いつの間にか家の中にどんどん物が溜まって行く。断捨離をする時間がないので、考えたのが、一日三捨。判断して捨てなくてはならないものを3つ選ぶことにした。普通に捨てるゴミではなく、書類でもなんでも、判別が必要な物を捨てる。1つでは少ないし、5つでは多いので、3つがいいかなという適当さである。そして、毎日捨て続けても、何かしらまた溜まるのではないかと思う。
長い間履いていなかった靴。使えそうだと思って置いてある鞄。車庫の2階に趣味の違う額縁。何年もただそこにあるというもの。順調に、日々3個ずつ捨てること1週間。
しかし、ここへ来て中断。夫のスーツが10着以上あるので、1、2着捨てようかとクローゼットを開けた。冬用のお気に入りのジャケットがあって、これは最後だなあと手に取ったら、内ポケットに何か入っている。「平成27年1月24日~25日称号者講習会」の名簿だった。夫の具合が良い時は講習会に出させてもらった。病院の付き添いと、日々の看病だけのわたしに外へ出る機会を作ってくれた。小松での講習会は近いので、夫も2日目だけでも見学という形で指導部の先生にお願いして25日の午前中だけ出た。わたしは24日に出たので、25日は夫を連れて午後は帰ることにした。もう車椅子でないと歩けない状態なのに、玄関で車椅子から降りて、ゆっくり廊下を歩いた。
ポケットから出てきた名簿が、このジャケットを捨てちゃいかんと言っているようだった。夫が付けていた5年日記には「久しぶりに弓道仲間に会えて嬉しかった」と、あった。講師のI先生とも話が出来て本当に良かった。しかし、後で「がんばったやろ」と、言ったので、本当は相当つかれたに違いない。すっかり痩せてしまった夫を見て、Mちゃんは泣いていた。わたしはここへ来ることが出来て嬉しかった。その日ふたりで帰りながら有頂天だった。まだまだ別れの日は遠いと思っていた。その時のブログは能天気だ。
3月8日に亡くなったので、亡くなる1か月前という事だ。今にして思えば、何と強靭な人だろうと思う。講習会から帰った夜に、「修練目標」というものをメールで提出しなくてはならなかった。
「今から言うし、打ってくれ」と、彼は目標を言った。離れに関してのことだった。わたしは死を目前にしてこんな風に語ることが出来るだろうかと思った。
人の心に残る品物は残しておかなくてはならない。改めてその時の仲間の名前を眺めると、みんなわたしにとって大事な人たちになっていた。
