三陸沿岸の津波で甚大な被害を受け、不通が続くJR東日本の気仙沼線、大船渡線、山田線。これらの復旧の手法としてJR東日本は、線路を剥した専用道路にバスを走らせる「バス高速輸送システム」、通称『BRT』による復旧を提案しています。
あくまで鉄道復旧を求める沿線自治体は、「仮復旧」の手法の一つとして同意。12月22日から、気仙沼線にBRTが走り始めました。低床バスや新しい駅舎、高頻度運行など、ローカルバスとしては破格のサービスを提供する裏には、「これで満足してもらえないか」というJRの思いも見えてきます。
ところで同じ手法のバスの先行事例ともいえるバス路線が、茨城と福島にあります。そこで今回の旅行では1日目に茨城、福島、3日目に気仙沼線のBRTを乗り比べてみることにしました。
★「かしてつバス」石岡駅~四箇村駅
まず1ヶ所目は、常磐線石岡駅から分岐していた鹿島鉄道の廃線跡を利用した「かしてつバス」。関鉄グリーンバスが運行する路線のうち、専用道路を経由するバスの愛称です。
鹿島鉄道の代替バスだけではなく、話題の新空港・茨城空港の連絡バスも、この専用道を経由します。
石岡駅前のバスターミナルから発着します。
木の床!懐かしい雰囲気がただようバスです。乗客は空港行きバスらしく遠来の人が多く、中国人も混じっています。SuicaやPasmoは使えないのか?との質問を運転士が受けていましたが、今のところ対応していません。
代わりに?かしてつバス専用の1日乗車券(1,000円)があり、空港往復だけでもモトが取れます。
石岡駅を出発し、踏切を渡るとすぐに専用道の入口があります。遮断機が設けられており、バスが近づくと自動的に上がるシステムです。
ちなみにこの道路は関鉄グリーンバスの持ち物ではなく、市の所有・管理なのだとか。インフラは公設、運営は民間という、いわゆる「上下分離」の考え方です。
バスは30~50kmくらいの、ゆっくりした速度で進みます。しかも一般道路との交差部分は、ほとんどが一般道路側が優先道路…つまり踏切の度に停車を強いられてしまい、あまり早くはありません。所要時間は石岡~小川間で、鉄道時代より5分伸びています。
四箇村駅で専用道は終わりますが、この先小川駅までは延伸の計画があるようです。
一般道に移ったバスは、水を得た魚のごとく快調に走り始めます。これなら一般道を走った方が早いんじゃ?とも思いますが、信号停車もあるし、時間帯によっては渋滞も激しいのだとか。専用道は定時性の向上に、大いに役立っているとのことです。
快調なのはいいのですが、運転士さんが利用者数調査の調査シートを運転しながら記入しており、時々バスがフラついてヒヤリとさせられました。小川駅前の40km制限の狭い道を、55kmで飛ばすのもどうかと…
35分で茨城空港着。千歳2便、神戸2便、上海1便という本数の少なさですが、帰省ラッシュの時期とあってターミナルビルは大賑わいでした。無料駐車場も盛況です。
ターミナルは地方都市の玄関駅程度の規模ですが、広いターミナルなど疲れるだけ。歩く距離は最小限で、利用者に優しい空港といえそうです。
帰路のバスは、都バススタイル。中古車かな?
僕一人きりだったバスに最初に乗り込んできたのは、ベトナム人。整理券を取らずに乗ったので、運転士さんは「券取って!」と言いますが、キョトンとした様子です。カタコトの日本語で「僕、ベトナム人で…」と返してみたものの、
「ベトナム人か知らないけど、整理券取らなきゃどこから乗ったか分からないでしょ!」
とひどい対応。僕が代わりに乗り口まで行って券を取り渡しましたが、国際線も発着する空港行きバスがこんな接客では、茨城、いや日本の印象に関わってしまいます。
専用道に戻り、石岡南台駅で下車してみました。このバス停に限らず、旧駅のバス停は「駅」と称します。跨線橋も備えた立派な駅ですが、跨線橋は立ち入り禁止になっています。
南台ニュータウンの玄関口として平成元年に開業したばかりで、開業わずか19年で廃止の憂き目にあいましたが、3年後にはバス停として復活しました。団地周辺では並行する国道も少し離れており、国道を走るバスが一旦団地へ立ち寄るのも無駄が多そうです。
南台ニュータウンへのアクセス確保も、専用道整備の目的の一つ…だったのかも。
かしてつバスをバス会社ではBRTと呼んでいませんが、工事看板には道路名称として「BRT」の文字がありました。
銀色の「かしてつバス」カラーをまとった専用バスで、石岡駅へ。バス停やバスには大きな「か」の文字をシンボルとしてあしらっていて、親しみやすい印象を受けました。
かしてつバスは速達性よりも、定時性や、廃線跡の駅に近い位置にバスを走らせるための専用道という印象を受けました。優先道路化など、工夫次第では速度向上も見込めそうで、今後の延伸の際にはぜひ実現してほしいです。
★白棚線・棚倉~白石
JRバス関東・白棚(はくほう)線は、1957年開業と古い歴史を持つ専用道バス。もともと国鉄白棚線という路線でしたが、戦争の激化で1944年に不要不急路線として撤去。戦後、鉄路としての復旧を断念し、バス専用道を走る「白棚高速線」となりました。
夕方4時を前に、早くも夕暮れの磐木棚倉駅からバスに乗ります。この時点で2分遅れ。
バスは女性運転士で、やさしい運転と丁寧な案内に好感を持ちました。
駅を出るとすぐ、左手にバス専用道が折れていきますが、バスはそのまま国道を走ります。開業当初に比べれば格段に国道の整備が進んでいて、専用道から国道への載せ替えが進んでいるとのこと。
Yの字状に分かれる専用道。ここから「元祖BRT」の旅が始まります。
丘陵地を切り通し、田んぼの中をゆるやかに走るバスは、まさにローカル鉄道線の感覚。かしてつより速度は高く、ほとんどの道路もバス側が優先になっていて、快調な走りを見せてくれます。
ただ並行する国道も信号機は少なく、おそらく国道経由でも所要時間に大差はないはず。ここも、旧駅跡にバスを直通させることが、専用道の役割になっているのかもしれません。
途中「駅」はバス交換ができるようになっており、まさにローカル線の雰囲気です。途中の磐城金山駅には1996年まで「駅舎」も残っていたといいますが、この前後は国道経由に切り替わっています。
震災の影響か路面には亀裂が多く、バスは結構揺れます。専用道はバス会社の自前管理になり、舗装や除雪の費用も一般路線にはない負担になってしまいます。震災では白棚線専用道の一部で不通区間が出ており、今も一般道に迂回する区間がありました。
関辺で専用道が終わり、後は一般道で新白河へと思っていたら、「ただいまバスは7分遅れで運行しています」とアナウンスがありびっくり。出発が2分遅れた以外に特に遅れる要素はなく、丁寧な運転が遅れにつながったのでしょうか…?
この後は、本数の少ない東北本線の普通に乗り継ぐ予定で、その後の約束もあったので、時計とにらめっこしながら間に合うかハラハラ。鉄道ならば接続を取ってくれるのでしょうが、ローカルバスではそれもかなわぬ話です。いくら専用道バスといえども、やはり鉄道並みの存在感と安心感は示しえない…バタバタと東北本線に乗り換えながら、実感したのでした。
★気仙沼線BRT・柳津~気仙沼
3日目、BRTとしてスタートを切ったばかりの気仙沼線に乗るべく、始発地の柳津に向かいました。
震災以降、長らく沿線の路線バスに振替え輸送を行っていた気仙沼線が、JRの代行バスとして「暫定運行」を始めたのが8月20日。この時点では中古バスを使用し、専用道区間も2.1kmに留まりましたが、12月22日のBRT本格運行とともに専用道区間が2.3km拡大し、バスも新型のハイブリット式低床バスに切り替わっています。
区間運行の気仙沼線は、柳津終着。BRTへの乗り換えは、跨線橋を渡り駅前まで出なくてはなりません。この間の乗り換え時間は、わずか3分。今後もしばらくは柳津接続になるはずで、ホームタッチでの乗り継ぎ、少なくとも上下移動を伴わない乗り換えができるような構造が望まれます。
赤い真新しいバス。
車内には情報装置も備えられ、バス・列車の運行情報や最新のニュースが提供されます。バスとしては、最先端の設備です。
しばらく車窓は田園地帯が流れますが、次第に荒涼とした風景に変わっていきます。山の奥深くまで流れ込んだ津波の痕跡に、唖然とするばかり。気仙沼線の築堤や橋梁も、あちこちで破壊されています。
最終的に気仙沼線のBRTは6割が専用道になる計画で、「たったの6割で高速輸送システムなの?」と思っていましたが、実際に目の当りにすると、6割も専用道にできるのかとの驚きに変わりました。路盤の復旧も大仕事になることが予想されますが、将来の鉄道復旧も見越した構造になることを望みます。
志津川駅着、ここで一旦下車します。志津川駅はもう少し海側の街中にあったのですが、市街地のすべてを流されてしまい、暫定運行時には夜、真っ暗な中でバスを降ろされるような状況だったとのこと。BRT化とともに駅は仮設商店街の横に移設され、新しい駅舎も営業を始めました。
こぎれいでコンパクトな駅舎には、駅員さんも常駐。モニタには、バスの運行が表示されています。バスとはいえ、最先端の交通システムというイメージです。
気仙沼線の路盤。建設年を示すプレートには、1976-2の文字が刻まれ、決して古い路線ではなかったことを伝えています。80年の悲願の末に誕生した鉄路は、わずか35年で破壊されてしまいました。
再びBRTに乗車。仮役場のあるベイサイドアリーナに立ち寄り、再び津波の爪痕残る街を走って歌津駅へ。この駅から1駅、専用道を走ります。
この区間の専用道は、ほとんどがトンネルの中。山道となる国道に比べて直線で結ぶ専用道の速達性は高く、この区間の開業で3分の時間短縮を実現しました。「高速輸送」の面目躍如です。
本吉駅は既存の駅舎を「BRTデザイン」に改装。3分停車し、トイレに行くこともできます。運転士さんもここで交代。掛け合い漫才のような運転士同士の会話に、なごみました。
ここから先、気仙沼まではバスの本数が倍増し、30分ヘッドのダイヤになります。鉄道時に比べれば3倍増の本数で、他線の列車代行バスが列車の半分程度の本数に留まっていることを考えると、破格の扱いと言えます。
国道を右に折れ、陸前階上からは再び専用道区間になります。階上駅は駅のホームや跨線橋をそのまま残し、隅にBRTの駅が設置されています。
この区間の踏切は、ほとんどがバス優先です。
最知駅で専用道は終了。歌津~陸前港間の専用道出入口には警備員が立っていましたが、こちらは無人で遮断機が昇降。暫定運行開始から4ヶ月が経過し、地元の車も慣れたのでしょう。
ただ最知駅から一般道へ出る交差点には信号機がなく、右折して国道に戻るまで数分を要しました。これなら国道をストレートに走った方が早く、前後の専用道が伸びてこそ実力を発揮できる区間です。
気仙沼市街地に入ると、師走の渋滞に掴まりました。市街地の渋滞区間こそ、定時性向上のために専用道化が望まれる…かしてつの例を思い出しました。ただこのあたり、気仙沼線沿線はかなり津波の被害を受けており、乗客を集めるためには国道経由の方ベターなのかもしれません。
不動の沢駅付近では、専用道化の工事が始まろうとしていました。この他の区間でも、準備が進んでいます。
気仙沼駅着。沿岸部の主要駅はリニューアルが進んでいて、気仙沼もこぎれいな雰囲気になっていました。
折り返しのBRT。沿線のゆるキャラが踊ります。
近くの神社の跨線橋から見た、大船渡線のレール。赤さびたレールに列車が来ないのを知ってか、猫が我が物顔で横切って行きました。
実際にBRTに乗車して感じたのは、事前の情報で知っていた以上に、最大限の輸送サービスを提供しようと努力しようとしていたこと。被災3線だけでなく、過疎ローカル線の今後の在り方として、モデルケースとしていきたい意気込みを感じました。
現状では、被災前は快速で50分台だった柳津~気仙沼間に2時間もかかり、BRTの乗客も決して多くないことは気にかかりました。便利な仙台直通快速もなくなり、鉄道の速達性にかなわないのは否めません。
ただ専用道が広がればスピードアップできそうな区間は多く、高速道路を経由し仙台まで直通する快速南三陸の代替便なんてあれば、都市間輸送もカバーできるかもしれません。サービス改善を重ね、沿線の人からBRTの方が便利と思ってもらえればJRも本望だろうし、喜ばしいことだと思います。
ただ…一旅行者として、バスの車窓からも美しかった三陸の海を、いつか気仙沼線の列車から見てみたい。金銭的に厳しいのは百も承知だけど、遠い先のことかもしれないけど、鉄路としての気仙沼線をいつかは復旧させてほしい。鉄道が大好きな旅人の、率直な願いです。