今日、殿の町内の同級生が伊勢へ行ってきたと言って「赤福」を、持って来てくれた。「おとうさんのお供えに。」「ありがとう。」「あ、まさちゃん。あした体協の懇親会行くやろ。」あ、そうだった。孫がケガしているので忘れていた。体育協会の懇親会だった。女性の常任理事をと言って頼まれてから20年ほど経ってしまった。ここでは、「まさちゃん」と言われる。
友達は「まこちゃん」と、呼ぶ。親戚の人は「まさこちゃん」と、呼ぶ。会社の後輩のMちゃんは「まこねえ(姉)」と、今でも呼ぶ。弓道の後輩は「まさこさん」あるいは、「おかあさん」と、呼ぶ。名字で呼ぶ人。殿の会社の人は「奥さん」と、言う。「先生」「ばぁば」「おかあさん」そして、その時に応じて、微妙に違う自分がいる気がする。
わたしを、女房と言い「まこ」と、呼び捨てにする人がいなくなった。わたしがいちばん素になっていられて、失敗すると「やっぱり、お前やなあ。」と、言う人は、「何でもかんでも引き受けんこっちゃ。」と、言っている気がする。
誰よりもわたしを気遣ってくれる人がいないということが、ずっと続いていくときの覚悟は、諦めの中に育っていくのかもしれない。
けれど、いろんな呼び名で時々にわたしを呼んでくれて、ささやかな幸せをくれる人々がいることが、一歩足を進める力になることを強く思う。
今日も最後まで読んでくださった方にしあわせが訪れますよう。感謝。