まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

朝に紅顔、夕べに白骨

2011-07-26 | 暮らし

よく耳にする蓮如上人の御文である。白山麓の林西寺の住職さんの話を聞きながら、涙がすうっと流れた。母は、横ですすり泣いていた。

人のおろかで哀れなさま、皆が骨になってしまうこと。それでも、浄土で待っていてくれると思うと、死んでいくことも怖くないのではないかということ。息をしていることは、生かされているということ。

土曜に母方の伯父が亡くなったので、主人の運転で、日曜に鶴来まで通夜に出かけた。

母の一番上の兄で、86歳だった。母は、8人兄弟の4番目。母方の葬儀には、従兄弟であっても話したことがない人もいるし、誰が誰の子供かも分からない。それでも、小さいとき遊んだ同年代の従姉妹たちとは、すぐに見分けがつく。しかし、祖母がなくなって以来9年ぶりなので、みんな年をとった。

小さいとき大日川で魚を獲って遊んでくれた、従兄弟は爺さんになり、一緒に泊まった従姉妹は、婆さんになった。両親や、伯父、叔母たちも、すっかり年をとった。 

弔のときしか出会わない従姉妹達と、声をかけあい、「また会おうね」とは、言えないのだ。また、会うときはこういうときしかないのだから。