Chang! Blog
福岡のハングル検定準2級建築士、そして一児の父の[ちゃん]のブログです




 夏の福岡空港といえば、ビアエア! 飛行機を眺めながらビールを楽しめる、旅好きにはたまらないビアガーデンです。年を追うごとに人気が高まり、開催期間も年々延長。今年は昼の営業も始まりましたが、週末の予約は数ヶ月後しか取れないほどの盛況ぶりです。
 9月最後の日曜日、幹事さんが2ヶ月前に抑えてくれたビアエア「夜のフライト」に旅立ちました。


 地下鉄で福岡空港駅に降り立ち、第2ターミナルへ。日曜夕方とあってラッシュの時間を迎えており、大荷物の旅行者に混じっていると、どこかへ旅立つかのような錯覚を覚えます。
 僕らの「搭乗機」は、このポスターが目印。昼営業を「増便」と表現するあたりが、いかしてます。


 狭い通路を屋上デッキに上がると、そこは魅惑の空間。受付で、フォルダに入った「搭乗券」を受け取ってチェックインします。
 細やかな演出が、いっそう旅立ちの雰囲気を演出してくれます。


 駐機中のジェットを目の前にしながら、まずはカンパイ! ビアガーデンとしての基本は抜かりなく、ビールはスーパードライとプレモルの2種類。ノンアルや黒ビール、その他ドリンクも充実してます。
 食べ放題のフードも、種類豊富!とまではいきませんが、各種おつまみがずらり。お腹が空いたらカレーもあるし、「機内放送」を合図にロールケーキ(案外うまかった!)も出てきました。4,200円という値段は、立地を考えれば充分納得です。


 次々に、着陸しては飛び立つ飛行機。
 旅好き仲間で来れば、「スターアライアンス柄の飛行機だ!」「こんな時間から韓国に行けるんだね」「FDAって何色あるの!?」等々、ビール片手に盛り上がること請け合いです。


 コースターや箸袋も、オリジナルで揃ってます。お酒がまわってきた頃には、オリジナルグッズの「ワゴン販売」も回ってきますので、酔った勢いで「大人買い」しないよう要注意!
 一昨年、勢いでTシャツを買ってしまったのは私です。


 グループでわいわいも楽しいけど、飛行機を真正面に見ることができる2人用席もいい感じ。グループ席からは少し離してあるので、2人の時間を静かに楽しめそうです。
 今年の営業は今週末までですが、ぜひ来年は「昼フライト」に搭乗してみたいなと思いつつ、21時には「着陸」となりました。

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 福岡の観光地周遊バス「ぐりーん」が、9月28日をもってラストランを迎えることになりました。2008年9月末、走り始めて1週間目にも乗ったことがある路線だけに、丸8年での撤退には寂しいものも感じます。
 一方、福岡の新たな魅力を打ち出すべく走り始めた「オープントップバス」は、快走を続けているようです。そこで「ぐりーん」廃止の1日前、9月27日に二つの観光バスを乗り比べてみました。


 昼前に「オープントップバス」の受付がある福岡市役所に行ったところ、都市高経由の「シーサイドももちコース」は、17時以降しか空席がないとのこと。時間に余裕を持って、18時の便を予約しました。
 それまでの時間は、「ぐりーん」に乗ることに。市役所1階のカフェには自由に使えるタブレットが置いてあり、西鉄のサイトを見れば「ぐりーん」の現在地も分かるので便利でした。


 天神コア前まで移動して、「ぐりーん」に乗車。定刻12時30分の便は、15分遅れでした。昼間30分間隔の運行で、ほぼ無ダイヤの状態です。見慣れた緑色のバス停ポールも、明日を持って見納めになります。
 なお「ぐりーん」は1回乗車250円、1日乗車券700円ですが、オープントップバスの乗車券を持っていればその日はフリー乗車できます。オープントップバスでまずは一巡りしてみて、ぐりーんでじっくり回るというのも、いい観光コースではありました。


 「ぐりーん」は、JR九州の列車デザインでお馴染み、水戸岡鋭治氏のデザイン。白木のシートと床がさわやかで、「豪華」さよりもナチュラルなテイストがウリでした。
 引退を翌日に控え、バスファンらしき姿も見られましたが、乗車率は半分程度です。


 木の葉が舞う外観はきれいなのですが、車内から見れば車窓の妨げにも…乗車口のパーテションも前方への視界を妨げており、眺望という面では今一歩の感がある印象は、デビュー当時と変わっていません。
 他にないユニークな車両ではありましたが、オープントップバスの登場でちょっと陰が薄くなってしまった面は否めませんでした。


 福岡タワー前で下車。最終日を目前にして、ぐりーんを撮影する西鉄バスファンの姿も目立ちました。
 4台ある「ぐりーん」専属車の処遇は明らかになっていませんが、できれば今の姿のまま、観光客が多い路線にでも転用してくれればと思います。


 ひさびさに登った、福岡タワーからの眺め。福岡県人だとなかなか登らないタワーですが、街からの山と海の近さを感じることができて、福岡は恵まれた街なんだと確認できます。
 この後は「ぐりーん」で大濠公園を目指す予定でしたが、時間を合わせられずに一般の路線バスで巡りました。30~40分毎とはいえ渋滞で時間が読めない点は、実際に使いにくさも感じられました。


 18時前になったので、改めて天神の市役所前へ。3路線があるオープントップバスですが、この日18時発のシーサイドももちコースには赤いバスが入っていました。(写真は別時刻に撮影)
 今日も満席の盛況。韓国からの観光客の姿も見られました。


 18時から数分遅れて、市役所前を出発。案内は「DJ運転士」ではなく、ちょっとアニメ声の案内係が務めます。
 まずは見慣れた天神の街を、渋滞に阻まれつつゆっくりと走行。屋根なしで頭上の景観が広がるのも楽しいですが、少し視線が上がるだけで日常の風景と違って見えるのも、2階建てバスの楽しさです。


 通りに面している赤レンガ館も、オープントップバスから見ればご覧の通り。


 渡辺通りを北に折れれば、最初にして最大のハイライト、都市高速へと入って行きます。
 料金所の「高さ制限」が、おそらく道中で一番低い位置にある看板。手を伸ばしても届かない位置とはいえ、思わず頭をかがめてしまうほどの迫力で通り過ぎて行きます。


 複雑な立体交差が絡むランプ部分はジェットコースターのようで、普段の車では感じないような「逆G」の感覚も味わえます。
 荒津大橋の走行路は、高さ39m。博多湾と市場、市街地までを一望できる展望スポットです。海はちょうど夕暮れに差し掛かっており、島々を背景にピンクに染まっていました。


 シーサイドももちの施設群も、一枚の写真の中に。


 ももちの高層住宅群も、一番上まで見渡せると「最上階は形が違うけど、どうなっているのかな?」と別の興味も沸いてきます。
 韓国からの観光客は「大した高さじゃないな」と言っており、たしかにかの国のアパート群に比べれば、ちょっと低いですけどね…


 大濠公園の側をひとめぐりすれば、ラストコースの都心部へ。けやき通りには、トンネルのようなけやき並木と、洒落た店が並びます。きらめく夜景に、渋滞もそんなに気になりません。
 渋滞で時間も伸びましたが、案内からは市内のおいしいお店の情報が留まることなく流れ続けビックリ。思わぬ「引き出しの数」に驚かせられながら、約1時間半の福岡観光はフィナーレとなりました。

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 9月20日~21日、今年も東町公園で「久留米焼き鳥日本一フェスタ」が開催されました。
 初日の20日は少し肌寒い気温になりましたが、それでもテント席は11時の開場前に埋まるほどの賑わいでした。


 11時半でこの人出! 各店にずらりと行列ができていました。
 いろんな店の焼き鳥を食べ比べられるのが醍醐味のイベント。グループで参戦して、分担して並ぶと味比べを楽しめます。


 各店舗は、それこそてんてこ舞いの状態!
 熱気は行列にまで伝わってきます。


 今年初登場の「とんこつ焼きとりカレー」。
 焼き鳥とチャーシューと紅生姜が載っているだけ…ではもちろんなく、カレーはとんこつベースの、The 久留米なレシピです。


 白秋ハイボールやジェラート、久留米の地酒など、焼き鳥以外にもメニューは盛りだくさん。


 そしてこの日は、西鉄久留米駅東口のオープンカフェ実験の開催日。いつも通過するだけの東口が、ちょっと一休みしたい「場」になっていました。
 オーガニックコーヒーで一息ついた後は、再び東町公園へ。結局、閉会時間の20時までがっつりと楽しんだのでした。

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 福岡市の市営渡船といえば、能古島、志賀島、玄海島など、長くても30分程度の航路ばかりというイメージでした。しかし唯一、65分という「渡船」という範疇ではくくれない航路もあります。小呂島行き…福岡市の最北端かつ最西端の島を目指す航路です。
 本数は1日2往復。月・水・金は1往復になってしまい、日帰りは不可能というダイヤ。島に宿泊施設はなく、帰路が欠航になれば野宿する他ないという、「市内」とは思えぬ島です。3連休の中日に、そんな身近で遠い島へと旅立ってみました。


 小呂島航路は、能古島航路と同じ姪浜の渡船場から発着。所用時間10分の、バス並みに気軽な能古島航路の合間を縫って運航されています。


 島に宿泊施設はなく、欠航時は待合室を開ける旨の掲示。切符売り場でも、島外からの訪問客にはこのことについて念を押されます。
 「市営渡船」「西区の島」という言葉だけでとらえていると、決して想像の及ばない環境です。


 所定の出航時刻は9:00ですが、特に案内はなく9:20へ変更になっていました。前日の、姪浜⇒小呂島の最終便が欠航になっていて、早朝に送り込みがあったため遅れが出たようです。
 特に細かい案内がないあたり、島の航路ののどかさも感じられました。


 積み上げられた、給食の食材。島の子どもたちの学びも支えます。


 小呂島航路に入る船は、2000年に就航したニューおろしま。市営渡船として小さな船体ではありませんが、玄海灘の荒波に立ち向かっていく航路としては頼りなげな気も…
 船室は2階建で、座席がずらりと並ぶのみ。自販機などはなく、船外デッキは立ち入り禁止になっています。


 糸島市沖では、市街地を背景に行き交うヨットを眺めつつ、遊覧船気分。


 玄海島のすぐ側を通過。新しい住宅や集合住宅が多く、震災後の復興した島の姿が、海からも垣間見れます。


 玄海島を抜けると、海には白波が。船体の揺れも、にわかに激しくなってきました。縦に横に、不規則に現れる予告なき揺れに、船にはさほど弱くない僕もちょっと込み上げてくるものが…乗船時間があと30分長かったら、マズかったかも。
 沖に見える島影は、壱岐。緯度で言えば、小呂島は壱岐よりも北に当たります。


 約70分で、小呂島着。出迎えの人で賑わうのも、本数の少ない離島航路ならではの光景です。
 姪浜から70分かけてきましたが、逆にいえばわずか70分で、ずいぶん遠くに来た感じもします。


 港には漁船がぎっしり。水産資源が豊富な玄海灘に位置する上に、大消費地・福岡の市内でもあることから、漁業は盛んなのだとか。
 人口の流出も一般的な離島に比べればゆるやかで、海岸沿いには若者向けの集合住宅も見られました。島内でも、若い夫婦や子どもの姿を多く見かけます。


 島で唯一の商店が、漁協の売店。土日祝日はお休みなので、島に行って手に入れられる飲食物は、自販機の飲み物のみです。
 日帰りの小トリップでも、万一に備えて非常食の携行だけは忘れずに。


 海の透明度では、壱岐にも負けません。ビーチがないので、海水浴ができないのは残念なところです。


 天候不順だった夏を脱し、秋を前に快晴の日が続いたこの3連休。壱岐だけでなく、この日は九州本土もくっきりと見えていました。




 島内の車やバイクには、ナバープレートがありません。


 畑に置かれたバスタブは、水が貴重な島ではよく見かける光景です。


 追ってくるワンちゃん。野良ではなく、放し飼いのようです。


 配水池。周囲をコンクリートで固められ、遺跡のような風景です。
 行政区域としては福岡市なので、水道関係の施設はもちろん福岡市水道局のもの。その他の公共施設にも当然、「福岡市」「西区」の文字が並ぶのですが、島の風景と比べ なんともしっくりこない感が、また面白いです。


 島で唯一の学校が、小呂小中学校。2階建ての木造校舎は、のどかな島の山並みを背景にマッチします。
 どんな様子かのぞいていたら、出勤していた先生が招き入れてくれました。鍵はかかっておらず、西区内とはいえ離島ののどかさが感じられます。


 木造校舎とはいえ昭和50年代の建物とのことで、古さは感じられません。階段室は2層吹き抜けになっていて、解放感と明るさが感じられます。


 体育館も大断面の木構造になっていました。館内では、バドミントン部が顧問の先生の指導を受けて活動中。ちなみに部員は2名、中学校の全生徒です。
 午後は文化系部活での活動があり、島の中学生は連休といえども、忙しい毎日を送っているのでした。


 砲台跡などの見どころもある島ですが、船の遅れもあってこの辺でタイムアップ。13時20分の船で、姪浜へと戻りました。海も落ち着き、往路ほどの揺れはありませんでした。
 島で海の幸を味わえないのは残念ですが、赤坂のこの店では小呂島で水揚げされた魚を楽しめます。飛び込みで行ったので魚介類にはありつけませんでしたが、ぜひいつか「のどかな西区」を舌でも楽しめたらと思います。

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 9月7日夕方5時前、イツモレンタカー松山IC店こと、エネオス椿給油所へ到着。船までは時間もあるので、送迎を道後温泉へお願いしたところ、ドライバーさん、たくみに裏道をすり抜けて行きました。松山市内の渋滞は激しく、地元人ならではのテクニックです。
 日曜日夕方の道後温泉は、それでもさすがは一大観光地。駅前も商店街も、そぞろ歩く観光客で賑やかです。


 道後温泉で、晩の風呂をひと浴びしました。せっかくの掛け流しの名湯なのに、塩素入りになってしまったのは残念。でも重要文化財に入浴できるのは、いい経験です。
 スーパームーンが翌日にせまっていたこの晩、背後には大きな月が輝いていました。


 道後温泉から松山市駅へは、低床の路面電車で。松山市内は、いよてつの路面電車4系統に郊外電車3路線、JRまで走っていて、モビリティは高い街です。


 さらに郊外電車に乗り継ぎ、松山観光港を目指します。
 元京王井の頭線の電車の3両編成で、車内は新車といっていいほどピカピカ。各地の地方私鉄で活躍する大手私鉄の「譲渡車」のレベルは、最近さらにステップアップしている印象です。


 バスで観光港へ抜け、晩ご飯は港近くの「めしや酒井屋」へ。昭和レトロをうたった食堂です。


 なつかしの看板やアニメキャラが、すらっと並んだ店内。昔のマンガ雑誌なんかも、さりげなく手に取れるように置いてあります。汚してしまわないように注意!
 昭和レトロがコンセプトの飲食店なら珍しくもありませんが、こちらは建物も、店のおばさんも、おばあさんもちゃんと「昭和」なのでリアルです(笑)。


 しかし1,000円なりのお楽しみ定食は、奇をてらったものではなく、品数がいっぱい。体にも良い晩ご飯になりました。


 お腹もいっぱいになったところで、帰路の松山・小倉フェリーに「チェックイン」。往路の乗船券の提示で3割引になるので、くれぐれも旅の途中になくさないように…。
 月に見送られ、短くも楽しかった四国の地とお別れです。


 現在、愛媛方面の船会社各社が共同で「愛顔の船旅キャンペーン」を実施中。スタンプを押して応募すると、次回の旅に使える乗船券を貰える…かも?
 特に柳井~松山と佐賀関~三崎間では、車1台を積み込める券が当たるので、ねらい目と言えそうです。また四国に来れることを願って、ペタリ!


 ぐっすり眠って、小倉港着。こちらも7時まで船内休憩できますが、下船時刻は到着直後と6時以降のみ。小倉駅前発6時15分のバスに乗るには、5時過ぎに下船せねばなりません。
 こぶりなターミナルで手持ち無沙汰に過ごしていたら、徐々に夜が明けてきました。


 今日は月曜日。工業地帯の朝が始まります。


 小倉から2時間で、久留米へ。朝8時過ぎ、まだまだ1日は始まったばかりの時間です。家で一休みして出勤、いつも通りの1週間が始まりました。
 土日だけでもどっぷり楽しめると分かった、濃い2日間+αの旅でした。


※今回の記事は、新居浜市観光協会の「あかがねのまち新居浜ブロガー旅行記」の参加レポートです。
 旅にあたって新居浜市観光協会さまには、多大なるご支援を頂きました。この場を借りて、御礼申し上げます。


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 新居浜市別子山、オーベリジュゆらぎで朝を迎えました。
 7時前、そっと玄関を開けて、爽やかな朝の空気ただよう森へと踏み出します。


 森林公園・ゆらぎの森は、朝霧の中にありました。


 木々は、雨降り後のような しっとり感に包まれています。


 白い機体 飛べない空に 何思う


 椎茸も、山の恵みを受け育っていました。


 1時間少々の散歩を終え、宿に戻れば朝食の時間です。
 運動した後のご飯はウマイ! ふわふわのプレーンオムレツと、香ばしく甘いクロワッサンが食欲を掻き立てます。


 …と、のんびりくつろいでいたところ、エリアメールが鳴りだしビックリ。津波警報の文字に驚きましたが、よく見れば四国中央市の訓練メールでした。津波とは縁遠いイメージのある瀬戸内沿岸ですが、何が起きるか分からない。万一に備えた訓練は大切ですね。
 四国中央市のエリアメールが入ってきたのも意外でしたが、旧別子山村は地理的には三島(四国中央市)の方が近いのだとか。それでも新居浜と合併したのは、同じ産業を支えてきた村としての絆があったのかもしれません。


 チェックアウトの10時までのんびりさせてもらって、2日目のドライブがスタート。ホテル裏手のヘリポートへ車を走らせました。
 わずか3分でたどり着ける絶景スポットなのでしょう、晴れていれば。赤石連山は残念ながら、雲の中でした。


 昨日来た道を、再び新居浜市街地方面へと戻ります。旧別子山村の中心部は、郵便局や市役所支所があるものの、一自治体の中心部だったとは思えないほど小さなものでした。
 旧別子山村の人口は、銅山が活況を極めたピーク時には1万人を超えていたものが、合併当時は300人を割っていたのだとか。九州の産炭地の島と、重なる姿です。


 県道47号線から右折し、マイントピア別子の東平ゾーンを目指します(写真は下山時に、一時停止して撮影)。昨日の端出場ゾーンとは、山岳鉄道が結んだ地区です。
 現在の道路も隘路で、自分で運転していくと、山道を50mバックして離合場所に戻るテクニックを要求される可能性があります。山道の運転に自信がないなら、素直に端出場ゾーンから観光バスに乗るのが得策です。


 東平ゾーンは、すっぽり霧の中。まずは東平歴史資料館で、東平地区の歴史を学びます。
 ちょうど観光バスが到着して、資料館は人でいっぱいになりました。


 大正5年から昭和5年までの間に採鉱本部が置かれた東平地区は、社宅群に私立学校、劇場までが置かれた街でした。
 小ぶりながらも充実した展示で、当時の山間の都市での生活の様子が見えてきます。


 レンガ造の「マイン工房」は、銅板レリーフづくりができる体験施設です。
 建物はかつての保安本部ですが、近くに立っても全容が、み…見えない。


 索道場跡へ下って行く階段は、インクラインの跡。レールを敷いてケーブルで上げ下げする運搬装置のことで、それゆえルートは一直線です。
 「底」が霞む霧の日は、奈落に降りて行くような錯覚を覚えます。


 「東洋のマチュピチュ」とも呼ばれる、貯鉱庫・索道場跡。レンガ造の構造物が、傾斜地へ幾層にもそびえ立つのですが、霧で一番手前の索道場跡しか見えません。
 霧が流れてくれることを祈り、しばし たたずんでいましたが、動きは鈍く、全容は姿を現してくれませんでした。


 上から眺めても、この通り。「東洋のマチュピチュ」のすべてを見たければ、また来いという意味でしょうか…。
 ただ今こうして写真で見ていると、晴れの日では決してみれない、幻想的な風景ではありました。


 霧が深かったのは山の中だけだったようで、下界に下れば夏空が戻っていました。むしろ暑いくらいで、山の空気が少し恋しくもなります。
 ランチは、住宅街の中にあるcafe「Zecca」へ。なかなか挑戦的な外観ですが…


 内装も、ポップを越えてテクノと表現したい空間で、PVの世界に迷い込んだよう。こんなカフェが普通の住宅地にあるというのも、なかなか興味深いところです。
 客層も若い人ばかりではなく、40代とおぼしきご夫婦もいらっしゃいました。


 ローストビーフ丼と、グリーンカレーでくつろぎました。
 グリーンカレーは独特のクセがなく、苦手な人でもおいしく食べられそうな味です。


 新居浜、最後の目的地はイオン新居浜…ではなく、その周辺の鉱山関連施設群。大正14年に東平から移転した選鉱場や、社宅が立地したエリアで、星越・惣開ゾーンと呼ばれます。
 イオンも、前田社宅の跡地。日曜午後のイオンは駐車場がいっぱいになるほどの賑わいで、この点は地方都市の典型的な姿ではありました。


 イオンの向かい側には、住友倶楽部が。現在は住友の研修施設ですが、かつては迎賓館的な使われ方をしていたとのことです。
 手入れの行き届いた広大な施設を見ていると、ここが「ありふれた典型的な地方都市」ではないことが分かります。


 惣開小学校から裏手に回ったところにあるのが、旧星越駅。近年、手を加えられたようで、古びた感じはありません。屋根裏の換気口が、さりげなく住友マークにデザインされています。
 調べて行ったから駅と分かったのですが、駅だったことを示す看板や説明板はありません。保存していく意思は感じられましたが、活用はこれからなのでしょう。


 駅の背後では、今も住友の関連施設が動いています。駅の前後には線路も残っていて、切り通しの先はトンネルでした。
 数年前までは、選鉱場の跡も残っていたとか。駅跡前も空き地が広がっており、全盛期には「街」が広がっていたのだろうと思い巡らせます。いま「駅前」にその名残を留めているのは、1軒の商店くらいです。


 駅跡から少し離れますが、かつての「街」の面影を留めるのが、住友の山田社宅。社宅とはいえ庭付きの戸建て住宅で、幹部社員向けだったとのこと。
 整然と区画された街区に垣根が連なる様には、武家屋敷群のような風格さえ漂います。


 ほとんどの家には電気が通じており、社宅としては「現役」のようですが、住まい手のある家はわずかです。
 産業遺産として、2軒が新居浜市へ譲渡されたそうですが、その他の家は今後姿を消していくのでしょう。


 選鉱場の跡を背景に、木造平屋建ての住宅がずらりと並びます。
 個々の家ではなく「社宅群」としての集まりこそ、全盛期の栄華を伝えてくれますが、すべてを残すというのは難しい話。今のうちに目に留めておきたい産業遺産です。


 さらに西側にあるのが、星野西洋住宅。外国人技術者を雇い入れるため建てられた、洋風の住宅です。「瀟洒」という言葉がピッタリの、いいたたずまいでした。
 カフェなんかになれば、いい雰囲気になりそうだけどなぁ~! ユニークなカフェも成立する新居浜という土地だけに、なおさらそう思います。

 時間は16時前。ぼちぼち新居浜を離れる時間になってきました。

▼【4】に続く

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 新居浜市内に入って、まず訪れたのは広瀬歴史資料館。新居浜の銅山開発と近代化に生涯を尽くした、広瀬宰平の功績をたどる資料館です。
 銅山そのものの経営史のみならず、様々なエピソードから、経営者としての宰平の人柄も紹介されています。郷土について学ぼうとする地域の子どもたちにとっても、このような場は大切ですよね。もちろんその地域について知りたい、旅行者にとっても。


 亀池に大きくせり出した外観も印象的ですが、内部に入ればRC造の壁・天井が一体になっていて、「どんな構造になってるんだろ?」と別の視点での興味も。
 日建設計と石本建築事務所による設計とのことです。


 隣接する旧広瀬邸は、明治10年築。国の重文に指定されている邸宅です。


 新座敷から眺めた庭園。冷夏から一転、9月の残暑が厳しい中で、おばさん達が汗を流しながら手入れをされていました。


 新座敷の障子には雪見窓があり、座敷に座ったまま庭園を楽しめる意匠も。


 明治10年といえば「鹿鳴館」の建設前。まだまだ西洋の影響が地方へ浸透していた時代ではなかったはずですが、日本の先端産業を支えた人物の家だけあって、日本家屋ながら当時の先端的な技術やデザインが見られます。
 たとえば茶の間。窓のない部屋なのに明るく、目を上げてみれば、天窓が設けられていました。ガラスがなければ、できない意匠です。


 古い家だけに階段は急ですが、手すりには曲線が使われ、優美な印象を与えています。


 母屋の2階からは、眼下に新居浜の市街地が広がっていました。欄干も西洋的な意匠ですが、ガラスがはめられ、上に障子戸が載っているのは実用性があり、ユニークでもあります。
 避雷針が取り付けられていたり、便所は洋式になっていたりと、当時としては最先端の住宅建築。近代建築ファンとして、見れば見るほど発見のある住宅でした。


 ちょっと早めのお昼ごはんは、喫茶「ランバン」へ。創業は1977年で、向かい側の松原市営団地のオープンと同じ頃なのでしょう。
 高度経済成長期の面影を感じる市営住宅と商店街ですが、喫茶店の内装は新しくなっていました。


 名物のホットサンドをパクリ。できたて、あつあつのサンドにはじゃがいもも入っていて、見た目よりボリュームがあります。


 復刻版というナポリタンは、懐かしい味。パスタではなく、スパゲティと呼びたいと言えば、伝わるでしょうか(笑)。鉄板に載っていて、アツアツを味わえます。同じ鉄板で出てくる、焼きそばもおいしそうです。
 お話好きの店主と太鼓祭りのことや、最近のスマホの機種変事情について(!?)盛り上がっていたら、いつの間にか1時間半が過ぎていました。


 いつの間にか天気はぐずついていて、降りしきる豪雨の中を「マイントピア別子」の端出場ゾーンへ向かいました。1973年に閉山になった、別子銅山の最後の採鉱本部があった場所で、現在は銅山について学べるテーマパークになっています。
 道の駅にも指定されているので、お土産品も充実していました。新居浜太鼓祭りのキャラ「たいこくんおーるすたー」のグッズも豊富。クリアファイルにかかれた、「ファイルごとなくすんだろ?」という台詞に大うけして、1つ買い求めました。


 鉱山観光へは、この鉱山鉄道に乗って行きます。往復乗車券込みで入場券は1,200円ですが、ホームページでクーポンを印刷しておけば100円引きになるので、お忘れなく。
 車内放送のテープは、ご当地出身の水樹奈々が勤めます。


 わずか333m、ものの数分で着いてしまう短い路線ですが、トンネルあり鉄橋ありで変化に富んだ車窓を楽しめます。
 特に鉄橋は渓谷にかかる高いもので、登録有形文化財にもなっている歴史遺産。なかなかスリリングでした。


 観光坑道駅には、実際に坑内を走っていた車両が。今のってきた車両は、あくまで観光用なんだと思えるほど、「快適さ」とはほど遠い車両に見えました。


 渓谷をまたぐ橋を渡って、いざ「観光坑道」へ。かつての火薬庫だった坑道の一部を、観光用に開放しています。
 総延長700kmに達した坑道全体に比べれば、見学エリアはごく一部の範囲だけど、ホンモノの坑道に入れるのは貴重な体験です。


 中に入れば、ひんやり。大雨が降り続き、決して暑い日ではなかったのですが、それでも温度差はかなりのものでした。温度計を見てみれば、19度。肌寒いわけです。
 坑道内には、江戸時代から近年まで続いた銅山の歴史が、分かりやすく解説してあります。


 模型や「体験」も交えて、時代ごとの暮らし方や技術の進歩も見えてきました。


 雨降る渓谷にたたずむ、旧端出場水力発電所。


 せっかくなので、「いよかんソフト」をペロリ。
 かの加藤茶も「いよかんの味がしてウマイ」と絶賛したとかで、もうちょっとマシなコメントはないものかと思っていましたが、実際食べてみれば最も言いえた感想だと思いました。


 時間は5時前、ぼちぼち今宵の宿に向かいます。なんせ市街地からの時間距離は、1時間10分。大雨も降り続いているので、ゆとりを持って出発です。
 ところどころで立派な橋やトンネルが現れるものの、離合もやっとという隘路も多く、新居浜市内とはいえテクニックを要するドライブコースです。


 標高も上がり、雲は頭上と眼下にあります。雷がごろごろ鳴り、不穏な天気が続きます。


 夕方6時前、森林公園ゆらぎの森の中にある「オーベルジュゆらぎ」に到着。レストランに併設された宿泊施設は、わずか8室というプチホテルです。
 中に入ると、なんだか薄暗い…なんと雷の影響を受け、停電しているのだとか。


 部屋の照明も、非常用。バッテリーはあと1時間しか持たないということで、ロウソクが準備されました。停電くらいすぐ復旧するだろうと思っていましたが、このあたりの電力は四国電力ではなく住友グループによる供給で、四電並みの対応は難しいそうです。
 とはいえ山あいの空気は涼しく、ロウソクだけで過ごす夜というのも日頃はできないこと。停電の夜というのも、いい経験かなという気持ちでした。


 電気が来なければお風呂も冷めてしまうということで、早めの入浴を促されました。温泉ではありませんが、山間の水を浸かった柔らかいお湯です。
 周囲が暗くなるにつれて、浴室の暗さも、ボトルの文字が読めないほどに。なくして気付く電気のありがたみを感じていた時、循環風呂のスイッチが入り、坪庭の照明が灯りました。電気、復旧!


 無事にレストランも明るくなりました。停電でもいいやとは思っていましたが、やはりおいしい料理は目でも愛でたいものです。
 オーベルジュゆらぎのディナーコースは、5千円から。某民放で愛媛No.1料理人の称号を勝ち取ったシェフが、腕を振るいます。


 フレンチのコースなんて、披露宴くらいでしか食べたことがありませんでしたが、新郎新婦の挨拶や余興のない中でのコース料理もおいしいものです(笑)。いつもはあまり飲まないワインなど頼んでみたりして、贅沢な時間が過ぎていきます。
 前菜のテリーヌは、しっかりホタテの味が染み出してきて、うまかった!


 メインディッシュは宮崎牛。じわっと広がる肉汁とバターの香りに、ノックアウトです。食後に翌日の行程を打ち合わせたのですが、ランチの場所を考える気力すら失うほどのうまさでした。
 山を越え谷を越えやって来た、静かな山里とは思えない、贅沢な時間が過ぎて行きました。

▼【3】に続く

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 ここ1年で、離島の旅によく出かけるようになった私。九州の離島はのどかなだけではなく、石炭や漁業などの産業で栄えた島も多く、それらを通じて最近は産業遺産にも関心が沸いてきました。
 単なる「廃墟」としての悲哀だけなく、文明開化や高度成長をけん引してきた自負・情熱の「残り香」に触れられる産業遺産。9月第1週の週末の旅は、銅山で活況を呈した街・愛媛県新居浜市のむかしと今を歩いてきました。


 九州から四国へは、海路が便利。航路も多く、目的地や予算に応じて賢く使い分けたいものです。今回は小倉~松山間の夜行便を利用するため、退勤後に夕方の高速バスで小倉を目指しました。
 久留米~小倉間の高速バスは、昨春まで90分に1本走っていたのですが、今や1日2本が残るのみ。しかし利用者がいるからこそ残っているわけで、遠距離通勤のサラリーマンや附設校の中学生が主な利用者でした。数は1桁ではありましたが…


 都市高速に入ってからは北九州の夜景を楽しみつつ、約2時間の午後8時半に小倉着。小倉駅の新幹線口で、腹ごしらえです。
 以前は「小倉食堂」なるフードコート形式のコーナーになってて、100系新幹線「グランドひかり」食堂車の座席が置いてあったのですが、いつの間にか普通の食堂街に。「おさかな家族 雑魚屋」の茶漬けを夕ご飯にしました。さらっと食べられて、うまい!


 小倉港の松山行き乗り場は、駅から徒歩10分以内というアクセスの良さが売り。フェリーはやとも2は、怪しげな光に輝く煙突を背景に待っていました。
 松山・小倉航路は「さんふらわあ」でお馴染み関西汽船の経営でしたが、業績不振から廃止となり、現在は石崎汽船の系列になっています。同時にかなり値上がりしましたが、存続してくれているだけでも よしとせねば。


 1週間の仕事で疲れていることを想定して、今回は2等寝台を予約(写真は翌朝撮影)。JRのB寝台に比べて天地は狭いですが、片道8,110円という運賃はまだまだ割安です。帰路に往路の乗船券を提示すれば、5,680円になります。
 小ぶりながら浴室もあるし、スナックコーナーでは生ビールや、関汽時代からの名物おでんも売っています。短距離ながら、船旅らしさは楽しめる航路です。


 関門海峡を「横切る」唯一の航路である、松山・小倉フェリー。出航してからは、小倉の工業地帯から、門司港レトロ、港街下関の夜景が展開していきます。デッキは、夜景を眺める人で賑わってきました。
 関門橋をくぐれば、瀬戸内の海へ。海の上を渡る秋風を浴びながらのビールは、最高! 船旅の醍醐味です。


 早朝5時、松山観光港着。関西汽船の頃は即、下船せねばなりませんでしたが、今は7時まで船内休憩できるようになりました。6時半までしっかり寝て、ゆっくり身支度を整えてから出発できます。まさに宿替わりの航路です。
 いよてつの連絡バスで、高浜駅へ抜けます。短い区間ですが、電車に合わせてきちんと接続バスを走らせているのは立派です。


 伊予鉄道高浜線の終点、高浜駅には、古い木造駅舎が健在。約20年前に初めていよてつに乗った時、古い駅舎を大切にしていることに驚いたものですが、さらに時代が下っても変わらない姿勢を貫いています。
 逆に、以前は置かれていた「今ふう」の自動券売機が姿を消し、食券の販売機のようなタイプに変わっていました。


 元京王本線の電車に揺られ、朝の松山市へ。「東京ラブストーリー」のロケ地として、あまりに有名な梅津寺駅を通過します。
 土曜日の朝とはいえ学生の姿も多く、松山市内に入る頃には満員状態に。高架化されている区間もあり、地方私鉄とはいえども「ローカル線」とは呼べない路線です。


 松山市駅着。改札口にずらりと並んでいた自動改札機は姿を消し、ICカードの簡易型リーダーがメインの位置に変わっていました。
 ICカードの普及できっぷの取り扱いが減ったことから、思い切った整理を図ったようです。


 今回の移動は、初めて「格安レンタカー」を利用してみました。イツモレンタカー・松山インター店は、松山市駅やJR松山駅までの送迎もやってもらえます。36時間の利用で、保険込み8,208円でした。
 あてがわれたデミオは10万キロ以上走っており、細かな傷はたくさん付いていましたが、移動という目的にはノープロブレム。インターもすぐそばなので、すぐに行動に移せます。


 同行者ともどもETCカードを忘れてしまったので、ひさびさに通行券を受取り松山道へ。2車線の道が続く、快適ドライブコースです。
 山を貫く高速道のルートは、海岸線をトレースするJRよりも短く、快適さはJR四国の苦境の背景と表裏にあります。


 石鎚山SAで休憩。フェリーに乗って石鎚山登山というのもいいなあ。


 SAでお土産品の「ばら売り」をやているのは嬉しく、母恵夢を一つ手に取りました。「みかん感」がぎっしり詰まっていたちゅうちゅうゼリーと合わせて、軽い朝ごはんです。
 お腹で愛媛を感じたところで出発。いよ西条ICで降り、国道11号線を東に走れば、目的地・新居浜です。

▼【2】に続く

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 昨夜の興奮も冷めやらぬまま、ソウル・恵化の韓屋ゲストハウス「ユジンハウス」で迎えた、8月最後の日の朝。
 静かな住宅街を抜ける風は、熱気を冷ましてくれるようでした。


 ゲストハウスながら、朝ごはんが付いており、玄関前のテラスで食べられます。
 遅い日曜日の朝が始まった住宅街の真ん中での朝ごはんも、なかなか乙なものです。平日だと、周囲はもっと慌ただしいんだろうな。


 朝ごはんは、トーストと韓国風雑煮の「トックッ」という洋韓折衷メニュー。お茶は韓国茶でした。
 宿のおばさんと話していたら、これから景福宮方面に向かうのであれば、ソウル城壁を散策しながら行くのがオススメとのこと。ソウルには何度も来ていますが、山城の跡は訪ねたことがなく、オススメにそのまま従うことにしました。


 宿から坂道を登り、科学技術高校の裏手から城壁が始まります。世界遺産の水原や南漢山城と違い、多くは復元のようです。
 ただ、もともとの城壁が破壊された経緯をたどれば、ソウルの苦難の歴史を知ることにもなります。


 並木が並び、ベンチや公園も整備された城壁周辺は、散歩コースにもぴったり。ご近所の親子連れやご老人が、日曜の朝を楽しんでいました。
 山城だけにアップダウンは激しく、健脚づくりにも効果的かも。


 山手側を見れば、あまり韓国では見かけない斜面の戸建て住宅街が。ソウルでも、高級住宅街に位置づけられるエリアなのだそうです。


 山上の公園に出れば、ソウルの都心から郊外までを一望できました。いい散策コースです。
 とはいえ昼には仁川空港に向けて出発せねばならず、時間の余裕はあまりありません。道を下っていると、渡りに船とばかりに路線バスが現れ、ラクラク下山できました。


 バスのおかげで時間に余裕ができたので、仁寺洞北側の「北村韓屋マウル」で降りました。僕が留学中だった2002年頃から活性化事業が始まった北村ですが、今ではすっかり観光地です。
 韓屋を利用した『人気店』も誕生していて、ずらり並ぶ行列も。カフェや洋食屋など、お洒落な店も増えています。今の程度ならまだまだいい雰囲気というレベルですが、今後「観光地ズレ」していかないか心配でもあります。


 韓屋のゲストハウスも、ぐっと増えた感じ。今度はこの界隈に泊まるのもいいかも。


 お昼ごはんは、景福宮近くの「土俗村参鶏湯」へ。僕は知らなかったけど、結構な有名店なのだとか。


 普通の参鶏湯もありましたが、せっかくなので烏骨鶏の参鶏湯(22,000ウォン)を食べてみました。黒くて一瞬たじろいでしまいますが、スープはもはや「こってり」と表現できそうなほど濃厚でした。


 景福宮からソウル駅までは、地下鉄だと遠回りで乗り換えもあるので、タクシーでワープ。警察官の姿がやたら目に付くので何かと聞いてみれば、セウォル号特別法制定に向けたデモへの対策だとか。歴史に残る大事故で負った傷は、癒えぬままの韓国です。
 ソウル駅から空港までは、空港鉄道ご自慢の「直通列車」で空港までノンストップ。ソウル駅からは、わずか43分で空港です。やっぱり1泊2日じゃ短かかったな、もっと韓国にいたかったなとブツブツ言っていたところ…


 T-wayのカウンターに行ってみれば、何と佐賀便が欠航とのこと!LCCじゃ払い戻しまでの対応だよね、どうやって帰ろう、大損害だ…と絶望していたところ、なんとアシアナか大韓航空の福岡便に振り替えてくれるとか。
 佐賀便にしたのはT-wayの午後便が佐賀行きしかないからで、滞在時間が延びる上に追加負担もないのだから異議なし。同行者は福岡人なので、むしろ好都合です。


 時間が2時間ほどできたので、2駅隣の雲西へ。空港関係者が多く住まう街で、駅前のロッテマートでは「現地価格」でお土産を買うことができるので、時間がある時にはおすすめです。
 夕方とあって人は少なかったですが、街中にはオープンエア席のある飲み屋が並び、サウナやカラオケボックスもあって、仁川空港のトランジットの間に遊ぶにはうってつけの街です。


 飛行機は5時半発なので、出国手続き完了後のエリアのフードコートでちょっと(かなり?)早い晩御飯を。
 便の振替えで生まれた時間を、存分に生かしました。


 アシアナ機で福岡へ舞い戻ります。T-wayで来た身にとって、アシアナ機は席が広い!シートテレビがある!音楽サービスもある!と、ささいな点にいちいち感動。T-wayの激安運賃で乗っているのだから、お得感があります。


 T-wayにはない「機内食」も、振替え客だからと差別(?)せずに、ちゃんと出してくれました。ビールも「お願い」したところ持ってきてくれて、旅の最後の1杯を乾杯。
 悪乗りが過ぎるかなと思ったけど、やはり大手航空会社の「贅沢感」も捨てがたいなと思いました。


 玄海灘上空は雲の中だったけど、福岡が近づく頃には夕陽が機内に差し込んできました。
 夜7時過ぎ、無事に福岡空港着。滞在時間が伸びたこともあって、思いの他「旅らしい旅」になった弾丸旅行でした。

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 20代前半にはいろんなアーティストの曲を聞いていたのに、後半に入ると知らない人の曲になかなか興味を持てなくなり、30代になれば好きなアーティストの新曲すら追うのが苦しくなっていました。
 そんな鈍った感性にでも なお飛び込んできたのが、韓国の「憂鬱症のためのニューテラピー2人組バンド」Peppertonesでした。歴代のアルバムを聞きこみ、聞き惚れ、いつしか「ファン」を自認するほどに。

 そしてこの夏、8月14日にニューアルバム「HIGH-FIVE」をリリース。合わせて、全国クラブツアーが行われることになりました。
 ソロの公演をあまり行わない彼らだけに、貴重な機会。韓国まで飛んで、聞きに行きたい! ソウル公演は8月30日。多忙な時期で、土日に休むのが精いっぱいでしたが、1泊2日の弾丸ツアーを強行しました。


 時間のない中でのソウル行きだけに、飛行機を使わざるを得ません。
 夏休みシーズン終盤の福岡空港国際線ターミナルは、外国からの旅行客で混雑していました。


 もう3度目の利用になる、韓国のLCC・t-way航空の飛行機に乗り込みます。
 いつもは運賃が安く、駐車場も無料の佐賀空港を利用するのですが、土曜日に佐賀便はないため福岡経由にしました。


 お馴染みの野菜チップスをボリボリ食べながら、玄界灘をひとっ飛び。1時間で、仁川空港に到着です。
 入国審査場も混みあっていましたが、こういう時は「韓国人」専用窓口の隣の列に並ぶのがコツ。韓国人が早くはけた際には、順番を回してくれることがあるのです。数分は変わってきます。


 無事に韓国入国。銀行で両替してみれば、レートは100円=900ウォンにまで下がっていて、ちょっとショックでした。
 空港鉄道の駅に行くと、空港周辺を走る都市型リニアの駅も姿を現していました。もっとも、とっくに開通しているはずの時期なのに、延び延びになっているのが実態。次回の訪韓時にこそ乗れるものと、期待しています。


 空港鉄道の空港駅には、新型KTXの姿が! 3月に空港鉄道に乗り入れを始めたKTXですが、その姿を空港駅で見たのは初めてです。
 もっとも乗り入れは1日わずか9往復に過ぎず、便利とは言い難いのが実態です。増便が待たれます。


 一般列車に乗って1時間弱、弘大入口で下車。学生街なだけではなく、路上ライブやパフォーマンスも盛んなアートな街として知られます。
 道行く人も若い世代が多く、並木道もきれいで、歩いているだけで楽しい界隈です。


 お昼ごはんは軽くしか食べておらず、スタンディングライブへの参戦には体力も必要! というわけで、昼から焼肉にしてみました。
 焼き肉店とはいえ、さすがは弘大。店の作りはオシャレで、テラス席はオープンカフェのようです。午後4時前という中途半端な時間にも関わらず、若い人ばかりで、いい入りでした。


 「牛1頭」なる、いろんな部位の肉を混ぜたセットでお腹いっぱいに。ステーキ肉もおいしかったけど、たまねぎダレにつけて食べる薄い肉が思いのほか いけました。
 値段も、豪州産とはいえ1人あたり千円と、なかなかお値打ち。


 いよいよライブ会場の「Yes24ムーブホール」へ。ネットで予約した引換券には「5時からチケット引き換え開始、6時開演」と書いてありましたが、会場前には「チケット配布4時、入場開始4:50」とありました。出遅れた!
 行列整理のお兄さんに聞いてみれば、外国人ということで引換所まで同行してくれました。スタッフにも「外国の方です~!」と引き継いでもらえ、外国人の対応には慣れた雰囲気。日本から訪れても、安心して楽しめそうです。


 韓国のライブは、留学時代を通じても初めてのこと。荷物検査はなく、カメラやスマホの持ち込みも規制はされていないようです。大きな荷物は駅に預けて来ましたが、会場内にはロッカーがあるので旅行者も安心。
 ワンドリンクオーダーは必要なのかな?と思っていましたが、カウンターでは炭酸水を無料提供! 飲料メーカーとのタイアップですが、太っ腹です。残念ながらツアーグッズはありませんでしたが、歴代アルバムのサインCDはあり、11,000ウォンと市価より安かったです。


 ホールをぎっしり埋めた人、人、人…韓国でも冷夏で、もうすっかり秋と言われていますが、かなりの熱気でした。500mlの炭酸水に助けられたのは、言うまでもありません。
 男性バンドなので女性ファンばかりかなと思っていましたが、男女比は4:6といったところ。僕より上の世代の方もチラホラ見え、幅広い支持を受けていることが分かりました。


 午後6時、開演! ニューアルバムのリードトラック「SOLAR SYSTEM SUPER STARS」から、「グッドモーニング・サンドイッチマン」、さらに歴代アルバムのリードトラックも交え、前半はほとんどMCもなしで駆け抜けました。
 ビデオやスマホの撮影制限はないに等しい状態で、あちこちからカメラが向けられているのは、なんだか新鮮な眺め。Youtubeにも当日の映像が多くアップされています。


 POWERAMP!! かっこよかった~!


 「キャンパス・カップル」を共に歌う、オクサンタルピもゲストで登場!4人のハーモニー、生歌で聞くと一層心地よかったです。

 折しも8月30日はイ・ジャンウォンの誕生日ということで、アンコールではファンからのサプライズでバースデーケーキが登場。「ヨン様みたいな経験ができて、公演日を誕生日にした甲斐がありました」と笑わせてくれました。
 僕が彼らを知るきっかけとなった「New hippie Generetion」や、ちゃんと歌詞の一部が『2014年8月30日』になっていた「21世紀のある日」も聞けて、感動。

 韓国のライブの特徴?に、観客がかなりの部分を「合唱」してしまうことがあります。最初は「オレは本人たちの歌を聞きにきたのに!」と思っていましたが、いつの間にか合唱に加わっていました(笑)。
 熱気と絶叫に圧倒されつつも、その波に飲まれ心拍数の上がった2時間はあっと言う間に過ぎ、8時にはフィナーレ。はるばる参戦してよかった、また必ず来ると誓った、夏の終わりの2時間でした。


 とはいえ、30代半ばのおっちゃんには体力的に辛かった、2時間のスタンディング。弘大の通りを見降ろす飲み屋で、パジョンを肴に冷たい生で疲れを癒しつつ、余韻に浸りました。


 今日の泊りは、恵化の韓屋ゲストハウス。地下鉄とマウルバスを乗り継ぎ、宿にたどり着いたのは10時半過ぎでした。遅くなるとは言っていたものの、住宅街とあっては深夜の装いで、そっとチェックイン。
 すっかり秋の風が吹くソウルでは、エアコンよりも網戸の方が涼しい感じ。韓屋独特の中庭形式に感謝しつつ、秋の虫の音色を聞きながら、楽しい夜を振り返ったのでした。

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