Chang! Blog
福岡のハングル検定準2級建築士、そして一児の父の[ちゃん]のブログです





 野崎島の2日目は、夜も開けやらぬ朝6時に寝床を抜け出しました。
 頬杖が昔なつかし雰囲気の、木造校舎の夜明け前です。


 野首教会から、学塾村と大海原に登る朝陽を俯瞰します。


 新しい、朝が来た。


 朝ごはんを食べ、朝イチ8:05の船に乗るべく出発です。夕方15:10の船では福岡にたどり着けないため、名残惜しくも朝に出なくてはならないのです。鹿たちの見送りを受け、峠を越えます。
 学塾村から港までは歩いて20分ほどかかりますが、大きな荷物は管理人さんが軽トラで運んでくれるので楽ちんです。






 朝の野崎集落。


 帰路の船はデッキで。島と教会が、遠く離れて行きます。


 小値賀に舞い戻ってきました。小値賀島は人口2,500人ほどですが、島内には路線バスが走っているのは立派です。


 午後の船までは時間もあるので、電動自転車を借りて小値賀島めぐりに出発!
 路地にまで迷い込める自転車は、機動力抜群です。


 町屋が並び、いい雰囲気。


 松林の中を駆け抜け…


 急坂を登り愛宕山へ。電動自転車の威力が、存分に発揮されました。非電動だったら、立ちこぎでもクリアできなかったかも…。
 周囲の島々と、行き交う船を眺めしばし休息。


 小値賀の「古民家ステイ」は高級路線なのが特徴の一つで、宿泊費は島としてはなかなかなお値段ですが、落ち着いた雰囲気を提供しています。
 古民家レストランもあり、「藤松」は いい雰囲気なだけではなく…


 庭の裏手にはプライベート波止場まで!
 かつての豊かな暮らしが垣間見える古民家でした。


 2006年に定期便が廃止された小値賀空港にペダルを進めます。
 現在は週2便の定期チャーター機が、福岡から1万円の運賃で飛んでいるそうです。


 チャーター機は土日の運航なので、月曜の今日は飛行機が来ません。
 空港施設だけでも見れればいいなと思って来たのですが、空港に着いたまさにその瞬間、一機のセスナ機が降り立ってきました。


 飛行機から降り立ったパイロットさんが機体を見せてくれるというので、ご好意に甘えることに。
 日頃なかなか見ることのできない小型機の仕組みに、一同、興味津々です。


 思いのほか狭いコクピット。軽自動車よりも狭いとかで、3人乗ればギュウギュウ詰めでしょう。でもあの海を眺めながらのフライトは、気持ちいいだろうな~
 チャーター機の運賃1万円も、遊覧飛行と思えば高くはないかも。片道だけでも、セスナで来てみるのも悪くはなさそうです。


 ターミナルビルには、定期便があったころの名残りも。


 その名の通り赤い「赤浜」の景観も楽しみ…


 味処「ふるさと」でランチ。スペシャル定食は千円で海の幸がズラリの、お値打ちメニューでした。
 隣の席で盛り上がっていたのは、さきほどのセスナおじさん三人組。この先操縦のないお一人だけが、ビールを飲んでいました。当たり前だけど、飛行機も飲酒操縦厳禁なのね。

 なお長崎の離島へ行くなら、5千円で6千円分使えるという破格値の商品券「ながさきしまとく通貨」を使うとお得!
 食事だけでなく、お土産の購入やレンタカーでも使えます。


 集落は、祭り準備の真っ最中でした。


 13時30分、まだ島にいたい気持ちとは裏腹に、無情にも迎えの船がやって来ました。


 ムーンライトフォトグラファーさんに見送られ、博多港へ向け出発です。


 野崎島も、遠くに離れて行きます。


 博多港までは5時間以上。旅疲れもあるし、寝て過ごすかなと思っていましたが、あちこちの島が断続的に現れ、島旅好きにはたまらない風景が続きます。
 今は佐世保市の一部となった、宇久島。坂の上まで家々が続き、賑やかな島のようです。


 出航すると、一艘の漁船が追いかけてきました。船長はデッキに向けて手を振っていて、ちょっと派手な見送りだったのでしょう。


 生月大橋をくぐり、平戸の島々の間を縫うように進みます。


 「お休み中」の玄海原発も。


 唐津の7離島も、次々に現れます。
 中学生時代、転任になった先生を訪ねて行った思い出の小川島の姿もよぎりました。


 5時間の間、デッキにほとんど立ちっぱなし。オープンエアのバルな気分です。


 フィナーレは、玄界灘に沈む夕陽。朝と夕方の太陽に挨拶する日なんて、1年の間にそう何度もありません。


 停泊中の豪華客船に迎えられ、博多港着。
 5日間の長い旅?は、心地よい疲労感とともに無事終演と相成りました。

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 野崎島のある小値賀町は、「アイランドツーリズム」を標榜し、古民家ステイや自然体験など、さまざまな過ごし方を提案してくれます。
 今回の野崎島でも、まずガイドツアー(4,200円)に参加して、島を一通り学習することにしました。


 島の歴史から動物、木々まで精通したガイドさんが案内してくれます。


 野崎島には3つの集落があり、最盛期には650人が暮らした島なのですが、人口が急減し、1990年代には事実上の無人島になりました。
 先週おとずれたばかりの端島(軍艦島)と規模は違えど、島で暮らした人々の生活の痕跡は、どちらも色濃く残っています。


 主のいなくなった木造家屋は、急速に朽ちて行きます。この家も最近になって梁が落ちたそうで、崩壊寸前です。
 自然物で作られた家は、いずれ瓦だけを残して土へ還って行くのでしょう。


 離島の際に持って行ける荷物も限られたことから、テレビや食器といった「モノ」も、昭和の色のまま残されています。
 どこか懐かしさを感じるバックです。




 朽ちかけてはいるものの、島民の方がひょっこり姿を現しそうな区画も。
 「廃墟の島」と言えるのかもしれませんが、どこか温もりをも感じさせられる野崎集落でした。




 酒瓶がゴロゴロ。


 集落を登り、通称「サバンナ」と呼ばれる平原に。きれいに刈りそろえられた芝は、もちろん人の手によるものではありません。
 有人島だった頃から野崎島は鹿だらけで、今も400頭ほどが生息。しかし鹿の数に対しエサとなる植物は充分ではなく、食べられる草は食べつくされた結果の、きれいに揃った芝の原っぱなのです。よく見れば、鹿の糞がゴロゴロしてます。


 教員住宅はRC造なので、しっかりと残っています。室内もほぼそのままで、押入れには布団が残されていました。


 野首集落への峠道を超えると、九州とは思えない澄んだ海が出迎えてくれました。


 自然学塾村の裏手の石段を登ると…


 旧野首協会があります。明治時代に長崎で多くの教会建築を手がけた名工、鉄川与助の初期の作品です。
 教会としての役目を終えた建物ですが、ツアーに参加すれば見学することができます。




 日本の伝統工法で教会建築に挑んだ、試行錯誤の跡を伝えます。


 教会から見える棚田は、芝の原っぱに。


 約2時間の散策は、自然学塾村で終了。今日の泊りも、この施設です。1985年に廃校となった小中学校の木造校舎を利用した施設で、島で唯一トイレや電気が使える場所でもあります。
 思えば人のいない島にも関わらず電気が通り、水を使え、定期便まであるのですから、こんなに便利な無人島もそうそうないでしょう。


 午後は、ビーチに出てのんびり。他愛もない話をしながら、波の音と過ごしました。


 10月とは思えぬ暑さの中、ビールがうまい!


 学塾村には自炊設備や食器類はありますが、食材は持ち込みor釣ることになります。
 先発隊の皆様の「釣果」の南蛮漬けとともに、いただきまーす!


 食糧は持ち込みですが、水分は自販機で調達できます。アルコールも、時間制限なしで購入可能。


 半月だったこの日ですが、灯りのない島で月の存在感は大きいもの。月明かりに映るくっきりした自分の影が、驚きでした。
 月光で写真を撮影しているという「ムーンライトフォトグラファー」さんも加わり、時間を忘れて星空の下で語らいました。

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 もとから予定していた3連休の野崎島への旅と、その後に決まった東京への所用。当初は一旦、久留米の自宅に帰る予定でしたが、安い飛行機の便を選ぶと、一旦久留米へ帰る時間はなさそうです。
 そこで博多駅に「島用」の荷物を預けておき、博多で荷物をチェンジして直行することにしました。人口900万の東京から、公称人口1人の野崎島へ、14時間の旅路です。


 高層ビルのそびえる八重洲口から、山手線で浜松町へ。


 羽田空港へは、モノレールで移動します。久留米人の僕にとって、モノレールは非日常の乗り物。やはり非日常の首都高の夜景を見ながら、東京へ別れを告げます。


 福岡空港へは、スターフライヤーでひとっとび。北九州空港が本拠地のSFJですが、2011年に福岡へも就航しました。この日の夜の北九州行きは空席多数でしたが、福岡便は満席です。
 羽田のカウンターはターミナルの端っこで、なかなかな距離を歩かなくてはなりません。保安検査は専用の入口なので、あまり混まないのは好ポイントです。

 いわゆるLCCとは異なる新興航空会社のSFJですが、少ない機体でやりくりしているのは中小航空会社の弱み。到着機材遅れのため、30分遅れが予告されました。


 闇に溶け込む、黒い機体。


 黒い革張りシートに、全席にテレビモニタ。飲み物サービスもあって、LCCとは一線を画す会社です。
 オリジナルプログラムも多いテレビを楽しむ人は多いのですが、あちこちチャンネルを回したあげく「秘密結社鷹の爪」に落ち着く人が多かったのは、面白い現象でした。


 30分遅れで福岡空港着。地下鉄で博多駅に出て、荷物と服装をチェンジしました。
 22時前のバスで、博多港へと向かいます。満員で、さすが離島航路出発直前のバスだと思ったのですが、途中で続々降りて行き、博多ふ頭まで乗った人はわずかでした。


 博多港の温泉施設、「波葉の湯」でゆっくりして船旅を…という絵を描いていたのですが、飛行機の遅れで、20分少々のカラスの行水に。しかも1つだけあった源泉かけ流し浴槽が、循環式になっていたのは残念でした。
 ベイサイドプレイスのコンビニで寝酒を買い出しして、フェリーターミナルに向かいます。


 五島行きフェリーの名前は「太古」。旅気分が盛り上がる名前じゃないですか!


 グリーン寝台は2,000円の追加。大した値段でもないのに、船員さんに席までご案内されなんだか恐縮です。
 他の寝台は、すでにお休みモード。早い時間から乗船できるらしく、旅館代わりに使えます。バスが混まなかったのも、乗船客が分散するからなのかも。


 朝5時前、小値賀着。早朝とも深夜ともつかない時間にも関わらず、出迎えで賑わいます。


 島の人が散ってしまった後は、ガランとしたターミナルが残されます。
 旅行者は行き場をなくしてしまいますが、朝8時まで使える冷暖房完備の仮眠室があるのはありがたい。さっそく寝不足を補いました。


 昨日は浜松町で見上げた朝陽、今日は小値賀の港で迎えます。昨日より1時間遅いですが…。


 小値賀周辺の離島へは、町営船で渡ります。待合室には「離島方面乗り場」と書いてあり、小値賀も離島やないかい!と一人、突っ込みを入れました。
 無人の島の野崎島へも、1日2本の定期船が出ているのは面白いところ。500円なりのきっぷを、船内で求めます。


 佐世保行きのフェリーを見送りつつ、小さな高速船は港外へ。凪いでいて、ほとんど揺れません。


 30分弱で野崎島着。島の休日が始まります!

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 東京に行ったら、ぜひとも訪ねたかったのが「マーチエキュート神田万世橋」。戦時中まで、中央線の神田~御茶ノ水間に存在した、万世橋駅跡を再開発した施設です。
 「エキナカ」でお馴染みのエキュートブランドで、鉄道内の施設ではあるのですが、「駅」ではないので「テツナカ」とでも呼べばいいのかな??


 御茶ノ水駅からブラブラ線路沿いを歩くこと5分少々、赤レンガの高架橋が見えてきました。




 ここが、目的のマーチエキュート。真新しい施設の中で、古びた高架橋が目を引きます。


 古いながらも現役の高架橋。これまた最新型の通勤電車が行き交います。


 かつての交通博物館跡は、高層ビルに生まれ変わりました。


 一方の神田川側では、オープンデッキで風を感じられます。


 中に入ると、赤レンガの意匠に直に触れられる箇所は少ないです。コンクリートで耐震補強が施されているためで、これは安全の上でも仕方のないこと。
 それでもアーチの空間は、独特の雰囲気です。




 基本的にお洒落なテナントが多いのですが、鉄には嬉しいこんなテナントも。


 トイレ前では、万世橋からマーチエキュートの歩みの映像でショーアップされています。


 しかしマーチエキュートの何よりの見どころは、旧万世橋駅ホームに上がれるところ。


 ホームへの階段は、駅当時そのままです。


 おお、真横を「あずさ」が駆けて行く!


 お洒落なカフェも。コーヒー400円、生ビール550円を「列車の真横で」味わえます。フードも充実しているみたいで、今度はお酒飲みに来たいな。


 走る電車を、子どもでも一番間近で安全にみられる場所かも。


 席の半分はオーブンルーフ。コーヒーを飲みましたが、周りはビール派が圧倒的多数でした。10月でまさかの32度を記録したこの日、ビアガーデンの気分ですね。
 歴史的建造物を活かし、鉄道を楽しめる空間を、収益を確保できる形で、一般向けに作った。これが成り立つって、実はすごく豊かなことなのかもしれません。


 秋葉原から山手線で東京駅へ。改札からドームの空間に出ると、東京へ来たなという気分になります。
 鉄道の歴史的建造物の再開発という面では、こちらも大成功の例です。


 日本人、外国人問わず、記念撮影する人の姿は絶えません。東京のシンボルとしての地位は、不動のものになりました。


 一方の八重洲口側も大改造の真っ最中。真っ白な幕天井がシンボルの「グランルーフ」が姿を現しました。


 夕方の時間、下からライトアップされた幕天井がやわらかな光を投げかけます。


 一休みするにも、いい感じ。


 グランルーフから見下ろす、八重洲界隈。
 駅前はまだまだ工事中ですが、完成の暁には丸の内と好対照を成す玄関口になりそうです。

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 「久留米」という、決してありふれた地名ではない場所に住むものとして、他の地域にある「久留米」という場所は気になる存在。
 郡山市の久留米地区には一昨年 訪ねることができましたが、今回は東京都の東久留米市を訪ねてみました。


 友人宅の最寄り駅にあたる、西武池袋線の椎名町駅から乗車。西武電車に乗るのは、今回が初めてです。


 副都心線の開業で、メトロや東急と直通するようになった西武新宿線。
 練馬で乗り換えた電車は東急の電車で、「はじめての西武」のインプレッションはどうしても薄くなってしまいます。


 …なんてぼやきつつ、東久留米着。
 急行通過駅ではありますが、西鉄久留米駅より電車の本数は多そうです。


 橋上の駅舎は立派。当たり前ですが、広告看板にも東久留米の時が踊ります。
 ケータイでサラリーマンが「今、久留米の駅です」と話すのを聞いて、どこにいるのか一瞬分からなくなりました。


 東久留米駅西口。
 急行通過駅ながら接続するバス網は充実しているところが、さすが首都圏です。


 久留米はゆめタウン優勢ですが、東久留米ではイオンが連絡バスを出してサービスに勤めます。


 散策マップは、目的なく降り立った旅人にとってありがたい存在。
 落合川と南沢湧水群が見どころとのこと、あとで行ってみましょう。


 駅前通りから駅を望みます。
 マンションが並び、一階にはもれなく店舗が。新たなビルの建設も進んでいます。


 久留米市役所東館、ではなく東久留米市役所。
 カーテンウォールに塔屋がそびえる、立派な建物です。


 週末ではありましたが、館内ではイベント開催中。
 30代の若い市長さんも、挨拶に来られていました。


 市役所の裏手には、畑地も残ります。


 さらに歩いて10分の、南沢湧水群の緑地へ。
 東京都心から1時間圏内とは思えない、豊かな緑に囲まれました。


 東京の名水57選認定の看板が誇らしく掲げられていますが、平成の名水百選に都内で唯一認定されていることも、もっと誇っていいと思います。


 南沢湧水から伸びる落合川は、住宅地の中を貫く、都内の川とは思えない清らかなせせらぎ。
 10月とは思えない真夏日となったこの日、涼を求めて川遊びに来た親子の姿を何組も見かけました。お手頃で豊かなレジャーです。


 せせらぎに、住宅が張り付きます。川に向けてベランダを作っている家も多く、この環境が人を引き寄せている面もあるようです。


 カモたちも気持ちよさそう。


 地元の方々の努力で守られている清流でもあります。


 下るとさすがに濁りも見えてきますが、都内の川としては一級品の清らかさでしょう。
 この川ひとつでも、充分住む動機にはなる街なのではないかと思いました。


 せっかく初めて乗る西武なので、帰路は新宿線経由で戻ることに。所沢経由でも300円代なのですから、やぱり東京の電車は安い。
 所沢までは、女性社員の感性でデザインされた「スマイルトレイン」に乗りました。シンプルながらに、かわいい外装と内装です。


 所沢から新宿へは、西武ご自慢の特急「小江戸」に乗ることにしました。
 指定券は、ホーム上の自動券売機で気軽に買えます。


 小江戸の発車時間までは、各ホームに発着する電車ウオッチング。
 昭和時代初版の電車図鑑を読んでいた僕にとって、西武とはイコール、黄色い電車のイメージは未だに消えません。


 青い電車も、スマイルトレインが登場した今となっては、以前のイメージなのかな…と思っていたら、小江戸が入線してきました。


 リクライニングシートが並びます。


 うつらうつらしていたら、あっという間に新宿着。快適な電車でした。

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 先週後半は、所用のため東京へ。土曜日まで東京に滞在し、九州へ戻ったその足で五島に渡るという荒業で、三連休を楽しんできました。
 東京は旅行ではないので あまり時間はありませんでしたが、自由時間には いろんな場所へ突撃。よい刺激になりました。


 この日は渋谷へ。3月に地下化を終えた東急渋谷駅は、地上駅舎の解体がだいぶ進んでいました。
 高度経済成長期のターミナルに、どことなく旧西鉄福岡駅のドーム駅舎を連想させた鉄骨造の上屋も、消滅目前です。


 ヒカリエ前の古びた高架橋を走る、メトロ銀座線。
 こちらも改修が予定されていて、今の渋谷は新旧鉄道施設の過渡期にあります。


 それでは地下の新渋谷駅にもぐってみましょう。副都心線渋谷駅として2008年に先行オープンしていた駅ではありますが、安藤忠雄設計の地下空間は今もって新鮮です。
 思わぬ場所から、地下深くに走る電車の姿を見下ろせます。




 楕円形の意匠はあちこちに。


 直線の自動券売機も、囲むように並べれば円の一部になります。


 普通の蛍光灯も、意図を持って並べれば幾何学模様のデザインに。


 非常シャッターの非常口も、強化ガラスに文字をカッティングすれば、ディスプレイになります。


 電車に乗り込み、代官山駅で下車。一夜で地下化した大工事の痕跡を、今も見ることができます。


 何かと注意書きがありますが、写真を撮る行為自体は否定されなくて よかったです。


 代官山での目的地はここ、蔦屋書店。
 地元では話題の武雄市図書館、その原型ともなった書店です。


 書店だけではなく、区画一体を「代官山T-SITE」って呼ぶんですね。


 「T」を組み合わせた外観に、木々が映えます。


 敷地内のゆるやかな高低差も、いい感じ。
 いつもの「TSUTAYA」とは、頭の中でリンクしない一角です。


 漢字、英語、簡体字を組み合わせたサインの意匠は、武雄市でも見ました。
 店内は撮影禁止のため撮っていませんが、休日の朝9時というのに、ゆったり本を読みながらくつろぐ人々でいっぱい。大人な知的空間という印象は、武雄市と通じるものでした。


 身近にこんな空間があるのは、うらやましいことです。


 帰路は、東急トランセの小型バスで渋谷駅へ帰ります。
 代官山周辺を循環する「コミバス」とも言える路線ですが、行政の補助は受けていない模様。本数は6~15分に1本と多く、とても便利です。


 急な坂もお手の物。ショッピングに向かう人だけでなく地元の足にもなっており、特にお年寄りにはありがたい存在でしょう。


 清楚な雰囲気を感じる下り坂を下り、渋谷駅へ。
 身近でこんな週末を過ごせたらと思う、代官山界隈でした。

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 10月5日(土曜日)はひさびさに、職場同期と共に行くドライブツアーを企画しました。今回の行先は、世界遺産リストへの登録で脚光を浴びつつある産業遺産、長崎市の端島(通称、軍艦島)です。

 端島は海底炭鉱の島として、一時は人口密度世界一を記録するも、閉山とともにわずか2ヶ月で無人島に。残された炭鉱施設や高層団地は荒れるに任せる状態となり、島は立ち入り禁止の措置が取られます。
 しかし高度経済成長を支えた遺構は折に触れ話題となり、2009年、見学コースに限り上陸が許可されました。以後毎年、うなぎ上りに見学者が増えているとのことです。

 僕は対岸から遠目に眺めたことはありましたが、ぜひ一度、上陸してみたいと思っていました。
 一人で行っても寂しそうなので、ツアーを企画。帰路にはB1グランプリの常連でもある「大村あま辛黒カレー」と、話題の武雄市図書館にも立ち寄る充実の1日になりました。

 久留米市役所には朝8時に集合し、長崎道を下り一路、長崎市へ。
 時間には余裕を持っていたつもりでしたが、10時10分の受付終了時間にはギリギリの到着になってしまいました。何事も余裕が肝心です。


 軍艦島へはツアーへの参加が必須で、今回は「軍艦島コンシェルジュ」さんのお世話になりました。参加費は島への入場料込みで、一人4,200円です。
 小型の高速艇に乗り込みます。


 乗船が済んだところで、まずはレクチャータイム。本日のガイドと乗り組み員の挨拶は、船内モニタで中継されます。タブレットを駆使した写真による説明もあり、なかなかハイテクです。
 本日のガイドさんは同じく炭鉱の島として知られる池島出身で、島の炭鉱の生活を知る立場としてのガイドは、実感のこもったものでした。


 本土に残るスタッフが、手を振って見送ってくれます。


 約30分で、島の姿が見えてきました。まずは島の周囲を回り、船上から島を見学します。


 島で唯一の学校は、低層部が小学校、高層部が中学校になっています。大きく取られた窓は、高層団地では満足に陽が当たらないことから、せめて学校では陽の光をという願いから設けられたものだとか。
 子どもたちへの優しさを感じる一方で、耐震性には不安を感じる建物ではあります。


 びっしりと並んだ住宅群。以前勤めていた職場では、戦前の建築物も多く扱っていたのですが、デザインには通じる部分が見られます。
 風化は激しく、すでに基礎や1階床が波にさらわれている建物もあるのだとか。安易な立ち入りは、命に係わります。


 一旦島から離れ、もっとも「軍艦」らしく見える場所へ。
 なるほど、遠目には見間違えても不思議はない…かも。


 上陸準備。波で船が揺れる中、船員さんが島へ飛び越えて船をつなぎます。


 ぞろぞろと上陸。この日は外国人の見学者も多く、長崎観光の新たなコースの一つとなったようです。


 レンガ壁の痕跡が印象的。


 波に洗われた岸壁の跡と、朽ちた建物。
 わずか5日前に、三陸沿岸でよく似た光景を見たばかりの身にとっては、表現できない思いも去来します。


 坑道への入口跡。炭鉱事故で、この階段を登ったまま降りられなかった人々も大勢いました。


 炭鉱の街で育ったガイドさんの説明からはリアリティを感じられ、目の前の廃墟が、生きた街だった頃に想像が至ります。


 高低差をクリアするため、階段の路地が無数に張り巡らされています。
 高台の住居は、幹部社員の住居だったとのこと。


 高層住宅の30号棟、31号棟。
 日本の鉄筋コンクリート黎明期の高層建築は、建築学的にも貴重なものですが、近づくことはかないません。


 建物の間にも、路地が続きます。迷い込んでみたい!






 廃墟として見られがちな島ではあるが、島の暮らしが日本の高度経済成長を支えたことを忘れないでほしい。
 ガイドさんの説明に、この島に来た意義を感じるとともに、いつか池島にも行ってみたいとの思いにかられました。


 1時間半の見学を終え、出航です。


 お隣の島、高島。現在は長崎市の一部です。
 点々と炭鉱住宅が残ります。


 一方、伊王島は観光リゾートの島へと舵を切り、架橋も実現して、「炭鉱の島」らしさは感じられなくなっています。


 長崎港の遊覧船で巡るような場所も、軍艦島コンシェルジェではガイド付きで案内してもらえます。
 三菱造船所の門型クレーン。三菱マークの周囲の白が、テニスコート1面分…なんて言われても、にわかには信じられません。


 女神大橋。二本の柱脚で囲まれた範囲に、端島はすっぽり入るとのこと。
 感じるのは島の小ささか、橋の大きさか。


 ポニョ的世界観。
 往復の乗船時間を含めて約3時間の見学コースは、往復の乗船時間も飽きさせない、充実したものでした。


 せっかく長崎市まで来ましたが、今日はこのまま引き返します。
 併走する路面電車に、長崎にいることを実感。ただ運転していると、対処に戸惑い焦ります。


 大村インターで降りて、大村あま辛黒カレーを頂きます!
 フルーツがたっぷり煮込まれたカレーは、まろやかな甘みが広がり、A級品のB級グルメでした。


 さらに武雄インターでも途中下車して、話題の武雄市図書館に立ち寄りました。


 オープンカフェのようで、いい雰囲気。混雑してて、ゆっくりコーヒーを味わうことができなかったのは残念です。

 夕方6時には久留米に帰着。次は三池炭鉱を見に行きたいね!という声もあり、産業遺産には また行きたくなる魅力を感じたのでした。 

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 最終日の10月1日は、気仙沼大島から気仙沼線BRTに乗り、仙台空港からスカイマークの福岡便で、一気に福岡へと帰ります。


 震災の年の夏、大島へボランティアに来た友人から「ぜひ朝日を見て下さい!」 とおすすめされていたので、朝5時20分に目覚ましをかけて起床。しかし夜中の雨こそ上がっていたものの、残念ながら空は厚い雲に覆われていました。
 小田の浜海水浴場は多くの方々の尽力で、宮城県で唯一、海開きにこぎ着けた海水浴場です。晴れていれば、さぞかしの眺めだったことと思います。来年の夏は泳ぎに来たいなぁ。


 南へ下った、小さな漁港から眺めた海。くずれた岸壁は残っていますが、海は澄んできれいでした。早起きの地元の方と、挨拶を交わします。


 島の南端、龍舞崎へ。崖の下に、石の浜が広がります。


 荒々しくも、グリーンに輝く海。


 西側には気仙沼の街。街への近さは、福岡の能古島を想起させます。


 宿への帰路は、1日8本の島内バスを捕まえました。


 朝ごはんをもりもり食べて、最後の1日が始まります。
 ちなみに民宿・魚波さんは1泊2食で6,500円。さすがは漁師町、ご飯の内容を考えればお値打ちです。


 本土への船が出る、浦の浜に送ってもらいました。
 震災直後は米軍の協力で片づけられた港も、少しずつ復旧工事が進められています。


 古い貴重なゴンドラが活躍していたという亀山リフトは撤去され、木々の隙間にその名残を留めるのみ。残念ながら、復活の計画はないようです。


 「高台」と認識できる場所にも残る、津波の痕跡。高台だったがために逃げ遅れた方も少なくなかったと、宿のおやじさんが話してくれました。
 津波の際にはこの位置と、南側のもう一ヶ所で島の東西の海がつながり、島は3つに分断されたとのことです。


 田中浜。もともと海水浴場ではありませんが、きれいな浜です。浜の近くには体験学習施設が再建され、子ども団体での研修も可能なようです。
 朝早くから、岸壁の復旧工事の槌音が響きます。


 出航時間。砂利を踏んで、船に乗ります。


 復興事業のクレーンを見ながら、島を離れます。
 5年後には悲願の大島架橋が実現予定。島ののどかさはだいぶ失われそうですが、復興へのはずみになることは間違いありません。被災地から復興地へ、大島も歩んでいます。


 気仙沼港内で、大島行きと行き違い。港の施設には、未だ爪痕が残ります。


 しかし気仙沼漁港は、漁船で活況を呈していました。


 気仙沼港着。駅までは距離があり、重い荷物を背に街を歩きます。
 屋台村でお土産を買い出し。朝なので静かなものですが、夜は賑わっていそうです。


 地盤沈下した市街地のモニュメント「グラウンドゼロ」。今年の初めにも訪れましたが、周囲の建物は解体が進み、空き地が多くなりました。
 無事だったビルは、周囲がかさ上げされる中で低いまま残っています。


 空き店舗になっていた大型商業ビルも、まさに解体されているところでした。


 歩いて約20分、気仙沼駅へ到着。3方向に伸びる路線のうち、2方向はBRT(バス高速輸送システム)での運行です。


 そのBRTの一つである、気仙沼線10:25発本吉行きに乗車。気仙沼線BRTは昨年末、正式にスタートを切ったばかりの時期に乗車しましたが、当時の専用道の距離は4キロ余り。専用道への出入りに、むしろ時間を要しているような状態でした。
 その後2段階の専用道延伸を経て、現在の専用道は21.7kmまでに拡大。所要時間も10分程度短縮されています。柳津まで、BRTの今を観察してみます。


 気仙沼駅を出てほどなく、次の不動の沢駅まで専用道が続きます。目視で対向車を確認しながら走る区間です。ちょうど一般道との交差点で対向車が来たため、退避+信号で2分半要してしまいました。
 並行する一般道は空いていて、この時間に関する限りは一般道を走る方が早そう。時間帯によって、一般道が混雑する方向のみ専用道経由とするのも一案ですが、不動の沢駅は専用道上にあるためフレキシブルな運用は難しそうです。


 不動の沢~松岩間は一般道経由で、渋滞していました。前回乗った時もここで遅れが出ており、専用道がほしい区間の一つです。
 ただこの区間では、気仙沼線の線路跡は大きな被害を受けている上、駅周辺も壊滅してしまったため、病院や店に近い現在のルートが利用者にとってもベター。内陸側に専用道を設けるのがベストですが、そう簡単なことではなさそうです。


 松岩駅を出ると、2番目の専用道区間へ。昨年8月の暫定運行時から専用道区間だった最知~陸前階上間を、南北に延伸した形です。
 工事現場への入口のような道を走り、専用道にアクセスします。


 専用道入口から、反対側(北側)の線路跡を望みます。すでに防波堤の工事用地に飲みこまれており、この位置での気仙沼線復旧や専用道の敷設は、あり得ないことでしょう。
 津波は線路を越え深く内陸まで入り込んだようで、南側の専用道両側は荒れ地状態です。防波堤も崩れており、大波の際は専用道も安全ではなさそう。迂回の措置が取られるのでしょうか。


 陸前階上で途中下車しました。BRT区間でも鉄道と同様、100km以上の乗車券であれば自由に途中下車できます。
 運行は地元バス会社に委託されているBRTですが、どの乗務員さんも途中下車制度をよく理解されていました。


 鉄道駅を改装した階上駅。自転車置き場にはたくさんの自転車が停まり、タクシーも常駐。バス停ながら、「駅」の存在感は充分示しています。


 内部も新交通システムの駅のように、こざっぱりした内装に改修されています。
 貼られた「大人の休日倶楽部」のポスターは、気仙沼線BRTがモチーフです。


 案内システムは、バスが接近するとホームへ出る様にうながします。ただ「接近」のお知らせから実際にバスが到着するまで、ゆうに5分程度は余裕がありました。
 画面には赤バックで接近案内が表示され、チャイム音も鳴りますが、民放の緊急地震速報のようで心地いいものではありません。


 次発、11:20のバスでさらに南下。専用道が途切れた先の橋は崩壊しており、専用道がここまでである理由を暗に示しています。
 道路はやはりダンプでいっぱい。BRTバスの側面は埃でうっすら汚れていますが、清掃の不徹底を責めるわけにはいきません。


 本吉手前で、3番目の専用道へ。山間の区間で、信号による閉塞制御が行われており、スピードが出ます。


 本吉駅着。昨年末は、国道から駅の出入りに時間を要していたように記憶しており、専用道の時間短縮効果は高い区間です。


 3分の小休止。所要時間が2時間に迫るバスなので、トイレはここでお忘れなく。
 駅は階上と同様、こぎれいな外観に。背後には跨線橋が残ります。


 本吉発車時点で、乗客は僕一人に。この日乗った柳津方面のバスの乗客は、最大でも5人に留まりました。津波被害の影響による沿線人口の減少もあり、乗客数は鉄道時代の4割に留まっているとのことですが、その厳しさが伝わってきます。
 もっとも午前中の時間帯は気仙沼に流動が向いているようで、すれ違うバスは10人以上の乗客の姿が見られました。


 一般道区間で現れる途切れた鉄橋の数々に、鉄路の復旧も、これ以上の専用道延伸も難しいことを痛感させられます。


 蔵内手前で、4番目の専用道に入ります。歌津まではいくつかのトンネルで結ぶ区間です。
 気仙沼線は70年代に開業した路線なので、ローカル線としては高規格に作られています。トンネルも山を貫く長いもので、峠を越える一般道に比べ早く、乗り心地も良好です。


 トンネル内はもやがかかっています。排ガスの換気がうまくいっていないのかと思いましたが、どうやら水蒸気のようです。


 歌津で一旦一般道に入った後、清水浜から5番目の専用道が始まりますが、昼間時間帯は南三陸町の仮役場があるベイサイドアリーナを経由するため、一般道経由です。

 10ヶ月前の南三陸町旧市街地には、鉄鋼だけになった建物が点在していましたが、今は所有者の「意思」で残る高野会館と、最近解体の判断が下った防災庁舎が残るくらいになっています。
 平日のこの日も、防災庁舎に手を合わせる人々の姿がありました。


 志津川の陸橋から、清水浜方面の専用道を俯瞰します。
 1日11本のバスのためにはもったいない施設にも見えますが、専用道の途中に出入り口を設ける工事も行われていたので、ベイサイド経由便も一部はこの専用道を経由するようになるかもしれません。


 志津川市街地を抜け、6番目の専用道へ。


 大船渡線の専用道にも似た、リアス式海岸を望む眺めのいい区間です。


 陸前戸倉で一般道に降り、県道経由で柳津へ。内陸なので路盤の被害は少ないのですが、一般道は空いていて定時性を確保できるという判断なのか、専用道化には至っていません。
 それとも南三陸町が要望している、陸前戸倉までの復旧に前向きという姿勢でしょうか?


 柳津駅では列車との乗り換えに35分もあり、列車とバスの一貫輸送というには間が空きすぎています。ただあまりギリギリの接続時間では心もとなく、痛し痒しです。
 乗り換えには跨線橋を渡らねばならず、お年寄りには辛い乗り換え。BRTも長期化覚悟であれば、段差なしで乗り換えできるようすべきでしょう。それとも戸倉駅を乗り継ぎ拠点として整備することを前提に、あえてそのまま…?


 小牛田で東北本線に、仙台で仙台空港アクセス線に乗り継ぎ、仙台空港へ。旅も終わりが近づいてきました。


 仙台から福岡へは、スカイマークの直行便を利用します。安全軽視の不祥事が続いていたスカイマークは避けてきていましたが、最近は悪い話も聞かなくなってきたので、今回ひさびさに搭乗することにしました。
 10日前までに購入すれば1万円、しかも一定期間は払い戻し手数料なし・変更可という使いやすい早期購入割引「フリー10」を利用。往路の「サンライズ」ルートに比べ、安さが際立ちます。


 名残惜しく、これから乗る飛行機を眺めながら、ゲート内のスナックコーナーで「牛タンカレー」を食べました。
 きれいに整備されたターミナルビルやボーディングブリッジ、滑走路を見ていると、あの日の津波到達が嘘のようです。


 白い革張りシートが快適な機内。飲み物サービスはないものの、ソフトドリンクは100円と地上より安く、機内で買えばよかったと後悔。
 福岡には定時より早く着いて、余裕を持って久留米行きのバスに乗り継ぐことができました。

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 仙台市で迎えた4日目・9月30日(月曜日)。前日の昼食(それも午後3時頃)は大穴子丼、そして夕食には特上牛タン定食を食べて、久々に「お腹いっぱいで苦しい」感覚までも味わいました。
 それでもホテルのサービスの朝食までしっかり頂き、朝7時、出発です。今日は大船渡に出て吉浜までを往復、その後、気仙沼大島へと渡る予定です。


 まずは仙台駅前バスターミナルから、宮城交通の高速バスで大船渡・盛へと向かいます。
 所要時間は4時間を超えますが、4列シートのトイレなし車両。便意を催しがちな朝乗るには、精神衛生上よろしくありません。


 気仙沼まで3時間。震災前のJRの快速・南三陸なら、2時間で来ることができました。
 気仙沼から大船渡へは、一部で三陸道の開通済み区間を走ります。新直轄区間のため通行料は無料、開通した箇所から一般道に接続させ供用開始しているようです。


 途中2回の休憩があったので「非常事態」に陥ることもなく、11時に無事、盛駅着。
 盛駅に乗り入れる鉄道のうち、三陸鉄道南リアス線は4月に吉浜までが部分復旧、JR大船渡線は3月からBRT(バス高速輸送システム)による仮復旧で運行されています。


 車庫に並ぶ、南リアス線の全所属車両4両。旧大船渡線の敷地が転用されたバス専用道を、BRTバスが走り抜けていきます。


 11時30分発、南リアス線吉浜行きが入線。震災当時の南リアス線の車両は、1両を除き浸水被害で廃車になりました。
 現在活躍する車両のうち3両は、クウェート国から寄贈された新型車両です。9月15日には徐行運転も解除され、震災前のダイヤに近付いています。


 車内はクロスシート主体で、シートの間隔は余裕たっぷり。テーブルも付いていて、観光利用に配慮されています。
 さすがに平日ではガラガラだよなあ…と思っていたら、大挙団体さんが乗り込んできました。一気に満席の盛況となり、ご同慶の至りです。


 団体さん乗車のおかげで、観光協会のお茶サービスや車内販売のおこぼれにも預かれました。小石浜名物のホタテ焼き(350円)をほおばります。
 団体さんは名古屋からで、三陸沿岸を巡るツアーとのこと。陸前高田では語り部ガイドからの説明もあり、今見れば広大な土地でしかない場所に何があり、何が起きたのかよく理解できたとのことでした。


 高規格の鉄道公団建設路線、それも明治・三陸大津波の教訓から極力内陸に作られた路線のため、トンネルが大部分を占めます。海岸線は、合間から時々見える程度です。
 景色の開ける所では徐行運転を繰り返し、美しいリアス式の景観を見せてくれます。


 復旧工事が行われている箇所では、ちゃんとその内容まで説明してくれます。


 まだ、岸壁の復旧に至らない場所も。


 地元ガイドさんも辛い経験をされたのでしょうが、被害の様子を訪ねる乗客の質問にも、笑顔で丁寧に答えられていました。
 冬に乗った北リアス線でもそうでしたが、三鉄は自らに大きな損害を与えた震災に、向き合い、語り継いでいくことを使命と捉えているようです。


 終点・吉浜付近の集落と海岸。
 大きな被害だったのでしょうと聞かれるが、明治三陸大津波で高台移転していたため最小限の被害で済んだ。今回の震災復興にあたっても、モデルになっている…とのことです。


 来年春までの終着駅、吉浜駅着。団体さんは待ち受けたバスに乗り換え、北リアス線方面へと向かっていきました。
 北リアス線田野畑駅と同様、キットカットの協賛でかわいく装飾された駅舎です。


 テレビの企画で、駅長に任命されていた志村けんの等身大ボード。


 今は錆びついた線路ですが、この先を走る列車も半年後には乗れます。釜石に抜けるのはその日以降にとっておき、今日は折り返し列車で盛へと戻ることにします。
 帰路の列車の乗客は、往路でも見かけた家族連れ4人と僕だけ。団体さんで賑わう活況と、それ以外の日常の、両方を見ることができました。


 三陸駅では5分停車というので写真を撮っていたところ、運転士さんから、
 「今日は『奇跡の車両』が臨時列車として来ますので、ぜひ撮って下さい。発車を待っていますので」
 という嬉しいお声が。

 『奇跡の車両』とは、ドラマ「あまちゃん」の中でもモデルとなった、南リアス線で唯一無事だった車両のことです。
 乗客は男性ばかりで「同業者」かなとも思いましたが、駅に着いても写真を撮るわけでもビデオを回すわけでもなく、普通の団体さんだったようです。


 トンネルの間には、真新しい築堤の区間が続きます。北リアス線に比べて復旧に時間を要したのは、これらの復旧工事の規模が大きかったからなのでしょう。
 防波堤の役割もあるのかもしれません。


 恋し浜駅でも、3分停車。片面ホームの駅で列車交換を行うわけでもなく、観光客向けの見学用の停車時間です。
 往路の列車では案内がありませんでしたが、団体さんに降りられたら収集がつかなくなるという判断があったのかも。


 恋の願いを込めて、ホタテ貝をぶら下げる…という場所だったのだろうけど、今は震災復興への願いが目立ちます。
 駅ごとに少しずつ乗客を乗せていき、盛に着く頃には、各ボックスに誰かいるほどになりました。部分復旧でも、必要とされている鉄路です。


 盛駅に戻ってきました。大船渡線は仮復旧の状態ながら、JRの駅舎はリニューアルされていて、三陸を見捨てないというJRの意思の表れとも受け取れます。


 盛駅に乗り入れる鉄道、もう1路線を忘れてはいけません。
 今は貨物専業となった岩手開発鉄道も、汽笛の音も高らかに貨車を連ねて走ります。


 盛からは、大船渡線BRTに乗って気仙沼方面へ下ります。三鉄とはホームを挟んで乗り換え可能。「駅」といえる空間にバスが乗り入れてくるのは、ちょっと不思議な光景でもあります。
 乗客は地元のご老人方ばかり。専用ICカードの「Odeka」も携えています。BRTについて話し合われていましたが「便利になった」「やっぱり汽車じゃないと」と、評価は二分されてました。


 盛から大船渡へは道路と交差する箇所が多く、交差点では信号の有無に関わらず徐行を繰り返します。
 鉄道のように完全な遮断機を設けられれば、列車並みのスピードを出せそうなのですが、そうはできない法的な壁があるのでしょう。BRTが鉄道並みのスピードに達しえない、一つの理由です。

 大船渡付近の市街地は、大きく被災した区間でもあります。今もその痕跡が残る一方、新たな商業施設の出店も。平地が限られる地域だけに、万一の際の被害は覚悟の上での再建なのだと思います。


 大船渡から先、小友までの専用道10kmは、3日前の9月28日に開業したばかり。これまでは所要時間短縮のため、峠越えで数駅をショートカットする便がありましたが、専用道で速達性が確保できることから、全便が各駅停車になりました。
 今回開業の区間は立体交差が多く、スピードも50~60kmを維持して走ります。


 高台から海を見下ろす、海沿いのローカル線らしい車窓も「復活」。
 ダイヤに余裕があれば、団体旅行の貸切バスを乗り入れさせても喜ばれるんじゃないかと思いました。


 細浦駅は、旧駅からわずかに高田方へ移設。旧ホームが横切ります。


 延伸区間には鉄道時代になかった駅が1駅、新設。その碁石海岸口で下車してみました。
 「踏切」をBRTバスが通過して行きます。


 駅にはバスの運行案内システムも設けられ、バスが接近すると音声案内も流れます。
 真新しい施設やバスと相まって、新交通システムのような雰囲気です。


 20分かけて海岸へと降りてみましたが、景勝地の碁石海岸まではさらに2km程度あるようで断念。駅の設置も、碁石海岸への玄関口というより、近隣の住宅地や建設予定の復興住宅へのアクセス向上が目的のようです。
 門の浜漁港、大規模な復旧工事が進捗中です。


 相馬と同様、倉庫は木造で建設されていました。


 散策を終え、駅へ。駅から北方向の待避所でバスがすれ違います。
 今回延伸した区間はカーブが多く、待避所を設ける余裕が少ないことから、既存区間のように目視によるすれ違いではなく、信号により待避所~待避所間にバスが1台しか入れないようになっています。


 信号方式なので対向車が来ないことが分かっていることから、速度も上げられるようです。立体交差が中心の大船渡~小友間の所要時間は、鉄道時代の15分に対し、BRTは1駅増でも17分と大差がありません。
 バス道ながら大雨や地震の警報を伝えるシステムも備えられ、災害への備えもなされています。


 小友で専用道は終わり。この先の路盤は被災の度合いが大きいく、市の機能も移転しているため、高台の裏道を走ります。BRTから途端に、「代行バス」の色彩を強めました。
 高台には仮設庁舎や金融機関が集まり、仮の中心部を形成。JRのみどりの窓口も、曜日限定ながら開いています。


 復興工事従事車両を横目に、海岸部へ下ります。
 かつての高田松原付近に設けられた臨時「駅」、奇跡の一本松で下車しました。


 ここが高田松原と呼ばれる、8万本もの松が立つ景勝地だったことに思いをはせてこそ、意義のある一本松だと思います。
 「その他大勢の松」に囲まれ、一本松が目立たなくなるほどに松原が再生する日が、早く訪れますように。


 三陸道の橋脚工事と、高台の住宅用地の造成が進みます。


 道路に列を成すダンプの轟音、重機の音、土埃…陸前高田市沿岸は、巨大な工事現場のようでした。
 ハード面に関しては、復興の槌音が響きわたっています。


 道の駅高田松原跡と、追悼施設。震災の遺構を残していくのか、各地で議論の渦中にありますが、ここは保存の合意が成されているようです。
 ボランティアガイドさんの説明に、おばさんグループが神妙に耳を傾けていました。


 奇跡の一本松駅に進入してくる、BRTバス。雑然とした道路端が続く周辺地域にあって、ここは花壇が美しく手入れされています。
 陸前高田から気仙沼間の各駅はBRTの支線系統に任せ、両市を結ぶ便は三陸道をショートカットします。高規格道路なので所要時間も短く、鉄道時代の30分に対してBRTでも33分と、そん色ありません。


 鹿折唐桑駅で下車。駅の目の前では、津波で内陸深く打ち上げられた第18共徳丸の解体作業が進んでいました。


 休止状態の大船渡線の線路は、ところどころで枕木が焦げており、津波後の大火災の痕跡を残していました。
 駅の予告看板は倒れたままで、線路も路盤が崩れ曲がっている所があります。


 一方で、仮設商店街の鹿折復幸マルシェには、真新しい遊び場ができていました。

 鹿折から気仙沼へは次のBRTを待つつもりでしたが、ちょうどミヤコーの路線バスがあったので乗り込みました。BRTだと途中ノンストップで駅まで走ってしまいますが、ミヤコーならば船着き場近くで停まってくれるメリットもあります。
 BRTの真の利便性向上のためには、鉄道駅以外にも積極的に停留場を設けるべきとは思いますが、既存バス路線との兼ね合いで難しい面もあるようです。


 今日の泊りは大島なので、エースポートの船着き場へ。年始には被災した立体駐車場の解体に着手されたばかりでしたが、すっかりさら地になっており、地盤沈下で浸水していた区画のかさ上げも進んでいました。
 今は大島や復興屋台村を訪れる、観光客向けの平面駐車場になっています。


 プレハブ小屋で往復の乗船券を買って、17時40分発の大島行きフェリーに乗ります。通勤時間帯とあって、下校生や勤め人で満員でした。


 気仙沼の港を離れる頃には、薄暗くなってきました。


 25分の航海の間にすっかり暗くなり、大島・浦の浜着。南北に5kmある長い島なので、出迎えの車が列を成し、島内の路線バスまで待っていました。
 宿の車に乗り込めば、ずらりと並んだ車列の最後尾を走る格好に。さすが、人口3千人を擁する島だけあります。


 見どころの多い大島ですが、もう真っ暗でお昼ごはんも食べていないので、さっそく夕ご飯に。さすがは港町、食べきれないほどのの海の幸が並びました。
 部屋の窓からは、波音が忍び込んできます。明日は早起きして散策の予定なので、9時には早寝しました。

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 3日目(9月29日)は、塩竃から相馬を見物。さらに仙台に戻って投宿しました。
 前日の酒が残ってはいましたが、なんとか7時半には起床。無料サービスのコーヒーを飲んで、行動開始です。


 朝ごはんは、塩釜市場へ。津波浸水域の市場ではありますが、沖合に点在する島々のおかげで勢いは弱かったようで、震災11日後には取引き再開されたそうです。
 日曜日のこの日は、一般のお客さんで賑わっていました。


 マグロの心臓「星」。船上で血抜きをした、国産マグロの証として置いているのだとか。
 食べてもおいしいそうで、コリコリした食感は独特。さっそくお買い上げ!


 イクラやカキも買い込んで、ご飯セットと合わせれば、即席海鮮丼の出来上がり。
 朝から贅沢、なのにリーズナブルなご飯です。


 お腹も満足したところで、塩竈といえばココ、鹽竈神社へ。
 車で参拝に来る人が多く、表参道はひっそり。半年で地元人になったYさんのガイドがなければ、「本流」の参拝ルートに気付かないところでした。


 こちらも修復中。


 振り返れば、塩釜湾。


 続いてウォーターフロントの、マリンゲートへ。松島方面の遊覧船や、離島航路の発着点です。
 屋上の上がると、何やら ささかまの少女がテレビ撮影を行っていました。


 海沿いの高架を走る、仙石線の電車も一望。海岸には、傷跡が残ります。


 塩竈を満喫した後は、相馬へ。まずは多賀城市を抜けて行きます。2年前に歩いた際には、都市型津波災害の恐ろしさに衝撃を受けた場所です。
 国道45号線沿いはすっかり復旧しましたが、津波浸水域であることを示す看板が見当たらないのは不安でもあります。


 仙台東部道路を走ります。防波堤となり、また避難場所としても機能した「命の道路」です。
 農地の復旧は、少しずつ進んでいるようでした。


 東部道路から続く常磐道は、山元まで。南側へは延伸工事が続いています。
 相馬方面への動脈、国道6号線を南下。






 相馬市に到着、相馬中村神社へ。相馬野馬追に登場する馬はここで飼われているもので、いろんな馬に会えたり、乗馬の体験ができたりする楽しい!?神社です。
 この日は多くの馬が「出張中」で、乗馬体験もできずに残念!


 海岸へ走り、原釜尾浜海水浴場へ。海の家が並ぶ、福島でも有数の海水浴場だったそうですが、海の家も、そして内陸側の住宅地も流されてしまいました。ブータン国王が、黙礼を捧げた場所でもあります。
 福島で海開きを果たした海水浴場は今のところ、いわきの一ヶ所のみ。こちらの再開の日は遠そうですが、海岸沿いで遊ぶ家族連れの姿が見られました。


 相馬港。本格操業に向け、港湾施設の復旧作業が急ピッチで進んでいます。
 日曜日ですが、クレーンの動きは休みなく続いていました。


 港に並ぶ漁業倉庫。内陸に住まいを移した漁師さんが、漁に使う道具を納めておくためのものだそうです。
 「蔵」風の外観は、近年の相馬市の公共施設共通のデザインなのだとか。


 松川湾に面した食事処、たこ八へ。波穏やかで防波堤らしい防波堤もない松川湾ですが、浸水の被害は大きかったようで、「たこ八」さんも今年3月に再開にこぎ着けたのだとか。
 巨大なあなごが2尾のった「大あなご丼」で、お腹いっぱいになりました。


 津波浸水域の水田。点々と置かれたビニール袋には、手作業で取り除いた小さながれき類が入っているのだそうです。
 元の農地を取り戻すため、地道な作業が続いています。


 磯部中学校の校地に立つ、公民館・出張所と長屋住宅。用途も設計者も異なる施設ですが、デザインが共通なので、一体感があります。
 高台にあるため、背後では住宅用地の造成も進んでいました。相馬市では復興住宅への入居も始まっているそうで、様々な人の努力で進みつつあります。


 相馬を離れ、Yさんの車を運転して塩竃へ戻ります。
 途中ナビを頼りに、常磐線不通区間の新地駅付近を目指しました。線路があり、駅があり、家々があった場所ですが、鉄橋は土台を残すのみでした。


 踏切だった名残りは、電柱一本のみ。すでに線路のルートをふさぐように、新しいガードレールが設置されています。
 常磐線は、内陸側に移設して復旧することが決まっています。


 東北本線塩釜駅でYさんと別れ、一人旅に戻ります。仙台駅は、イーグルスのリーグ優勝記念で賑わっていました。

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