まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

能登復興支援従弟会

2024-05-03 | 昭和のど真ん中
藍綬褒章を受けた従弟の祝いの宴は昨年の冬。
幸いにもというか、わたしは京都行を諦めて、この日の従弟会に出ることが出来た。
祝い返しに輪島塗の箸と、能登のお酒。
能登支援の心遣いはよいね。

能登の酒蔵は被害を受けたので、別のところで作ったとのことだ。
ワタリガニのケジャンて何です?気になるね。ケという醤(ジャン)ですな。
そのケは何ケ?
手袋をして、取り分けている姿が、手術中に見えるよ。
「わたし失敗しないんで」
これが、めっぽう旨い。いいじゃん。





話は、正月の地震の話となった。
その時、金沢のMと加賀のK達従弟と情報交換し、弟家族を救助してもらった。お世話になりました。
弟家族は、もう後30分、千枚田にいたら取り残されるところで危なかった。
里山海道の後ろと前が陥没・・とか、金沢の従弟は震度5強で、家の中の物が落ち、食器棚の中から食器が落ちて大変だったとのこと。
車に乗っていたら、象が体当たりしてきたみたいで怖ったよ~と、弟のお嫁さんが言っていた。

いつも一緒に山で遊んだ仲間なので、わたし達は兄弟みたいなものだ。
弟は生まれて間もなかったけど。Iちゃんは若くして亡くなったけど。
わたしらって、昭和のど真ん中だよね~。

父の命日が4月30日だったことから、父の話になって、鹿屋の特攻基地にいたんだよって話になった。
父がワープロで書いたものを、もっときっちり打ち直して、分からないところを聞いておくんだったと、たいがい後で思うことだ。
きっと、わたし達の子供たちも、わたし達のことは殆ど知らずに、後にもっと聞いておけばよかったと思うだろう。
しかし、命を張った父と違って、もっと語っておかなくてはならないような大事な話はなさそうで、何も聞かないでという感じだ。
山に埋蔵金の場所もないし。
そんなことを言いながら、集まって飲めるわたしたちは幸せだ。
なんかみんなたくさん話をして、たくさん笑った。

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