何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

重症筋無力症に対して抗コリン剤は

2009-09-23 22:04:07 | よくわからないこと
 重症筋無力症の患者さんに、抗コリン作用のある薬剤が処方されたが、果たして大丈夫か。
 
 理論上は禁忌と思われるのだが、添付文書には関連記載が見当たらないため、古くからある代表的な抗コリン剤を発売している外資系B社に尋ねてみる。しかし、そのような文献や報告はないとほとんど“即答”。そして、どうするかは現場に委ねるとの“お決まり”の素っ気なさ。

 もちろん最終的な判断はこちらでするが、そのために参考になる情報を尋ねているというのに、矛盾した現場の状況に関心を示さず、文献と報告の実態を示すだけで見解を示さない。そう言えばB社は以前からそうだ。

 B社から親身な対応が得られないならばと、改めて自身で情報を探す。
 「医薬ジャーナル」誌、41巻4号1250-8頁2005年に「重症筋無力症と禁忌薬剤」の文献あり。
 『抗コリン作用薬は、アセチルコリンが受容体に作用するのを妨げ、重症筋無力症の症状を悪化する恐れがあると考えられているが、報告例はない。添付文書上、尿失禁、頻尿治療に使用する副交感神経遮断薬やパーキンソン病治療薬の副交感神経遮断薬は禁忌であるが、他の副交感神経遮断薬、三級アミン合成抗コリン薬、四級アンモニウム塩合成抗コリン薬は禁忌に含まれていない。』との記述あり。

 同じ抗コリン作用を有しながら、昨今の尿失禁・頻尿治療剤には禁忌とされているにもかかわらず、古くからある抗コリン剤は添付文書において禁忌とされていない矛盾。
 
 昨今、新薬では、報告がなくても薬理作用上、禁忌と考えられるものは最初から併用禁忌であると添付文書に記載される傾向にある。古くからある薬剤では、当時の承認状況がそうなっていなかったのではないか。
 しかし、近年の安全管理重視の考え方からすると、追記が検討されてよいと思うのに、そうなってはいない。
 抗コリン薬を用いて筋無力症悪化の報告がないのは、現実には大きな問題になった症例がないのか、理論上矛盾する作用の薬剤だから、そのような事例があってもあえて話題性がないと報告が挙げられないからなのか。

 添付文書を比較しただけでは方向性が見えてこない。「添付文書がそうなっている」ということだけで疑義照会しないでいるとしたら、薬剤師として問題があることはないか。代替薬があるのなら、そちらを提案すべきではないだろうか。
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勝負の格言

2009-09-23 18:01:33 | Book Reviews
「勝負の格言」 桜井章一・著、宝島社(宝島SUGOI文庫)、2008年8月2日

p.16 勝ってもそれが卑怯なズルをしたり、人を犠牲にした上での勝ちなら、それも負けなのです。

p.63 専門家や業界人であることは、どこか弱さがあるということだと思います。私は麻雀の世界で雀鬼と呼ばれながらも、麻雀とその業界を否定しています。そこに閉じられるのは弱さにつながるとわかるからです。

p.67 最近は野球や格闘技といったスポーツを観ていて、「なんか品がないなあ」という印象を受けることが多くなりました。
 なぜそうなるのかというと、戦うもの同士、競争するもの同士が尊敬し合っていないからだと思います。戦う相手を憎んだり、恨んだり、蹴落としてざまあ見ろとか、そんな嫌な感情の中で戦うから、品がなくなるのです。

p.69 人は、何かを選択し、同時に何かを捨てる生き物です。良いものを選ぶか捨てるか、悪いものを選ぶか捨てるか、ズルいものを選ぶか捨てるか、美しいものを選ぶか捨てるか。何を選び、何を捨てるかでその人の人生は決まってきます。

p.75 つまり勝ちは、「終わり」でないということです。そこには、たえず次の勝負の「始まり」があるだけなのです。

p.77 粋の勝負とか、やさしさの勝負といった勝ち負けというものがはっきり残らないところにも勝負があるわけです。

p.93 苦しいだけのことを我慢するには限界があります。そういう我慢は時間との勝負なので、どこかで折れてしまいます。
 そうではなくて「耐える」ということは面白いんだ、と思えれば、事態は変わってきます。
 ぎりぎりに追い詰められたところから、感覚を研ぎ澄まして行く手を冷静に見つめる。不利な状況をどこかで面白がる。耐えながらも攻める気持ちを失わない。そんなところから道は開けてきます。

p.115 つまり勝負には、結果的に楽勝ということはあっても、楽勝と思っていい勝負はない。

p.167-8 世間では、勝てば官軍で勝ちは絶対の価値を持っています。
 それは、ただ自分だけが一方的に得をすればそれでいいという勝ち方です。その下には無数の他人の犠牲があり。その分だけ妬みや恨みがあるのです。


p.187 勝ち組、負け組という言葉、経済力のあるなしで単純に人生の勝ち負けを決めるという何とも表面的な言葉ですが、環境は絶えず変化していくものなので、そうした勝ち負け事態、けっして固定されたものではないわけです。
 始末に悪いのは、その不安という弱さが原動力となって、一度勝ったら徹底して勝ってやろうと見堺がなくなる連中が多いことです。

p.189 私は反対に「不調こそ、我が実力」と思っています。
 好調な時に出来ることより、不調な時に出来ることのほうが値打ちを持っています。不調な時こそ、どれだけ踏ん張れたか、何を工夫したか、そんなことが財産になるのです。

p.193 開き直りは一見、潔い感じがしますが、しんどさに耐えられなくなって窮地から逃げているだけです。最後まで粘り耐える人に、チャンスはやってくるものです。

p.196 勝者は裏返して見れば、人に「負け」を与える人のことです。敗者という犠牲の上に成り立つのが勝者というわけです。
 「勝ちをどうぞ、と言える人が勝ち」
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