予定を立てるとそれを完遂しなくてはならないと思うのは誰にもあると思う。
連休で山に登って遭難する痛ましいニュースを聞くと、その気持ちが分かる気もする。
天気予報をみても、このくらいなら大丈夫と思ったり、急変する予想外の山の風雪に驚いたときにはもう手遅れだったりする。
その時、3人の方が亡くなったという報道に心を痛める。3人とも亡くなられたのだと。
去年の2月、コロナ感染者が初めて石川県に出たが、4月5月には石川県のコロナ感染者は250人になった。死者は8人。この頃は怖かった。
しかし、1000人を超えると麻痺してきたのか、2000人になっても昨年ほど怯えない。
1週間に100人超えて、死者も3人4人と出てきても他人事のようになっている。
ちょうど、震災の時の報道のように2人3人が、50人になり、600人になると1000人超えるかなと、人の命が遠くぼやけていく。
身近な大切な一人を亡くして嘆き悲しむのにである。
人が数を数字で置き換えるようになって、この数の感覚がマヒしてしまうトリックにはまるのではないか。
数が満杯になると、棒グラフのメモリを細かくして書き込む。
1に、0を増やすだけで、十百・・・億の数を表わせる。
知り合いがコロナになるまで、その危機感を感じなくなってしまうのか。
そのことが怖い気がする。
買い物で、野菜が5円安くなると目の色が変わる。
車を買って1万円サービスしてもらっても、あまり有難く思わない。
年寄りと暮らしていると、日々の感染ニュースで、外出しにくいが、いまひとつ辛抱だと思う。