Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

正確な情報を得れば評価は180度変わる

2024-09-04 21:24:00 | 時事
そのウクライナ戦争、ロシアが教育施設を弾道ミサイルで攻撃して多数の死傷者が出たと非難しています。
「学校」への攻撃とは何と悪逆な、というスタンスで国内メディアも報じているようですが、同じ日にガザであった学校への攻撃はスルーですからね。ポリオワクチン接種の休戦中でもエリア外だから、ハマスがいるから、とお構いなしの攻撃ですが、イスラエルの言い値を受け入れてパレスチナ人への「ホロコースト」はスルーですからね。

そのウクライナへの攻撃は「民間人」の犠牲なのか。「教育施設」と言いながら、その実は軍の教育施設ですからね。まごうことなき軍事目標です。日本で言えば防衛大というよりも、広島江田島の海自の幹部候補生学校とか、茨城阿見の陸自の武器学校といったところでしょう。こういう軍隊内での教育というのは兵力、特に幹部などエキスパートを養成するものであり、兵力の充実、レベルアップにつながり、軍隊が烏合の衆になってしまうかどうかを分ける重要な施設です。
で、軍施設への攻撃は純粋な教育機関のように誤認を誘う表現にして、純粋な教育機関への攻撃はスルーというわけです。


大量破壊兵器よりも「卑怯な」兵器

2024-09-04 21:22:19 | 時事
防衛省が「徘徊型」の無人兵器を予算化するようです。
この手の兵器はアフガン戦争などに就役した高性能高価格の無人機がまずありましたが、それがウクライナ戦争で文字通り使い捨ての安価な「自爆ドローン」となって普及し、コスパ的には「最強」の「最凶」な兵器となっています。

無人機を遠く離れた「本土」で操縦するというスタイルがゲーム感覚と言われてきましたが、自爆ドローンの場合は遠隔操作にもそうそうカネをかけられないということで、戦場で操縦するスタイルが専らとは言え、安全なところで攻撃するという点には変わりがありません。
「ゲーム感覚」であれば、攻撃を受けるのもゲームのようにバーチャルでのダメージで離脱させられる、というのであれば「人道的な」戦争ですが、攻撃を受ける側はリアルの攻撃を喰らうわけで、破壊され、殺されるわけです。

戦争は殺し合いと言いますが、殺されるリスクがあるから殺す側にも躊躇いがありますし、一種の抑止が働きます。
しかし「ゲーム感覚」になった瞬間、攻撃を受けることがない操縦者が心おきなく殺す、という不均衡が発生します。
これって形を変えた「大量破壊兵器」でしょうね。相手をどんどんすり潰すことで圧倒する。それが戦場に立つことなく実行されるというのは、これまでの「大量破壊兵器」がさらに邪悪に進化した格好です。無人機ですから一定の損失を前提にした飽和攻撃が成立します。犠牲が出ないのですから物量にモノを言わせることが出来れば怖いものなしです。兵力なんて関係ない。経済力、生産力が総てです。自国、自軍の生身の損害がないのですから歯止めも効きません。

かつて小林よしのりが「戦争論」で、英雄の時代だったはずの戦争がB29による無差別爆撃により大量殺戮に変貌したという指摘をしていましたが、それがさらに卑劣な方向で「進化」した格好です。英雄の戦争の典型として、一騎打ちが原則だった鎌倉武士が元寇で殲滅させられたように、戦争はより卑劣に、より邪悪に「進化」しますが、ウクライナ戦争はそれをさらに悪化させるきっかけになったようです。そう考えると、自爆ドローンによる攻撃もそうですし、ロシア本土に対する「非正規戦」を仕掛けているウクライナは、戦争をかろうじてつなぎとめていたモラルを完全に消し去った格好です。

戦争の性格、スタイルがかくも変化していくとなると、では軍備、防衛力とはどうあるべきなのか。
ウクライナ戦争はそれでも泥臭い地上戦を通じた陣取り合戦がモノを言うと示していますが、ややもすると自爆ドローンで殲滅させられるような地上兵力にだれがなるのか。徴兵制にしてもそう。ウクライナもロシアもどんどん生命をすり潰していますが、徴兵制も自発的とは遠く離れた状態です。それこそ大戦末期の根こそぎ動員のように、竹槍と爆雷で機関銃と戦車に突っ込むというような絶望的な状態に等しい結果が待っていますから。

まあ無人兵器同士の戦いとなってくれば、大昔のように戦争は将兵がするもの、と他人事に出来た時代が復活するのかもしれませんが、そこに至るまでに流される血と失われる生命は膨大なものになるでしょうね。そして予想されるお互いの犠牲の大きさを前に睨み合うだけの「核抑止力」として存在する核兵器の方がよほど人道的に見えてしまいますから。





男女の寿命差よりも早く打ち切り

2024-09-04 21:21:30 | 時事
国破れて帳簿在り、の大改悪が目の前です。死ぬまで働けの「一億総活躍」とか、男女雇用均等だなんだと言って、結局は男女とも大損、というわけで、まあ正直言って格差をなくします、という「ご飯論法」に引っ掛かるあたりは、どうしても論理的な志向が出来ない性差というものを感じますね。出て来た案を見たらトンデモだったでござる、というわけですし。

遺族年金の5年打ち切りという大改悪ですが、時代に即していないとかいけしゃあしゃあと言って総支給額の大幅圧縮を狙っているわけです。
不幸にも30歳代で夫を失った場合、現在の平均寿命から考えたら50年以上受給できたはずの遺族年金が5年になってしまいます。寡婦加算もなくなるわけで、年数で1割未満ですから金額も1割未満です。死別は悲しいけど働かないと生きていけませんよ、という「一億総活躍」です。
もちろん30代で年金生活というのも非現実的とはいえ、育児とかフルタイムでなかなか働けませんし、手がかからなくなった時に再就職口があるかどうか。

今後年金保険料を払い始める世代限定、というわけはないわけで、移行措置はあるけど総ての世代が制度変更でしょう。
ここで問題なのは高齢者で、男女の平均寿命差が10年程度あるなかで、遺族年金は5年打ち切りとなるとどうなるのか。それこそ現役時代は均等法の恩恵も受けておらず、専業主婦が当たり前だった世代はどうなるのか。旦那が払い込んだ保険料が原資の3号国民年金しかなくなります。働くなんて到底できない高齢になってからです。介護保険を使う側の負担も満足に払えませんよ。長生きは罪、というか「詰み」の時代になります。

満足な厚生年金を自分の分で確保できるような働き方が一般的になっているのはせいぜい40代でしょう。そこまで移行措置を何十年も続けるのか。いや、国破れて帳簿在り、の勢力がそこまで待たないでしょう。

ちなみに平均的な遺族厚生年金では施設に入るなんて無理ですからね。せいぜい特養ですが、既に入所に何年も待つという状態です。
だから老後資金をと言いますが、足らず前が月10万円としたら年間120万円。10年で1200万円。今でもそういう状態です。都合のいい時だけの自助共助で扶養義務も無いはずの子供に負担させる気マンマンというのが国ですが、1000万円単位の持ち出しとなったら子供世代は自分の老後資金を積み立てるどころじゃなくなります。そして孫世代、となると貧困の連鎖そのものです。

そして子供がいない世帯は頼ろうにも頼れる人がいませんからね。時代に即した、というのであれば、夫婦で子供2人、というようなステレオタイプの「家庭」でなく、子供がいない世帯も多いという方向性に対応しないといけないのに、子供がいない世帯で平均的な寿命を想定したら、夫の死後5年経ってどう生活するのか。地獄しか待っていません。自営業とか厚生年金でない人は今までもこうだった、というかもしれませんが、それは勤め人が払い続けてきた厚生年金保険料に相当する額を老後資金として確保していなかったからでしょう。

少子化の主因は「共働き」でようやく2人暮らしていける、という構造変化ですからね。途上国レベルの収入に落ちてしまったわけです。旦那が働いて妻は専業主婦、だったのが2人で働いてようやく世帯収入が一緒。まあその場合は夫婦とも厚生年金があるから過渡期の最悪ケースにはなりません。ただ死別したら7掛けくらいはもらえたのが、それぞれの年金だと半分かそれ以下ですよね。結局どさくさに紛れて国や企業が儲かるスキームです。