世の中には自然発生的に成立した「ルール」や「マナー」を蛇蝎のように嫌う人がいますね。権力が押し付けた、というような昭和中期の発想を引きづっているとまでは言いませんが、国民、市民が自分から統制しているということがどうも受け入れられないんでしょう。自然発生というのはまさにそれがコンセンサスであり誰もが受け入れるルールなんですが。
さらに批判だけならまだしも、影に日に働きかけて折角の定着をぶっ潰しているのを見ると、社会を悪くする害悪としか言いようがありません。
交通の世界ではエスカレーターの片側開けがまさにその象徴で、歩くより遅い代物で歩くな、と歩行中に足止めを課すような非常識な話ですが、それを条例にするような論外の自治体も出てきています。昔の阪急梅田の「歩く歩道」のように両側歩きを強制しているでもなく、立つ人、歩く人を両立させるスマートな対応をなぜ潰すのか。わざと立ち止まって妨害する要員を配置するという税金泥棒の自治体もあるわけで(手当を出さずとも本来それが無ければしていた仕事が出来ないことによる損失が発生)、時間という老若貴賤を問わず等しく有限の資源を無駄遣いさせるという人類の敵です。
これに味を占めたのか、次のターゲットを探しているわけです。誰得というよりも生活を邪魔することに快感を覚えているが如き有害な行動がこれ以上広まらないようにしないといけません。
そのターゲットと思しき記事がネットに出ていましたね。いわゆるサンキューハザードに噛み付いています。
「ハザード」の本義というか邦訳としては「障害」(ゴルフで池や水路を「ウォーターハザード」と言いますよね)ですが、もちろん「障害」がある、あるいは「障害」になっていることを示す標識等がその本来の使い方であることは誰も否定していません。
でも左右のウィンカーとライト、そしてハザードランプ以外の「発信」が出来ないクルマがどうやったらコミュニケーションを取れるか、という必要が生んだ「マナー」なんですが、何が悪いのか。
お礼か障害かわからない、という斜め上も極まれり、という批判がネットの記事で識者の弁として出ていましたが、それが識別できないようであれば即刻免許を返納すべきです。そもそもそのケースではまずブレーキをかけるわけですし、それはハンドル回避よりもブレーキと警察も奨励しています。「サンキューハザード」は基本的にブレーキと同時使用にはなりません。前に入れてもらって減速したらただの割り込みと嫌がらせです。また、後ろをよく見ていない無理な割り込みではなく、認識していますよ、という意味もあるわけです。
だいたい、ハザードは本来一時停車時の使用が原則で、特に本線上で故障などで止まらざるを得ない場合の注意喚起が本旨です。しかし警察公認の使い方として渋滞最後尾の点灯がありますよね。ハザードを付けている側は故障等の不具合は全くなく、前方の渋滞があって減速あるいは停車している、というサインです。これだって厳密に言えば「正しい」使い方じゃありませんし、自然発生的に生まれたサインですが、これは良くてサンキューハザードはダメという理由が見えません。
あるいは急勾配での超低速走行での点灯もそうでしょう。大型やトレーラーのように急勾配にめっぽう弱い車両が峠越えの区間ともなると登坂車線でもなお止まりそうなスピードとなるわけで、ハザードを付けて超低速であるサインを示しています。
どちらかというと幹線道路で見られるシーンですが、R1の箱根新道とか、名阪国道の天理のオメガカーブといったところでは、登坂車線が無い区間を中心にハザードで知らさないと危険というケースが多発しています。
だいたい、コミュニケーション不足こそが事故の原因です。そう考えたら、どうやったらコミュニケーションが取れるのか、と考えないといけません。それこそ人類は手段が限られる中でコミュニケーションツールを考えてきたわけです。手旗信号然り、信号旗然り、モールス信号然り、それはローカルルールではなく世界共通のルールとなっています。ウィンカーなどの使い方にしても、それこそ決めごとですよ、こういう時にはこう示す、と決めればいいのです。点滅回数で使い分けるというのはさすがに無理がありますが、ハザードの出し方とか、決めれば済む話ですが、それは本来の使い方じゃないっ、と否定するのは進歩に背を向けた有害な発想です。
ライトやクラクションもそう。あおり運転と勘違いされるとか逆ギレするバカがいますが、これもルールにすればいいんですよ、
先に横断させる時にはライト点灯時は消灯、日中はパッシング、とか、前方が進んでいるのに気が付かないケースには後方が軽くクラクションを鳴らすとか、今現在一般化している「お作法」を制度化して、理解できない、理解する気が無い、勘違いするバカを排除そればいいのです。
ちなみに30年くらい前には当たり前に見られたコミュニケーションとして、高速道路での右端車線での右ウィンカーがありましたが、これは消えましたね。渋滞時のハザードの前段階として、前方低速車あり、という状況で、前に対しては走行車線への復帰を促し、後方へは減速することを知らせるという二役のサインでした。いまこれをやると「煽られた」と勘違いするバカが雨後のタケノコのように湧いてきますが、追越車線への居座りと後続車の妨害は立派な道交法違反、すなわち犯罪行為であり、それを咎めて何が悪い、という話なんですよ。右端車線での右ウィンカーがルールとして確立していれば、塞栓状態による渋滞も減るというのに。
まあこうしたサインの中には、この先ネズミ捕りあり、という趣旨でパッシングというのが結構広まっていましたから、警察も自然発生的なルールを無条件に肯定できなかったのかもしれません。
交通の世界ではエスカレーターの片側開けがまさにその象徴で、歩くより遅い代物で歩くな、と歩行中に足止めを課すような非常識な話ですが、それを条例にするような論外の自治体も出てきています。昔の阪急梅田の「歩く歩道」のように両側歩きを強制しているでもなく、立つ人、歩く人を両立させるスマートな対応をなぜ潰すのか。わざと立ち止まって妨害する要員を配置するという税金泥棒の自治体もあるわけで(手当を出さずとも本来それが無ければしていた仕事が出来ないことによる損失が発生)、時間という老若貴賤を問わず等しく有限の資源を無駄遣いさせるという人類の敵です。
これに味を占めたのか、次のターゲットを探しているわけです。誰得というよりも生活を邪魔することに快感を覚えているが如き有害な行動がこれ以上広まらないようにしないといけません。
そのターゲットと思しき記事がネットに出ていましたね。いわゆるサンキューハザードに噛み付いています。
「ハザード」の本義というか邦訳としては「障害」(ゴルフで池や水路を「ウォーターハザード」と言いますよね)ですが、もちろん「障害」がある、あるいは「障害」になっていることを示す標識等がその本来の使い方であることは誰も否定していません。
でも左右のウィンカーとライト、そしてハザードランプ以外の「発信」が出来ないクルマがどうやったらコミュニケーションを取れるか、という必要が生んだ「マナー」なんですが、何が悪いのか。
お礼か障害かわからない、という斜め上も極まれり、という批判がネットの記事で識者の弁として出ていましたが、それが識別できないようであれば即刻免許を返納すべきです。そもそもそのケースではまずブレーキをかけるわけですし、それはハンドル回避よりもブレーキと警察も奨励しています。「サンキューハザード」は基本的にブレーキと同時使用にはなりません。前に入れてもらって減速したらただの割り込みと嫌がらせです。また、後ろをよく見ていない無理な割り込みではなく、認識していますよ、という意味もあるわけです。
だいたい、ハザードは本来一時停車時の使用が原則で、特に本線上で故障などで止まらざるを得ない場合の注意喚起が本旨です。しかし警察公認の使い方として渋滞最後尾の点灯がありますよね。ハザードを付けている側は故障等の不具合は全くなく、前方の渋滞があって減速あるいは停車している、というサインです。これだって厳密に言えば「正しい」使い方じゃありませんし、自然発生的に生まれたサインですが、これは良くてサンキューハザードはダメという理由が見えません。
あるいは急勾配での超低速走行での点灯もそうでしょう。大型やトレーラーのように急勾配にめっぽう弱い車両が峠越えの区間ともなると登坂車線でもなお止まりそうなスピードとなるわけで、ハザードを付けて超低速であるサインを示しています。
どちらかというと幹線道路で見られるシーンですが、R1の箱根新道とか、名阪国道の天理のオメガカーブといったところでは、登坂車線が無い区間を中心にハザードで知らさないと危険というケースが多発しています。
だいたい、コミュニケーション不足こそが事故の原因です。そう考えたら、どうやったらコミュニケーションが取れるのか、と考えないといけません。それこそ人類は手段が限られる中でコミュニケーションツールを考えてきたわけです。手旗信号然り、信号旗然り、モールス信号然り、それはローカルルールではなく世界共通のルールとなっています。ウィンカーなどの使い方にしても、それこそ決めごとですよ、こういう時にはこう示す、と決めればいいのです。点滅回数で使い分けるというのはさすがに無理がありますが、ハザードの出し方とか、決めれば済む話ですが、それは本来の使い方じゃないっ、と否定するのは進歩に背を向けた有害な発想です。
ライトやクラクションもそう。あおり運転と勘違いされるとか逆ギレするバカがいますが、これもルールにすればいいんですよ、
先に横断させる時にはライト点灯時は消灯、日中はパッシング、とか、前方が進んでいるのに気が付かないケースには後方が軽くクラクションを鳴らすとか、今現在一般化している「お作法」を制度化して、理解できない、理解する気が無い、勘違いするバカを排除そればいいのです。
ちなみに30年くらい前には当たり前に見られたコミュニケーションとして、高速道路での右端車線での右ウィンカーがありましたが、これは消えましたね。渋滞時のハザードの前段階として、前方低速車あり、という状況で、前に対しては走行車線への復帰を促し、後方へは減速することを知らせるという二役のサインでした。いまこれをやると「煽られた」と勘違いするバカが雨後のタケノコのように湧いてきますが、追越車線への居座りと後続車の妨害は立派な道交法違反、すなわち犯罪行為であり、それを咎めて何が悪い、という話なんですよ。右端車線での右ウィンカーがルールとして確立していれば、塞栓状態による渋滞も減るというのに。
まあこうしたサインの中には、この先ネズミ捕りあり、という趣旨でパッシングというのが結構広まっていましたから、警察も自然発生的なルールを無条件に肯定できなかったのかもしれません。