木の芽峠の茶屋番所は、峠の茶屋とかいう団子とお茶を飲む所ではない。由緒ある番所とのこと。歴史的にも興味深い北国街道の木の芽峠である。
大聖寺を8時に出発して、木の芽峠に着いたのは10時だった。道元を始め、多くの歴史上の人物がここを通っているのだそうだ。3匹の犬がお出迎えで、よく吠える白い犬は怖かった。放し飼いである。
わたしたち12人は、囲炉裏の周りに座り、お茶を頂いた。前川さんのお話はぶっ飛びで、桓武天皇から50代でと始まり、平重盛から36代目であるという。平清盛、松尾芭蕉、紫式部、織田信長、豊臣秀吉がどーの、こーのとなって、わたしは途中から訳が分からなくなった。要するに、前川家は由緒ある家系ということと、この木の芽峠は多くの歴史上の人物が通ったということである。
さて、木の芽峠の番所で過ごした後、第2の目的に向かう。それは、美味しい蕎麦を食べることである。「越前そばの里」で、たけふセット1000円。そばに加えて、焼き鯖寿司がついて、天ぷらもあってこのお値段。満足、満足。ついでに、水ようかんや、ぼた餅の試食までした。
ここを出て、味真野へ向かう。越前の万葉古蹟である。深田久弥は、福井中学の同窓会の為に芦原温泉に泊まり、翌日に志げ子夫人と日野山に登る予定であった。志げ子夫人はその頃、万葉集の勉強を始めたという事で、久弥は味真野へ誘ったのだ。同窓会の翌日に到着して合流。
味真野へ流された中臣宅守(なかとみのやかもり)と、奈良に残った妻の狭野茅上娘子(さののちがみのおとめ)との間に交わされた、熱烈な相愛の歌を久弥は紹介している。新婚後間もなく娘子が宅守を送り出す時の歌や、「夫婦の別れ易く会い難きを相嘆き、おのおのいたむ情を陳べて贈答する歌・・。その歌を生む機縁となった味真野という土地を、私も妻も見たかった。」と、ある。これは久弥と志げ子夫人の相愛をも感じられるとわたしは思った。
継体天皇が味真野を去るとき、寵愛の照日の前に形見の花籠を与えて京へ上がる。照日の前は物狂いになって花籠を持って都へ上がるという、謡曲「花筐(はながたみ)」にもなった話がある。味真野は昔の恋の物語があるところなのか。
花筐の像の前には「恋人の聖地」と、書かれた場所がある。
何故かわたしたちは、このハートを避けて歩いた。今更間違いがあってはならないからか。
ほんと、食べ物は大切です。
牡丹餅や水羊羹も美味しかった。
その後、眠くて運転している人に悪かった。
加賀温泉郷や金沢なら1800円は取られそう
最近金沢は強気です。
飲み放題のメニューを頼んで飲み食べした後、他の居酒屋で二次会をしていたりする。
居酒屋へ行った後で、お腹がすくってどうよって感じです。