しなくても、ジェネリックにするかしないかの
選択は患者さんの意思に委ねられている、というふうであれば、
そのような心労をせずに済みます。

 医者が、ある特定の薬剤において、どうしてもジェネリックへの
変更をを避けたいというのであれば、その旨を患者さんに説明すれば
よいのだと思います。

──────────────────────────────

 よって「私の薬、ジェネリックにできますか?」というのは、
薬局でジェネリックが選択できるような状態で処方してください、
という意であり、ジェネリックに変更することを了承していただけ
ますか、といったお願いなのでしょう。

 そうすると、「しましょうねぇ」というのは、「わかりました、
ジェネリックへの変更を了解しましたよ」ということになります。

 本当にジェネリックにするかどうかは、患者さんが薬局で判断
します。薬局で説明を受けて、ジェネリックで薬物療法を進める
ことに納得できれば、その時点で決断するわけです。

 「では、このジェネリックで薬物療法をしていきましょうね」と
いうのは、薬局の台詞なんですね、きっと・・・。

 そんな薬剤師が登場するTVコマーシャル、どこかで企画されない
でしょうか(笑)

 薬局で患者さんに赴く、そこで薬局側がジェネリックを打診する、
すると患者さんがその意向を示して、薬剤師が説明をする・・・、
その後同意を得て、「では、そうしましょうねぇー」となって、
メデタシメデタシ・・・。

 いかがでしょうか。うまくいきすぎでしょうか・・・。


 ご意見等がございましたら、遠慮なくお知らせください。
その他の感想や、些細なことでも構いません。

 お送り先は、 tamsuke@gmail.com です。
(@は小文字の「@」に変えてお送りください)

 お待ちしています!
 それではまた次回! (^^)/

============================================================
◇本メールマガジンをお読みになられて、ご感想やご質問等があれば
 お知らせください(下記参照)。
  本メールマガジンを通じて、応えていきたいと思います。

 また、プライベートな質問であったり、複雑な背景であったり、
メルマガで取り上げられるのではなく、直接相談したいという場合
でも構いません。お答えできる範囲でお答えいたします。

◇ジェネリックをメインにしているメルマガですが、機会を見て
「くすり」全般についても触れることにします。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 メールマガジン 【ジェネリック de リ・スタート!】

■発行 : みたキタ企画
■発行人: suke
■ご感想やご質問等の宛先 --> tamsuke@gmail.com
 (@は小文字の「@」に変えてお送りください)
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■発行システム:『まぐまぐ!』  http://www.mag2.com/
■購読希望(メールアドレス登録・変更)・配信停止はこちら
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世界でいちばん大切な思い

2009-09-14 22:40:16 | Book Reviews
「世界でいちばん大切な思い」 イ・ミエ・著、東洋経済新報社、2003年10月2日
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メンタリング・マネジメント

2009-09-13 22:23:26 | Book Reviews
メンタリング・マネジメント 共感と信頼の人材育成術 福島正伸・著、ダイヤモンド社、2005年1月14日

p.7 そもそも人材育成の目的を、個人の職務能力の向上や上司と部下の関係改善、組織の活性化、そしてそれらによる企業の生産性の向上とすること自体に問題があるのです。

p.7-8 はじめにまず上司が常に正しく、部下が常に未熟である、という意識を捨てなければならないということです。同時に、人材育成は企業の都合によるもの、という意識も捨てる必要があります。企業側の都合で考えている以上、それが伝わってしまえば、相手は本気にならなくなってしまいます。
 そうではなく、人材育成の目的を、社会人として、人間を成長させることで、その結果、企業の生産性が上がるようになる、と考えることが必要なのです。

p.9 メンターになるためには、決して高度で特殊な技術が必要とされているわけではありません。「見本」「信頼」「支援」、わずかこれら三つの行動基準に基づいて、考えて行動するだけなのです。
 注意することは、これらを手法としてとらえるのではなく、メンター自身の生き方の問題としてとらえなければならないということです。

p.21 「私(社長)がやっていることは、会社のため、そしてそれはみんなのためだよ」
 「社長はいつも、みんなのため、と言っていますが、本当はすべて会社の利益のため、つまり社長自身のためじゃないですか」
 「そうかもしれない。しかしね、会社がなくなったら、困るのはみんなも同じじゃないか!」
 「一番困るのは、・・・・・社長でしょ」
 「そもそも、会社の業績が悪くても、きちんと給料を払っているんだから、感謝しながら働くのが当然じゃないのかな?」
 「みんなの意識はそうじゃありませんよ。わずかな給与で働いているばかりか、これだけ社長を立てているんだから、感謝してほしいと思っているんですよ」

p.22 (これまでの人材育成プログラムの成果が芳しいものでなかった)理由は、人材育成の前提条件である、先生と生徒、あるいは上司と部下という関係において、「先生は人間的に成熟しているが、生徒は人間的に未熟である」、あるいは、「上司は正しいが、部下は間違っている」ということです。

p.26-7 事業を成功させようとした結果、(指導をして)相手の成長を止めてしまったのです。しかしその一方で、相手も成長してほしいと思っているという状況になっています。つまり、相手に対して、こちらの指示したことをやらせようとして、しかも、依存させるような接し方をしてしまっているにもかかわらず、反対に自立することを期待しているのです。
 このような状況を変えるためには、支援の目的を変えることが必要です。つまり、「事業を成功させること」を目的にするのではなく、「事業を成功させる人を育成すること」を目標にするのです。

p.28 大きな壁があって前に進めないという人のために、壁を小さくするのではなく、その大きな壁を自分の力で乗り越えていkるような人材に育てることが必要なのです。

p.32 社会に価値と感動を提供するために、求められる知識や能力は環境の変化に応じて、日々変わっていきます。いや、変わらなければならないと言ったほうがいいでしょう。その一方で、どんな環境でも変わることがない「期待される人材像」とは、社会に貢献する企業のビジョンを、共に実現しようという共感者であるということです。

p.33 社会貢献できる人材が成長できてこそ、企業も成長することができます。つまり人材育成とは、企業の中だけで認められるような会社人ではなく、社会で認められる社会人を育成するということです。
 企業人としてよりも、社会人として、人間として「期待される人材」を育成していくことが、結果的に企業を成長させることになるのです。

p.35 お客様に対しても、価値と感動を提供し、尽くすことを楽しみます。このように、仕事を楽しんでいる人は、手を抜かずにとことん良い商品やサービスを提供することに集中し、その結果、最大の成果を出すことができるようになります。

p.39 「すべての出来事は、前向きに考えればチャンスとなり、後ろ向きに考えればピンチとなる。問題が起きたことが問題ではなく、どう考えたかが本当の問題である」

p.44 何か良いことを期待しても、良いことは起きません。良いことは自分が起こすものです。

p.49 「自分自身が、部下のやる気を引き出すことができないのだ。相手のやる気を引き出せるように、自分自身が成長しよう。部下が成長できるかどうかは、自分次第だ!」

p.58-9 安楽に生きようとするほど、できれば自分が責任を負いたくない、面倒なことは避けたい、今までやったことのないことにチャレンジする気はない、という気持ちになります。その結果、会社や相手・顧客に責任を転嫁したり、トラブルの処理が遅れたり、能力が向上しなくなったりして、自分への信頼もなくなり、結果的には、安楽に生きていくことができなくなってしまうのです。
 一方、充実した人生を送ろうとすれば、自分から責任を持って物事に取り組み、面倒なことから逃げず、今までやったことにない新しいことにもチャレンジしようという気持ちになります。

p.65 なぜ、依存型人材が生まれるのでしょうか? それは、人を管理しようとすることに原因があります。人は管理されることで依存型人材となり、支援されることで自立型人材となるのです。

p.70 依存型人材を育成できるのは依存型人材だけであり、依存型の上司が自立型の部下を育成することが、そもそも不可能なことなのです。

p.71 管理型マネジメントは、いわば「その時の成果だけのマネジメント」であり、発展的な経営を考えた場合、最も重要な仁z内という経営資源に、致命的な問題を引き起こすことになってしまいます。
 管理するほど、徐々に生産性が低下していきます。それは、相手の意欲がなくなり、様々な問題が起きてくるようになるからです。

p.72 それでも細かく指示をしようとすれば、管理者の負担は増えるばかりとなり、管理者の限界が仕事の限界になってしまうのです。

p.74 依存型人材を育ててしまう管理型マネジメントは、その場限りの成果を求めてしまうので、結果的にはとても無駄の多いマネジメントとなり、企業を内から衰退させてしまうことになります。

p.79-80 働く目的も、ただ生活をするためだけではなく、自らの人生を充実した生きがいのあるものにするためへと、大きく変わってきています。働くことそのものが社会参加であり、自己の社会的存在価値の創造なのです。

p.86 指導には、一つ注意しなければならない点があります。それは何事にも万能な手法や知識があるわけではなく、なおかつ手法や知識は無限にあるということです。

p.90 メンターは、相手が本来持っている潜在的な可能性を最大限に引き出します。
 ただ、ここで「引き出す」と表現すると、こちらが何らかの方法を使うことで、無理にでも引っ張り出すというイメージがあるかもしれません。そうではなく、「引き出す」というのは、自発的に潜在的な可能性を発揮したくなるように導くということです。人は自発的にならない限り、自分の能力と可能性を最大限に発揮することはないからです。

p.105 上司が目の前の成果にばかりとらわれると、部下を自分の思い通りに行動させることが一番の重要課題になってしまいます。つまり、上司が言ったことを、いかにきちんと部下にやらせるかということです。それは、部下の意思を無視することになり、たとえ部下がこちらの言う通りに行動したとしても、言われたことを嫌々やることになってしまいます。そのような意識で仕事に取り組んでも、その成果は小さなものにならざるをえません。さらにその繰り返しは、部下を疲弊させるだけで、企業の未来を閉ざすことになってしまうでしょう。
 目の前の成果を目的にした場合は、人材を育成するというよりも、人材を管理(コントロール)することになってしまいます。そして、こちらがコントロールをすればするほど、相手はコントロールされることでしか、行動できないようになります。

p.109 メンタリングでは、仕事の成果がどうであるかよりも、自発的な行動による成果かどうかを重視します。目の前の成果よりも、将来的に今よりもはるかに大きな成果が得られるようになることを考えているからです。そのためには、すべてのスタッフが自発的になることが必要なのです。

p.110 人材育成の最終的な目的は、社員が成長していった結果、その企業が社会の中でなくてはならない存在になること、つまり顧客や社会から尊敬される存在になることです。

p.112 より存在価値のある企業をつくるため、そしてさらにより良い社会をつくるために、人材育成は行われなければならないものです。
 その意味では、メンタリングの目的は、単に企業の利益のために人材を育成することではなく、社会の中で必要とされる自立型人材を、企業が育成するということになります。そして、そのような自立型人材によって構成される企業が、次々と新たな社会的な存在価値を創造して、その結果として、利益が得られ、さらにより高い価値を創造すべく成長していくのです。

p.140 特に、自分が後ろ向きな気分でいる時が問題です。そんな時は、相手を元気にするどころか、相手のほうがこちらに気を遣って、疲れてしまうことにもなりかねません。
 ほとんどの場合、後ろ向きな気分でいる時は、物事をマイナス受信しているだけなのです。

p.145 信頼されるためには、自分の目先の損得よりも、相手や社会の損得で考えることが必要です。いわばそれは善悪で考えることです。善悪の判断がつかなくなり、損得だけを基準に活動する企業は、どれほど一時的に大きな利益を上げたとしても、いずれ必ず社会からの信頼を失ってしまいます。

p.148 「上司に自己責任の姿勢がなければ、部下は自己責任で考えることはできない」

p.157 人が育たないと言う人は、人材育成に短期的な成果を求めていることが、その根本的な原因であることに気づいていないのです。こちらが短期的な成果を求めている場合は、成果のために支援していることが相手にわかってしまいます。そうなると信頼関係はなくなり、相手は本気で行動しようとは思わなくなってしまいます。
 支援は長い目で見るほど、本質的な支援となり、その成果は早く出るようになります。

p.175 やらせてみて、自分で体験を積み重ねさせるのです。失敗してもかまいません。大切なことは、失敗した時に、それをどのように受け止め、次にそれをどのように活かしていけばいいのかを、まず自分が見せて、そして教えていくことです。そうすることで、相手はどんな失敗があったとしても、それを糧にして成長し続けていく自立型の心材になっていくことができます。

p.193-4 「問題」―「プラス受信」―「自己責任による原因究明」―「見本、信頼、支援による解決手段」―「率先垂範行動」
 「問題」―「マイナス受信(困ったこと)」―「他者責任」―「期待による(相手に要求することを前提とした)解決手段」―「強制、命令(飴とムチ)」

p.220 大切なのは、相手が自分の意思で、自分の判断でやっているという感覚を持ちながら行動することです。言われたことを仕方なくやるのではなく、言われたことを喜んでやる。依存するのではなく、自発的に行動する、ということです。その上で成果を出すことができれば、その時、真の自信が生まれるのです。

p.221 楽をするよりも努力することのほうが、どれほど充実感や感動があるかを伝えてこなかったのです。自分が仕事を楽しまない限り、部下も仕事を楽しむことはできません。

p.228 危機感でやる気にさせるのではなく、夢でやる気にさせる。相手をやる気にさせるために、危機感は必要ありません。

p.240 今日一日で、どれだけの売上があったかよりも大切なことがあります。それは、明日の売上の約束を、今日一日でどれだけつくることができたかということです。

p.242 私たちが売上を決めることはできません。収支計画の中で、私たちが決めることができるのは支出だけで、収入を決めることができないのです。どれだけの支出によってどんな価値と感動を提供できるかが問題です。なぜなら、収入は、お客様がどれだけの価値と感動を得られたかを評価し、その報酬としていただくものだからです。ということは、価値と感動を提供することができれば、企業は必ず成長していくことができます。企業は社会に貢献するほど、安定していくものです。

p.243 目指すべきは、数字的目標よりも感動的目標。つまり、どれだけお客様に価値と感動を提供できたのかということです。

p.246 私たちは、相互に支援し合うことで、将来にわたってより大きな価値と感動を提供することができるようになるのです。これこそが共創の戦略です。

p.249 共創によるすばらしい社会をつくることは、考え方としては、それほど難しいことではありません。それは、次の二つの基準で行動するだけでいいのです。
 第一の基準は、自分が得ることよりも、先に相手に与えること。
 第二の基準は、自分が得ることよりも、多くのことを相手に与えること。


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コンビニと薬局が合体すると

2009-09-13 21:34:52 | 薬局経営
 大手コンビニエンスストアLが薬局を併設した店舗が都内に2箇所ある。お目見えしたのは数年前からだろうか。

 コンビニは
・もともと多分野の生活関連用品や宅配便、ATM等を置き利便性を有する
・手軽に出入りができる
・立地が生活圏にある
・これまでも医薬部外品や衛生用品等が扱われている
・商品の配送が毎日、複数回行われている
・在庫管理等を中心に、かなりの効率化経営がなされている

 ということで、薬局とコラボレーションする相性が良いようだ。薬局側も、第一類医薬品は薬剤師が取り扱うものの、それ以外の医薬品や衛生用品等は登録販売者らに任せることができ、コンビニという利便性による集客力の恩恵を得ることができる。効率化できる部分は、見習うことも多いだろう。

 薬局は、これまで「門前」「マンツーマン」という立地で集客してきた過去があるが、それ以外にも駅前とか商店街といった、やはり立地に左右されるところが大きかった。コンビニはかならずしもそれらとは一致せず、その機能が薬局というものに新たな可能性を与えているのかもしれない。

 これがコンビニではなく、八百屋、魚屋、花屋、本屋といったある特定の商品を扱う店舗と一緒では、いまひとつ利便性に欠ける。
 またドラッグストアのような薬局関連商品を多種多様に扱うところにおいては、“商品を販売する”ことで売上げ拡大を強く前面に押し出す業態と、医療とが似て非なるイメージをもたれているような気がする。合いそうで、合わないのだ。

 コンビニでも販売目的、売上げ重視経営なのだが、住民との生活密着というイメージが薬局と馴染んでいるのではないだろうか。

 しかし、思うのである。薬局は、やはり薬局だ。薬の供給スポットではなく、安全管理の場ではないかと。患者の安全は服薬管理・指導に代表されるように元来非効率なものであり、その質の追求は際限がないのである。
 逆に言うと、これまで薬局は集客を立地に頼りすぎていた。あるいは医薬分業という政策誘導に助けられていた。自分たちの武器で国民の支持を集めきれていなかったのではないかと。
 
 薬局の役割、本質で“集客”する、それも大切だし、それこそ王道ではないかと思う。また人寄せパンダのようなものを用意しろというわけではないが、薬局が生活に溶け込む側面も、意識の中でもいいから入り込む施策がこれまでの薬局に欠けていたのではないかと。

 また薬局をコンビニのフランチャイズ化しろというつもりもないし、奨励するつもりもない。コンビニの恩恵に預かり、羨望を覚える部分があっても、薬局に必要なのは「薬局として」頼りにされることであって、足が運ばれることではないかと考える。
 コンビニが得意の効率化を導入することで、非効率な部分により尽力できるようになっていくのか、効率化重視の文化が、人でなくてはできない、効率化の図れない薬剤師が行う安全性確保を中心とした非効率なサービスの充実にとって足かせになるのか。
 IT化も効率化に寄与したが、本来薬局が果たすべきサービスの質の向上につながるかどうかは経営観次第。薬局なのか私企業なのか、どちらに軸足を置くかではないだろうか。
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非効率主義宣言

2009-09-12 15:22:39 | Book Reviews
効率主義宣言 暴走する効率主義への警告 中沢正夫・木村晋介・丸山重威・編著、萌文社、2002年5月28日

p.14 生産現場で追求された効率主義は、すぐにOA機器の発達により、事務系部門におそいかかり、本来非効率でこそ真価を発揮できる部門(子育て、教育、医療、福祉)まで、席捲しようとしている。生産現場の労働者が能率教に改宗したごとく国民全体が効率教徒化しているといってよい。

p.17 子育て、教育、医療、福祉などは元来非効率的であってこそ力となる。手づくり、試行錯誤のくりかえし、それを「待てる」ゆとりが何よりも大切である。いずれも当面の数値目標をあげるよりも個々のプロセスに意味があり、過度の効率化を求めることは、これらの分野では自殺行為に等しい。

p.27 ヒト化がおくれているばかりか、退化のきざしがあるのである。

 IT化全盛の時代であるが、ヒトでなくてはできないものがあり、すべきものがある。効率化の意識が、ヒトを削減し、機械で代用しようとする。そこに落とし穴があり、誤った選択があることに気づいていない、もしくは気づこうとしない。IT化が目的になって、何をどのようにすることが、目的や役割が忘れ去られているのかもしれない。IT化の見栄えの良さに見えなくなってしまったのかもしれない。

p.41 今、子ども達に一番必要な能力は何かという問題ですが、それは、途中を省略しても何でもいいから早く結論、結果を出すということではないのです。こうした能率主義、効率主義は、本当は実に非効率なわけです。
 使い捨てにされないで、前向きに生きていくために何が必要なのかを考えた時、どんな状況になっても自分の頭で考え一人で対応できる能力を持つしかないと思うんです。基本は一人だけれども、いざとなったら仲間と手をつなぐ・・・・・。

p.41 回り道をして無駄をして、試行錯誤して、失敗してもいいのです。ただし大きな失敗をしないように大人がちゃんと注意深く見守ることですが・・・・・。非効率に見えるけれども、最終的には子ども達にとっても社会にとっても本当の意味では効率がいいのではないかと思います。

p.102-3 だから価値判断というのがあるんだと思うんですよ。「あなたがたは知らないかもしれないけれど、あれは他にはかけがえのない世界一のオーケストラでベルリンにはベルリンフィルがなければいけない」というんです。「そのために、外国から人が来る、ホテルに泊まり、食事をし、お金を落とす。それ以上に陸の孤島のベルリンが安全なのは、そこに優れた文化があるからで、ベルリンフィルは、そこに大きな役割を果しているんです」と言っているのではないかと思う。

p.156 そもそも効率主義をこのまま進めていくと、完全に破綻するわけです。生産現場からはじまった効率主義は実はものすごい非効率であったと思うのです。
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医療安全学入門

2009-09-11 22:55:18 | Book Reviews
「新人薬剤師・薬学生のための医療安全学入門」 小茂田昌代・編、薬ゼミファーマブック、2009年4月10日
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あなたに成功をもたらす人生の選択

2009-09-10 22:02:02 | Book Reviews
「あなたに成功をもたらす人生の選択」 オグ・マンディーノ・著、PHP文庫、2002年10月15日

p.285 常に起こるべきことが起こるのだ。そしてそれは、苦脳する者にとっては避けられないことかもしれないが、強い意志を持つ者にとっては、自らが選択したことに等しい
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人を動かす人になれ!

2009-09-09 21:56:47 | Book Reviews
「人を動かす人になれ! すぐやる、必ずやる、出来るまでやる 永守重信・著、三笠書房、1998年12月10日

p.4 本物の貯金通帳がプラスになるのはうれしいことだが、人を動かす貯金通帳は、黒字になりすぎても、赤字になりすぎても、結果としては失敗なのである。常に帳尻を合わせておくようにしなければ、社員や部下の動きはどんどん鈍っていくことになる。

p.19 この店が繁盛しているのは、ズバリ店員の意識の高さ、すなわち経営者の意識の高さである。

p.35 効率を徹底的に追及し、ムダやムラを排除していくことは経営には不可欠なポイントだ。だが、こと人に関するかぎり、効率一辺倒だけでとらえてよいものだろうか。

p.40 「一流の能力を持っていても、人間として三流の管理者であれば、五流以下の業績しかあげられない」。何をもって人間性を三流とするのか。
 まず、部下は自分の指示や命令で動くものと勘違いしている点だ。

p.45 「失敗は必ず解決策を一緒に連れてくる」

p.76-7 人を動かす秘訣は、麦踏みと同じ要領だと考えればよい。すなわち、麦がしっかりと根を張りはじめたなら、踏みつけてさらにたくましくする。
 だが、まだ十分に根が張っていない麦の芽を踏みつけてしまうと、すぐに腐らせてしまうことになる。かといって、時間さえ経てば自然に根が張るというものではない。麦には肥料を与えないといけないのとまったく同じで、人には感動、感激という肥やしをやることで、自信というたくましい根が張るのである。

p.157 「ウサギとカメ」。現実にはウサギが眠っているときに同じように眠ってしまうカメが大多数なのだ。だから、人を動かすにしても、動かす前に「怠けるカメ」を「怠けないカメ」にしておかなければ徒労に終わってしまう。

p.180-1 部下が何か間違いを犯したときに「ここが悪かった、あそこが間違いのもとだった」といった具合に上司が部下をじわじわと追い込んでいかないことだ。これをやると、逃げ道を失った部下は「オレだけが悪いんじゃない。会社のシステムにも問題があるし、前もって上司が一言アドバイスしてくれていれば、こんな問題は起きなかったはずだ」といったように、責任を転嫁することばかりを考えるようになる。
 開き直りにならない程度の言い訳には耳を傾け、「ところでどこに問題はあったのだろう」というような問いかけをすることで、本人自身に過ちに気づかせて反省を促す方向へ持っていく。

p.188-9 経費を10%削減するのであれば、A君ならこんな方法もあるし、別のこういったやり方もある。またBさんにはまずこういった面を見直して、次にはこんなところも改善してほしいといった具合に、トップの指示を自分なりに咀嚼して、一人一人が何をすべきかを明確にして指示を出す。これこそがリーダーの役割であり、責任でもある。

p.202 苦労や困難から逃げようとすると苦労や困難は追いかけてくるし、楽を追いかけようとすると楽は逃げていく。


 学ばせてもらうところも多々ある本だったが、この社長のもとでは働きたくないと思った。自分に自信を持ちすぎで、オリジナリティを出しにくい雰囲気を感じたからである。
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民意の表れ

2009-09-08 23:28:46 | 思いつくまま
 選挙や政治の世界では「民意が反映された」という表現が使われる。さまざまな意見があるとはいえ、ある意見が「一票」として投じられた・・・、投票という行動によって示された。

 民意の中には、組織票などというものもあるが、一方浮動票もあり、自由な意思によるものである。

 政治の世界だから選挙が行われるが、民意を反映したものに顧客満足アンケートといったものもある。ある程度の数が集まることで、どのような意見があり、多数を占めているかが今後の参考になる。それを今後の活動の参考にする企業も少なくない。

 それらを参考にして何につなげようかというと、多くの組織において活動の進め方や方向性であるが、端的に業績アップにつなげたいとする向きもあろう。

 であれば民間企業において、「民意」とは業績であるといえるのではないか。業績が思わしくないということは、その組織の“製品(製造物のこともあればサービスの場合もある)”に対する民意が示されているといえるのではないか。

 不況の風が強ければ、そのせいにして済ませようとする考えもあるが、それは自らの姿を真正面から見ようとしない、行動を振り返って反省しようとしない考え方ではないだろうか。
 毎年のように業績が思わしくない、良いとしても一時的な因子によるもので、自らの力で切り開いたものでなければ、経営方針が問われているといってもよいだろう。組織は反省する力を持っているかどうか。これまで自分たちが是としてきたものに対し、民意ではノーを突きつけられている可能性がある。
 自分たちが大事にしてきたものに対し、その前提が間違っているのではないですか、と言われている可能性を考えておかねばならない。

 経営者が自分たちの足跡だけはけっして間違っていなかった、その時その時で最善な判断をしてきたとするならば、そもそもそれが間違いなのだと考えるべきではないだろうか。
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