Chang! Blog
福岡のハングル検定準2級建築士、そして一児の父の[ちゃん]のブログです




 ホリデーアクトパス購入5ヶ月目。ガツガツする必要ももはやなく、久留米近郊の秋を楽しみました。


【1番】郊外スーパーの行きかた

 日用品の買い出しは基本、自転車で行ける葉範囲内で済ませており、車持ちの時のように、安い店を求めて郊外に出る機会はありません。多少安くなっても、交通費の方がかかってしまう。
 しかしパスがあれば、安いスーパーを求めて郊外に出ることも、合理的な行動になります。テレビで「サニーの安さの秘密」を見てたら久々にサニーで買い物をしたくなり、1番・信愛女学院行に乗りました。


 久留米市内のサニーは以前、諏訪野や北野にもあったのですが、相次いで撤退。現在久留米市内には、善導寺、大善寺、御井に3店舗が残っています。
 市内中心部から近いのは、御井町(店名は「みいまち店」)の店 。1番ほか、久留米営業所方面の信愛女学院行きが便利です。GoogleMAPでは1つ手前の矢取をナビされますが、信愛まで行った方が近いです。


 滅多に来ないサニーなので、PBの「お墨付きシリーズ」をごっそり買い込めば、両手いっぱいの荷物に。バス車内での置き場に困り、帰りのバス停からの歩きもなかなかつらかったです。
 バスの手すりに引っ掛けられるよう、今度からはS字フック持って行こうっと。利用バス代は373円相当。


【41番&20番】久留米から原鶴温泉への道

 原鶴温泉で9月17日に予定されていた、九州北部豪雨復興祈願イベント「あさくら絆フェスティバル」は、残念ながら台風で中止の憂き目にあいました。
 しかし関係者の努力で10月29日(日)に行われることになり、微力ながらお手伝いに入ることになりました。


 前日の準備のため、原鶴温泉へ。久留米からだと、西鉄電車とバスを乗り継いで行くことになります。甘木ルートも朝倉街道ルートも、所要時間はほぼ互角。バス代は朝倉街道ルートの方が430円高くなりますが、ホリデーアクトパスを持っていれば無関係です。
 折しもまた台風が近づいており、雨風の強い悪天候。甘木駅から甘木バスセンターまで徒歩10分以上かかる間に濡れたくなかったので、乗り継ぎ距離の短い朝倉街道ルートで行くことにしました。


 西鉄電車で朝倉街道駅へ。バスセンターは駅前で、交通結節点として機能しています。こんな天気の日には、しっかり屋根の付いたバスセンターは心底ありがたいもんです。


 原鶴温泉への玄関口でもあり、絆フェスタの告知がしっかり貼られていました。

 二日市~甘木間の通称「甘木幹線」は、その名の通りバス路線としては太いパイプ。利用者も多く、沿線のバス停は屋根付きなのはもちろん、駐輪場が併設されたものも多くて、チャリ&バスライドが定着しています。
 甘木~原鶴温泉~杷木間は1時間に1本程度ですが、甘木から高校生が大挙乗り込んできて、一番の混雑になりました。北部豪雨後は長らく不通になった区間も、大動脈の一部です。


 40番と41番の2系統がある杷木行きのうち、41番のみが川を渡り、原鶴温泉へと迂回します。
 なのでバスごと温泉街まで入るものとばかり思っていましたが、実際降ろされたのは土手の上。風雨の洗礼を受け、さっそくびしょ濡れです。


 組合事務所で灯篭づくりをしたり、会場のはらづる温泉ハーブ園で雨の中、ステージを組み上げたり。災害ボランティアとはまた違うスキルが身に着きました。


 帰路は出演者兼ボランティアのDJさんに、吉井営業所へ送ってもらいました。土曜の市内方面は、バスも混雑、道も混雑で、西鉄久留米に着く頃には30分遅れ。しかし乗り換えなしで自宅に帰ることができて、助かりました。
 翌日の祭り本番は、友人の車で現地へ。いろいろと臨機応変な対応が必要になりましたが、事故もなく無事に盛況に終わってナニヨリでした。


その他のバス暮らし


 10月1日の西鉄バス筑後地区ダイヤ改定で、25番草野線の一部が週末、紅乙女酒造や樹蘭マルシェに乗り入れるようになりました。
 さっそく初日に観光に出かけた記録は、フォートラベル旅行記にて公開中です。バス代は、1,412円相当。


 製薬や物流拠点という印象が強い鳥栖ですが、山奥に雰囲気のいい家族湯温泉があるとのウワサが。しかも路線バスで行けるというので、真相を確かめに行きました。詳しくはフォートラベル旅行記にて。
 バス代は785円相当。

 その他の市内の移動にもバスを活用し、今月の利用実績は合計5,294円。1ヶ月分の2,000円に対し、2.6倍にもなりました。ホリデーアクトパスは、自由自在な移動の強い味方です!

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 1989年から、西鉄天神大牟田線の特急として活躍してきた8000形電車が、今年10月15日をもって引退しました。かつてCMで「しっかり手入れすれば、電車は40年走ります」と宣言していた西鉄電車としては、あまりに若すぎる引退でした。


 8000形電車はデビューから28年。天神大牟田線の6両固定編成の特急専用車両は、1973年デビューの2000形から、44年もの歴史がありました。さらに優等列車向け2扉クロスシート電車の歴史も、1957年製造の1000形を起点に60年で消滅したことになります。
 8000形の廃止の背景には、西鉄天神大牟田線の輸送形態の、大きな変化がありました。10月14日の定期列車としての最終運行に乗り、10月15日の「さよなら8000形ラストランツアー」を見送りつつ、その背景に思いを巡らせました。


【10月14日】8000形電車、最後の定期運行


 特急用車両としてデビューした8000形。天神大牟田線の特急としての運用は、7月22日に一旦終了していました。
 特急運用に入る8000形として最後の存在だった柳川観光列車「水都」が、後継の3000形にバトンタッチした時点で、特急運用は消滅していたのです。


 その後、二日市~太宰府の普通電車をメインに走っていた観光列車「旅人」も、9月16日に3000形へ交代。このままイベントもなく、引退するのかと思っていました。
 しかし9月28日のプレスリリースで、10月8日~14日の間、原色に復元の上で「さよなら運行」を行うことを発表。もう二度と乗れないと思っていた「赤い電車」が、天神大牟田線に帰って来ることになりました。


 残念ながら3連休中の8日~9日は、登山のため福岡に不在。その後の平日も休みが取れず、一般運行の最終日となった14日(土)にようやく乗りに行けました。
 この日は特急には入らず、早朝に筑紫~福岡間を普通として上り、福岡~筑紫を急行として帰って来る1往復限定の運用でした。


 朝7時半にも関わらず、多くのギャラリーが集まっていました。


 ずらりとクロスシートが並ぶ落ち着いた車内は、2扉車ならでは。厚手の赤いシートはデラックスな雰囲気で、バブル世代らしさも感じられた車両です。小遣いの少ない少年時代、料金のかかるJRの特急は高嶺の花で、8000形は「乗りに行ける特急」でした。
 車内の中づり広告は、すべて「ありがとう」「さようなら」の惜別ポスターに変わっています。


 先頭の展望席は、まさに垂涎の的。西鉄福岡駅で並んでいても、滅多に座れるものではありませんでした。
 前面展望はもちろん素晴らしかったけど、3列分に渡る側窓も特大サイズで、沿線の風景をワイドに楽しめました。


 観光列車「旅人」として車内外に施されていたラッピングは、きれいに剥がされていました。決して少なくない手間だったろうと思います。
 「旅人」の面影があったのは、展望席の座席モケットと、観光PRコーナーだった一角のみ。スタンプは、引退記念の特別バージョンに変わっていました。


 扉から車端部は、つり革のぶら下がるロングシート。ラッシュ時、特急はロングシート車で運用されていますが、車両総数の都合でクロスシート車も普通電車の運用に入らざるをえず、混雑時への対応策でした。
 しかし普通の運用時は、なかなか通路に人が入ってくれず、扉付近にぎっしりということもしばしば。福岡近郊の通勤客にとっては、違う評価をされていた電車かもしれません。


 二日市では、急行退避のため5分停車。撮影には最適な時間になりました。
 鉄っちゃん風の大人だけではなく、親子連れやサラリーマン、通学途中の高校生もカメラを向けていたのが印象に残ります。銀色で新しい3000形の方が、子どもは好きなのかなとも思っていましたが。


 3列分の大窓。


 改めて車体を見てみれば、ピカピカに磨きこまれていて、引退を控えた電車とは思えません。磨きこんでくれたことに感謝しつつも、もったいないとの思いも巡ります。
 乗客減の続く天神大牟田線の南部に対し、福岡市の人口増を背景に、微減程度で推移している福岡市近郊。年々、短距離客重視のダイヤへ以降する中で、2扉・クロスシート・6両固定編成の花形車両は、使いにくい存在になってしまいました。


 二日市を出れば、あとは急行退避もなく福岡へと上ります。土曜日の通勤客も、駅ごとに次々乗車。特に珍しそうな表情をしている人はいませんでした。
 ただホームには、スマホやガラケーを向ける「普通の乗客」も。8000形の引退はニュースでも報じられており、一般利用客にも知られるところになっていました。


 次々に乗客を飲み込み、福岡駅着。折り返しの急行までわずか4分、あわただしく折り返しの作業が進みます。


 いよいよ定期運行の最終列車となる、筑紫行き急行。展望席は争奪戦となり、親子連れや若い鉄道ファンが席を埋めました。
 ホームの撮影隊に見送られながら、最後の旅が始まります。




 各駅のホームや沿線の撮影地には、カメラを携えた人が、駅によっては十数人の単位で待ち構えていました。
 沿線にとっては、日常生活に溶け込んでいた電車。それぞれが、それぞれの思い入れがある地で、最後の姿を追います。


 側窓いっぱいに、5000形電車の姿が映りました。5000形は昭和50年代生まれで、8000形よりもずっと古い電車ですが、今後も活躍が続きます。
 ほとんど特急として運用に入っていた8000形電車は、それだけに過酷な運用でもあり、古い5000形よりも多く走りこんでいたのだとか。過去の特急車と違い、改造で普通格下げにならなかった分、引退が早まったとも言えそうです。


 高架化工事の進む春日原に停車。8000形がこの高架橋の上を走ることは、かないませんでした。
 もっとも8000形が登場した頃は、西鉄福岡駅はドーム型天井の旧駅舎。花畑駅付近はおろか、薬院駅も地上にあったことを思えば、隔世の感もあります。


 二日市を出発すれば、以南は各駅停車。最終運用も、ラストスパートです。


 筑紫駅に到着。大撮影会となりました。




 車庫に引き上げていく8000形の横を、後任の優等車両である3000形がすれ違っていきます。まるでバトンタッチのような光景でした。
 3000形は3つ扉でラッシュ時の対応もしやすく、2両と3両の組み合わせで編成も自由自在なオールラウンドプレーヤー。短距離と長距離の両立を図らねばならなくなった、今の天神大牟田線に求められている電車です。


 筑紫車庫に入庫した8000形を車内から見て、定期運用最終日の追跡は終了。
 久留米以南の沿線にもっと元気があれば、同じようなコンセプトの「後継」特急専用車も生まれたのではないかと思うと、久留米人として悔しくも感じられるのでした。


【10月15日】団体運用でラストラン

 西鉄8000形電車の本当の最終運用は、西鉄福岡~花畑~筑紫間の「さよなら8000 形ラストランツアー」。西鉄旅行で企画されたツアーの、団体運用です。
 身近な存在だった8000形に、5000~6000円もかけて乗るのも何か違う気がしたので、見慣れた久留米の地で最後の走りを見届けることにしました。


 最終日は、涙雨。花畑方面への下りは、自宅の賃貸マンションのベランダから見送りました。昨年引っ越してきた頃には8000形の運用もずいぶん減っており、日常の風景ではありませんでした。
 車内でくつろいでいる人たちを見ると、やっぱり乗ればよかったかなと後悔の念も沸きます。


 その後は、自宅から歩いて10分もかからない、久留米岩田屋の階段室へやって来ました。名撮影地の一つと思うのですが、雨でガラスが濡れているからか、他にギャラリーはいませんでした。
 12時10分、通い慣れた久留米の地ともお別れです。


 観光電車にラッピング電車にと変幻自在だった8000形電車ですが、やはり6両まっすぐ貫かれた原色塗装はカッコいい!
 特急運用を徐々に減らし、「旅人」が最後に残りと、じわじわ消えていたから寂しさもまぐれていたのに、全盛期の姿に戻ったがために、急に名残り惜しくなってしまいました。




 久留米とも、これでさようなら…。


 西鉄久留米駅で昼ごはんを食べて、急行で筑紫駅へ。筑紫工場で開催中の「にしてつ電車まつり」で最後の展示が行われるというので、追いかけてきました。
 一旦1番乗り場へ引き上げてから車庫に入るということで、最後の本線上での姿を見届けようと、多くのファンが集まっていました。


 「西鉄レッド」を受け継ぐ9000形電車と、一瞬のバトンタッチ。


 この後、長い長い和音の警笛を鳴らしながら、車庫へと引き上げていきました。
 西鉄電車は、古い車両の保存には消極的だけど、最後の花道はきちんと飾ってくれます。30年も経たずに戦列を離れることになってしまった8000形にも、1000形や2000形の時のように花を持たせてくれました。


 車両基地へは歩いてもさほどの距離ではないけど、せっかく送迎バスを用意してくれていたので、乗ってみました。
 わずか数分の乗車時間にはもったいないような、デラックス仕様の観光バスです。バスのPRも兼ねているのかも。




 電車まつりに来たのも9年ぶり。非日常の電車は、楽しいもんです。


 洗車機体験の電車は、「直行 二日市」や「快急 福岡(天神)」など、懐かしの方向幕を掲示してファンを楽しませてくれました。


 工場内には、8000形デビュー当時のポスターが今も残されています。工場にとっても、誇りあるシンボルカーだったのでは。










 そして屋外には、使命を全うした8000形電車が最後の雄姿を披露。28年間、第一線で活躍を続けたヒーローでした。ありがとうございました!

 ところで西鉄では現在、本格的な観光電車の設計が進められています。8000形とはちょっと違うコンセプトではあるけど、天神大牟田線で「旅」を感じられる電車の後継として、大いに期待しています。

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