Chang! Blog
福岡のハングル検定準2級建築士、そして一児の父の[ちゃん]のブログです




 常磐線とともに、「幹線」でありながら不通が続く路線が、仙台と石巻を結ぶ仙石線です。交流電化の路線が中心の東北地方にあって、直流電化で都市型ダイヤを組む珍しい路線で、震災前にも一度乗ったことがありました。

 震災では大きな被害を受け、特に野蒜駅付近を走っていた列車は流出。あの日のニュースでは列車そのものが「行方不明」と報じられ、とんでもない事態が起きていると思い知らされたものです。

 今も高城町~矢本間は不通で、バス代行が続いています。今後同じ被害を出さないように内陸移転の計画があり、数年間はバス代行の体制が続きそうです。それでも利用者の多い幹線だけに、可能な限り利便性に配慮した形の運行を行っています。

 12月31日、宿で出会った就活中の大学3年生君とともに、仙台から石巻を目指しました。


 仙台駅の仙石線ホームには、いしのまき行きマンガッタンライナーの案内が(別の時刻に撮影)。今のところ石巻までは行けませんが、看板を降ろさない所に、復旧への決意を感じます。




 マンガッタンライナーは、2編成が走っています。石ノ森章太郎の出身地ということで、マンガの街として売り出していた石巻市とのコラボで走り始めた電車です。今の終点は高城町ですが、いつかきっと、石巻へ戻れるはず。

 復旧区間でも沿線の被害は大きく、1階部分が流失したまま修理できていない家や、打ち上げられたボートが見られます。それでも7月に乗った時よりは、だいぶ片付けが進んでいるようにみえました。


 電車は高城町までですが、代行バスは駅前広場の広い松島海岸から発着します。7月には、GWに運航再開に漕ぎ付けた遊覧船で、松島の風景を楽しみました。

 代行バスは観光バスタイプで快適ですが、道路の段差が大きく、特に橋の前後では大きく揺さぶられます。


 陸前富山を過ぎると、バスは松島湾沿いに。鉄道は更に海側を走っていて、松島の小島が点々と浮かぶ風景は美しいものだったろうと思います。ただ、現状のまま復旧することが正解ではないことも、周囲の被害を見ていれば分かります。

 線路周辺のがれきは片付いていますが、JRは復旧工事に全力を投じているのか、復旧が未定の仙石線の線路や駅施設は手付かずのまま。架線駐は傾いたままです。


 多くの住宅が流された野蒜集落の中心・野蒜駅は、内陸移設の対象駅ですが、駅舎には現ルートでの早期復旧を求める旗や垂れ幕がかかっています。修繕を終え、「野蒜に住む」宣言を大きく掲げた家もあり、内陸移設が総意ではない様子が伝わってきました。


 石巻側の陸前小野駅までも津波で浸水したものの、こちらは現ルートでの復旧が決まっています。3月ダイヤ改定での復旧に向けて、工事が進んでいました。


 矢本駅着。代行バスの運行も長期に渡り、しっかりした案内が掲げられていました。


 矢本~石巻間は変電所が損傷したことから、通常は陸羽東線で使われている、新しいキハ110系気動車が応援に来ています。電車と同じ、4両編成を組んでいました。


 仙石線は電車用の高いホームなので、低いホーム向けのステップを埋めて使用中。


 石巻駅到着。浸水の被害を受けた電車が、そのまま残されていました。


 石巻駅前にそびえるピンク色のビルは、なんと石巻市役所。閉店に追い込まれた駅前デパートを、市役所に再活用したものです。1階部分はスーパーや土産屋になっており、浸水の被害から復旧して営業再開していました。


 街には津波被害の跡が残りますが、再開した商店も多く、年末でなければもっと賑わっていたものと思います。
 マンガ美術館までは「マンガロード」と呼ばれ、石ノ森マンガのキャラクターたちの像が並びます。すべて水没したはずですが、ピカピカに磨き上げられていました。


 サインの石板が納められた「マンガ家ギャラリー」は、ガラスが割れ、土砂が残っていましたが、盗難の被害に遭っていないことにほっとします。


 萬画館も休業中ですが、応援メッセージが掲げられ、多くの人が訪れているようです。2012年の早期に再開する計画のようで、観光客を呼び込めるようになれば、経済が回るきっかけにもなるはず。ファイトです!

 日和山に登ると、春のような穏やかな海に対して、陸側の大変な光景に言葉を失いました。

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 常磐線の不通区間・広野~亘理間102.2kmのうち、一部区間に当たる原ノ町~相馬間20.1kmが12月21日に運行再開しました。南側は原発事故による警戒区域のため、北側は津波被害のために復旧の目処が立たない中、内陸部を走る短区間での再開です。

 他の路線と結ばれず、離れ小島的に運行するJR線は、この区間が本邦唯一。これまでにも、あまり例がないように思われます。電車を陸送してきて、専用の車両検査場を設けるという、大がかりな工事を経ての復旧でした。

 原発事故に伴う人口の急減という苦境の中、関係者の努力で結ばれた鉄路。再開10日後の12月31日、この区間に乗ってみました。


 仙台からの電車は、現在のところ亘理が終点。相馬までを代行バスが結びます。同区間の代行バスは上下56本と本数が多く、データイムには快速便も運行され、速達性にも配慮されています。
 平野の広がるこの区間は内陸数キロにまで津波が達し、大きな被害を受けました。常磐線そのものも列車が巻き込まれ、線路も駅も壊滅状態。内陸部へ移設しての復旧を構想中ですが、電車が走るのは早くても3年後と言われています。
 代行バスは、浜吉田や駒ヶ嶺駅では鉄道駅に入るのですが、山下や新地など被害の大きかった地域の駅は旧駅に寄ることなく、国道6号線沿いの役場などに停留所を設けています。もはやバスも立ち寄れなくなった平野部の風景は高台の国道から望め、言葉を失いました。


 七十数分をバスに揺られたどり着いた相馬駅は、立派なお屋敷風の駅舎。ここから原ノ町までの20.1kmを、電車が結びます。2回の乗換えが必要になりますが、代行バスに比べ40分の時間短縮になったそうです。


 相馬~原ノ町を結ぶのは、701系電車の2両編成。オールロングシートで、混雑には強い電車です。車内にはトイレがありますが、臨時の検修場には汚物の処理設備がないようで、使用停止になっていました。所要時間は20分なので、さほどの影響はないようです。


 1両目には十数人が乗ったようですが、2両目は僕一人。田園地帯の中へと走り始めます。1月9日までは徐行運転とのことですが、代行バスから乗換えた身には、スムーズな走りに感じられました。1月10日以降は、所要時間が17分に短縮されるとのこと。


 途中駅の日立木、鹿島も営業再開。なるほど、この駅があるから、佐賀の方は「肥前鹿島」駅という名前になったのか…。
 トンネルの手前では、やたら長く警笛を鳴らします。9ヶ月に渡る運休の間に、トンネルや線路は「生活道路」になっていたのかもしれません。


 20分で原ノ町駅到着。


 自動改札機も稼動、日常の駅の姿がありました。


 「スーパーひたち」の車両はまだ、仙台にも上野にも帰れません。
 震災と原発関連の報道で南相馬市の名前は全国区になりましたが、原ノ町駅周辺はもともと原町市という自治体で、鉄っちゃんとしても駅名の由来にもなっている原町の名の方が馴染みがあります。そんな原町の街を歩いてみました。


 夕方5時というのに駅周辺は人通りもほとんどなく、街は深夜のような装いです。もっとも大晦日の地方都市ならばどこもそんなもので、原発の影響と断じるのは早計と思います。
 ただ全国チェーンのファミレスの閉店時間が21時と異様に早くなっていたり、ファーストフードも休止中だったりする様子を見ると、人口減が経済活動に与えている影響は大きいようにも見えました


 台風で停電しても営業を止めないコンビニさえ、最近まで24時間営業を取り止めていたようです。商店街の店先には「営業再開店おすすめMAP」なるものが貼り出されており、個人商店も休んでいた店が多かった模様。少しずつ、日常を取り戻しつつあるようです。


 駅前通りはライトアップされ、音楽も鳴らされていました。人通りは少ないとはいえ、車の流れは活発で、魚屋さんの前には年末年始用の魚を買い求める客で賑わっていました。


 お茶屋さんの前に揺れる「八女茶」の文字に、福岡県人としてはちょっと感動してしまったのですが、店内には「九州産だから安心」の張り紙が。素直に喜んでいいものか、どこか複雑な気分になりました。


 原町へのアクセスは現在、福島駅からのバスがメインとなっているようで、満員で駅前へ向かって走っていました。帰路に乗った原ノ町から相馬の電車も大荷物の人が多く、バスから乗り継いだ乗客のようです。
 特急も走らず、2両編成の電車が往復する姿は、震災前の常磐線に比べると、まだまだ日常とはいえないかもしれません。今は本格復旧への第一歩を記した姿、いずれ仙台へ、そして上野へ直通できる日がきっと来ると信じています。


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 九州新幹線の開業から10ヶ月以上が経ち、順調に利用を伸ばす駅、低迷する駅の明暗が分かれてきました。特に、全国的にも例を見ない短い間隔で3つの駅が設置された筑後平野の各駅も、それぞれ異なった歩みを進めています。
 そこで1月も間もなく終わる28日、筑後船小屋から久留米、鳥栖と3駅の様子を眺めに行ってみました。

慢性的な駐車場不足が続く【筑後船小屋駅】
 7~9月の実績でも1日の乗降客数が700人と、なかなか伸びが見られない筑後船小屋駅。大幅割引の「日帰り2枚きっぷ」導入で、巻き返しを図っているところです。


 昼12時過ぎ、駅前駐車場に入ろうとしましたが、やはり満車でした。毎日のことかは分かりませんが、僕が訪れる休日昼間は必ず満車状態です。
 この駐車場は駅レンタカー九州が設けた民間駐車場であり、わずか157台分の規模しかありません。他の駅のような公営の駐車場は設けらておらず、キャパ不足の感があります。これでは駐車場が当てにできず、利用低迷の原因の一つになっているのでは?


 駅裏にはようやく臨時駐車場の造成が始まっていましたが、工期末は3月。こうしている間にも、利用者の逸走は進んでしまいます。


 駅前は丁寧に手入れされていますが、相変わらず人影がありません。


 …?(笑)


 13時16分発・つばめ347号、博多発熊本行。乗車20人、下車15人。


 13時22分発・つばめ344号、熊本発博多行。乗車50人、下車3人。
 この日は船小屋温泉で会合でも開かれたのか、上下列車とも会社員らしきグループが乗り込んでいく姿が目立ちました。これも新幹線効果の一つ!?
 列車自体は、自由席・指定席もほどほどに乗っていました。指定席はビックリつばめ2枚きっぷの効果も大きいようで、博多~熊本間の「さくら」よりも混んでいるようです。


 駅前では、芸術交流施設の建設が進んでいました。ガラスドームのある、斬新な形の建物になるようです。


 駅から車で5分ほど離れた筑後広域公園の船小屋温泉寄りでは、温泉施設の建設が進んでいます。ただここ、本来は10月1日にオープン予定でしたが、致命的な施工不良が見つかり やり直し工事中という、なんとも不運な施設。筑後船小屋駅の利用増にも寄与すると目されている施設なのですが、駅本来の本領を発揮できる環境がなかなか整いません。
 規模は公営にしては小さめで、「ホンモノの温泉」を楽しめる施設であることを願います。


 併設の「川の駅」は先行オープン、買い物客で賑わっていましたが、ほぼ100%がマイカーで訪れていました。


 船小屋で話題なのが、実験浴場「すずめ湯」。船小屋温泉本来の炭酸湯を楽しめます。


 オープン1年半にして、この年季。炭酸ガスによる中毒を防止するため、窓を開けなければならないというほどの温泉です。充分、全国区で通用するだけの泉質で、船小屋温泉の活性化や、ひいては筑後船小屋駅の利用を伸ばすだけの実力を秘めている!?…かも。


利用は順調、駅周辺の活性化が課題【久留米】
 1日2800人と、目標を上回る利用がある久留米駅。春のダイヤ改定では大阪直通の大幅増便も決定し、目下順調な走りを続けている駅です。


 在来線の駅と一体になった自由通路には、多くの人が行き交います。


 そんな久留米駅の課題は、駅周辺の活性化。昨年新たに設けられた西口ですが、「駅裏」だった頃に比べてだいぶ開けてきたとはいえ、まだまだ静かなものです。


 駅舎の完成予想図では店舗が並んでいた駅舎下も、今はデッドスペースのまま。


 一方、メインの玄関口となる東口も、正面右手の駅ビル用地に槌音が響き始める気配がありません。


 駅前タワーマンションの1階部分に当たる「タワーモール」も、まだテナントが埋まっていない状況です。
 駅正面左手の「フレスタくるめ」のテナントは埋まっており、周辺も空き店舗は少ないことから、これらの空きスペースも、いずれは埋まってくるのではないかと思っているのですが…新幹線利用者の伸びに合わせて、少しずつ賑わいにつながっていけばと思います。


 既設の駅とあって周辺には民間駐車場が多く、おいそれと値下げできない市営駐車場の低迷も、課題の一つです。


乗り継ぎターミナルの面目躍如【新鳥栖】
 新鳥栖駅の乗降客も当初こそ低迷したものの、7~9月期では当初想定値の1,700人をクリア。大阪直通便の増便も計画されていますが、古くからの交通の要衝としての歴史を受け継ぎ、今も熊本・鹿児島方面から佐賀・長崎方面への乗り継ぎターミナルとして機能しています。
 駅周辺の開発も新駅らしく、大規模な計画が少しずつ進んでいます。


 24時間100円の割安な市営駐車場は、今日も好調。キャパは充分で、満車にならない安心感は大切なものです。


 九州広域から患者を集めることになるのであろう がんセンターも、だいぶ立ち上がってきました。


 広大な開発用地も何区画かあり、1つでは結婚式場の建設が決まっています。


 新駅とはいえ、近隣には古くからの住宅と新興住宅街があることから、こんな「地域の駅」としての顔も持っています。


 鳥栖でホットな話題といえば、苦節十数年の末にJ1昇格を決めたサガン鳥栖!今シーズンは全国各地から強豪を迎えて、サポーターの動きも活発になるものと思われます。
 ただスタジアムは在来線の鳥栖駅前で、遠方から新幹線で訪れるサポーターにとっても、博多で在来線に乗り継ぐ方が便利。新幹線の利用には、どれほど結びついてくれるでしょうか…?


 15時22分発・さくら416号、鹿児島中央発博多行。乗車3人、下車50人以上。
 鹿児島からやってくる足の長い列車だけに、降りた人数は人波となって、数を捕捉できませんでした。多くの人が、在来線改札口へと流れていったようです。


 15時24分発・さくら419号、博多発鹿児島中央行。乗車20人、下車不明。
 春のダイヤ改定後は、鹿児島まで入る800系がだいぶ減るようです。


 15時33分発・さくら309号、博多発熊本行。乗車2人、下車10人。
 速達列車が続くだけに乗車率はいま一つでしたが、下車した人は大荷物の人が目立ちました。博多で5分接続の「のぞみ」からの乗り継ぎ客がメインだったようです。

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 東京と仙台の間を、太平洋岸に沿って結ぶ常磐線。全線電化で特急も走る立派な「幹線」はしかし、現在も82.1kmに渡って不通になっています。津波で壊滅的な被害を受けた上に、原発事故の警戒区域内に入った区間も多いため、今もって被害の全容すら掴めていない路線です。

 それでも一歩一歩、復旧できる区間から再開が進んでいます。南のいわき側では、9月30日の緊急時避難準備区域解除に合わせて、10月10日には広野駅までの運行が再開されました。折り返し運行となり、本数も限られたいわき~広野間はどんな様子なのか?12月30日、いわきのホテルを5時半に起きて、乗りに行きました。


 広野行き始発は、いわき6時06分発。朝早い時間ですが、この方面の2番電車です。


 青いハチマキを締めたステンレスの電車は、九州でもお馴染みの415系1500番台。ホームには、線路の続いていない原ノ町・仙台方面の字も見えます。ドアの開閉は、各車両1ヶ所のみ。車内保温に努めます。


 他の節電要請地域と同様、車内灯の一部も間引かれていました。


 久ノ浜を過ぎると、所々で朝焼けに染まる太平洋の大海原を望むことが出来ます。ただそれは津波の被害とも隣り合わせであり、家の土台だけが残る集落が見られました。


 広野駅着。折り返しのできる2番ホームに電車は入ります。1番ホームとの間には仮設ホームが設けられ、階段の昇り降りをなくす配慮も。心配りを感じる一方、立派な仮設ホームからは、この状態がしばらく続く覚悟もあるようです。


 震災前は特急停車駅だった広野ですが、駅舎は素朴な平屋建て。早朝から駅員さんが詰めていました。


 駅周辺を歩きます。震災の際には余震も激しい地域だっただけに、地震そのものの被害も大きく、大きく損壊した家やブロック塀が目に付きました。片付けはできても修理がままならない家からは、未だ資材と人手が不足している現状が見て取れます。一方で家主が戻れず、壊れたまま放置されている家も多く見られました。


 新耐震基準以降の家が並ぶ新興住宅地では、損壊した建物はあまり見られないのですが、半分くらいの家が雨戸を閉めたままです。たわわに実ったままの柿も、家主が戻らない一つの目印。広野町の放射線量は比較的低めではあるのですが、特に子どものいる世帯であれば、区域解除になったからといってそうそう簡単に戻れるものでもないものと思います。




 国道沿いの店舗や宿泊施設は、企業の「対策本部」に切り替わった建物が多く見られます。国道は北へ向かう車ばかりで、多くの作業員さんたちが警戒区域へと向かっていました。原発事故収束に向けて、年末年始も無関係に働く多くの人に、敬意を表します。


 そして海岸沿いの広野の町も、津波被害とは無縁ではありません。駅の海側の防波堤は破壊され、強い勢いで波が畑や住宅を呑み込んだ跡が残っていました。海沿いのガレキ撤去は進んでいるのですが、内陸側では家の屋根やひっくり返ったままの軽トラが、手付かずで残っていました。

 地震、原発、津波の三重苦。福島の災害を表す時にそんな表現をすることがありますが、これらが徒歩の範囲に隣り合わせる状況を目の当たりにして、しばらく呆然。
 …ふと聞こえてきた踏切と電車の中に、我に返りました。次の広野行き電車が入ってきたようです。色々な日常が戻らない街で、以前のように電車が走る。一つの交通機関が復旧したこと以上の意味が、あるのかもしれません。


 この先の、さび付いた線路に電車が走る日がいつになるのかは分からないけど、いつかまた、必ず乗りにきます。

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 手持ちの鉄道フリーきっぷが1枚、バスフリーきっぷ1枚が年度内に有効期限を迎えるので焦り気味。というわけで、九州内の全鉄道乗り放題の「旅名人の九州満喫きっぷ」を消化すべく、日帰り小旅行に出かけました。


 まずは花畑駅から、西鉄甘木線で甘木へ。金島までは花火大会やら仕事やらで最近乗ったけど、その先といえば7年ぶり。沿線ののどかさや、おばちゃん駅員が電車を出迎える風景は変わりません。
 ただ甘木線、この10年で3割も乗客が減っていて、いつまで続いてくれる風景なのか、心もとない状態ではあります。


 続いて、甘木鉄道へ。こちらに至っては、甘木~大板井間に乗るのは小学生以来です。本社機能もある立派な駅の雰囲気は変わらないけど、駅前のスーパーは廃墟と化していて、寂しい限り。


 車両はすっかり入れ替わり、大型の気動車になりました。しかし車内放送では、頑なに「レールバス」という表現を貫いていますw
 鉄っちゃんの間で話題を振りまいた「旧国鉄風塗装」の車両は、車庫でオヤスミ中でした。


 基山から鳥栖へ抜け、長崎本線で肥前鹿島へ。長崎新幹線建設に伴う経営分離問題で揺れた長崎本線・肥前山口~諫早間ですが、その間の駅には一つも降りたことがなかったので、訪れてみました。


 駅前はがらんとした感じですが、電車が到着すると送迎で賑わいます。特急の乗降客も多く、存廃で揺れたとは信じられないほど。


 駅付近に「商店街」という名の付いた通りはありますが、商店は歯抜け状態。それでも探し回れば、昔は賑わったことを想像できる一角も見つけられました。


 停車時間や乗り継ぎ時間を見ながら、いろんな駅に降りられるのもフリーきっぷのいいところ。
 肥前白石駅は、昔はどこもこうだったなあと思える木造駅舎と丸ポストの組み合わせにほっとしました。ホームの草花もよく手入れされていて、人の手の通った駅のぬくもりがあります。


 牛津駅は、立派なレンガ造の新しい駅舎にびっくり。電源地域産業再配置促進費補助事業…なるもので整備されたようです。


 唐津線と長崎本線の分岐駅・久保田は、今こそ小さな駅舎、静かな駅前ですが、長いホームからはターミナル駅の栄華が伝わってきます。
 ここで唐津線に乗換え。1時間に1本ディーゼルカーが走るのどかなローカル線ですが、僕が乗る時はいつも混んでいる印象です。喜ばしいことだけど。


 西唐津までやってきました。この駅まで来たのも中学生以来。


 駅前こそ印象に残る風景のない西唐津ですが、駅裏に回ると、立派な火力発電所がお出迎え。原発停止の影響でフル稼働中と思い込んでいましたが、休止されて数年が経つ発電所のだそうです。


 唐津では、前職の後輩君ファミリーとともに、イカやアジの活き造りで一杯。おいしかった!


 唐津で夜10時まで飲んでも、その日のうちに帰れるのが電車旅のいいところ。103系と303系に揺られ、闇の中、ひたすら天神を目指します。


 天神に着いたら、時間を巻き戻したような雑踏。満員の急行に揺られ花畑に戻り、充実の1日でした。

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 年末年始の旅の目的は、震災に負けずに頑張る鉄路に乗ることでした。これから何回かに分けて、各地の「負けない鉄路」の今を記録していきたいと思います。

 12月29日、旅の初日に乗ったのは、茨城県ひたちなか市を走る、ひたちなか海浜鉄道。大震災では津波ではなく、地震の揺れによる甚大な被害を受け、全線運休に追い込まれました。

 もともとこの鉄道、純粋な民間の鉄道会社だったのですが、赤字による廃止の方針を受けて、3年前に地元自治体との共同出資による第三セクターの鉄道に生まれ変わったという経緯があります。それだけに、多額の費用をかけて復旧できるのか、このまま廃止になるのでは…と心配していたのですが、地元で「残そう」というコンセサンスをすでに受けている鉄道だけに、立ち上がりは早かった。
 3ヶ月後にはわずか1駅間ながら運行再開、意地と再起への意志を見せ付けてくれました。その1ヶ月後の7月23日には全線再開、今はダイヤも震災前と変わらぬ姿に戻っています。


 車両そのものは、各地のローカル私鉄で見られるタイプ。


 でも近付いてみると、沿線の子どもたちのメッセージで埋め尽くされていました。


 いつも走っているわけではないようですが、こんなレトロ車両も大切に使っています。ファンにはうれしい限り。


 駅舎も大切に使われていて、古きよき鉄道のイメージを残しています。


 駅名版は「デザイン」されていて、なかなか秀逸。


 沿線随一の観光地でもある「那珂湊おさかな市場」は、那珂湊駅から徒歩圏内。地震と津波の被害は大きく、今もその痕跡は痛々しく残っています。


 しかしこちらも、わずか1ヶ月で営業再開。年末ということで、大勢の買い物客で賑わっていました。


 終点、阿字ヶ浦駅周辺も地震の爪痕が色濃く残りますが、かつては東京から直通の急行列車でレジャー客が訪れたという海岸線の美しさは、健在でした。


 新しい会社に生まれ変わっても、古いものを大切にしていて、どこか懐かしい雰囲気に包まれた鉄道です。沿線の風景はありふれたローカル線なのですが、また季節を変えて訪れてみたいと思ったのでした。

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 学生の頃の旅といえばとにかく貧乏旅行、メシといえばパンか駅そばをイソイソと食らうだけでしたが、社会人になってからは、現地のおいしいものを食べる(+呑む)ことも旅の大きな楽しみになりました。とはいえ一人旅なので、かしこまった食事どころには入りづらく、B級グルメや駅弁、居酒屋メニューが中心です。
 そんな各地の、おいしいものをズラリ紹介。


 スントゥブ・チゲ@横浜・大倉山(12/28)。
 大倉山に住む妹の、お気に入り居酒屋のメニューの一つです。関東とは思えない安さで味もよかったけど、入っているお豆腐はスントゥブではない、フツーの豆腐だったのが残念!


 アジの刺身丼@茨城・那珂湊(12/29)。
 津波で大きな被害を受けたお魚市場ですが、年末ということで買出し客で大賑わい。この直前に駅そばを食べていましたが、ペロっと平らげてしまいました。


 石巻焼きそば@宮城・石巻(12/31)。
 眼下には変わり果てた街並みが広がる、日和山公園にある食堂で食べました。蒸し焼きにした麺にソースをかけて食べる、B1グランプリでもお馴染みのメニュー。あっさりした味は普通の焼きそばと別物で、なかなかイケます。日常的に食べたい味です。


 牛タンつくね串@仙台(12/31)。
 もっちりした食感は、フツーのつくねと一味違う。名物牛タンを、こんな形であれ食べられて大満足でした。


 比内鶏いいとこ取り弁当@盛岡駅(1/1)。
 山田線の暖房の効いた車内から雪景色を見つつ、至福の気分で食べたお弁当です。日本酒も持ち込んでおけば、おいしさもひとしおだっただろうな。


 盛岡冷麺@盛岡(1/1)。
 日本の冷麺としては、韓国風にとても近い感覚。麺だけは、ハサミで切るほどの固さじゃなくて安心しました。


 せんべい汁@八戸(1/2)。
 B1グランプリの常連メニューで、ガイドマップも充実。初売りの日ということで、市内では振る舞いもあっていたのですがタッチの差で間に合わず、開いている店を探し回ってありつきました。「せんべい」は普通のものと違って弾力があり、お正月ということも相まって、お雑煮を食べたような気分にもなれました。


 十和田バラ焼き@青森・三沢(1/2)
 こちらもB1常連メニュー。三沢の、某高級旅館内の屋台村で食べましたが、さすがに値段も千円と「B級の中のA級」です。まずかろうはずもなく、夜10時という時間でしたがぺろっと平らげました。


 じゃっぱ汁@青森(1/3)。
 アラがごろごろ入った、温まる冬の青森の味覚。地酒の「田酒」もくいっと空けて、心まで温もるようなメニューでした。


 ほたて釜飯@新青森駅(1/4)。
 最新型のE5系新幹線の中で、贅沢な気分で頂きました。これまた、日本酒と合わせたかったなあ…。


 牛タンカレー@仙台空港(1/4)。
 保安検査場内、搭乗口前のスタンドで食べた名物?料理。刻みノリをかけて箸で食べる、カレー丼的なメニューでした。

 いつもバタバタとしたものになりがちな僕の旅ですが、旅先の街ではゆっくりと時間を取って、おいしいものにありつきたいものだと思ったのでした。

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 連休中日の今日は、友人に誘われ佐嘉神社へ初詣へ。松原界隈に来たのも久しぶりなので、「五社詣で」を終えた後にはまわりをぶらぶらしてみました。


 恵比寿ギャラリー。確か前の通りにはアーケードがかかっていたはずですが、いつの間にかなくなっていました。アーケードの存在にはメリット、デメリットがあると思いますが、ここが商店街であることが一見して分かり辛くなったのは確かです。


 ぐるりと巡って佐嘉神社の裏に出ると、これまたなにやら見慣れぬ施設が。その名も「わいわい!!コンテナ」。芝生広場にコンテナが置かれ、Book&Cafeの文字が見えます。新しくできたブックカフェかな?と思い近付いてみると、「入場無料」の文字も。よく分からないけど、何だか面白そうだぞ!という勘は働き、ドアを開けてみました。


 コンテナとは思えない、開放的な空間。
 カウンターにはインスタントコーヒーが置かれ、なんと無料で飲めるのだとか。


 海外の雑誌やデザイン専門誌、果ては鉄道ジャーナルまで、ちょっと他では見かけないような興味を引く雑誌が並びます。
 絵本や漫画本などもあって、いろんな世代が楽しめそうなラインナップです。


 芝生の広場を見ながらの読書タイムは、格別な時間。こんな場所が近所にあったら、毎週通ってしまいそうです。

 市の図書館分館か何かなのかなと思いましたが、よくよく説明を読んでみると、民主導の街なか活性化施設のようです。それも昨年6月から、この1月末まで、期間限定の社会実験なのだとか。いいなあ、こんな動き。
 街なかの買物や散歩ついでに立ち寄る人もいるようだし、ここ目当てで街に出てくる人もいるようで、滞在した2時間の間、入れ替わり立ち替わりで誰かしらくつろいでいる状態。今月いっぱいで終わってしまうのは残念ですが、一定の「成果」は残せているように見えました。

 図書館とは違って、飲食をしながら本を手に取りくつろげるというのが心地よくて、まさに街なかのサロンとして機能しているようです。例えば久留米でも、井筒屋跡地にこんな場所があったら、街に出る機会も増えそう…というか、個人的に嬉しいです。六ツ門図書館からブラウジング部門だけでも街なかに出てきてくれたらなあ、なんて夢想したのでした。

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 東北の旅、元日は宮古市を訪れました。
 震災では8.5mの大津波に襲われ、沿岸部を中心に壊滅的と形容されるほどの被害が出ましたが、4月11日には宮古市魚菜市場の営業を再開、7月16日には観光遊覧船が復活。観光客誘致にがんばっている街です。


 山田線・三陸鉄道宮古駅。山田線釜石方面の復旧の目処は立ちませんが、盛岡方面と三陸鉄道の小本までは列車が走っています。
 駅前は出迎えの人、見送りの人で賑やか。乗り入れるバスも地方の街としては多く、活気のある街に感じられました。

 遊覧船乗り場まではバスで15分。車窓には、あの日テレビの中継で何度も見た風景が、現実の世界として広がります。


 浄土ヶ浜ターミナルに着くと、
 「遊覧船にお乗りですか?」
 と係員の方が出迎えに来られました。ターミナルが地震の被害を受けており、船乗り場までの歩道も崩落して通行止めのため、案内のために出て来られているのだとか。
 乗り場まで5分弱の道のり、いろいろと会話を交わしましたが、宮古の復興のためにも、多くの人に観光に訪れてもらいたいとの話が印象に残りました。


 乗り場に着く頃には既に出航時刻を過ぎていましたが、バスからの乗り継ぎ客のために出航を待っていたようです。案内の方が船に向かって
 「福岡からのお客様です!」
 と伝えられ、ちょっと照れくさかったです。


 すぐさま出航。美しい浄土ヶ浜の風景が広がります。


 今日は波が荒く、船に弱い人は苦しそう。しかしこんな天気だからこそ、海面に岩場が没する、荒々しくも美しい風景に出会えます。


 珍しい「ロウソク岩」。


 岩場の隙間に波が流れ込み、 霧状に海水が吹き上げる「潮吹穴」も、荒い波のお陰ですごい勢い。


 しかしこの航路の名物は、何といっても船に群れるウミネコの大群。船内で100円で売られている「ウミネコパン」の餌付けを、多くの人が楽しんでいました。7月の運航再開を誰よりも待っていたのは、ウミネコたちかも。


 津波の脅威は遊覧船からも垣間見られ、破壊された防波堤の数は1つや2つではありませんでした。一方で自然景観は、津波で浸水した場所まで松が枯れている程度で、ほとんどその姿を変えていないのだそうです。

 ガイドさんの案内は自然景観に留まらず、津波被害の状況から教訓までに渡り、被害の跡が残る今だからこそ伝わる内容も多かったように思います。

 この船自身も、津波の襲来に備え、船長が沖に船を出して命がけで守ったものです。海が落ち着き陸に戻るまでの間、船長は船内に唯一あった食糧を食べながら、命をつないだと言います。その食べ物とはもちろん…そうウミネコパン!なんてエピソードも聞くことが出来ました。

 40分の航海は、あっという間。今、乗ってよかったと思った航路でした。

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 遅ればせながら、新年もよろしくお願いします。

 年末28日から一昨日4日にかけて、東京から青森まで少しずつ北上する旅に出ていました。観光名所を巡ったり、うまいものを食べたりするのももちろん楽しみだったけど、一番の目的は「震災に負けず頑張る鉄道」に乗ること。

 震災の影響で不通になっている鉄道路線は、今も数百キロに及びます。しかも甚大な被害のため復旧見込みが立たない路線あり、安全確保のためルート変更を検討中の路線あり、原発事故で立ち入り禁止となり被害の全容すら掴めていない路線ありと、元の姿を取り戻すには途方もない時間がかかるものと見られています。

 それでも、走れる鉄道は走る。少しずつ、着実に運行距離を伸ばしていっている鉄道路線の「今」を見たいというのが、何よりの目的でした。


 ひたちなか海浜鉄道、7月23日全線運行再開。


 常磐線・いわき~広野間、10月10日運行再開。


 仙石線・矢本~石巻間、7月16日運行再開。


 三陸鉄道北リアス線・陸中野田~久慈間、3月16日運行再開。

 列車そのものは、電気設備損傷のためディーゼルカーの運行に変わったり、整備基地が使えずトイレが使用禁止になったりという変化はありますが、ほぼ日常の姿で走っていました。

 列車が走る地域は、地震、津波、原発で大きく姿を変えています。そんな中を、坦々といつも通りに列車が走ることに、意味があるような気がしました。

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