まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

平床山倶楽部

2018-12-30 | 身体

娘の嫁ぎ先のおかあさんのご実家に不幸があって、通夜に行ったら、その町にすんでいる従兄弟もお参りに来ていた。いつも不幸の時ばかり会うね。元気に楽しいお酒を呑みたいね。と、話していたら、そういう話はすぐに実現する。従兄妹会をしようということになって、山ちゃん(登山大好き)と妹のI子ちゃん。わたしと弟。浜ちゃん(浜のひとりっ子)の5人だ。主に、山ちゃんとI子ちゃんが、よく遊びに来ていて、浜ちゃんはそのころ川崎に住んでいたので、夏休みに遊びにきた。弟は少し年が離れているので、母方の従兄弟と遊んでいたが、なんといっても平床山のオーナーである。唯一、〇家の姓を継いでいるのは弟だけだ。わたしたちの父のすぐ下の妹の子が山ちゃん兄妹。その下の妹の子が浜ちゃん。

他の従兄弟にも声を掛けたそうだが、結局、この山遊び仲間が寄ったので、わたしの心の中で密かにネーミングした。「平床山倶楽部」である。倶楽部は、少し高尚な感じがする。I子ちゃんが由緒ある家へ嫁いだので、品位のある名前にしなくては申し訳ない。

わたしたちは、いつも山遊びをしていた。竹を切ったり、崖になった壁の土を削って足場を作り、今でいうところのボルダリングをやったり、ぎりぎりの危ないこともしていた。洞穴も人がひとり入れるくらいの穴を掘った。山の上で土を売ったところが、丁度赤土が出て、格好の遊び場だった。たぶん、今ならひんしゅくをかうであろう遊びをした。けれど、これ以上は登れない、危ないという臆病さも持ち合わせていたので、たぶん安全な危ない遊びっぽいことをしていたのだろう。

小さい時、しっかり外遊びをした子供は、大人になっていろんな荒波にもまれても生きていけるという。みんな立派な大人になった。わたしはその時のまま小さいが。

さて、何十年ぶりに一緒に遊ぶということになった訳だ。

今更説明するまでもないが、従兄妹というのは、同じ祖父母を持つ仲間である。8人兄弟の子供にあたるわたしたちの空白の時間は半世紀近くにも及び、平均かろうじて50代というこの月日は、走馬灯のようにと言えば、高速で年月が流れて目まいがしそうなスピードである。この後どうなるのか。とりあえず、この日は過去にタイムスリップである。



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