「お前百まで わしゃ九十九まで 共に白髪の生えるまで」と続く。夫婦が
一緒に元気で長生きするようにと願う文句。
能「高砂」の尉(おじいさん)がくま手、姥(おばあさん)がほうきを持つと
ころから、お前掃くまで、わしゃ掻くくま手……とは落語のネタ。
「江戸語大辞典」などによれば、「お前」は夫、「わし」は妻。……
以上は平成17年9月23日読売新聞 日本語ひめくりの記事である。
私は、「お前」と「わしゃ」の意を逆にとっていた。「いつまでもむつまじ
く」の意味であることは理解していたが、一人称の意味に思い込みがあった。
と言うことは、「夫は百まで妻は九十九まで…」となる。何故、同じ百にし
なかったのだろうか。語呂合わせか。当時の寿命は五十歳であることを考えれ
ば、「鶴は千年亀は万年」と同じで長命の目出度さを表現したものだろう。
よく考えれば、「お前」は「お前様」と言うことで妻が夫を呼ぶ意であり
「わしゃ」は女性にも使われている。
私の思い込みを正してくれた読売の記事でした。
一緒に元気で長生きするようにと願う文句。
能「高砂」の尉(おじいさん)がくま手、姥(おばあさん)がほうきを持つと
ころから、お前掃くまで、わしゃ掻くくま手……とは落語のネタ。
「江戸語大辞典」などによれば、「お前」は夫、「わし」は妻。……
以上は平成17年9月23日読売新聞 日本語ひめくりの記事である。
私は、「お前」と「わしゃ」の意を逆にとっていた。「いつまでもむつまじ
く」の意味であることは理解していたが、一人称の意味に思い込みがあった。
と言うことは、「夫は百まで妻は九十九まで…」となる。何故、同じ百にし
なかったのだろうか。語呂合わせか。当時の寿命は五十歳であることを考えれ
ば、「鶴は千年亀は万年」と同じで長命の目出度さを表現したものだろう。
よく考えれば、「お前」は「お前様」と言うことで妻が夫を呼ぶ意であり
「わしゃ」は女性にも使われている。
私の思い込みを正してくれた読売の記事でした。
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