パワハラ、おねだり知事の進退が大詰めを迎えていますが、史上初の解散返しまで踏み切るかどうか。明らかに悪い意味で歴史に名を刻むことになるだけに、名誉欲が露骨な知事も二の足を踏んでいるように見えます。二重代表制とはいえ、県議会全会一致の不信任という民意の重みは大きいですから。
さて、この知事がしきりに「県民の負託」を語っているわけですが、4年間の任期を通じて県民の負託は不変という前提で語っているわけです。
民意が不変なら不信任もリコールも起こり得ないのですが、それが制度化されているというのは、任期を通じて負託が不変ということは無いという証左でしょう。
こういう任期満了まで居座ろうとする姿勢ですが、せっかく掴んだ権力とその甘い汁を1分1秒でも長く味わいたいということなんでしょうね。支持される政権与党にそのようなセコイ考えの持ち主は少なく、民主党政権がその典型でした。党幹部が「4年間のフリーハンド」などとほざいたわけで、しかもそれがマニフェスト記載の政策であるならまだしも、マニフェストに無い「裏メニュー」にご執心という最低の対応でしたから。ちなみにこういう厚顔無恥でいまなおその総括もしない政党を全面的に支持したのが朝日で、政策を変更したり裏メニューを持ち出すことに対し、初志貫徹よりも臨機応変とこれも厚顔無恥に支援したわけです。
ちなみに今回の立民代表選で代表に選出された元首相ですが、解散総選挙に打って出て大敗して下野したことに対し、「戦犯」と批判する人が少なくありません。
しかしその批判は分不相応に権力の座に就いた左派系からが専らであり、まさに「4年間のフリーハンド」で社会を破壊し、メリットをチューチュー、というあさましい姿勢が失われたということでの批判と言えます。
さてこの事件で最近知事の言い分を明らかに肯定しているメディアが目立ちます。
改革屋が巣食ってたり、維新と懇ろな在阪局の力が強いとことか、必死になって知事の実績ガー、と持ち上げています。また学者先生を持ち出して公益通報者保護法違反とは言えない、と極めて法律の解釈を狭く取っての応援も目立ちます。まあ規定がないからやっていい、というようなのを行政も学者も言い放つのであれば、欧米の契約書のようにあらゆる横紙破りを想定した法律を作るしかないですね。
そもそも「コンプライアンス」の意識が爪の先ほども無いわけです。「法令順守」であれば守っていますと胸を張っているような話ではありません。法令は守って当然、いや、守るのが義務で選択の余地はありませんから。
じゃあなぜ「コンプライアンス」というのか。それはこの知事や学者先生のような「書いてなければいい」というようなスタンスを排除することなんですけどね。権力者を告発したら権力者がそれが公益通報か判断する、という結論にはならない世界です。
そもそも法律が出来た時に参画した学者が否定しているわけで、法の趣旨に照らし合わせてどうなのか、という基準は大きな話ですけどね。
危険運転罪を骨抜きにした司法と同じやり口です。法の趣旨を無視して適用対象でない、と極力狭く解釈しているという点で。
さて、この知事がしきりに「県民の負託」を語っているわけですが、4年間の任期を通じて県民の負託は不変という前提で語っているわけです。
民意が不変なら不信任もリコールも起こり得ないのですが、それが制度化されているというのは、任期を通じて負託が不変ということは無いという証左でしょう。
こういう任期満了まで居座ろうとする姿勢ですが、せっかく掴んだ権力とその甘い汁を1分1秒でも長く味わいたいということなんでしょうね。支持される政権与党にそのようなセコイ考えの持ち主は少なく、民主党政権がその典型でした。党幹部が「4年間のフリーハンド」などとほざいたわけで、しかもそれがマニフェスト記載の政策であるならまだしも、マニフェストに無い「裏メニュー」にご執心という最低の対応でしたから。ちなみにこういう厚顔無恥でいまなおその総括もしない政党を全面的に支持したのが朝日で、政策を変更したり裏メニューを持ち出すことに対し、初志貫徹よりも臨機応変とこれも厚顔無恥に支援したわけです。
ちなみに今回の立民代表選で代表に選出された元首相ですが、解散総選挙に打って出て大敗して下野したことに対し、「戦犯」と批判する人が少なくありません。
しかしその批判は分不相応に権力の座に就いた左派系からが専らであり、まさに「4年間のフリーハンド」で社会を破壊し、メリットをチューチュー、というあさましい姿勢が失われたということでの批判と言えます。
さてこの事件で最近知事の言い分を明らかに肯定しているメディアが目立ちます。
改革屋が巣食ってたり、維新と懇ろな在阪局の力が強いとことか、必死になって知事の実績ガー、と持ち上げています。また学者先生を持ち出して公益通報者保護法違反とは言えない、と極めて法律の解釈を狭く取っての応援も目立ちます。まあ規定がないからやっていい、というようなのを行政も学者も言い放つのであれば、欧米の契約書のようにあらゆる横紙破りを想定した法律を作るしかないですね。
そもそも「コンプライアンス」の意識が爪の先ほども無いわけです。「法令順守」であれば守っていますと胸を張っているような話ではありません。法令は守って当然、いや、守るのが義務で選択の余地はありませんから。
じゃあなぜ「コンプライアンス」というのか。それはこの知事や学者先生のような「書いてなければいい」というようなスタンスを排除することなんですけどね。権力者を告発したら権力者がそれが公益通報か判断する、という結論にはならない世界です。
そもそも法律が出来た時に参画した学者が否定しているわけで、法の趣旨に照らし合わせてどうなのか、という基準は大きな話ですけどね。
危険運転罪を骨抜きにした司法と同じやり口です。法の趣旨を無視して適用対象でない、と極力狭く解釈しているという点で。