北朝鮮の独裁政権は、アメリカ流民主主義を拒否する国の基本方針を掲げている。
朝鮮戦争の当事者同士が、60年以上に渡って停戦ラインで対峙している状態が、両国の国民にとって大きな軍事費の負担になり、それが生活の不安や経済再生の大きなブレーキになっているのだ。
北朝鮮の独裁政権は、生き残るためには国が侵略されないことが最優先であり、通常の軍事力では、アメリカと韓国の軍事力には、ひとたまりもない。
だから、【窮鼠猫を噛む】の論理で、すこしでも独裁政権が崩壊する危機に追い込まれた場合には、韓国とアメリカ本土に、相当の被害が生まれる、「核兵器の装備を急いでいるのだ。
これは、米ソが対立した時代の「敵対する陣営」が、存続する「唯一の方策として核兵器の抑止力」に依存する論法である。
米ソのどちらかが「一部でも核兵器の実戦使用」をした場合には、それに対する制裁として、国際的同意も抜きにして、報復攻撃が実施される。
この報復攻撃による被害が、想定もできない規模になる恐れがあるために、アメリカもソ連も、核兵器の使用を厳格に抑制してきた。
米ソの戦争は、代理戦争となって、通常兵器による戦争に限定されてきた。
ところが、今の世界の危機は、新興国やイスラム諸国の政権の不安定によって引き起こされる。
「核兵器の保有による報復攻撃の脅威による抑止力」は、今の時代の安定体制にはならない。
そこで、原子力発電を自国の技術の使用とする国が、将来の核兵器保有をめざして、実力以上の背伸びをし始めたのが、今の時代である。
北朝鮮も「原子力発電所の技術」の保有にこだわって、平和利用だとして進めたが、アメリカの経済制裁の圧力の前に中断した。
イランも原子力発電の導入には、今でも意欲的に取り組んでいる。
これからの、政治体制が不安定のままで、その維持のためには、原子力発電技術を導入し、その技術をベースにして核兵器の保有を目指す政権が増える。
アメリカは、中東の石油資源が「自国の安全保障を脅かす懸念が減少」した影響で、大義名分であった世界の警察官の役割を放棄した。
このように、日本の安全保障の根幹にある「アメリカの核の傘」の効用は、すでに旧時代の理論に落ち込んでいる。
それなのに、相変わらずの「核兵器による抑止力」は、世界の平和に貢献している、との論法を固執する。
それに悪乗りしている「原子力発電業界」は、日本の原発政策の維持を、「核兵器の保有可能性の技術力維持」を、大義名分に掲げて、現状を維持に固執する。
安部自民党政権は、このような旧時代の論理に安住している怠慢さだ。(続)