Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

区間運転と本線代行バス

2018-08-16 23:55:00 | 交通
8月20日からの呉線(広′煌ヤ)、8月21日からの本線(白市#ェ本松間)の区間運転及び代行バスなどの時刻が発表されました。

区間運転は30分ヘッドが基準ですが、本線は土曜日、呉線は日曜日の11時~14時台が点検のため運休となります。
これに伴い代行バスなどの運行が変わり、坂駅からのバスは直行と各停便の両方がすべて呉駅行きに。東広島駅への連絡バスも西条駅からだけになりました。

呉(東)線の代行バスはもともと広駅からの発車でしたが、呉線関係では並行するバスの扱いが変わり、広電バスを代行扱いで使える区間から広′煌ヤがなくなり、天応川尻線を通しで利用できなくなります。
一方当初代行扱いで無かった圏zバスが対象となり、三原&卵♀ヤで代行扱いとしての利用が可能になりますが、三原${波、幸崎、柱エ∴タ健テ&卵≠ニ系統が分割されています。なお、区間利用が可能な「かぐや姫」の忠海£原間の扱いが不明ですが、大丈夫と信じたいです。

圏zバスを代行にしないのか、という批判が多かったのに応えた格好ですが、だったら11日の初日からすればよかったわけで、タイムラグの発生は残念です。まあ夏休みのこの時期うさぎ島関係をはじめとした利用が半端ないわけで、今週初めの段階で三原や忠海での行列を見ているだけに、使えるものは使うという方針変更は歓迎です。

そして本線の代行バス。三原#虫s間をつなぐのですが、本郷♂ヘ内間のr33が決壊している中でどうルーティングするのか、思いきや、そのまんま三原、本郷、河内、入野、白市とつなぐとあって驚きです。
朝夕30分ヘッド、日中60分ヘッドで、朝の三原発、夕方の三原行きに3本本郷までの区間運転があり、総合技術高校対応でしょう。沼田西などの事業所対応にしては朝は遅く、夕方は早いので。30分ヘッドの間に3本入り、5~10分ヘッドになっています。

三原*{郷間が19分、河内%・・ヤが8分、入野#虫s間が8分は妥当なところでしょう。厳密には入野#虫sは信号待ちや白市駅周辺の取り回しを考えると10分取っていた方がよかったかも。
そして焦点の本郷♂ヘ内間ですが、所要28分、つまり全区間63分の所要ですが、28分でr33以外のルートをどう走るのか。
圏zバスの白市駅@ユ空団地経由″L島空港の所要時間が15分。入野駅と白市駅と距離は同じくらいです。ですから河内から空港まで23分、空港から本郷支所までリムジンバスで15分、そこから駅構内まで、となると、40分は必要でしょう。

河内駅の西側から山に分け入って空港に出る道がありますが、これを使うのか。本線の代行バスですから大型がしかも2台口、3台口で走るでしょうから、そんなコンボイが走る道には見えません。だいたいそれでも劇的に時間短縮は望めません。本郷駅へのアクセスとなるr33からR2の仏通寺入口交差点の間も地味に混みますし、駅への取り回しも時間を食います。28分はかなり怪しい、というか、r33経由でもそれくらいかかりますよ。大型バスが被災前のあの道を通るとしたら。

河内高校対岸の大決壊区間を工事用に確保している仮設道路で通るとしても、その先の水力発電所脇の決壊箇所は対岸の畦道クラスの道路で迂回するしかなく、5ヶ所の決壊箇所を敷板鉄板でカバーしている箇所も幅員が足りるかどうか。r33経由は非現実的としか言いようがないので、28分で走破するルートが気になります。

あと、代行バス乗り場案内の図がめちゃくちゃですね。
まず本郷駅、駅正面にロータリーを置いていますが、これは橋上駅化される前の見取り図で、今は広島側(図の右側)に駅舎への階段、左側にロータリーです。河内駅も「ロータリー」じゃないですよ。逆にロータリーがある入野駅にロータリーの文字がないです。白市駅はR59ってなんですか?そんな幻の国道は現地にあるわけもなく、r59の誤植でしょう。
駅前もロータリーっぽいですからロータリーでもいいんですが、図の左手から右手に向かう一方通行の道路を膨らましてバス乗り場とタクシー乗り場などを設置しているだけなんですが。
イメージとしてはつかめるのですが、ちょっと杜撰です。

八本松$」野間の代行バス非設置のミステリーが残りますが、三原#虫sでも三原*{郷の圏zバスや空港リムジンをなぜ代行に入れないのか。リムジンは三原発で空港客が乗れなくなると困るのは分かりますが、三原行きだけでも対応できないのか。圏zバスは三原*{郷線が運行しているわけで、呉(東)線同様、起用できるはずですが。





東名阪への合流/宝塚北

2018-08-16 22:44:00 | 交通
今回の帰省で道路事情がどうしようもなかったのが東名阪利用の四日市JCT°T山JCT間です。
強引に6車線区間を増やしての現状に、もし対応していなかったらどうなっていたことかと背筋が凍るような状況ですが、2018年度中に新名神の新四日市JCT°T山西JCT間が開通して新東名~伊勢湾岸~新名神の大動脈がつながるので、あと1回、今年の年末のみの辛抱ということでしょうか。

とはいえサイトの記事にもした数年前の帰省もそうでしたが、あと1回を我慢できるかという状況です。
要は伊勢湾岸西行きからの四日市での合流、新名神東行きからの亀山での合流がひどすぎます。これ、合流の車線割り当てが実態にあっていないばかりか、車線の引き方、案内が悪く、惨ドラが多発するこの時期ゆえ状況が普段以上に悪化しています。

まず伊勢湾岸からの合流は、片側3車線のうち2車線でランプに入りますが、東名阪への合流が、本来右車線は東名阪本線の走行車線へ合流し、左車線はそのまま第一走行車線になるのに、伊勢湾岸からの2車線が合流して第一走行車線に収斂するように走るから、詰まって進めないのです。

これが前回も今回も湾岸弥富まで伸びる渋滞になって、しかも伊勢原BS先頭の渋滞と違い、「動かない渋滞」ですからタチが悪いです。合流地点で見ていると東名阪はガラガラ。だったら伊勢湾岸からの2車線をそのまま東名阪の第一、第二走行車線にして、東名阪の走行車線は伊勢湾岸に合流と改めればいのです。これなら2車線がそのまま東名阪になるわけで、その先御在所SA出入りの輻輳による渋滞があるにしろ、今よりははるかに良いはずです。

亀山での新名神からの合流も同様なんですが、こちらはちょっと根深く、渋滞自体は鈴鹿TN、ひどいときはTN手前にまで伸びていますが、亀山西JCTのあたりから右車線が流れるのです。
これ、右は伊勢方面と思い込んで左車線に挙って入るせいですが、路面のマーキングや案内標識をよく見ると、右車線も名古屋方面となっており、伊勢方面は右車線からさらに分岐します。

初見ならまだしも、いくら盆暮GWだけとはいえ、何回かは通ってるはずなのに、なんで同じことを繰り返すのか。
2車線で東名阪に合流する際の状況は四日市と似ていますが、ここの問題は新名神側に1回合流して1車線になってから東名阪に合流するように誘導しています。ただしその1車線が亀山からしばらく続く付加車線となっており、「合流」はないのですが、ここも新名神の2車線が東名阪の第一、第二走行車線になり、伊勢道、名阪国道からはそのまま進行は1車線、左側車線は新名神に合流、とすればいいでしょう。

こうしたちょっとの工夫が渋滞を減らすんですが、気が回らないのは残念です。

あと、軽い話題としては新名神の宝塚北SAのあれこれ。
上下線集約で大混雑、しかもレストラン無しというのが大減点ですが、ショップのお菓子が充実していますね。

土産物コーナーとは別にあるセレクトスイーツのコーナー。SAや駅、空港はこれまで町場では見かけない「銘菓」が幅を利かせるという現象が一般的で、知ってる人を相手にするときははっきり言って手土産に選べない「ブランド」しかありませんでしたが、今回は違います。まあ間違いのないブランドを揃えただけという酷評も可能ですが、「いかり」のショップまであると言えばお分かりいただけるでしょうか。ツボにはまっています。

宝塚といえばの手塚治虫作品に「ベルばら」も揃っていますが、「ベルサイユのばら 炭酸せんべい」には笑いました。
いや、炭酸せんべいは古典的な宝塚や有馬の銘菓なんですが、「炭酸せんべいが宝塚銘菓とは知らなかった」のコピーがオスカルのイラストに添えてあるのは自虐なのか・・・




「スクールウォーズ」があったのか

2018-08-16 22:07:00 | 交通
その女性部長というと三重の白山高校ですが、これまで「出ると負け」だった地方大会でまさかの快進撃となり、甲子園初出場をつかんだシンデレラストーリーで有名です。

ダメダメだった野球部を立て直して鍛え上げた監督の手腕もさることながら、「白山高校」がサクセスストーリーの主役になったことに、私自身は別の意味で感慨を覚えています。

白山高校はJR名松線家城駅が最寄りですが、第二次廃止対象の特定地方交通線にノミネートされながら並行道路未整備を理由に除外され、今日まで廃止されることなく、そして自然災害でも復旧もしてもらったのが名松線です。

特定地方交通線の廃止問題が起こった1980年代前半、鉄道ジャーナル誌で「特定地方交通線の実態と問題を現地に見る」と追う連載があり、1983年5月号で名松線が取り上げられました。

沿線概況と話題の中に白山高校が出てくるのですが、そこに挙げられたのは全校生徒の64%、約400人が名松線を利用というデータだけでなかったのです。

地方の「あまりお行儀のよろしくない」高校にありがちな問題ですが、白山高校生による列車車内での喫煙が問題になり、1981年3月19日付の読売新聞の記事の写真が掲載されています。
「喫煙通学 高校お手上げ」「名松線『禁煙に』と陳情」「他力の追放運動」と見出しが並び、問題行為に学校やPTAも対応しきれず、国鉄に助けを求めたというのがその顛末です。

誌面では記事が奏功して鎮静化したとありましたが、40年近く前は「そういう」学校だったのが、よくぞここまで立ち直った、と思わざるを得ません。