まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

旬の旅 黒部ダム編

2024-07-08 | 旅行
新幹線の座席の網のポケットに入っているトランヴェールという旅の本の中で、柚月裕子が「旬の旅」というのを書いていた。
ものごとには旬がある。と、いう書きだしで、友達が母親の介護を終えて、若い頃から憧れていたハワイに出掛けたが、旬ではなかったと。
自分の旬である。マリンスポーツするには無理な年齢になり、バーベキューの肉も、揚げドーナツも若ければもっと食べられた。
結局、彼女は尾瀬に水芭蕉を見に行くのが今の自分の旬であると語っていた。

わたしは、殿にハワイもイタリアも連れていってもらった。
イタリアでは、年配のご夫婦が体調を崩し、みんなが気遣っていて、そのご夫婦が、みんなの迷惑にならないよう、行動を控えていたことがお気の毒だったことを思い出した。
私たちは殿の会社の同期仲間の夫婦連れで、あの時が私たちの海外旅行の旬だったと思った。
今行ける場所。行きたい場所。見たいところ。
それが長年行きたかった黒部ダム。
よく言われる「へぇ~、まだ行ってなかったん?」
婆様にも言われた。「わてら松本で泊まって、あ~たらこ~たら」
では、行ってきます。

6月末で、梅雨最中。その日は雨。
扇沢から関電の電気バスで黒部ダムまで行く。
そこから、展望台まで200段の階段を上る。上りたくなければそのまま出てダムに行けるのだが、あえて200段を上る。
これが旬なのである。今だから行けるところ。登れるところ。走れるところとか。今の自分に無理なく行けるところを選べばいいのである。


「あと約100段です。湧水を飲んで一休みしてください。」
ですって。ちょい息が上がる。水飲もうか・・


ダムが見えて圧巻。
周りの山々を見ると、よくやり遂げたものだと思う。
最大の難所、大破砕帯で約80mに7か月かかったということは「黒部の太陽」の映画やプロジェクトXでも紹介されていて、この当時の方たちがやり遂げたからこそ、礎となり今の日本があるのだと言っても過言ではないと思う。
関電だけに難関突破して造ったダム工事。





雨に煙っている。
レインウェアを着ていて丁度良いと思っていたが、歩いているうちに暑くなってきた。



歩けば歩くほど、その巨大さを実感する。


ここで少しお勉強。
黒四建設開始は昭和31年8月大町トンネルの掘削開始。
我らと同じ年周りだ。1歳サバ読んだ。
7年の歳月を経て完成。昭和38年6月竣工式が行われた。











ここで殉職された方に手を合わせる。
あとで正式な人数は171名とあった。名前が刻まれている。





最新の画像もっと見る

コメントを投稿