いろはに踊る

 シルバー社交ダンス風景・娘のエッセイ・心に留めた言葉を中心にキーボード上で気の向くままに踊ってみたい。

名前をなくした彼女達 64編

2005年09月03日 08時05分18秒 | 娘のエッセイ
 高校を卒業してから十年とすこぉし。その頃の仲間たちのほとんどは、名前がな
くなってしまった。もっと正確に言うと、日常生活の中で、彼女達個人の名前が消
えてしまったということである。

 集合住宅の中で彼女達は『××さんの奥さん』と呼ばれ、子供の幼稚園で一緒
のお母さん仲間からは『△△ちゃんのお母さん』と呼ばれる。そういった日常の
お付き合いの中で、彼女達が個人名である『○子さん』と呼ばれることはほとんど
ない。

つまり日常生活の中に、個人である『○子さん』は存在しないのである。つまり、
いつのまにか○子さんは透明人間と化してしまったのである。

 透明人間になるだけなら笑い話ですむが、名前を失ってしまった彼女達は、
その内面まで変質する。

昔、趣味の話で盛り上がった○子も、政治を批判しあった○子も、夢を語った
○子も、勉強熱心だった○子も、もういない。名前を失った彼女達も皆、以前は
豊富な話題をもつ、魅力的な女性達だったはずなのだ。

 彼女達の思考回路は、『○子の考え』から変質して、『××さんの奥さんの考
え』か『△△ちゃんのおかあさんの考え』という回路ワンパターンになってしま
うのだ。

そんな彼女達と会話する時、私は無意識のうちに彼女向きの話題ばかりを提供
してしまっている。つまり子供とダンナの話題。ご近所の話、ほか彼女近辺の
話題だ。

 もちろん、たまには彼女達の体験談などという興味深く、ためになる話も聞け
たりするが、ほとんどは井戸端会議的内容に始終してしまう。こんな現実に対し
て、私は大いに不満である。

 日本では、どうして名前で呼び掛けないのだろう。夫婦間でおとうさん、おか
あさんと呼び合うのだって変だ。この国で、一生個人でいることは、とても難しい。
それは別姓の問題以前の、もっと根源的な大きなテーマだと思う。
コメント (1)
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