何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

新宿駅最後の小さなお店ベルク

2009-09-03 22:37:51 | Book Reviews
「新宿駅最後の小さなお店ベルク」 井野朋也・著、ブルース・インターアクションズ、2008年7月30日

p.14 セルフの店が一時期流行のように増え、次々とつぶれていったのですが、おそらく「早い、安い、うまい」という「飲食店の一つのあるべき姿」をしっかり押さえた店が少なかったからではないでしょうか。単に人件費を抑えるためにセルフにしたという店が多かったんじゃないか。

 その店が社会に求められる本質的な理由、存在意義、それを見失って、小手先の、表面的な要素しか見ていないがゆえの判断ミスではないか。それを誘発するのが、コスト削減や売上重視の発想だろう。

p.18 伊丹十三監督の『スーパーの女』という映画のなかで、「従業員が買い物をしないスーパーはダメだ」というセリフが確かありましたが、・・・

p.29 お客様というのは思いもせずスルドイところがあって、やはり店がこだわればこだわるほど何かを感じとっていただけるものなのです。美味しいか美味しくないか、気に入るか気に入らないかという以前に、まず、なんだろう?これは、と思っていただければじつはしめたものなのです。

p.31 さて、ベルクの商品開発は、食べることにはじまり食べることに終わります。ひたすら食べます。
 例えばパンを探すときは、市場に出ているパンを片っ端から食べます。

p.42 職人にとって、商品は単なる商品でなく、自分の分身みたいなものです。その分身がどう扱われるかが、一番心配だったんだと思います。
 自分たちがどんな人間かを伝える、これが大事です。

 薬局は、薬や情報にどんな思いを込めて渡していすのだろうか。渡した薬や伝えた情報がどう扱われているか、受け入れられているか、薬剤師はそこを考えたことがあるのだろうか。単に疾病が治ればよいのだろうか。

p.55 うちにはコーヒーの神様、ソーセージの神様、パンの神様、いろいろな神様がついているのですね。

p.59 お店の雰囲気を作るのはインテリアではなく接客

p.61 例えば、どんなにそうじをゆき届かせても、手入れのしようのない壁のシミとか、年季の入った床とか、そういう汚れや痛みが店にはあります。それらが、「うらぶれ」の要素になるか、「店の味」になるかも、多少の工夫と演出により決まるのです。
 とにかく店にとって最大の敵は(食中毒を別とすれば)、だれた、だらしない雰囲気です。

p.62-3 それから、お客様に何かうかがう場合は、なるべくYES(でなければNo)で答えられるようにうかがう。
 No(否定)でなく、言いまわしをかえてでもYES(肯定)があふれれば、それもまた、店の活気につながる、というわけです。

p.69 本当の接客とは、その人の不安を取り除いてあげることではないか。心から迎い入れてあげる気持ちが相手に伝わる。たとえ営業上こちらに非がなくても、お客様が嫌な思いをしたとしたら、それは申し訳ないと素直に感じて、その気持ちを表わすことが大切なのではないか。
 店を自分のものだと思ってはいけない。経営者はとかく店の都合を優先させてしまう。でも、店はお客様のものだという意識も必要。

p.70 ベルクがチェーン展開しないのは、いえ、できないでいるのは、私自身、経営者が現場に立つべきという信念をいまだに捨てきれずにいるからです。
 現場主義といっても、それがお客様の方を向いた「現場」でなければ意味がありません。

p.73 管理とは、まさに「面倒事を想定して、事前に回避しようとすること」ですね。接客とは相反するものです。

p.76 押さえておくべきことは、相手の立場に立つこと、そして立ったつもりでじつは立っていないことはいくらでもありうるということです。失敗はなるべく避けたいですが、恐れるくらいなら失敗した方がいい。むしろ失敗したという認識が大事です。

p.108 以前、批評家の柄谷行人さんが、日本では自分は文筆家としてそこそこ認められているが、海外に行くと一人の東洋人に過ぎず、色眼鏡でしか見られない。その色眼鏡を外させるには、結局、知性しかないんだ、というゆなことを書いていて、虚を衝かれた感じがしました。

p.113 第一、フランチャイズの店は、店作りに関する決定権が現場に何もありません。商品開発という一番おいしいところさえ、本部に奪われています。

p.180 店は長期熟成のビジネスと考えた方がいい。短期決戦型の思考を捨てるべきです。でも、これが意外と難しい。

p.207-8 「スローフード」は、「ファーストフード」へのアンチテーゼとして出てきた言葉ですが、必ずしも「はやい」い対する「ゆっくり」ではありません。
 少しでも管理がしやすく、予測不能が回避できるなら、手段は選ばないという企業的な発想に対するアンチテーゼです。

p.221 企業はむしろ、ダメとなったらさっさと見切りをつけて、自分から出ていきます。一つの場所や業態にこだわる必要がないですから。しかし、資本力のない個人店は、そうはいきません。その代わり、その場所で商売する覚悟と情熱があります。そうでなければ長く続けることはできません。

p.230 店の命運を決めるのはお客様であって、ビルの家主ではない、というのが私どもの考え方です。

p.251 飲食業においては経営体の規模の大小はまったく関係ない。例え何千のチェーン店といえど現実の競合は常に一店ずつの戦いのはずで、いわば局地戦。チェーンとは異なる魅力を持てば、たとえ同業種といえど負けることはない。むしろチェーン店こそが画一化された限られた武器で戦うしかなく、ハンディはきつい。

p.251-2 負ける店にはその店の数だけ負ける原因が見出せるものだが、勝つ店には必ず共通する要因がひとつある。それがフィロソフィだ。
 シンプルな表現をすれば「お客に喜ばれたい」という意識で、これがあるかないかで成否が決まる。飲食店でも始めて一儲けしたい、などという発想がスタートであれば100%成功しない。いくら巧妙な店作りをしても、結局衣の下の鎧は見抜かれるもので、お客をなめてはいけない。おそらく、不振店の100%近くはこの思想が表面にはなくとも潜在的にはあるもので、それが敏感にお客に伝わっていることも知るべきだ。チェーン店が隣に出現しようが、バイパスができて店前の通行量が激減しようが、変わらずに繁盛を続けている店も数限りなくあるわけで、その強烈な支持の根底にあるものが、「お客に喜ばれたい」と考える経営者のフィロソフィだといえる。

p.252 繁盛店といわれる多くの店の出発点を見ると、ほとんどのケースで経営者自身が、自分ならこうされたら喜ぶ、という思想のもとに店作りをしている。お店の儲けは後回し、先にお客に喜んでもらうなどとはチェーンは死んでもできない発想。先にお客に喜んでもらうことで、後でお客が店を儲けさせてくれる。経営論としては通用しないものだが、個人の飲食店経営にあっては成功のセオリーともいえる哲学なのだ。

p.256 「結果」が何より求められる企業戦略とは違い、仕事がライフワークと呼べる個人経営。

 飲食店と薬局は、共通点がかなり多いとみた。保険が絡んでいなかったり、口にするものが処方によって決められているとか、そこの違いはあるものの、顧客とどのように接するのか、運営をどうするのか、経営をどう進めるのか、それらは共通点だろう。
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