Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

無いよりはマシとも言えない駄作

2024-09-13 21:04:42 | 交通
高速道路のナンバリングは、無いよりはマシとはいえ、これであればやらない方がマシともいえる代物ですが、忖度メディアが大絶賛しているのを見て眩暈がしましたね。そもそも2桁で収めようとしたから最後はE98ともうこれ以上路線は増やさないぞ、という状態になっていますし、大都市の環状高速は「C1」とか東名阪の3ヶ所で被っているとか、相当レベルが低い設定なんですが。

そもそも猫も杓子も「E」というのも芸がないですし、被りまくりの環状高速は「EC」ではなく「C」とこれもカテゴライズとしては中途半端です。
2桁国道に並行する高速はその国道の番号を使うといいながら、同じ名称の高速は国道が別番号になっても同じ番号となっており、国道番号が慣れ親しんでいるから合わせたつもりがかえって混乱を招く設定です。中部横断道が「E52」ですが、山梨静岡間は確かに広域でR52と並行しますが、山梨長野間はR141ですからね。R141としての知名度が抜群なんですが、それが「E52」ですか。3桁国道との並行区間はやっつけ仕事のように北から連番にしているから、3桁国道との並行区間でも訳が分からない状態です。この時点で国道番号との関係というお題目が破綻しています。

「関連」という意味で破綻しているのは「A」の扱いで、東名と新東名、名神と新名神はまだ分かりますが、中国と山陽は「別」でしょう。安代以北の東北道と八戸道もそう。九州道と南九州道も違いますよね。一番ダメなのは道央道と後志道などが「E5グループ」になること。これが「A」なら東名と中央、東北と常磐も「A」でしょう。

上記の中部縦貫道が全区間で「E52」になってるのですが、九州でも大分道と長崎道を一本で「E34」にしています。また尾道道と松江道も「E54」ですが、まず三次でR54は中国道に沿って広島に向かうのにR184に沿って尾道に行く方が「E54」は話になりません。これらと秋田道と釜石道が「E46」というのが縦貫方向から左右両側に同じ番号の例です。
縦貫方面から分岐する際、例えば九州道の要衝鳥栖JCT手前で、ナンバリングでなければ「大分道」「長崎道」と間違いようがないですが、ナンバリングだとどちらも「E34」です。まあ北関東道や磐越道のように縦貫側との十字交差の両方向が同じ名称という例はありますが、本来はそういう紛れが無いようにすべきなんですが、より紛らわしくする方向になっています。

その意味では山形道は西半分が「庄内道」とするとか、磐越道は東半分を「磐城道」、西半分を「会津道」にするとか、北関東道は東北道以東を「常陸道」、以西を「両毛道」とする。中部横断道も中央道以南が「富士川道」、以北を「中部高原道」とするというようにして紛れを解消する方向にすべきでしょう。高速道路名の変更は実はそれなりにあるわけで、開通時の仮称からの変更だけではなく、「舞鶴道」から「舞鶴若狭道」とか、「北陸道」「山形道」扱いだった区間が「日本海東北道」に変更されたりとかありますからね。

まあ忖度メディアもわかっているのでしょうね。記事に添付された写真は鳥栖ジャンクションの緑看で、大分道と長崎道の両方が「E34」という状態を見せています。典型的なダメな例であり、しかも全国屈指の主要なJCTがこれでナンバリングの方がいいというのはさすがに無理がありますから。



少しの可能性の芽も摘む流れ

2024-09-13 21:02:54 | 歴史
「馬の骨」派が必死になっています。自民総裁選や立民代表選で女系天皇容認派が有力ということに力を得ていますが、よしんば女系天皇に道を開いたとしても、では現在の皇位継承順位は変わるのか。要は「廃嫡」「廃太子」までして強引に直系継承とするのか。男系男子優先という歴史が途絶えるときに初めて女系継承を容認するならまだ分かりますが、男系男子を差し置いて、となると「南北朝」ですからね。悠仁親王殿下が男系男子を儲けられないと確定した時点の話ですし、歴史を踏まえても明治天皇が男子を大正天皇しか儲けられなかったにもかかわらず、大正天皇は昭和天皇のほか、秩父宮、高松宮、三笠宮と4人の男子を儲けられています。

昭和天皇もなかなか男子に恵まれませんでしたが、大正天皇の際もそうですが、伏見宮系の世襲親王家があったわけで(明治憲法下においては世襲親王系ではなくなったが)、昭和天皇は秩父宮以下の直宮がいるから、と皇位継承を直系に拘ることはありませんでした。

ちなみに「馬の骨」派は直系=愛子内親王殿下と早とちりしていますが、「廃太子」という異常事態がない限り、悠仁親王殿下(厳密には皇嗣殿下である秋篠宮殿下)が起点になって皇位継承順位を変更することになるわけで、悠仁親王殿下が女子しか儲けられなかった場合はその女子である内親王殿下に皇位は継承され、儲けられなかった場合は姉である佳子内親王殿下とその直系に継承されます。愛子内親王殿下は悠仁親王殿下の「いとこ」、秋篠宮殿下の「姪」ですから、その後順位になります。

だから恐れ多くも「廃太子」の運動を露骨にしているわけで、これが秋篠宮disの正体です。愛子内親王殿下に取り入って「馬の骨」王朝を興すには、秋篠宮系統が邪魔ということに気づいたんでしょうね。まああくまで「皇嗣」として「立太子」しないのは「皇嗣」は優先順位の男系男子が誕生して後順位になるというのは上皇陛下に対する秩父宮のように実例はいくらでもありますが、立太子すると「廃太子」は歴史上においても一大事であり、皇位継承をめぐる有力豪族などのせめぎ合いという評価が付きまとうだけに避けたいのでしょう。

ちなみにどうも気になるというか、宮内庁の「馬の骨」派でしょうか、必死になって愛子内親王殿下のお出ましをアピールしていますが、それがどうも「ハイソ」なんですよね。コンサート鑑賞とか。一方で「馬の骨」派がdisりまくる秋篠宮家はというと、社会福祉系の活動や学術系の活動が目立ちます。なお上皇ご夫妻は在位中はそこまで「ハイソ」は目立たず、音楽系も宮中で宮内庁の楽部による演奏を楽しまれる、という感じでした。平成初期の話です。

一方悠仁親王殿下の進学に対して「特権」と非難轟轟ですが、「未来の天皇」に対する教育体制が出来ていないことが問題でしょう。
本来は「市中の」大学に進学する必要などなく、「帝王学」を学ぶことが肝要です。大学卒の学歴など不要ということは、上皇陛下が学習院大「中退」という最終学歴からも証明できるわけですし、昭和天皇に至っては当時は華族皇族の学校だった学習院ですら初等科のみで、あとは「御学問所」が用意されて20歳まで学ばれましたが、年齢的には旧制中学と旧制高校に相当するわけで、大学における学究活動などをされたとはいえません。

宮内庁の体制として将来の天皇にどういう学習を施すのか、何を学んでいただくのか。これが決まっていないという最大の欠陥があるわけです。
天皇陛下は学習院を卒業していますが、戦前と違い「一私学」に過ぎない学習院が「帝王学」を施せるのか。政治には与らないとは言いながらも分かっていないと与らないということも出来ません。昭和天皇が天皇機関説を理解して賛同していたのは有名な話で、御学問所というよりはその後の御進講の成果ではありますが、分かっていなければ「君臨すれども統治せず」は不可能です。「馬の骨」派が皇族なのに学習院で学ばないとは、と秋篠宮家を批判していますが、学習というレベルで考えたら言わずもがな、皇族としての学びとして考えたらお寒い限りの学習院に固執することこそ未来の天皇をダメにする動きであり、さすが「馬の骨」派というべきでしょう。

こうした「馬の骨」派による「正統」へ批判に続き、女系継承があった場合の布石にも余念がないわけです。
秋篠宮家disは悠仁親王殿下を起点にして考えた女系継承における愛子内親王殿下の後順位化を防ぐ目的が見え見えですが、ライバルは少しの可能性でも摘もうとしているようで、三笠宮家の「内紛」をクローズアップしてきました。三笠宮家と分家にあたる高円宮家にも女王殿下がいるわけで、女性皇族による女性宮家の創設となると、内親王と女王で線引きをしない限り、女王殿下も女性宮家を興せるわけで、「ライバル」になるからでしょうか、三笠宮家をdisるようです。