Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

インチキ政治屋を選んだのもまた国民

2023-12-11 22:09:31 | 時事
幸か不幸か、というか偶然か故意か、メジャーリーグの話題を大きく取り上げて話題を逸らした格好ですが、パーティー券を巡る「裏金」問題は、誤魔化す暇もなく本質が露見していますね。キックバックという怪しげな言葉で誤魔化すつもりだったんでしょうが、さすがに有権者も馬鹿じゃないわけで、売上が多い議員に「販売促進費」が出るのは一般社会でもよくある話ですから、キックバックが悪い、と言ったらさすがに世間も首を傾げるわけです。

結局、規正法の記載逃れという「裏金」が事の本質であり、ある意味ロンダリングされたカネが議員に還流していることが、政治資金としての使途が不明どころか流用疑惑もあるわけで、その場合は脱税も指摘し得るという問題です。
すなわち、「裏金」なのか「記載漏れ」なのかという重罪かうっかりかの分水嶺において、その資金使途を詳らかにしないといけないわけで、私設秘書へのお手当、という切実なケースもあるでしょうが、だったらなんで堂々としなかったの、という話であり、どう転んでも「裏金」認定になってしまいます。

資金の出所が疑わしい、資金の使途が疑わしい、という点では元首相の派閥が突出しているわけで、多くの疑惑を揉み消すというか握りつぶしてきたわけです。いつもの「じゃあ野党に任せられますか?」というすり替えで。今回「裏金」捻出が突出していることはまさにその疑念を裏付けるものであり、否定するのであれば余計に自発的に襟を正すことが必須というのに、揃いも揃って捜査中を理由にだんまりを決め込んでいるから始末に負えません。

さらに今回政権や政権与党の要職に加え、当時の五輪相まで裏金の還流を受けていたという話が出てきていますが、時を同じくして元文科相の石川県知事が東京五輪招致で官房機密費を使って「贈答」をしたという爆弾発言もありましたよね。こちらは「裏金」ではないにしても、やましいカネが出てきているわけです。五輪相も「裏金」を積みあげて何をしていたのか。そうそう、JOCの元会長による東京五輪招致における贈賄疑惑はフランスの司法当局が捜査していますが、まだ終結していませんからね。

これまでも政権与党はカネにまつわる問題、スキャンダルが絶えませんでしたが、それなりに対応をしてきたわけです。少なくともガス抜きレベルにはなるくらいの責任を取らせるポーズは取ってましたから。
ところが改革屋がのさばるようになってからはガス抜きすらしなくなっています。既得権益ガー、と言いながらやったことは利権の付け替えであり、政商の顔ぶれが一新しただけでした。そして元首相の時代には誤魔化しに揉み消し、握り潰しとやりたい放題となり、それを指摘すらしない忖度メディアと無能野党、さらには工作員を疑うしかないネット世論がこの体制を確立させました。
余談ですが、今回5人衆だ6人衆だと言われている1人が改革屋政権当時にB層だなんだといって世論工作に勤しんでいましたよね。ネットを使った世論捜査はお手の物と考えたら、辻褄は合います。

ちなみにそうしたインチキの横行を許したのが前首相による「強権政治」だったわけで、前首相と元首相という重しが外れたから明るみに出たともいえますよね。当時であれば大学教授による告発なんて握りつぶしたりまともに取り合わないことなど日常茶飯事でしたから。官房長官として元首相とタッグを組んだ前首相の「握りつぶし」体質があからさまなインチキを許してきています。

インチキのぬるま湯に慣れ切った劣悪な政治屋が社会を蝕んでいたということに、日本の劣化が示されています。
まあ芸能やスポーツの話題を優先するメディアもそうですし、それに逃げる国民も同罪です。まがいなりにも民主主義体制の我が国ですから、こうした劣悪な政治屋を選んだのは国民ですからね。民主主義においてはその選択の責任を負うのは有権者です。「3S」の行きつく果てともいえるでしょう。



絶対に損しないスキーム

2023-12-11 22:08:20 | 交通
近江鉄道が上下分離による鉄道存続に踏み切っていますが、そこで欠けている視点があります。
要は既存事業者と自治体が腹を括れば利用者も廃線にならずに済む、コストもいろいろ補助が出て思ったほどの負担にならない、という近江商人の「三方良し」と言いたいんでしょうが、自治体の負担の部分が、国の補助で相当な下駄をはいているのがさらっと触れられているだけというのはどうなのか。

国こそ「増税なんちゃら」が隙あらば国民から税金をむしり取ろうとするくらい歳入不足に泣いているわけで、地方鉄道再生に、と気前よく補助を出す余裕などありません。それこそ地元の協議のような甘ちゃんレベルでない厳しい査定を経て存続の必要性を検証してからの話です。バスになったら利便性が下がる、というありがちな理由も、お金がないのであればそれは我慢すべき、という一言で終わるんですよ。バスになったら運転手が、という最近流行の理由も、じゃあ鉄道の運転士は未来永劫確保できるのか、という一言で終わります。既に地方鉄道のみならず運転士不足の減便は顕在化していますから。

今回近江鉄道は地交研、要は両備の提言に乗った格好で再建スキームを決めたわけですが、厳しいことを言えば「公設民営」で自治体に負担を押し付けているだけなんですよ。自治体が「下」をしょい込んで、しかし会計上は見えにくくなることから再建したように見える。さらに言えば「上」の運行側は「業務委託」ですから絶対に損しないスキームも可能です。というかそういう仕立てになるケースが大半でしょう。既存事業者がそのまま受託しますから、事業者にとっては打ち出の小槌じゃないですが魔法のようです。

このあたりは会社をまるごと背負い込んで再生するみちのりと対照的です。もちろん行政側の支援はかなり出ているとはいえ、事業者としての再生をベースにして、実績を残しています。その意味では地交研の「成果」を見ると一目瞭然なわけですが、なぜか地交研が重きをなすのはなんででしょうね。そうそう、以前あった拙サイトで井笠の突然死を扱った際に、みちのりを例に出したら、ネット界隈ではみちのり?なに言ってんの?という声が多く、両備の買い叩きを賛美していましたよね。

上下分離も有効な対策ではありますが、資産に対するコストが自治体の一般歳出に紛れてしまい、トータルでの評価が事実上不可能になっていることが最大の問題です。市町村道や都道府県道といった自治体管理の道路と同じように自治体が面倒を見るから無問題、と言いたいのでしょうが、道路と違い特定のユーザーのために、特定の事業者が占有し、特定の時間帯、タイミングでしか使えない、という点で公共性が段違いであり、税金を道路と同じように支出するためにはその公共性が厳しく問われます。

そこまでしてでも鉄道を残す意義がある、というケースであれば有効ですが、正直なところ、そこまでの意義や需要があるのであれば、そこまで追い込まれるものなのか。限界利益も確保できないような収支、すなわち利用実態で鉄道を残すしかないというのは、よほどの特殊事情が無いとそうはならないはすですから。





「日本スゴイ」という現実逃避

2023-12-11 22:06:25 | 歴史
最近第二次大戦中の日本軍に関して「日本スゴイ」的なリビジョニズムをネットで目にします。
まあ「敗戦」という絶対的な真実を前に戦略の問題や戦力の格差に原因を求めるなかで、通説的な概念への抵抗というか、ある意味「逆張り」なんでしょうか、歴史界隈でよく見られる「諸説あり」の類ですね、うまくいけば権威になれるという「一旗」ともいえるタイプです。

その一つに大和級戦艦の建造は時代遅れだったか、という論点がありますが、米国のように戦艦も空母も、という国力がない我が国で大和級を建造するということは大艦巨砲主義に全振りするようなものです。ところが大和級戦艦がスタートした1937年のマル三計画では初の大型本格空母である翔鶴級もスタートしており、保険と言えば物は言いようですが、国力と比較して両方を狙うのはどうだったのか。真珠湾以前では空母の実力が不明とよく言われますが、日米両海軍とも空母の充実に努めていたわけで、実力や可能性を認めていないとそこまでの踏ん切りは着きません。特に日本海軍は「陸上攻撃機」として双発機に雷撃、すなわち艦艇攻撃を主任務とする機種を中軸に据えていますよね。その後は結果論とはいえ、実際に着手してきた流れになったわけです。これは後知恵というよりも、その時点で見えていながら踏み切らなかったという判断ミスを問うものです。

大和級にしても「史上最大」ではあったが「最強」だったかどうか。46センチ砲(18インチ砲)は無敵とされますが、当たっての話です。大和は米戦艦の射程の外側から、というアウトレンジにしても、このくらいの距離になると水平線上に見えなくなるので電探あるいは観測機による確認が必要です。そこまで離れてなくてもじゃあ当たったかというと実績はお寒い限りで、サマール沖での結果は非常に悪かったわけです。護衛空母で装甲がないから貫通して抜けていったとか言われますが、当たっていないというのが真相です。そうそう、鈍足の護衛空母の退避行動ですら有効だったんですから。

そして27ノットという最大戦速もどうなのか。確かに他国の戦艦と比べて明らかに鈍足ということはないですが、大和級の計画では当初30ノット以上を目指していたわけで、必要もなく30ノット以上を目指すわけもないですから、何かの目的を犠牲にしているわけです。少なくとも関東大震災による「振替」で登板した加賀を除き、空母、巡洋艦、駆逐艦と30ノット台の速度を確保している中で27ノットは遅いわけです。これは後知恵ですが、アイオワ級は33ノットですからね。パナマ運河の幅員制約から、主砲の装備との兼ね合いで船体が細長くなり、その副産物で高速になるという想定は実は早い段階で日本側も気づいていただけに、これも後知恵とは言えません。記事では過負荷状態では公称以上のスピードが出たと「遅くはない」と主張していますが、それって27ノットが遅いと認めていることに他なりません。

戦争中の使用法も中途半端で、金剛級がガタルカナル島への夜間艦砲射撃を行って大戦果を挙げているように、戦艦の大口径砲による地上攻撃はそれこそ1990年代の湾岸戦争やレバノン紛争に至るまで有効な戦法として定着しています。その走りを日本海軍が実施しながら有効活用できなかったわけです。
その意味ではいずれのケースも「時代遅れ」というよりも「判断ミス」ですが、仕方がないというものではないでしょう。

そして大戦末期のB29による空襲への迎撃で、歯が立たなかったわけではない、としているのもどうなのか。いみじくも記事ではB29の出撃は延べ3万機強で、撃墜は450機程度というデータをもとに、450機も墜とした、と日本側の迎撃を称賛しています。
いや、数も勘定できないのか、というしかないわけで、来襲したB29の1.5%しか撃墜できていない、というのは「歯が立たない」以外の何物でもありません。その中には三式戦による体当たり攻撃(特攻ではなく翼端で切り裂いて操縦士は落下傘で帰還)という「相撃ち」も含まれていますから、迎撃機という資源に対する効果は最悪でしょう。
そうそう、優勢な我が海軍が完全な奇襲で臨んだ真珠湾の第一次攻撃隊ですら、参加183機中9機を失っています。率にして約5%、これが1.5%なら3機の損失であり、「開戦前」で完全に不意を突かれた米海軍の反撃よりも低いスコアです。

戦争というのは経済であり数字なんですよ。そして数字ですから物理法則に従うわけです。以前読んだ書物で、特攻機は命中時に機体の速度でしか爆弾をぶつけられず、しかもそのエネルギーの多くは機体を破壊することに使われる、という身も蓋もない真実が示されていました。投下した爆弾が音速に近い速度まで加速されて破壊エネルギーになるのと比べると段違いであり、それで艦内で爆発するのと、甲板上で爆発するのでは効果も違いますから。ましてや「日本スゴイ」では何の評価にもなりませんし、何の教訓も得ていないことになります。