何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

勝負の格言

2009-09-23 18:01:33 | Book Reviews
「勝負の格言」 桜井章一・著、宝島社(宝島SUGOI文庫)、2008年8月2日

p.16 勝ってもそれが卑怯なズルをしたり、人を犠牲にした上での勝ちなら、それも負けなのです。

p.63 専門家や業界人であることは、どこか弱さがあるということだと思います。私は麻雀の世界で雀鬼と呼ばれながらも、麻雀とその業界を否定しています。そこに閉じられるのは弱さにつながるとわかるからです。

p.67 最近は野球や格闘技といったスポーツを観ていて、「なんか品がないなあ」という印象を受けることが多くなりました。
 なぜそうなるのかというと、戦うもの同士、競争するもの同士が尊敬し合っていないからだと思います。戦う相手を憎んだり、恨んだり、蹴落としてざまあ見ろとか、そんな嫌な感情の中で戦うから、品がなくなるのです。

p.69 人は、何かを選択し、同時に何かを捨てる生き物です。良いものを選ぶか捨てるか、悪いものを選ぶか捨てるか、ズルいものを選ぶか捨てるか、美しいものを選ぶか捨てるか。何を選び、何を捨てるかでその人の人生は決まってきます。

p.75 つまり勝ちは、「終わり」でないということです。そこには、たえず次の勝負の「始まり」があるだけなのです。

p.77 粋の勝負とか、やさしさの勝負といった勝ち負けというものがはっきり残らないところにも勝負があるわけです。

p.93 苦しいだけのことを我慢するには限界があります。そういう我慢は時間との勝負なので、どこかで折れてしまいます。
 そうではなくて「耐える」ということは面白いんだ、と思えれば、事態は変わってきます。
 ぎりぎりに追い詰められたところから、感覚を研ぎ澄まして行く手を冷静に見つめる。不利な状況をどこかで面白がる。耐えながらも攻める気持ちを失わない。そんなところから道は開けてきます。

p.115 つまり勝負には、結果的に楽勝ということはあっても、楽勝と思っていい勝負はない。

p.167-8 世間では、勝てば官軍で勝ちは絶対の価値を持っています。
 それは、ただ自分だけが一方的に得をすればそれでいいという勝ち方です。その下には無数の他人の犠牲があり。その分だけ妬みや恨みがあるのです。


p.187 勝ち組、負け組という言葉、経済力のあるなしで単純に人生の勝ち負けを決めるという何とも表面的な言葉ですが、環境は絶えず変化していくものなので、そうした勝ち負け事態、けっして固定されたものではないわけです。
 始末に悪いのは、その不安という弱さが原動力となって、一度勝ったら徹底して勝ってやろうと見堺がなくなる連中が多いことです。

p.189 私は反対に「不調こそ、我が実力」と思っています。
 好調な時に出来ることより、不調な時に出来ることのほうが値打ちを持っています。不調な時こそ、どれだけ踏ん張れたか、何を工夫したか、そんなことが財産になるのです。

p.193 開き直りは一見、潔い感じがしますが、しんどさに耐えられなくなって窮地から逃げているだけです。最後まで粘り耐える人に、チャンスはやってくるものです。

p.196 勝者は裏返して見れば、人に「負け」を与える人のことです。敗者という犠牲の上に成り立つのが勝者というわけです。
 「勝ちをどうぞ、と言える人が勝ち」

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