「美味しんぼ」で海原雄山が調理人の喫煙を咎めて「この洗いを作ったのは誰だぁ!」と怒号を上げて器ごと叩きつけるシーンがありましたが、それを使った伝説のAAの一類型に「この糞ダイヤを作ったのは誰だぁ!」と叩きつけようとする器に「千葉支社」の文字があるというものがありました。
それで見た人が笑うくらいにくらいにJR東日本千葉支社の斜め上っぷりは半端なく、国鐵廣島と恐れられたJR西日本広島支社と双璧であり、千葉県民が千葉支社を褒めることはまず無かったわけです。両支社とも国鉄時代の鉄道管理局当時は新車も入り冷房率も高いとハイレベルだっただけに、ここだけは少なくとも「国鉄時代はよかった」と胸を張って言えました。千葉支社に至っては国鉄時代の新車を引きはがして10年以上古くなる高年式車にするとか、火を噴いて乗客が負傷するまで置き換えを渋るとか、常軌を逸したレベルでしたから。国鉄が末期の経営破綻寸前の時期ですら、一部コストダウンしたグレードダウン車とは言え新車で201系を投入したのに比べると最低の支社です。
そういう状況をリアルタイムで見て、いや、体験してきただけに、千葉県がJRを軽視という視点は全く持ち得ませんし、歴史修正主義も極まれりとしか言いようがありません。煽りとかネタであれと祈るしかないコメントを目にして当惑すらしています。
SA線についての理解もそう。成田輸送ではらわたが煮えくり返るのは京成の方ですからね。自社企画で空港線を建設しながらターミナル乗り入れを拒まれ今の東成田からバス輸送という冷遇に遭い、開業が遅れに遅れて設備投資が何年も死んでしまい挙句の果てには極左暴力団にスカイライナーが焼き討ちされるとか散々でしたから。京成の経営危機の一因には成田輸送に振り回されたことがあります。
それで見た人が笑うくらいにくらいにJR東日本千葉支社の斜め上っぷりは半端なく、国鐵廣島と恐れられたJR西日本広島支社と双璧であり、千葉県民が千葉支社を褒めることはまず無かったわけです。両支社とも国鉄時代の鉄道管理局当時は新車も入り冷房率も高いとハイレベルだっただけに、ここだけは少なくとも「国鉄時代はよかった」と胸を張って言えました。千葉支社に至っては国鉄時代の新車を引きはがして10年以上古くなる高年式車にするとか、火を噴いて乗客が負傷するまで置き換えを渋るとか、常軌を逸したレベルでしたから。国鉄が末期の経営破綻寸前の時期ですら、一部コストダウンしたグレードダウン車とは言え新車で201系を投入したのに比べると最低の支社です。
そういう状況をリアルタイムで見て、いや、体験してきただけに、千葉県がJRを軽視という視点は全く持ち得ませんし、歴史修正主義も極まれりとしか言いようがありません。煽りとかネタであれと祈るしかないコメントを目にして当惑すらしています。
SA線についての理解もそう。成田輸送ではらわたが煮えくり返るのは京成の方ですからね。自社企画で空港線を建設しながらターミナル乗り入れを拒まれ今の東成田からバス輸送という冷遇に遭い、開業が遅れに遅れて設備投資が何年も死んでしまい挙句の果てには極左暴力団にスカイライナーが焼き討ちされるとか散々でしたから。京成の経営危機の一因には成田輸送に振り回されたことがあります。
そのくせ新幹線は出来ないし、国鉄時代には目と鼻の先の土屋まで完成した路盤を活用せずに成田駅からバス連絡、しかも荷物のことを全く考えていないツーステップの2扉路線車とまったくやる気がなく、だったら京成に任せろという声が出るのは当然でしょう。それを踏まえてのいわゆる「Bルート」でありそれが今のSA線であり、それはかつてはターミナルに入るのを拒んだ国が選択した現実的な回答です。
そしてターミナルへの乗り入れが具体化してくるとJRが割り込んできたわけです。この成田輸送も京葉線の通快と大きく関係していますが、ネットの記事もコメントも全く触れていませんね。それくらい浅薄な認識で記事にしているわけです。
JRが成田輸送を本格化させるためには、屈指の重通勤路線である総武快速線の線路容量が足りないわけです。国鉄後期ですら黒字を確保して、黒字の絶対額では新幹線、山手線に次ぐレベルでしたから。特急が毎時3本(ピークは4本)占有していたわけで、快速は成田快速を延伸すれば済むとして、特急はどうにもならなかったため、京葉線に外房、内房特急を全振りしたわけです。
房総は京葉線、という習慣づけもあって、京葉線経由の速達化は実現しています。もちろん外房快速、内房快速の枠を空けるという目的もあります。そうして誕生したNEXが千葉県にとってどれだけ迷惑な存在だったかは言うまでもない話で、じゃあ快速はというとそれが千葉や佐倉、成田でNEX退避と散々でした。毎時3本の本線特急(当時は成田まで通過運転)を確保した京成に流れるの至極当然です。そして連日満員だった朝の上りライナーもNEXになりましたが、スモークのかかったガラス越しにも空席が目立ったNEXに、着席通勤を奪われた恨みは募りましたからね。
それこそ33年経った来春ですよ。普通の特急料金になって千葉からでも活用できるようになるのは。なまじ突っ走るから東京駅時点で10分前までは市川か津田沼で退避が必要で、それもあって運転間隔が夕ラッシュ時でも10分程度空く、という迷惑は相変わらずで、しかも東京駅での分割併合でホームを塞ぐからこれも間隔が空く原因です。
これは指摘がぽつぽつ出ていますが、京葉線経由のアドバンテージがなくなれば総武快速線への再シフトがあるという見立てもありますからね。NEXに荒らされたままで利用だけ徒に増えるとなったら総武快速線ユーザーとしては最悪です。
ちなみにネットの記事では京葉線沿線の住宅が開業で整備された、としているものがありますが、少なくとも検見川浜、稲毛海岸の駅勢は京葉線が西船橋開業で産声を上げた1986年のさらに前から成立していましたから。海浜バスが新検見川や稲毛に通勤客を輸送していましたし、その流動を妨げないようにR14をオーバーパスするルートが確保されていました。
なお、「70㎞60分通勤圏」は30年経ったからご破算ではなく、定着したんですよ。それこそ昔は通勤圏じゃなかったわけですが、それを知る人は世代が変わっていなくなり、遠めの通勤圏として認識されているわけです。あるいはそうして購入した現役世代もまだいるわけで、大迷惑です。これ、関西で言えば新快速を40年近く前のように日中運転に戻します、とかいうようなものですね。姫路や東播、また滋賀県下は大阪へ新快速で通勤する前提の人が少なくないですが、第一陣がリタイアしたからもう終わり、なんて言われたら暴動ですよ。
そして千葉支社の言い訳も噴飯どころじゃないわけで、快速通過駅の利便性が向上、とはとんだご挨拶です。
重要性の判断も出来ない、という無能を示したのでないのであれば、千葉県や自治体、県民を馬鹿にしているとしか言いようがないわけで、あるいは越中島、潮見や二俣新町といった快速通過駅の利用者で利益を享受する人と、海浜幕張から先、外房線、内房線沿線に至るまでの損害を被る人の比較という小学生でもできる勘定が出来ないのか。そうでなければ浦安市民以外の千葉県民に対する嫌がらせ以外の何物でもありません。
余談ですが、房総直通が原則普通という状況、1972年の総武線複々線化(総武快速線開業)以前に戻る格好ですね。日中の黄色い快速(半分は千葉以遠各停)のほかは、房総ローカルの普通の一部がそのまま緩行として中野や三鷹に直通していました。まさに半世紀以上の時を経ての先祖返りです。それくらいの逆コースですからね。
そしてターミナルへの乗り入れが具体化してくるとJRが割り込んできたわけです。この成田輸送も京葉線の通快と大きく関係していますが、ネットの記事もコメントも全く触れていませんね。それくらい浅薄な認識で記事にしているわけです。
JRが成田輸送を本格化させるためには、屈指の重通勤路線である総武快速線の線路容量が足りないわけです。国鉄後期ですら黒字を確保して、黒字の絶対額では新幹線、山手線に次ぐレベルでしたから。特急が毎時3本(ピークは4本)占有していたわけで、快速は成田快速を延伸すれば済むとして、特急はどうにもならなかったため、京葉線に外房、内房特急を全振りしたわけです。
房総は京葉線、という習慣づけもあって、京葉線経由の速達化は実現しています。もちろん外房快速、内房快速の枠を空けるという目的もあります。そうして誕生したNEXが千葉県にとってどれだけ迷惑な存在だったかは言うまでもない話で、じゃあ快速はというとそれが千葉や佐倉、成田でNEX退避と散々でした。毎時3本の本線特急(当時は成田まで通過運転)を確保した京成に流れるの至極当然です。そして連日満員だった朝の上りライナーもNEXになりましたが、スモークのかかったガラス越しにも空席が目立ったNEXに、着席通勤を奪われた恨みは募りましたからね。
それこそ33年経った来春ですよ。普通の特急料金になって千葉からでも活用できるようになるのは。なまじ突っ走るから東京駅時点で10分前までは市川か津田沼で退避が必要で、それもあって運転間隔が夕ラッシュ時でも10分程度空く、という迷惑は相変わらずで、しかも東京駅での分割併合でホームを塞ぐからこれも間隔が空く原因です。
これは指摘がぽつぽつ出ていますが、京葉線経由のアドバンテージがなくなれば総武快速線への再シフトがあるという見立てもありますからね。NEXに荒らされたままで利用だけ徒に増えるとなったら総武快速線ユーザーとしては最悪です。
ちなみにネットの記事では京葉線沿線の住宅が開業で整備された、としているものがありますが、少なくとも検見川浜、稲毛海岸の駅勢は京葉線が西船橋開業で産声を上げた1986年のさらに前から成立していましたから。海浜バスが新検見川や稲毛に通勤客を輸送していましたし、その流動を妨げないようにR14をオーバーパスするルートが確保されていました。
なお、「70㎞60分通勤圏」は30年経ったからご破算ではなく、定着したんですよ。それこそ昔は通勤圏じゃなかったわけですが、それを知る人は世代が変わっていなくなり、遠めの通勤圏として認識されているわけです。あるいはそうして購入した現役世代もまだいるわけで、大迷惑です。これ、関西で言えば新快速を40年近く前のように日中運転に戻します、とかいうようなものですね。姫路や東播、また滋賀県下は大阪へ新快速で通勤する前提の人が少なくないですが、第一陣がリタイアしたからもう終わり、なんて言われたら暴動ですよ。
そして千葉支社の言い訳も噴飯どころじゃないわけで、快速通過駅の利便性が向上、とはとんだご挨拶です。
重要性の判断も出来ない、という無能を示したのでないのであれば、千葉県や自治体、県民を馬鹿にしているとしか言いようがないわけで、あるいは越中島、潮見や二俣新町といった快速通過駅の利用者で利益を享受する人と、海浜幕張から先、外房線、内房線沿線に至るまでの損害を被る人の比較という小学生でもできる勘定が出来ないのか。そうでなければ浦安市民以外の千葉県民に対する嫌がらせ以外の何物でもありません。
余談ですが、房総直通が原則普通という状況、1972年の総武線複々線化(総武快速線開業)以前に戻る格好ですね。日中の黄色い快速(半分は千葉以遠各停)のほかは、房総ローカルの普通の一部がそのまま緩行として中野や三鷹に直通していました。まさに半世紀以上の時を経ての先祖返りです。それくらいの逆コースですからね。