義母が「かもりが畑に出来た」といって持ってきた。たいがいの食材はありがたいが、こと冬瓜に至っては、あまり喜ばれないし、娘たちは食べなかったので、どちらかというと苦手な食材だ。大きいくせに、すいかのように喜ばれず、表面のちくちくがいやで、包丁を入れるにも格闘しなくてはならない。淡白で、味も素っ気もない感じがする。油揚げと煮たり、昔は母が皮クジラが安かったので一緒に炊いてくれた。
以前、友達が「かもり煮たんやけど、味見てくれるけ・・」と、鍋パーティのときに出してくれた。かもりだけを煮て、くずあんがとろっとかかっていた。いい出汁が出ていて料亭の味だった。うまいっ!一口ずつ食べた。
しかし、家で作るときは大きいので、つい大量に作るから見ただけでうんざりするのだ。みんなの言葉は「なーんや。かもりか・・」なのである。ほんの一口作るには残りが多すぎる。せめてメロンぐらいの大きさなら好かれるのかも。
出汁で煮て、翌日はすりおろして味噌汁に入れた。みんなに悟られないように料理しなくてはならない存在とは。