まこの時間

毎日の生活の中の小さな癒しと、笑いを求めて。

米運び

2015-07-10 | 暮らし

昔の人は、小柄な女の人でも体幹がしっかりしているので、米俵など軽々持っていたらしい。

わたしは、育ちが良かったせいか、力仕事はできない。おまけに、若いころのしっかりした体幹は衰え、12キロもやせてしまったので、小屋にある30キロの米を持ってくることが出来ない。

1年分の米をクーラーに入れてあるのだが、昨年から鉢植えの車つきの台に載せて運ぶことを思いついて、力のないものは知恵を使わなくてはと一人ごちていた。

タンスも、本棚も毛布を使って動かすこともできるようになった。けれど、慢心はいけない。わたしの悪い癖だ。米を台所の後ろの家庭用精米機まで運び終わった後、廊下を見た。

「があああーーーん。」廊下に筋がついている。タイヤに負荷がかかったのか。何かが飛び出ていたのか。まあいいか。それで困ることはないし。明日の米があればよい。

めでたし。めでたし?

 


ミニマリスト

2015-07-10 | 暮らし

最近、「ミニマリスト」という、シンプルライフより更に何も持たないという暮らしをしているという若者が増えているということ。

物を持つという価値が総体的に下がっているとのこと。それでは、経済は回りにくくなるだろう。

しかし、部屋の中がシンプルであることは気持ちが良い。けれど、部屋に生きたものが欲しい今日この頃なので、金魚と植物は欠かせない。階段下の大きな葉っぱがもう一つ生れ出てきた。

夕方には少し開いてきて、その柔らかい葉が生きる気力を思わせる。

何もない部屋で、若者はパソコンに向かっていた。そこには、果てしない情報が詰まっているので、確かに部屋には何もないほうがよいのかもしれないが。

そういうわたしも、パソコンに向かっているが、心は寂しい。寂しいからパソコンに向かっているのだと思う。