何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

民意の表れ

2009-09-08 23:28:46 | 思いつくまま
 選挙や政治の世界では「民意が反映された」という表現が使われる。さまざまな意見があるとはいえ、ある意見が「一票」として投じられた・・・、投票という行動によって示された。

 民意の中には、組織票などというものもあるが、一方浮動票もあり、自由な意思によるものである。

 政治の世界だから選挙が行われるが、民意を反映したものに顧客満足アンケートといったものもある。ある程度の数が集まることで、どのような意見があり、多数を占めているかが今後の参考になる。それを今後の活動の参考にする企業も少なくない。

 それらを参考にして何につなげようかというと、多くの組織において活動の進め方や方向性であるが、端的に業績アップにつなげたいとする向きもあろう。

 であれば民間企業において、「民意」とは業績であるといえるのではないか。業績が思わしくないということは、その組織の“製品(製造物のこともあればサービスの場合もある)”に対する民意が示されているといえるのではないか。

 不況の風が強ければ、そのせいにして済ませようとする考えもあるが、それは自らの姿を真正面から見ようとしない、行動を振り返って反省しようとしない考え方ではないだろうか。
 毎年のように業績が思わしくない、良いとしても一時的な因子によるもので、自らの力で切り開いたものでなければ、経営方針が問われているといってもよいだろう。組織は反省する力を持っているかどうか。これまで自分たちが是としてきたものに対し、民意ではノーを突きつけられている可能性がある。
 自分たちが大事にしてきたものに対し、その前提が間違っているのではないですか、と言われている可能性を考えておかねばならない。

 経営者が自分たちの足跡だけはけっして間違っていなかった、その時その時で最善な判断をしてきたとするならば、そもそもそれが間違いなのだと考えるべきではないだろうか。
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人生の重荷をプラスにする人マイナスにする人

2009-09-08 23:15:55 | Book Reviews
「人生の重荷をプラスにする人マイナスにする人」 加藤諦三・著、PHP文庫、2003年9月17日

p.5 重荷から逃げている人は、自分の宿命を、自分自身を受け入れられない人であるということである。だから、重荷から逃げる人は自己実現タイプの人ではない。何とか自分だけうまく得して生きようとする、ずるい人である。

p.9 悩みは今までの人生の垢みたいなものである。重荷や充実感や自信を与えない時には、それはたいてい人生の垢である。だから悩んだ時には、この悩みは自分に何を教えようとしているのかと考えることである。

p.35-6 もし、あなたが酷い親の元に生まれた時には、「何で俺だけがこんな酷い目に遭わなければならないのだ」と自分の運命を恨まないで、「私は何かものすごいことをするよう運命づけられている」と思うことである。
 どんなに苦しくても「ありがたい、ありがたい」と努力していれば、最後には大きなものが残る。重荷とはそういうものである。ただ単に表面的に恵まれた人生や、重荷を逃げた人生は最後には何も残らない。

p.39-40 とにかく嫌な仕事から逃げて生きてきた。本当は自分が言わなければならない言いにくいことを、人に言わせて逃げた。心の底で「得した」とほくそ笑んでいた。
 そうした時にずるい人は黙って自分に尽くしてくれる人を見て、「うまくいった、得した」と思う。しかしまさにその時は、誠実な友人が、実はあなたに見切りをつけた時なのである。

p.42 「不幸はやさしく、幸福は骨がおれる」。幸せになるには重荷を背負わねばならない。

p.43 この本の著者も幸福は副産物だと述べている。幸福になることが第一の目的になった時には、幸福にはなれないにちがいない。重荷を背負って苦闘するから、人は幸せになれるのである。

p.66 周囲から同情や愛情や承認が欲しくて、重荷を背負い込む人がいる。もちろん彼も懸命に努力はする。しかし認められたくて重荷を背負い込むと、最後には挫折する。

p.73 つまり「私を認めて」が動機で何かを引き受けて努力をしても、結果は思わしくない。

p.85 つまりどこかで今までの生き方を変えない限り幸せにはならない。所詮悩みとはある生き方の結果なのである。自分の生き方を変えないで、悩みを解決しようとしても無理である。だから悩みの解決には時間がかかる。
 「もう自分が背負うべき重荷を人に背負わすのはやめよう」という生き方の変更が、幸せを運んでくる。

p.126 混乱を乗り切る間、最も健康であった人に一定の特徴的なパーソナリティが見られることにスーザン・コバサは気がついた。そのひとつは、何か困難にぶつかってもそれを脅威ではなくやりがいのある仕事とみなし、変化には気持ちの高揚とエネルギーをもって応えるという点であるという。

p.138 しかしとにかくずるい人は負担をうまく逃げる。そして世間にはいい顔をする。ずるい人のずるさのゆえんは、本当のことを隠すということである。「俺は自分の利益しか考えないのだ」と言うのならいい。しかしずるい人は必ずきれい事を言いながら負担を逃げる。

p.162 私は今までの人生で、きれい事を言う人で誠実な人に出会ったことがない。きれい事を言う人は常に裏ではずるいことをしている。その自分のずるさを隠すためにきれい事を言うのである。

p.213 どれを読んでもお金が、幸福や自信や誇りをもたらすとは書いてない。どれを読んでも成功が、幸福や自信や誇りをもたらすとは書いてない。どれを読んでも権力が、幸福や自信や誇りをもたらすとは書いてない。

p.214 そうした本を読みながら私は当たり前の事に気がついた。つまりお金とか、権力とか、名声とかは皆、結果なのである。結果は、自信とか幸福とか誇りとかとは直接関係ないということである。
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