Chang! Blog
福岡のハングル検定準2級建築士、そして一児の父の[ちゃん]のブログです




 三陸鉄道北リアス線の復旧を見届ければ、もう帰らねばならない時間です。
 しかし鉄道旅行派たるもの、帰路も「往路」の気分で楽しみたいのが人情。三陸までを夜行バスで倹約した分、帰りはちょっと贅沢してみました。


 久慈駅に、八戸行きの東北エモーション号が入線してきました。肥薩おれんじ鉄道の「おれんじ食堂」に続き、昨年10月にデビューしたレストラン列車です。八戸発はランチ、久慈発はデザートビュッフェを味わいつつ、車窓を楽しめます。
 乗車券は駅で一般販売されておらず、「びゅう」の旅行商品扱いです。しかし片道乗車のプランもあり、久慈→八戸間はデザートビュッフェ付きで4,000円と、比較的お手頃に楽しめます。


 料理を沿線レストランからケータリングしてくる「おれんじ食堂」と異なり、東北エモーションは車内キッチンを備えています。車両形式も食堂車を示す「シ」が付与され、キクシ112を名乗っていました。
 しかもライブキッチンスペースというコンセプトで、車内からはもちろん、車外からも調理の様子を見ることができます。


 1号車は個室車、3号車はオープンダイニング車。テーブルにはすでに食器がセッティングされ、乗客の登場を待っていました。はやる気持ちを抑えて乗り込む…ことができないのが残念!
 2ヶ月前にはすでに満席になっており、何度トライしてもキャンセルが出ずに、ついに切符を入手できなかったのです。直前キャンセルも狙っていましたが、三陸沿岸各駅の旅行センター「びゅう」は土日休みばかりで、チャレンジすらかないませんでした。


 隣のエモーションをうらやましく眺めつつ、後続のリゾートうみねこ号に乗ります。窓が大きく、席を外に向けて座ることができる展望重視のジョイフルトレインです。
 3両のうち、2両は自由席。普通乗車券で乗ることができて、かなり「乗りドク」な列車と言えます。ただ、うみねこはもう3度目の乗車。隣の東北エモーションを眺めていると、やっぱりあちらに乗りたかったと改めて思いました。


 ゆるキャラ「うにすけさん」が手を振ってなぐさめてくれた…ように見えました。


 エモーションのデザートビュッフェの代わりに、道の駅で買い込んだ地酒を開けて、出発進行!
 僕らと同じく、三鉄全線開業に立会いに来た人も多かったようで、指定席・自由席とも満席になりました。


 八戸線は、太平洋とつかず離れず走る絶景路線。それだけに津波の被害も大きなものでしたが、震災から1年で全線復旧を果たしました。
 海辺に並べられたドラム缶に描かれた「ありがとうJR」の文字から、沿線の人の気持ちが伝わります。


 青森県に入ると、曇り空に。ウミネコ島が見えてくれば、もう八戸市内です。


 八戸からは、東北新幹線で一気に東京を目指します。
 ホームが大きなドームに囲まれた八戸駅は、日本の駅ばなれしたデザインです。


 メタリックな緑の塗装が輝く、E5系はやぶさ号。最高時速320kmで、東京~新青森を2時間台で結びます。
 はやぶさ28号は、盛岡以北が各駅停車となる準速達タイプですが、それでも八戸~東京間は3時間ちょっとです。


 乗り込んだのは10号車。そう、国内最高クラスの特別車両「グランクラス」です。
 東北新幹線に乗ることも滅多にないので、大枚9千円を払ってみました。


 金色の扉の向こうに広がるのは…


 これが新幹線の車内!?JR九州の観光列車の内装に驚かされてきましたが、グランクラスにはそれとまた違う、ゴージャスな空気が漂っていました。


 普通車ならば5列が並ぶ空間に、わずか3列の座席。シートピッチも広々しており、これだけの空間を占有できるだけでも。9千円の価値はあるかもしれません。


 ちなみに、こちらはお隣のグリーン車。グランクラスから来ると、普通車に見えてしまう…


 軽食のサービスがあるグランクラスですが、昼に久慈で食べた大盛り丼がきいていたので、ひとまずドリンクからもらうことに。アルコールも含め、道中はフリードリンクです。
 さすがはグランクラス、スーパードライゴールドが出てきました(笑)。おつまみはお馴染み亀田製菓のものですが、グランクラスオリジナルのものとのこと。グラスが贅沢な気分にさせてくれますが、おつまみもお皿で出て来れば、もっといい気分だろうなとは思いました。


 2杯目は、青森県産リンゴを使ったシードル。リンゴの甘酸っぱさが広がり、う、うまい…。


 盛岡駅では、秋田からの「こまち」とドッキングです。いつの間にか秋田新幹線も世代交代になり、赤い矢のようなE6系がペアになりました。E5系の色合いとも相性が良く、デザイン面でもE2+E3系のペアから大きく進化しています。
 盛岡から、前の席に釜石駅で拝見したクウェート大使夫妻が座られました。宮古での式典からの、帰路のようです。盛岡以南は320km運転。揺れが大きくなり、下り坂ではフワっとした感覚に包まれます。


 盛岡を出たところで、軽食をオーダー。同行者と和食、洋食で分け合ってみました。僕の洋食はサンドイッチです。ビニールで包まれた包装は安っぽくって、しかも自分ではがさなくちゃいけないのは残念!食器は無理でも、せめて手をわずらわせずに食べられる状態で出してくれたらと思います。
 小さなパッケージではありますが、見た目よりはボリュームがありました。味もなかなかで、特にミニハンバーグがいけました。ワインもオリジナルの瓶で、いい気分です。


 食後にはコーヒーと茶菓をお願いして、食前酒からはじまるちょっとしたコース料理の雰囲気に。貧乏性なのでちょっと欲張ってしまいましたが、おかげで大満足のひとときでした。
 頻繁に乗るわけにはいかない値段だけど、たまの贅沢にまた乗ってみたい車両です。その時は、今回飲めなかった日本酒も味わってみたいな。


 3時間という長い時間ではありましたが、名残惜しくも終点・東京へ。
 後部に連結されたE6系「こまち」。グランクラスはないけれど、今度はこっちにも乗ってみたいです。


 3日前の夜に見た、東京の街明かりの中に戻ってきました。僕にとっては、三陸も東京も遠き地です。


 三陸ではまだ桜の季節は遠いものでしたが、東京はすでに葉桜。「はやぶさ」は季節を突き抜け、駆け抜けたのでした。

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 三陸鉄道北リアス線の全線復旧に立ち会うべく、4月6日に訪ねた岩手県・北三陸。もう3度目になる土地ですが、毎朝欠かさず見ていた朝の連ドラ「あまちゃん」の放送以降では、初めてになります。
 袖が浜のモデルになった小袖海岸まで行く余裕はありませんでしたが、三鉄に乗って久慈をたずねる旅程は、図らずともロケ地巡りになったのでした。


 畑野駅として描かれた田野畑駅は、最終回で登場。ドラマの中でも部分復旧の終点として描かれ、手作りで掲げられた「この先へ」の垂れ幕が印象的でした。
 今日からは「この先」へ行けます。ドラマの中の「北三陸鉄道リアス線」も、きっと全線復旧していることでしょう。


 夏ばっぱが大漁旗を振って見送った海岸は、列車が徐行し案内も流してくれますので、見逃すことはありません。
 ドラマで描かれたアキの旅立ちの日のような、澄み渡る青空が印象的でした。


 袖が浜駅のモデル、堀内駅。袖が浜海岸から すぐ上にある駅として描かれていますが、小袖海岸とはまったく別の場所になります。
 また北三陸駅の1駅隣で、震災後数日で運行再開した区間という設定にもなっていますが、実際は久慈駅までは4駅離れています。ただ再開に賭けた北鉄社員の熱い思いは、三鉄の事実に忠実です。


 久慈に向かう列車は陸中野田から内陸部に入り、田園地帯を走ります。オープニングで流れていた北三陸鉄道の列車の映像は、この付近で撮られたものだとか。
 また並行する道路も、何度か劇中に登場しています。


 久慈駅に停車していた、お座敷列車。劇中では重要な役回りを「演じた」列車ですが、全線開業に向けて新しいお座敷列車が導入され、一線は退くようです。「こたつ列車」のフトンが上げられた状態は、なかなかシュールな光景でした(笑)。
 ただ あまちゃんファンが乗りたいお座敷列車は、まさにこの車両では?


 久慈駅の跨線橋では、潮騒のメモリーズ号の運転士になれます(笑)。


 北三陸観光協会が入居していた、駅前のレトロな「駅前デパート」。北三陸鉄道の大きな看板も出ています。
 ただ再開発の波に呑まれ、解体の予定だとか。


 商店街には、あまちゃんハウスが登場。


 ドラマに出てきた、あんなアイテムやこんなアイテムまで展示中。


 北三陸観光協会がコツコツ作り上げた模型も、実物が展示されています。


 駅前商店街の「もぐらんぴあ まちなか水族館」は、沿岸部で津波被害にあった水族館をまちなかで再建した施設。無料で楽しめる、充実した観光名所です。
 外ではあまりアピールされていませんが…


 館内には「あまちゃん」関連の展示がてんこ盛り。あまカフェのコーナーには、ゆかりの品々が。


 さらには北三陸鉄道・北三陸駅のセットまで。精巧に作り込まれていて、ついつい見入ってしまいます。


 切符売り場には、北三陸鉄道開業25周年記念入場券セットまで!
 ただドラマでは畑野駅となっているはずの田野畑駅は、幻の中の幻の駅「北三陸鉄道田野畑駅」になっていました。袖が浜駅が見当たらなかったり、「北リアス線」の字があったり、劇中では別会社のはずの「南三陸鉄道」があるのもご愛嬌です。


 お座敷列車の再現コーナーはかなりデフォルメされてますが、作り込まれたポスター類には唸らされます。


 気軽に海女体験できるコーナーもあり(笑)。


 八戸線で通った種市駅。種市先輩の名前の由来ともなった場所です。

 ドラマや映画の世界に入り込むのは楽しいもので、毎日楽しんだ朝ドラならなおさらです。次回こそは、袖が浜まで足を伸ばしてみたいものだと思いました。

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 明けて4月6日(日)は、北リアス線の全線復旧の日。せっかく宮古に泊まったので、宮古発の一番列車に乗るべく5時20分に起きました。


 さめやらぬ街を宮古駅に歩くと、5時40分、すでに三鉄宮古駅には行列ができていました。
 早朝5時50分には窓口を開けることが告知されていましたが、繰り上げて対応されたようです。


 久慈行きの復旧一番列車は、2両編成。沿線の皆さんの他、鉄道ファンや報道関係者の姿も多くみられました。
 東北の地方紙、河北新報の記者さんからインタビューを受け、「復旧後10年で廃止された島原鉄道のようにならないよう、遠くからも応援したい」と答えましたが、紙面には乗ったかな??




 2両編成だったのはありがたく、海側のボックス席を確保。先頭部分には、マスコミ各社が陣取っていました。運転士さんからは乗客へ、再開までの支援を感謝するメッセージが伝えられ、胸が熱くなりました。
 6時8分、汽笛を鳴らし宮古駅を出発。車内は拍手に包まれました。外では、沿線の方々が手を振って見送ります。さらに制服姿で横断幕を持つのは、都営地下鉄の運転士さんら。多くの人に見守られての、第二の開業です。


 周辺に津波の爪痕を感じられる田老駅では、復旧した区間を通過してきた正真正銘の一番列車、宮古行と交換。こちらの久慈行きよりも、空いているように見えました。
 乗り移ってくる人も見られ、車内は早朝の列車とは思えない熱気に包まれてきました。


 昨日までの終着駅・小本駅では、小旗を手に見送る人の姿が多数。
 南リアス線と同様、新たな復旧区間は徐行になります。長いトンネルを、ゆっくりゆっくりと、踏みしめるように走って行きます。


 トンネルを抜ければ、島越駅。頑強な高架橋は集落もろとも押し流され、北リアス線ではもっとも難工事となった区間でした。
 まだ7時前という時間ですが、大漁旗を手に見送る地元の方々の姿がありました。


 さらにトンネルを抜け、やはり昨日までの終着駅・田野畑着。震災から約3年1ヶ月、ついに線路は通じました。
 サクラに飾られた駅舎は朝陽に輝き、どこか誇らしげに見えます。


 『負けない心 朗らかに 前身』


 上り列車に乗り、島越駅までバックします。こちらでも地元田野畑の皆さんが、大漁旗で見送ってくれました。


 単行の列車でしたが、車内は余裕がありました。昼にかけて、混雑していくのでしょう。


 島越駅下車。駅前に建てられた仮設パイプの展望台には、大勢の地元の方の姿がありました。


 瀟洒な駅舎は高架とともに流され、島越駅に残されたのは9段目までの階段と、宮沢賢治の歌碑のみ。それらは遺構として、今も残されています。
 作り変えられた線路は築堤となり、防波堤を兼ねる頑強なものになりました。


 駅舎の再建も開業に間に合う予定でしたが、資材不足により数ヶ月、ずれ込むことになりました。
 海を眺めながらのんびりと時を過ごせることで人気だった喫茶店も、ふたたびお目見えするのでしょうか…?


 『復興の始発駅』


 8時45分発の久慈行きは、約10分遅れで到着。頂いた小旗を振って、歓迎しました。


 島越~田野畑間では、地元からの記念品が配られました。ワカメにシイタケにマッシュルーム…新鮮な地元の食材に、感謝!


 田野畑駅では、久慈発の記念列車と交換。時間が下るにしたがって、見送りの人々も増えてきました。


 三陸鉄道を寸断したのも海ですが、大きな恵みもやはり海。集落をまたぐ高架橋からは、太平洋の大海原を望むことができます。
 10分遅れで、久慈で接続の八戸線の列車も待たせている状況でしたが、橋上での観光停車はダイヤ通りに行われました。観光客なしでの活性化はあり得ない、三鉄の今が見えるダイヤでもあります。


 松原と堤防で、海までの視界がさえぎられていた野田村は、今も海が見えるままです。
 しかし堤防の復旧工事は、着実に進んでいます。


 北の始発駅、久慈駅に到着。この日、公式の式典は宮古駅前で行われていたのですが、久慈駅でも市民手作りのイベントが企画されていました。
 まずは、縁起もよろしく餅まきからスタート。何歳になっても楽しい行事で、夢中で手を伸ばしていました。


 続いて朝ドラ「あまちゃん」で、久慈駅ならぬ北三陸駅の大吉駅長・吉田副駅長を演じた杉本哲太さん、荒川良々さんも登場。部分復旧時に片目を入れた「つながるんだるま」へ、もう片方の目を入れました。
 「北鉄の駅長としても、ほんとうにうれしい!」と叫んだ杉本さんに対し、荒川さんは「名誉駅長は一人で岩手県のCMやってます。一緒にやろうと誓ったのに、裏切者です!」という全線復旧とは無関係なコメントで、笑いを誘っていました。


 この日、記念列車とは別に、イベント列車として「大吉駅長・吉田副駅長と行く!!!『北三陸満喫号☆』」も設定され、久慈駅の出発式はこの列車で行われました。一般市民も見送りにホームに入ることができて、こ線橋も周囲も人でいっぱいに。
 「あまちゃん」劇中で描かれた、北三陸鉄道開業記念式典をはるかにしのぐ賑わいで、おそらく30年前の三鉄開業時以来の人出になったのではないかと思います。吉田副駅長も、笑顔で手を振って出発です。


 最後尾に乗り込んだ大吉駅長も、地元の方とタッチを交わして祝福。地元ブラスバンドの奏でる「銀河鉄道999」のテーマに乗せて、出発していきました。

 喜びの中で再スタートした三鉄ですが、赤字体質なのは震災前からのことです。震災に伴う沿線人口そのものの減少と、街の高台移転で、状況はさらに厳しくなっています。運行本数が震災前より減っているのも、厳しい再出発であることを暗に示しています。
 今日の賑わいが、かつて黒字経営を達成していた頃のような、沿線の「マイレール」の気持ちの再興へとつながりますように。そう願わずにはいられません。

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 4月5日(土)、BRTに乗り陸前高田から盛駅まで出てきました。盛駅で、南リアス線全線復旧の記念フリー乗車券を購入。盛~釜石間の片道運賃は1,080円のところ、乗り降り自由で1,000円なのだから、かなりお値打ちです。
 列車は、昨年の盛~吉浜間の部分復旧時に導入された、クウェート寄贈の新型気動車。正面には三井不動産提供のヘッドマークが添えられ、全線復旧を祝います。


 列車は1両きりの単行編成。8:50の釜石行きは、朝から3本目の列車です。乗り切れるのかなと心配でしたが、意外と車内には余裕がありました。


 盛を後にした列車は、ループを描いて大船渡市内を北へと向かいます。大船渡市内も大きな被害を受けており、沿線には仮設の建築物が並んでいました。


 吉浜までは、昨年春に部分復旧した区間ですが、各駅では大漁旗をなびかせてお祝いしていました。
 三陸駅では盛行きの上り列車とすれちがい。あちらは、ぎっしり満員です。こちらの列車に乗り移ってくる人もおり、立つ人も出はじめました。


 防波堤の復旧工事現場にも、三鉄の未来を応援する力強いメッセージが。


 吉浜駅では、地元の少年たちが太鼓で出迎えてくれました。太鼓のリズムに送られながら、今日復旧した区間へと踏み出して行きます。
 工事が終わって間もないことから、開業区間は徐行運転。これまでの復旧区間でも、概ね半年程度は徐行運転が続けられてきました。


 トンネルの合間から見える海は、穏やかな春の表情です。


 周辺が浸水したという唐丹駅でも、大漁旗の見送りが。


 平田駅からは戦場カメラマン(?)が乗り込み、釜石までの1駅を生中継で同乗取材。「本体」は釜石駅にいるようで、2元中継を行っていました。


 新しいショッピングセンターが見えてくれば、間もなく釜石。昨秋は吉浜までしか行けなかった線路は、確かにつながっていました。


 釜石駅に到着。ホームは、マスコミ各社が集っていました。岩手県内のテレビ局各局は土曜の朝ワイドの時間のようで、競って中継を行っていたようです。
 そんな中の岩手放送の記者さんにつかまり、カメラの前へ。岩手県内へ生中継で流れてしまいました。沿線の盛り上がりに感動した、これからも応援してます…としゃべったように記憶していますが、うまくできたかな?


 地下道には応援メッセージの寄せ書きコーナー。


 賑わう駅前を横目に、さきほど車窓に見えたショッピングセンターをのぞき見に。通常なら屋上にある駐車場を1階に設け、津波被害に耐えるように設計された防災型のSCです。館内にも、避難経路があちこちに記されていました。


 釜石駅前は、お昼に向かうにつれて賑わいが増してきました。


 13:30からの開業記念式典まで時間があったので、お隣の平田駅まで往復することにしました。
 小さな築堤上の無人駅は、大漁旗と、町内会が掲げた横断幕で飾られていました。


 傷跡残る街にはためく、青い空をバックに映えるノボリ。


 盛駅11時発の列車は、約10分遅れで到着しました。造花で飾られた車内は、ご覧の通りの超満員状態。ホームの人が数人乗り切れない状態だったので、中の人にトイレへ詰めてもらうように頼んで、どうにか全員乗ることができました。感謝!
 30年前の三鉄開業時のルポに、トイレまで超満員になった列車のエピソードがあったと記憶しており、図らずとも30年前の再現となりました。


 釜石に戻り、駅横のシープラザ釜石でお昼ご飯。新鮮な魚介類は、三陸沿岸の楽しみです。


 13時30分から、特設会場では全線運行再開記念式典が開かれました。会場はテントでしたが、寒さ対策のためか透明な壁で覆われていました。入りきれなかった僕らは、ガラス越しに見学です。
 式典は、震災犠牲者への黙祷から始まりました。沿線首長や国土交通大臣に続き、三鉄の望月社長が全線開業を宣言。「第2の開業」という言葉が重かったです。赤十字大使として藤原紀香さんも姿を見せており、多くのギャラリーが詰めかけていました。


 ホームに移動して、記念列車をお見送り。レトロ列車を併結した3両編成で、招待客と抽選で当たった一般市民のみ乗車できるものでした。僕ももちろん応募していましたが、あえなく落選でした。
 くすだま割りと万歳三唱に続き、盛駅へと出発していきました。


 明日開業の北リアス線の始発駅・宮古へと向かいます。JR山田線は不通のままなので、まずは岩手県交通のバスで山田町まで向かいます。
 昨冬乗った際にはガラガラでしたが、今回は同じ目的の人も多いようで満員状態。補助椅子がついた一般路線バスを初めてみましたが、大活躍でした。


 船越駅前で岩手県北バスに乗り継ぎ。その合間に、休止中の山田線の駅を見に行きました。錆びついた線路と、板が打ち付けられた駅舎が、しばらく列車が来ていないことを伝えています。線路の草は刈り取られ、荒れた感じがないのは救いでした。
 JRが提案したBRTの仮復旧も沿線自治体は拒否し、代行輸送すら行われていない山田線。最近ではJRの負担で復旧し、三鉄に譲渡する案も提案されています。再び列車が走るのは、いつの日でしょうか…


 ただ県北バスで通った大槌駅の場所は、それがどこだったのかまったく分からない状態。山田町は木造家屋の基礎どころか、まだ3年前から手つかずの建物が多く残り、早期の鉄道復旧は険しい環境であることも感じられました。
 新しい街のデザインが決まり、その基幹交通として山田線が復旧する…そんな日が早く訪れることを願っています。


 宮古到着、市内のホテルに投宿しました。街中でフラリと入った、若い大将の居酒屋が大当たり。旅行者とみるや、メニューにない刺身の盛り合わせや、日本酒に合う燻製セットを出してくれました。
 飲み明かしたい気分にまでなりましたが、明日は北リアス線の一番列車に乗るため、5時起きの予定。10時には布団に入りました。

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 東日本大震災で大きな被害を受けた三陸鉄道が、2014年4月、南リアス線・北リアス線の両線ともに全線復旧することになりました。
 壊滅的な被害を受けながらも、震災わずか5日後には部分的に運行を再開。国の補助も得られ、これまで少しずつ運行区間を伸ばしてきました。その間には朝ドラ「あまちゃん」のヒットもあり、多くの話題を与えてくれた鉄道会社でもあります。

 少しずつ伸びる三鉄には3度に渡って乗ってきたので、思い入れもひとしお。悲願の全線復旧がかなう瞬間をも届けたくて、飛行機と夜行バスを乗り継ぎ現地に向かうことにしました。
 まずは4月5日土曜日につながる、南リアス線の始発駅・盛を目指します。


 仕事を終え、飛行機で福岡から羽田へ。東京出向中の友人と合流して、まずは文化財の高架を活用した商業施設「マーチエキュート神田万世橋」を訪ねました。
 夜に行って見たかった、旧ホーム上のカフェ「N3331」でビールを一杯。ガラスの両側を、「日常」を満載した中央本線の電車が駆け抜けて行きます。普通の生ビールも、千金の味です。


 池袋から、気仙沼・大船渡方面の夜行バス「けせんライナー」に乗ります。明朝は三鉄復旧の日でもあるからか、早くから予約でいっぱいになっていました。酔いが回り、一週間の疲れもあって、都内を抜ける頃には夢の中へ…
 朝を迎え、バスは気仙沼から陸前高田へと向かいます。大きな被害を受けた沿岸部の旧市街地には、山から続くベルトコンベアーが完成。大規模な土地の造成が続き、新しい街に生まれ変わろうとしていました。


 陸前高田で下車、JR大船渡線の仮復旧と位置付けられているBRT(バス高速輸送システム)に乗り換えました。BRTは昨秋、盛~気仙沼間に乗ってみましたが、「支線」に当たる高田~矢作間は未乗だったので「乗り潰し」です。
 陸前矢作も本来は「本線」上の駅ですが、BRTは高田~気仙沼間をバイパスでショートカットするため、経由しない矢作方面はこの「支線」がカバーします。


 行き止まりの終点となっている矢作駅は、本来の鉄道の駅からやや離れた所に位置します。
 朝7時前ですが学生さんが集まってきていて、BRTに乗るかと思いきや、「通学支援バス」に乗り込んでいきました。


 矢作から上鹿折(気仙沼)方面の線路は、ほぼ無傷。再び列車が走る日を願うのですが… 
 支援バスに乗り遅れたと思しき学生さん1人と共に、盛方面へと戻ります。


 高田~矢作間の支線区間は一般道を走るBRTですが、唯一の中間駅・竹駒駅前後の数百メートルだけは専用道になり、「駅」が設けられています。
 あまりに短くてBRTの「高速」は発揮できず、むしろ専用道への出入りに時間を要しているようでした。ただ、普通のバス停よりは「駅」としての存在感はあります。


 小友までは高台の裏道を走りますが、沿道には新しい住宅や商店が張り付いていました。
 小友からは10km以上に渡る、長い専用道へ。低地では復旧工事が行われており、その真ん中を新しい専用道が貫きます。


 専用道上の細浦駅で下車。駅周辺は津波で大きな被害を受けた地域の一つですが、被災前の街並みを思い起こすには想像力が必要です。
 かつては気動車が走った築堤の上を、新しい1台のバスが走って行きます。


 駅の周囲は荒涼としていますが、仮復旧の岸壁には多くの漁船が留め置かれ、港町の活気を感じられます。港湾施設も、復旧工事が進んでいました。


 BRTの車窓に見える海にも、養殖筏が点々と浮かんでいます。4月17日からは、席が窓を向いた観光用BRTも走り始める予定で、車窓名所の一つになることでしょう。
 ただいつかは、列車から眺めてみたい車窓です。


 大船渡市・盛駅に到着。右側がJR(BRT)、左側が三鉄の駅舎です。
 いよいよ今日、全線復旧を果たした南リアス線に乗り込みます。

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 内子町立旧長田小学校「お山の学校ながた」で目覚めた朝は、雨。桜が散らないか心配です。
 瓦ぶき、下見板張りの校舎は、山間の風景に溶け込んでいました。


 これまたボリュームたっぷりの朝食の後、厚かましくコーヒーをお願いしたら、こんな素敵な木のカップで出てきました。これも、地元の工房で作られているものだとか。見た目の優しさだけでなく、取っ手が熱くならないという実用性も持っています。
 お山の学校ながたは、1泊2食で6,500円。バーベキューや五右衛門風呂の体験もできるとかで、また訪ねてみたい宿でした。


 地区の皆さんに手を振られ、長田を後に。狭い山道は、やはり昼に見ても狭いものでした。
 現在は狭隘部の拡幅工事が行われており、しばらくすれば行きやすくなることでしょう。


 せっかくなので、内子の街にもちょっとお邪魔。内子座は大正5年(1916年)に建てられた演劇場です。


 升席の並ぶ館内には、随所にモダンな洋風の意匠も見られ、四国の山中が最先端を走っていた時代を伝えていました。


 伝統的な街並みの保存地区も、ゆるやかな坂道に軒が並び、いい雰囲気。


 今に活かされている建築物も、多く見られました。
 1時間弱で立ち去るにはあまりに惜しい街で、また別の旅で訪ねてみたいものです。駅からも近いので、列車旅で来ても楽しめそう。


 車で1時間ほど走り、八幡浜市日土小学校に到着。2012年には重要文化財に指定された校舎で、今日は年に3回の一般開放日です。今回のドライブ旅行も、この日程に合わせて日程を決めました。
 日土小には大学生の頃、2001年に訪れたことがあり、今回は実に13年振りの訪問。その間に大規模改修と増築が行われ、外観は建設当時の色彩を取り戻していました。


 日土小学校は、採光に気を配られた明るい室内が特徴。大きな窓や天窓を設けるだけでなく、光庭をつくることでより多くの明かりが入ってきます。
 昇降口も、明るい空間。下駄箱は、足で浮かせたり奥の仕切りをなくしたりしていて、解放感も感じられます。


 廊下と教室の間には、光庭。飾り棚もデザインされており、とても昭和30年代の校舎には見えません。


 ゆるやかな階段は、2段抜かしで駆けたくなります。
 学校では廊下は走るな!が鉄則だけど、これだけ見通しがよければ、ぶつかることもないかも。


 大規模改修がなされた校舎ですが、木製建具そのものはそのまま。ガラスは強化ガラスに代わり、クレセントも付いていたけど、古い時代の意匠も残されていました。


 河川に張り出したテラスと階段。大学生の頃には、先生から給食の余りのパンを貰って、川の魚に餌付けしたことを思い出します。
 コンクリートのテラスには、あの時にはなかった背の高い柵が取り付けられていましたが、時代の流れなのでしょうね…。


 13年前との大きな変化は、新校舎が増築されたこと。
 今風の校舎ですが、窓が大きく取られ、旧校舎に負けず明るい空間です。


 階段もゆるやか。新しい校舎ながらに、旧校舎の哲学の多くが受け継がれていました。


 お昼ごはんは、名物B級グルメという八幡浜ちゃんぽんを食べに、アーケード街の「ロンドン」へ。


 こってりちゃんぽんに慣れた口には新鮮な、あっさりちゃんぽんでした。


 再び佐多岬半島を走り、国道フェリーに乗って九州へ。


 霧の大分道をひた走り、土日のロングドライブは無事にフィナーレとなりました。

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 年度末の週末、職場の建築屋5人とともに四国・愛媛へ1泊2日のドライブ旅行へ出かけました。


 久留米から高速道路を2時間半、大分市佐賀関の港に到着。11時の船で、三崎へと渡ります。佐賀関~三崎間はわずか70分、まさに「目と鼻の距離」です。
 元大分県人の僕にとって「船で四国」はごく当たり前のルートなのですが、メンバーにとっては新鮮だった様子。


 四国に上陸、まずは細長い佐多岬半島をひた走ります。
 ちょうど桜が見ごろになった週末、山も点々とピンク色に染まっていました。。


 昼ごはんは三崎の「まりーな亭」にて。刺身丼は、卵を溶いたダシをぶっかけて食べるスタイルでした。
 するりと入り、はじめて食べる食感でした。


 三崎から松山へは、高速道路でも海岸沿いの国道を経由しても時間は大差がないようで、海岸道路を選択。
 晴れていれば、さぞ爽快なドライブコースだろうと思えるほど、澄んだ海がきれいでした。


 久留米を出て7時間、午後3時にようやく松山着。なかなかの距離に疲れを感じましたが、短い松山観光がスタートです。
 まずはロープウェイに乗って、高校生以来の松山城へ。今風の、ガラス張りゴンドラに生まれ変わっていました。リフトが並行しているのが特徴の松山城ですが、リフトは雨天運休で残念。


 午前中から続く風雨に負けず、桜は満開。天守閣と桜、絵にかいたような日本らしい風景です。


 城下の県立美術館も見学。重厚感と軽快感が同居した、年代不明の不思議な雰囲気の建築物でした。


 お土産は、ロープ―ウェイ乗り場の今治タオル専門店へ。手触りはもちろん、デザインも様々。贈り物にも喜ばれそうですが、自分用のタオルも欲しくなってきます。
 僕は「バリィさんタオル」を1枚、買い求めました。


 今日の泊りは内子。高速道路を降り山道に入ったのですが、ナビを信用して走っていたら、とんでもない細い山道に迷い込みました。ワンボックスを傷つけないかヒヤホヤしながら山道を30分、やっと「お山の学校ながた」に到着しました。
 遅れたことを詫びつつ、さっそく晩ご飯。地域の方々に作って頂いた手作りのご飯は、アユや椎茸も地のものなのだそうです。食べきれないほどの量に、満足満足。


 この「お山の学校」は、人口減少で廃校になった内子町立長田小学校を改修した施設です。
 畳敷きの客室は、教室だったもの。もともと人数が少ない学校だったらしく、教室としてはやや小ぶりです。その分、宿になってもあまり違和感はありませんでした。


 2階の5・6年生の教室は、そのままの形で残されています。大きな黒板の両側に、折り畳み式の小黒板と時間割板があるのが珍しいです。
 

 多目的ホールは立派なもの。わずか3クラスの学校には過分な施設…と早合点することなかれ。この学校にはもともと体育館や講堂がなく、それらの代わりと考えればささやかな規模だったとも言えます。


 さらに、奥行きのあるステージには音符のかかれた黒板が。多目的ホールは、音楽室をも兼ねていたわけです。
 平成5年築の校舎は、小規模校ながらに様々な工夫が施されていました。

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