「できれば晴れた日に 自らの癌と闘った医師とそれを支えた主治医たちの思い」 板橋繁・著、へるす出版新書、2009年6月5日
著者は「なぜ、かくも卑屈にならなければならないのか」の著者でもある。
40代半ばで過酷な運命を宣告され、いやがおうにも“戦闘の場”に駆り出される。それを先輩が、同僚が、同士が支える。しかし皆に見守られながらも、召されてしまう。
なぜ、かくも残酷な運命を与えられなければならないのか。残された時間において、いかに葛藤し、精一杯生きるとはどういうことか。与えられた苦悩とは、本人や家族が受け止める課題において、あまりにも容赦なさすぎるのではないか。
傍で見ていた者も、どうしようもない。手をこまねいていたのではなかろう。しかし医療が病気に負けたとは思いたくない(勝ったとも言えないが)。
いずれ人は誰もがそこに至るとはいえ、いつ宣告されてもいいよう、今を精一杯生きることがそれを緩和するだけかもしれない。その時、周りからこのように惜しまれるのは、惜しまれなくてもいいから違う状態を著者は望んでいたのかもしれないとはいえ、これほどまでに幸せな医者がいるだろうか。
著者は「なぜ、かくも卑屈にならなければならないのか」の著者でもある。
40代半ばで過酷な運命を宣告され、いやがおうにも“戦闘の場”に駆り出される。それを先輩が、同僚が、同士が支える。しかし皆に見守られながらも、召されてしまう。
なぜ、かくも残酷な運命を与えられなければならないのか。残された時間において、いかに葛藤し、精一杯生きるとはどういうことか。与えられた苦悩とは、本人や家族が受け止める課題において、あまりにも容赦なさすぎるのではないか。
傍で見ていた者も、どうしようもない。手をこまねいていたのではなかろう。しかし医療が病気に負けたとは思いたくない(勝ったとも言えないが)。
いずれ人は誰もがそこに至るとはいえ、いつ宣告されてもいいよう、今を精一杯生きることがそれを緩和するだけかもしれない。その時、周りからこのように惜しまれるのは、惜しまれなくてもいいから違う状態を著者は望んでいたのかもしれないとはいえ、これほどまでに幸せな医者がいるだろうか。