Chang! Blog
福岡のハングル検定準2級建築士、そして一児の父の[ちゃん]のブログです




 「ハッピーバースデイ九州パス」を使っての、JR九州グリーン車乗り比べ。2日目は、大分県南・臼杵からのスタートです。


 第一ランナーは、883系「ソニック」博多行き。博多~大分間が基本のソニックですが、1日に2往復のみ、県南の佐伯まで乗り入れます。朝上り、夕下りの運行で、大分県南からのビジネスには便利なダイヤですが、福岡からの観光客には使えません。
 時間帯としては大分への通勤にも絶好の時間ですが、日曜日なので全体的に空いていました。


 ソニックのグリーン車は、革張りの電動リクライニングシート。885系で注目を集めた革張りシートですが、実は883系が先輩格です。
 少し華奢にも見えるシートですが、耳型のヘッドレストはしっかり頭を支えてくれて、振り子の揺れの中でも安定感があります。


 グリーン車の乗客の特権とも言えるのが、前面展望をこころゆくまで楽しめる専用フリースペース「トップキャビン」。
 上り列車では後ろ向きの風景になりますが、小倉~博多間では先頭になるので、のちほどの楽しみにしておきましょう。


 普通車は1995年の登場時、原色で塗られたヘッドレストが「衝撃的」な車内風景を作っていましたが、2005年のリニューアル時で落ち着いた内装になりました。
 フローリングの床、ブラウン系の座席に改められ、まったく別の形式のようです。


 ただデッキまわりは、登場当時CMで流れていたキャッチコピー「ディスコじゃないよ、列車だよ!」の雰囲気を残しています。チグハグな感じがなくもないけど、メリハリがあるようにも見えます。
 トイレはリニューアルされていますが、床の汚れが目立っていました。特に女性には、ちょっと抵抗があるんじゃないかな…。サニタリまわりを磨きこむのはJR九州の流儀だったはずで、念入りなメンテをお願いしたいところ。


 佐伯~大分間も高速化改良済みのはずですが、単線のため交換待ちで止まることがしばしば。ロングレール化も一部の区間に限られているようで、ガッタンゴットンのリズムは「ソニック」の名に似つかわしくありません。
 高架に生まれ変わった大分駅の周辺は見違えるようで、2度目ですが改めて目を見張りました。ホームには多くの乗客が待ち受けており、グリーン車も半分の座席が埋まりました。


 高崎山と別府湾、そして朝陽に輝く別府市街地を見ながら快走。振り子も本格稼働させ、ロングレールをすべるように走って行きます。大分までとは、別の列車のような走りっぷりです。
 客室乗務員のサービスも大分からで、グリーン車ではおしぼりのサービスが。メニューまで用意してオーダーを取っていたドリンクサービスがなくなったのは、やはり寂しい気がします。


 ソニック16号は小倉まで中津、行橋にしか停車しない速達タイプで、駅を飛ばして2時間8分で博多までを結びます。
 小倉からはグリーン車が先頭になり、前を眺めていると、線路の傾斜よりもかなり車体が傾いていることが分かります。カーブの多い日豊本線の高速化に貢献した「振り子」ですが、福北間40分台の立役者でもあります。


 臼杵から約2時間半で、博多着。わずか5分で、次なる振り子列車・885系の長崎行き「かもめ」に乗り継ぎました。どちらも同じ振り子列車なのだから、大分~長崎を直通してくれれば何かと便利だと思うのですが、博多で系統は分かれています。
 「かもめ」「ソニック」の2タイプがあった885系も、今は共通運用になり塗装も統一されました。ただ先頭のエンブレムは「かもめ」が残されており、2000年に登場した1次車であることが分かります。


 側面のエンブレムは、かもめから「INTERCITY AROUND THE KYUSHU」に変わっており、これは787系と同様です。


 885系のグリーン車は、完全に独立した3列シートになっているのが特徴。華奢にも見えるテーブルは、床からそれぞれが独立して立っています。登場から14年、故障もなく使われているのだから、それなりに丈夫なようです。
 革張りのシートは普通車も同様で、「グリーン車のようなすわり心地」とも評されますが、さすがにグリーン車はさらにもう一回りのゆとりがあります。


 先頭となるグリーン車は運転席とガラスで仕切られており、ソニックのような前面展望を期待してしまいますが、座ったままだと前を見通すことができません。半室グリーン車の「狭苦しさ」を解消するための、「見せる運転席」という狙いなのです。
 ちなみに事故時に「衝撃的なシーン」を乗客が見なくて済むよう、非常ブレーキの作動時にはガラスが曇る仕掛けがなされています。駅停車時に非常ブレーキをかけた時も作動し、手品のような光景でした。


 自由席は満席近かったようですが、佐賀を出るとだいぶゆとりが生まれました。
 自由席の一部では、一大特徴だった革張りシートが、一般的な布モケットに張り替わっています。入れ替わりの激しい自由席では、皮の痛みが早く進んでしまったのでしょうか?


 多目的トイレまわりの「和」テイストの電飾は健在。14年経た今でも、新鮮です。


 乗客の多い時には立席スペースにもなる「コモンスペース」が多く取られたのも885系の特徴で、車両ごとに違いがあり、車内を巡ってみるのも楽しいもの。
 鹿島~諫早間では波穏やかな有明海沿岸を走り、客室の小さな窓よりも、足元にまで広がるコモンスペースからの車窓を楽しみたくなります。海の向こうには、雲仙普賢岳が姿を現しました。


 長崎トンネルに入ると、ご当地歌手・さだまさしの歓迎メッセージが流れますが、トンネルの騒音にかき消されてよく聞き取れません。
 12時49分、晴れ渡った長崎駅に降り立つと、同じメッセージが流れてきました。


 長崎駅から大波止まで、時間もあったので歩いてブラブラ。長崎はもう何度も来ている街ですが、見て回ったのは電車通り沿線ばかりだったので、あえて別の通りに入ってみました。
 2008年に開館した長崎市立図書館は、壁面緑化もなされた解放感のある建物。原爆投下の際に救護所となった新興善国民学校の跡でもあることから、その様子を伝える「救護所メモリアル」という施設も併設しています。


 大波止からは、13時55分発の船に乗り込みました。
 ポカポカと陽が差し、デッキに座ると季節を忘れるような暖かさだったのですが、海の上を走り出すとさすがに肌寒くなりました。


 女神大橋をくぐり…


 今は橋で陸続きになった伊王島へも、律儀に寄港すると…


 目指す高島が見えてきました。今や全国区となった軍艦島(端島)に隣接し、1986年の閉山まで炭鉱の島として栄えた場所です。
 端島ともども高島町という「日本一小さな自治体」を形成していましたが、今は長崎市に編入合併されています。


 人口わずか722人(2005年現在)の島ながら、大型バスによる路線バスがあるのは奇跡のようで、ともかく乗り込みました。長崎市のコミュニティバスという位置付けで、運賃はわずか100円です。
 クネクネと坂道を上り、展望台の入口で降ろしてもらいました。上り坂を歩いて10分、展望台へ。軍艦島や、昨年末に行った池島と違って、炭鉱関連施設はほとんどが撤去されています。しかし一部が残る高層住宅群に、その名残りを留めていました。


 バスの本数も多くはないので、トコトコと歩いて山を下ります。
 釣り公園と並び、高島観光の目玉となっているのが人工ビーチの海水浴場。大都会、長崎から手近な場所ですが、リゾート地のような海の美しさです。


 島の中心部に立つ家々は、市営住宅と、元は社宅と思しき高層アパートがメイン。市営住宅はマメに手が入っているようですが、高層アパートは老朽化が進んでいるように見えました。
 特に空き家となった部屋は、窓に板が打ち付けられているだけでなく、ベランダの柵まで撤去されていました。もうこれらの部屋が、新たな住民を受け入れることはないのでしょう。


 しかし高島は、今もエネルギーの島。炭鉱関連施設の跡には、巨大なメガソーラー発電所が稼動していました。


 海岸からは、遠く軍艦島の雄姿も見えます。


 「高島いやしの湯」は、海水プールを備えた温浴施設。風呂は100円と激安ですが、こちらは普通の真水です。
 プールの利用には1,000円かかりますが、島外からの利用なら船とのセット券がお得。船は往復1,980円ですが、セット券は2,000円です。海釣り公園も選べます。


 隣接する石炭資料館は入場無料、しかも管理人さんはいません。鍵は開け放れており、見学者は自分で照明と空調のスイッチを入れて見学します。
 長崎市内とはいえ、このあたりは島ののどかさ、大らかさが感じられました。


 週末の島内で開いている店といえば「いやしの湯」程度でしたが、船着き場に戻るとスナックコーナーが開いていました。
 せっかくなので名物という、鯛茶漬け(500円)をずるり。


 17時45分、夕暮れの長崎港大波止に戻ってきました。


 このまま「かもめ」で久留米に戻れば8時過ぎには帰れそうですが、グリーン車全車種制覇の命題があるので、快速シーサイドライナーで佐世保方面へと向かいます。
 キハ66・67系の4両編成で、佐世保方2両は国鉄色でした。転換クロスシートに座り、闇に沈む大村湾沿いを早岐へと抜けました。


 早岐から鳥栖までは、783系ハイパーサルーンの「みどり」に乗ります。
 国鉄民営化後初の特急電車も、もう26年選手。ベテランの部類になりますが、リニューアルされた外観は疲れを感じさせませんでした。


 ステンレスの車体は軽快な感じですが、グリーン車のすわり心地は重厚感があり、883系や885系よりもくつろげました。
 「みどり」のグリーン車は2000年に改造された車両ですが、グリーン車⇒普通車に改造した車両から転用したもののようで、シートにはデビュー時の面影が残ります。肘掛のカバーや、背面テーブルを出すと現れるくぼみは、撤去されたAV機器の名残りです。


 普通車車内。登場時は新時代の特急電車に見えた783系も、今見てみれば無機質な窓枠、素っ気ない間仕切りドアなどに、時代を感じるようになりました。
 ちなみにシートは登場時のものではなく、485系から転用されたもの。足置きやオーディオ装置など普通車としては破格の車内設備を誇った783系ですが、その名残も探せなくなっていました。


 結局ひとりぼっちのまま、鳥栖着。快速で久留米に帰れば、5つのグリーン車を乗り比べての九州一周を完遂しました。
 ハッピーバースデイ九州パスは2月までの発売ですが、来年度も継続されれば今度こそ3日間を満喫したいものです。

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 2013年度、JR九州では「ハッピーバースデイ九州パス」なる割引きっぷを売り出しています。JR九州の新幹線・特急列車が乗り放題、さらに6回までグリーン車を使えて2万円という、誕生月にふさわしい贅沢なきっぷです。
 そこで僕の誕生月である1月の18日と19日、九州内のグリーン車5車種を乗り比べる旅に出発! ついでにあちこちに寄り道して、九州を再発見する旅となりました。

 前後の仕事の予定がぎっちりで、残念ながら1日分は放棄。それでも充分、モトは取れたことと思います。


 トップランナーはさくら403号で、久留米から鹿児島中央に下ります。しょっぱなから、新幹線のグリーン車で贅沢です。
 九州新幹線のグリーン車は、開業日の2011年3月12日に乗り試して以来。あの日も同じ時間帯の列車でしたが、東日本大震災の発生直後だったこともあり、あまり印象に残っていませんでした。


 グリーン車のある6号車は普通車との合造車ですが、グリーン車側のデッキは重厚な色でまとめてあります。
 ドアを開けるとそこに広がるのは、日頃なかなか足を踏み入れられない、魅惑の空間です。


 普通車でも4列シートの「さくら」だけに、グリーン車は差別化を図るべくさらに豪華。調度に意が注がれ、リクライニングは電動です。
 ただ中間車なので、グリーン車とは関係のない人の通り抜けがあります。早朝の列車なので客室乗務員も乗っておらず、家族連れの子どもが騒がしくて、あまりグリーン車に乗っている気がしませんでした。


 熊本以南は各駅停車になるタイプの「さくら」でしたが、それでも新幹線は早く、わずか1時間20分で鹿児島の地を踏みました。
 鹿児島中央駅の大階段は既に過去のもので、駅ビル別館の工事が進捗中。数か月ぶりなのに、景色が変わってます。


 駅前から鹿児島交通のバスに乗り25分、鴨池港へ。先行して市バスも走っていましたが、会社の枠を超えてバス時刻を検索できる「九州のバス時刻表」では鹿交が追い抜くダイヤだったので、後続の鹿交に乗りました。
 実際は渋滞で遅れ、市バスの後に鴨池港着。港のまわりはニュータウンになっていて、意表を突かれます。高層の住宅団地からは、桜島がよく見えそうです。


 鴨池港からは、垂水フェリーで垂水へと渡ります。大隅半島の垂水へはもちろん陸路でも行けますが、錦江湾を渡るフェリーが近道です。
 35分のショートトリップで、運賃は対岸の垂水に着いたときに支払います。いわさきICカードも使えて、気軽な渡し船の感覚です。運賃は440円ですが、ICカードを使うと400円に割引になります。


 嬉しいのは、桜島フェリーと同様に うどんの食堂があること!
 ずるずるっと うどんをすすりながら海を渡るのは、錦江湾の風物詩です。


 桜島、今日は煙っている…というより、桜島自体の噴煙でうっすら見えなくなっているようでした。


 垂水港到着。港のターミナル前には広大な駐車場があり、車を乗せずとも鹿児島市側へ渡れるようになっています。
 大隅半島側へ桜島の噴煙が流れる季節、風に火山灰が舞っていました。


 垂水港から湾を挟んで対岸にある、ホテルアザレアで日帰り湯。ヌルっとした、なかなかいい湯でした。
 ただ垂水港から近いとはいえ、湾を挟むので歩くと10分少々かかります。バスまでの乗り継ぎ時間50分の間に入るには、ちょっとバタバタな感じでした。


 志布志行のバスに乗り込みます。三州自動車という地元バス会社ですが、いわさきグループの一員で、ICカードも使えます。いわゆる分離子会社というもののようです。


 都バスの中古車のようで、1列のシートは都会のラッシュに対応した仕様。ただ志布志まで1時間40分を乗るには、不向きのバスではあります。
 旧国鉄大隅線の代替路線であり、線路跡らしき道路も並行していましたが、どこが駅だったのかは判然としませんでした。大隅線の最後の開業区間、海型温泉~国分が存在したのはわずか15年間。「駅前」が形成される時間すらなかったのかもしれません。


 志布志着。志布志で行って見たかったのがここ、志布志市志布志町志布志の志布志市役所志布志支所!何回「し」って言っただろう…
 市町村合併で生まれた「珍名所」ですが、あえてアピールする看板に町おこしのセンスを感じました。


 駅周辺の散策コースを設定するだけではなく、あちこちに地図の看板が出ているのは、一見の観光客には嬉しい配慮。


 志布志に来たのは、高校2年生以来15年ぶり。あの時の志布志駅前には「何もない」というイメージしか残っていないですが、駅前にはまっすぐ伸びるシンボルロードが貫通。サンポートしぶしアピアなる、再開発ビルができていました。
 ただ空きスペースは多く、2階は場外舟券売り場になっていて、あまり明るい雰囲気ではありませんでした。


 3方向の線路が接続するターミナルだった志布志ですが、今は日南線のどんづまりの終着駅に。
 駅としては無人ですが、観光案内所が入っていて、案内員さんが常駐しているのはどこか安心感があります。


 キハ40系の単行が、静かに乗客を待っていました。
 昼下がりの列車の乗客数は10人程度。さきほどのバスと同程度です。


 太平洋を眺めながらの、のんびり鈍行列車の旅です。


 途中の油津駅で、普通列車同士の乗り換え。系統を分けるくらいだから、乗り換え列車は2両編成になるのかと思ったら、同じ単行でした。
 なぜ乗り換えを強いるのか理解に苦しみますが、トラブル時にダイヤの乱れを波及させないための工夫かな?黄色が印象的な日南線カラーの列車でしたが、車内は特に変わりません。


 飫肥で下車。駅前でレンタルサイクルを借りて、1時間の街並み散策に出かけました。平地なのでその要はなかったのですが、電動自転車しかないとのこと。その分、500円とちょっとお高めです。
 中心部には電線がなく、頭上にはすっきりした空が広がります。電線の地中化工事は、今も進行中でした。


 石積みの美しさに目を奪われつつ、自転車の機動力を生かしてくまなく散策。


 飫肥城址は、杉木立の中にありました。


 天守跡は、そのものが杉林に。


 飫肥からは、日南線の観光特急「海幸山幸」に乗ります。
 デビュー当時は週末のチケットが入手困難なほどの人気になった列車ですが、デビュー4年を経てだいぶ落ち着いてきたようです。それでも8割程度は乗っており、1号車は青島まで区間乗車の団体さんが占めていました。


 外装に木を使うという、大胆なデザインを行ったことでも話題になった列車です。
 4年間、外気にさらされた木材には ひびも見られますが、古くなったというよりは落ち着いたといった風合いになっています。


 写真は、乗車した1号車の「山幸」。車内も、床にはだいぶ傷が入っていました。ただ積層のフローリングではない、飫肥杉の床板なので、かんなをかければ新品の美しさを取り戻すのではないでしょうか。
 飫肥駅を発車する際には、観光案内所のおじちゃんと母子が手を振ってお見送り。福岡から来た女子旅4人組は、歓声を上げて感動していました。


 2号車の「海幸」にも、定員外のフリースペースが随所にあります。自由席は2号車の一部に、わずか9席しかないのですが、こうした場所で過ごすという方法もあります。


 3年前にも乗ったことがある列車ですが、車窓案内の内容や車内イベントには磨きがかかっていました。
 前回は案内になかったポイントが、九州最長の直線区間。アップダウンやトンネルがありつつもまっすぐと続く線路は、前後から見ていると確かに面白い車窓でした。


 奇勝、鬼の洗濯岩の前後では、客室乗務員による海幸山幸伝説の紙芝居上映もありました。
 元は、高千穂鉄道のトロッコ風気動車だった海幸山幸。窓は大きく、車窓を楽しめます。


 夕暮れの宮崎平野をラストスパート。線路沿いには小さな波の絵の看板が立っており、最初は高波注意の標識かと思っていたのですが、平野部に続いているのを見るに、津波浸水想定区域を示すもののようです。
 南海トラフ地震の際には大津波が想定されている宮崎平野の風景は、福島の新地、山元や仙台沿岸部に重なり、万一への備えは大きな課題です。沿線には高いビルがなく山も遠い場所もあり、もしグラリと来たらどう逃げようか、土地に慣れない観光客としては答えは出ないままでした。


 高架の宮崎駅に到着。ビビッドな色使いが特徴的だった内装は、近年の流行にならい白ベースに改装されていました。
 もう夕方5時半ですが、まだまだ列車の旅は続きます。椎茸弁当を買い込み、次なるグリーン車は…


 787系「にちりんシーガイア」です。博多~西鹿児島の「つばめ」で活躍したのも今は昔、新八代までの「リレーつばめ」も新幹線開業でお役御免になった後は、長崎行き「かもめ」、小倉行き「きらめき」、日豊本線「きりしま」「にちりん」系統に転用されています。
 もっとも博多~宮崎をロングランする「にちりんシーガイア」は1992年の787系デビューから半年後に導入され、2000年に撤退していたので、復活とも言えます。


 日豊本線系統では4両編成の旧「有明」タイプが多い787系ですが、一部の列車では多彩な設備がウリの6両編成「つばめ」タイプが使われています。
 にちりんシーガイア24号も、つばめタイプ。4人でワイワイ過ごせるグリーン個室や…


 普通車指定席の料金で、プライベート感が上がるボックスシート…


 卵型の天井が印象的な、元ビュッフェのスペースのゆったり指定席も健在です。
 博多~小倉の「きらめき」だと1時間もかからずもったいない感じなのですが、にちりんシーガイアでは豪華な仕様も生きてきます。新幹線開業時に車内販売も復活していて、往年の「つばめ」を追憶体験できる列車です。


 そしてバースデーパスのお得感がもっとも発揮されるのがこの座席、デラックスグリーン!電動のリクライニングはほぼフルフラットになり、足を伸ばしてくつろげます。グリーン料金よりさらに5割ほど高いのですが、パスでは追加料金はなしで利用できます。
 ただ昔は飲み物とクッキーのサービスまであったのに、グリーン車の飲み物サービス廃止に引きずられなくなったのは残念なところ。使い捨てスリッパのサービスは、健在でした。隣の席の方は博多までの長旅で、フルフラットにして睡眠モード。正しい使い方です。


 宮崎~大分間は高速道路が未整備で、鉄道がほぼ独占している区間なのですが、延岡から北の乗客は数えるほどに。
 一時は2時間に1本にまで減った本数も、近年では1時間間隔化、さらに車販復活とテコ入れが行われていますが、東九州道全通の際には厳しい局面を迎えそうです。臼杵で下車したのは、僕ともう一人だけでした。


 今夜は臼杵泊まり。大手サイト経由で3,500円の安旅館に宿を取りましたが、お願いもしていなかったのに迎えに来て頂き、旅館並みのおもてなしで迎えてくれて感激。昭和初期の建物も立派でした。
 さらに街まで送って頂き、5年ぶりにカフェ「エカメナ」へ。主宰氏には学生時代からお世話になっており、おっちゃんになったねと冷やかされながらも、懐かしい時間を過ごしたのでした。

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 1月最初の3連休の最終日・1月13日は、小中学校の向こう側に浮かぶ太陽を拝んでスタートしました。


 小中学校のグラウンドの隅に置かれた真新しい機械は、このような用途のために置かれています…。


 朝ごはんの向こう側には、海。


 玄海灘は船の大通りで、貨物船に漁船、壱岐・対馬方面のフェリーなどが頻繁に行き交います。
 白波が立っており、船長さんたちは神経を使う海域でしょう。


 お腹いっぱいになったところで、朝の島めぐりに出発!
 小高い祠に上がると、集落を望むことができました。港に近いごく狭い範囲に、肩を寄せ合うように暮らす様子が伺えます。


 人の集まる港の周辺でも、空き家がチラホラ…
 人のいなくなった家は、不思議なほど急速に朽ちて行きます。


 でも18年前に癒された海の美しさは、変わりません。
 港は、海の底まで見通せるほどの透明度です。150万都市、福岡から2時間かからない場所とは信じられないほどです。


 海へ飛ばされた傘は、海底で持ち主に帰る日を待っている…わけないか!


 路地に入れば、いろんな発見があります。
 こちらは島で唯一の雑貨屋さん。酒屋もあるので、ひとまずの食糧・酒類は手に入ります。ただお値段は輸送のコストもかかのでしょう、ややお高めでした。


 瓦を積んだ塀。


 レンガ塀の意匠は、輝く朝陽。


 楽しい時間は早く過ぎるもので、あっという間に帰りの船の時間。
 両端が高くなった、独特の島影が遠ざかって行きます。また夏にでも来たいものです。


 呼子といえばイカ!最後に、いかしゅうまい定食をランチにしました。
 身近でも、遠くに行った気分。充実の週末でした。 

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 1月第2週の週末(1月12日~13日)は、島旅仲間総勢11人とともに、佐賀県唐津市呼子町の離島・小川島へと渡りました。
 小川島は、中学1年生の時の恩師の転任先で、翌年の夏には遊びに行った思い出の土地です。なにかと思い悩むことが多かった18年前の中2の夏、島の自然と人の優しさに癒されたことを思い出します。


 西鉄電車で天神に出て、バスセンターから昭和バスに乗って唐津に向かいます。JRの快速より若干時間はかかるものの、リクライニングシートに座って移動できるし、16枚回数券なら1人あたり625円とお得です。
 やたらと料金所の多い、唐津までの高速道路&有料道路。料金所の度に渋滞に巻き込まれていました。


 唐津でのお昼ご飯は、鰻の名店・竹屋さんにて。建物は、木造3階建ての登録有形文化財です。
 シンプルにデザインされた欄間や、料理を運ぶつるべ井戸式のエレベーターなど、近代の木造建築物ならではの意匠や工夫も楽しめます。


 どどん、鰻丼!僕はかば焼き定食にしました。
 ふっくらしているだけでなく、もっちりした食感がイキの良さを物語ります。おいしかった~


 お腹も膨れたところで、さらに路線バスを乗り継いで呼子へ。公共施設も併設した、真新しいバスターミナルから発着します。
 18年前にはバスに並行して、未完に終わった悲運の鉄路・呼子線の跡が見えたものですが、一度も使われなかった高架橋は撤去されてしまったようで、痕跡はまったく見られませんでした。


 呼子着。海岸では、呼子らしい風景が風に揺れていました。


 小川島への「そよかぜ」は、ターミナルもない船着き場から小さなタラップで乗り込みます。
 500円のきっぷは船内で精算。小さな島の生活航路です。


 呼子大橋を背に、25分の航海に踏み出します。渡し船のような小さな船ゆえに、外洋に出たら結構揺れました。
 ちなみに唐津の離島7航路はすべて本土と直接結ぶもので、至近距離の島へ渡るにも一旦本土へ出なければいけません。


 小川島が近づいてきました。防波堤には代々の卒業記念のペイントが並び、どこかほのぼのとしてしまいます。
 今夜の宿「めぐりあいらんどおがわ」は公共の宿なので、唐津市の公用車が迎えに来てくれていました。


 さっそく、歩いて島めぐりへ出発!小川小中学校は18年前にも来たけど、こんな校舎だったかな?新しい感じの校舎だし、建て替わったのかも。
 ちなみに恩師の先生のことは、もう10年以上も前なのに、施設の皆さんはご記憶でした。小さな島では、先生も島の仲間なのですね!


 コンクリートの丸い円…ヘリポートなんだそうです。離島にとって、緊急時の生命線ともいえる施設ですが、案外シンプルなものでした(笑)。


 脇道に入り、夕暮れ迫る海岸へ。透き通る海がきれいでした。


 ただ漂着ごみの多さは、ヒドイなあ…。


 島内の集落を歩いていると、空き家や空き地が点在しています。処分が難しいのか、雑草が生えるのを防ぐためか、瓦を敷き詰めた区画も見られました。
 18年前に比べても、だいぶ人口が減っているという小川島。のどかで平和な変わらないように見える島だけど、これももう一つの現実です。


 島は、車の通れる道がグルリ1周していますが、人の集まる中心部の集落はご覧の通り、狭い路地のネットワークが結びます。坂道も多いので、原付バイクが島の人の主たる足になっています。
 中学生の目にはこの島のスケール感が新鮮で、驚きでした。


 漁港のそばの神社へ。昔の旅客船はこちらに発着していたとかで、そういわれればまわりの風景に見覚えがあります。
 神社の石碑に掘られた言葉は、「防波堤」「電気」「水道」。いずれも島にとって、生命線というべきものです。


 にゃあ、にゃあ、にゃあ…にゃあにゃあにゃあ!


 宿に戻れば夕食ターイム!新鮮な玄海灘の海の幸が並びました。
 22時頃には管理の方も帰宅されて、我々12人だけに。新鮮な魚介類を前にした宴は、深夜まで続きました。

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 9日間に渡る台湾旅行の最終日は、日本に向かうのみ。エバー航空の福岡行きは、桃園空港を8:10に立ちます。手続きのために2時間前に空港に着くことを考えれば、台北バスターミナル発5:05のバスは逃せません。となれば、起床は4:30です。
 日本とは1時間の時差がありますが、9日間も滞在すれば体内時計はすっかり現地仕様。第一、日本時間にならしても5:30なのだから、それでも充分に早起きです。


 なんて愚痴を垂れつつ、こんなことでもなければ絶対にやらない早起きを敢行。
 静かに荷物をまとめ街に出ると、新聞配達の人々がまめまめしく動いています。路地裏の猫も、短い台北市民だった僕を見送ってくれました。


 バスターミナルへ向かう道には、僕のような大荷物を持った人々が何人かいて、すわバスも行列か!?と思いましたが、空港行きを待つ人の列はさほどでもありませんでした。
 台湾のバスは走り始めると照明を落としてしまうので、寝るにはもってこい。リクライニングを倒し、空港までの約1時間を睡眠に充てました。


 6:05、桃園空港着。


 早朝とはいえ、同じように朝の便を目指す人々で、ターミナルは混雑していました。
 エバー航空、相変わらずキティ押しです。


 エバー航空の自動チェックイン機。僕は有人カウンターでチェックインしたけど、預ける荷物がない時にはこちらが便利です。
 でもおっちゃんだと、使うのがちょっと恥ずかしくなる機械ではあります。


 9日前、台湾に降り立ったときは緊張感を持って通過した審査も、今はこの国なら大丈夫という安心感を持って通過できます。
 外国人向けの審査場は混雑していましたが、台湾在住者用には無人の審査機があり、行列もなく済んでいました。自動で審査できるとは、すごい技術です。ゲートを通過したら、すぐさま商業ゾーンになりました。


 搭乗口まわりには、台湾の自然や伝統工芸、少数民族の紹介コーナーがあり、乗り換えの合間でも台湾の文化を楽しめそうです。
 マッサージチェアも無料で利用できるとのことで心動きましたが、欧米系の方がずらりとリラックス中でした。


 帰路もキティジェットです。台湾の朝陽に輝いていました。


 数週間前に窓際の席を抑えていたのですが、隣の席に座った子どもと保護者の方が一緒に座りたいということで、席を替わってくれないかと乗務員さんにお願いされました。せっかく抑えておいた席だけど、台湾で受けたたくさんの親切を思い出して、席を譲りました。
 帰路の機内食は、日本風に焼うどん。往路の方が美味しかったなぁ。最後の台湾ビールを流し込み、日本人へと戻っていきます。


 2時間のフライトを終え、日本時間の11時15分、福岡空港着。今から家に帰れば、洗濯物を洗い、ゆっくり休養して、明日からの仕事に備えられます。
 …しかし、そうはならないのが僕の旅のフィナーレ。わざわざ出迎えに来てくれた旅の仲間とともに、まずは空港内のカフェでカンパーイ!キティジェットが台北に折り返していくのを見ながら、旅の思い出話に花が咲きました。


 さらにオーストラリアから帰国した旅仲間とも合流。国内線ターミナルの居酒屋に移動して、お互いの旅の報告を交換しました。
 お開きになったのは午後7時前。高速バスで久留米に帰った僕を出迎えたのは、束になった年賀状の山でした。僕の日本での2014年は、その時に動き出しました。

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 花蓮県南部の温泉地、瑞穂温泉で目覚めた旅の8日目は、1月4日。最終日の明日は、ほとんど日本へ帰るだけという日程なので、実質的に旅の最終日と言えます。
 名残惜しいけど、朝から夜までめいっぱい楽しめる1日なので、気合いを入れて1日を始めました。


 テラスで朝食を食べ、ロビーで昨日呼んでおいたタクシーを待っていると、昨夜僕の後にチェックインしにきた日本人男性二人組がやって来ました。同じ列車に乗るようで、タクシーも今お願いしたとのこと。あわてておやじさんに取り消してもらい、駅まで相乗りで行くことになりました。
 お一人はだいぶ旅慣れているようで、昨日は緑島でバイクを借り散策したとのこと。台湾の離島もいいなあ!8日間も旅したのに、まだまだ行っていないところばかりで、再訪の日が待ち遠しいです。


 ほとんど工事現場のような瑞穂駅のホームから、8:57発の台北方面の自強号に乗り込みます。件のお二人は直前に切符を買ったのですが、週末の都会行きの列車とあって満席。台北まで3時間半の「無座」に耐えるとのことです。
 僕は、ようやく一昨日確保できた指定席へ。座っている人がいましたが、立席券でも空席には座っていていいルールなので、ムッとしてはいけません。切符を見せたら、何も言わずに席を立ってどいてくれました。韓国のムグンファ号と同じですね。

 どことなくキハ20系に似た面構えのDR2008形は、1981年デビューの日本製車両。乗っている車両は、1990年モデルです。
 日本では、国鉄の分割民営化の前後にあたる時期に増備されていた車両で、窓廻りのデザインには、同じ時期にデビューしたキハ185系気動車との共通項も見られます。エンジン音を聞きながら、田園風景を眺めていると、「ゆふ」で久大本線を走っている気分になりました。


 排気口のカバーを兼ねた円弧の「くぐり戸」は、この車両でも健在です。
 昨日乗った、台東~玉里の自強号のDR3100形より一世代前の車両ですが、ビリビリした振動が気になったDR3100形よりも、乗り心地は良好でした。


 9:43着の花蓮で下車。6日前の12月30日にも台北から訪れているので、台湾一周はひとまず達成です。
 6日前はツアーだったので街を観光する余裕がなく、改めて街歩きに出発しました。駅前には太極拳をやってるおじいさんがいて、台湾というか中国らしい光景にしばし見入ってしまいました。


 花蓮駅周辺には「租車」という看板があちこちに出ていますが、粗末な車という意味ではなく、レンタカー、レンタバイクのことです。
 異国のドライブ、ツーリングも楽しそうですが、太魯閣へのドライブはちょっと自信がありません。


 花蓮駅も路線改良とともに郊外移転した駅で、旧市街までは2kmほどあります。歩けない距離ではないので、散策がてら歩いていたところ、自由広場なる公園に出会いました。


 周囲は高い壁で覆われており、看板を読んでみると、「昭和12年(1937年)に設けられた台北刑務所花蓮港支所…」との説明がありました。そこにその建物があった歴史を大切にしながら、今に生かす…台湾のあちこちで見られた風景です。
 解説看板の年号表記が、戦前は昭和(西暦を括弧書きで表記)、戦後は民国表記になっていたのも、感慨深いものでした。


 街がにぎやかになり、歩いて30分ほどで、目指す旧花蓮駅跡の「花蓮鉄道文化園区」にたどり着きました。
 園は2つのエリアに分かれており、まず訪れたのは工務部があった場所。市が立っており、買い物客で賑わっていました。鉄道の名残りが、今も活用されているのは、鉄道ファンとして嬉しいことです。


 隣り合うのが、メインエリア。


 こちらも指令などがあった場所で、駅そのものだったわけではありませんが、駅っぽい雰囲気が作られています。


 1980年に台北~花蓮間が開通するまでは、西海岸の路線とは独立したナロー(狭軌)の路線だった東海岸の路線。長い路線ゆえ、高速のディーゼル特急や寝台車まで走っていたと言います。
 その時代の車両を見られるのではないかと楽しみにしていましたが、実物の車両の展示がなかったのは残念でした。なにやら車両が置かれていた「跡」っぽいものがあったので、なおさら残念です。


 鉄道の博物館としてだけではなく、地域の集会施設としても活用されているようで、ホール的なスペースがありました。
 緩やかな曲線を描く木造のプロセミアム・アーチは、日本の近代建築に通じるところがあります。


 港にも近く交通の要衝として発展してきたエリアのようで、レトロな「ビルヂング」が点在していました。


 ランチはマックへ。台湾に来てまでわざわざと思うことなかれ、世界的ファーストフードの価格帯や味の違いを見てみたかったのです。韓国のようなご当地系メニューはなく、日本とほぼ同じメニュー展開でした。
 ただ値段はだいぶ安く、例えば日本で600円程度のダブルチーズバーガーセットは109NT(400円)で、ランチタイムは79NT(290円)。ドリンクは台湾らしく大盛りで、ポテトにケチャップが付くのは韓国や沖縄と同様でした。


 駅→街へのバスは分かりにくいけど、街→駅のバスはなんとか乗れるのは、日本も台湾も同じ。なので花蓮駅までは路線バスで戻ろうと思っていたのに、ほとんどバスを見かけず、タクシーを捕まえました。観光地だけに、外国人の相手は慣れている感じでした。
 花蓮から台北は、振り子式電車特急で移動。正確な列車種別は自強ですが、愛称として「太魯閣」の名前が付いています。日本製で、JR九州の「かもめ」「ソニック」で活躍する885系の親戚にあたる列車です。


 座席は885系のものとまったく違いますが、小ぶりの四角い窓は885系ゆずり。885系と同様、ちょっと小さいんじゃない?と思わせる大きさですが、台湾の気候にはマッチしてるかも。
 お昼時とあって、車内では発車前から駅弁の包みを開く人が大勢いました。台湾の駅弁、種類こそ少ないものの、駅弁文化の定着度は日本をもしのぐ印象です。


 天井まわりや妻壁も、885系とはまったく違っています。
 ただ鏡面仕上げのステンレスの欄間は、日本の電車で多く見られる意匠。日本のどこかで見たことがあるような電車ながら、結局のところ見たことがない、不思議な感覚にとらわれる電車です。

 するどい加速で花蓮を離れた電車は、ぐんぐん速度を上げ、トップスピードに達します。
 右手に太平洋の広がるカーブの続く線路は、やはり日豊本線のよう。885系の親戚に乗っているのだから、なおさらです。


 車両同士の傾きが大きくくい違い、振り子が作動していることが分かります。


 トイレにはベビーベッドが備わり、メタリックな内装はJR九州でも見られる意匠。ただデザインされた最新鋭のトイレに、和式が残されているのは日本との違いです。
 花蓮から台北まで2時間15分、快適・快速な太魯閣の旅でした。台湾一周鉄道の旅も、これで一応のピリオドです。


 最終日の宿は、5日目までを過ごしていたEasy Stay 台北に再度お世話になりました。秋葉原ビルの本館はいっぱいとのことで、少し離れた別館へ。
 通りから3階までずらりと続いた階段が難儀でもあり、恐怖でもあるのですが、街へすぐ出られる機動力の良さはメリットです。


 明日は早朝出発となるので、空港へのバス乗り場を確認しておきます。台北西站は、台鉄の台北駅に隣り合うバスターミナルです。
 基隆行きのバスも発着するので、入口では例の黄色小鴨が出迎えてくれました。黄色のラッピングバスも走っており、台鉄もラッピング電車で対抗。観光輸送にしのぎを削っていますが、肝心のアヒルちゃんが爆発したのでは…(笑)。


 基隆行きのバス乗り場についつい目を奪われますが、空港行きも確認。明日は、きっちり早起きするだけです。


 時間はまだ4時過ぎなので、MRTに乗って台北の北の河口、淡水に向かってみました。
 土曜日の夕方とあって、ちょっとお出かけな風情の人々で電車は混んでいました。


 「老街」も、ぶらぶら街歩きをする人でいっぱい。MRTで気軽に行ける観光地として、人気があるみたいです。
 道ではペインティングで銅像になりきるパフォーマーがいたり、プロ顔負けの生演奏をするシンガーがいたりと、芸術の香りも感じられました。


 淡水河を渡る、渡し船に乗ってみました。おじさん係員が案内する素朴な渡し船ですが、船は新しく、悠遊カードも使えます。
 少し煙っていて、美しいと言われる夕焼けは望めそうもありませんが、川の上から望む霞んだ都会の景色も、またいいものです。


 対岸の八里に到着。淡水側には立派な浮き桟橋がありましたが、八里側はなかなか「ざっとした」乗り降りのし方です。
 ICカードをタッチしている姿が、なんともミスマッチ。


 こちらも「老街」が大盛況。僕もフルーツジュースを飲みながら、ちょっと散策しました。


 台北っ子の、手ごろなデートスポットでもあるようですね。


 夕方になり、人出は一層増してきました。人波に逆らうように、MRTに乗り込みます。


 市内に戻り信義線に乗り換え、さらに大安で文庫線に乗り換え(写真は12月31日に撮影)。他の路線と違って、日本流に言えば「新交通システム」に分類される、無人運転のゴムタイヤ電車です。
 高架なので、流れる夜景を楽しめるのは旅行者にとって嬉しいところ。ただ地下路線との乗り換えは、いきおい通路が長くなります。


 松山空港着。国内線の空港で、東京で言えば羽田に相当します。
 かつての羽田と同様、近距離の国際線も発着し、羽田からの便もあるのは東京の人がうらやましい限り。MRTを2本乗り継ぎ、30分少々で市内へアクセスできる利便性は魅力です。


 さて飛行機に乗るわけでもないのにわざわざ松山に来たのは、今朝瑞穂で会った兄さんに聞いた、おすすめのパイナップルケーキの店を訪ねるため。空港から歩いて約15分の、「微熱山丘」という店です。
 漢字にするとなんのこっちゃですが、英訳するとSunny Hillsになります。なかなかおしゃれな店構え。


 ただ今10個セットのみの販売です、3箱ですね、では…と、流れ作業的に買わされそうになりましたが、ちょっと待った!この店のいいところは、まず席で試食してから買えることでしょ??
 買った後に試食もないんだけど、お願いしたら1個食べさせてくれました。パインの香りが広がり、美味。お土産に渡した友人、家族からも大好評でした。まあその分、いい値段なんですが…12月には青山に出店し、日本進出も果たしたばかりとのこと。


 周辺は、清楚な雰囲気の街並み。微熱山丘にも高級車で乗り付ける人が多かったし、セレブな界隈?のようです。


 通りに面した牛麺屋もきれいな店構え。食べてみたら日本人にも馴染みやすい味で、うまかったです。


 また空港まで戻るもの面倒。通りには台北駅と表示された路線バスが走っていたので、思い切って乗ってみました。
 車両は清潔感のある、最新鋭のノンステップバス。MRTと同様、車内飲食は厳禁です。


 南京東路に出るとバス停が道路上にある、道路中央のバス専用レーンになりました。名古屋では基幹バスとしてお馴染みで、ソウルでは近年、大々的に取り入れられている方式です。
 ただソウルのようにバス停に追い越しレーンはなく、ラッシュ時には数珠つなぎになりそう。また高速輸送に必須の立体交差はなく、名古屋やソウルと同様、「BRT」と呼ぶには至らないシステムではありました。


 ドミに戻ると、同室の兄さんからご飯に誘われました。こちらも牛肉麺1杯では足りず、せっかくの最後の夜なので、もうちょっとブラブラしたいと思っていたところ。
 西門町方面まで歩き、街外れながらもどっと人で溢れていた麺屋に飛び込みました。これもなかなかいけました。


 土曜の夜とあって賑わう西門町を、もっちもちのタピオカティーを吸入しながらぶらぶら。麺を二杯食べたお腹にたまってきます。名残惜しい夜で、宿に帰ってからも兄さんの東南アジア各国の話を聞きながら、台湾からさらに遠き地に思いを馳せました。
 32歳、何事にもチャレンジし辛い歳。でも言葉のできない台湾でもなんとかなったし、デタラメ英語をぶつける度胸もだいぶ付きました。まだまだ世界は広い、いろいろ飛び出してみたい!と思えた、2014年の幕開けです。

 眠りたくない夜でしたが、さすがに明日は4時台起きとあっては床に就いた方がよさそう。12時過ぎ、ベッドの明かりを落としました。

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 台湾の旅も、1週間目を迎えました。1月3日は台湾の南端をぐるりと回り、瑞穂温泉まで東海岸を北上します。


 屏東線を南下する、高雄8時34分発の区間車で今日の旅がスタートです。
 電化区間の電車もローカル支線のディーゼルも、ロングシートの味気ない車両が多い区間車(普通列車)ですが、非電化の幹線では客車列車が中心です。


 駅のホームには、停車駅を示した親切な立て看板が。全駅停車なんですけどね。


 客車は莒光号のお下がり。枕カバーや座面こそビニル製になっているものの、足置きまで付いたゆったりしたシートは健在です。
 編成も7両と長く、大混雑だった台中周辺の通勤電車の4両編成とは大違い。がら空きの車内で、のんびりくつろげます。旅気分が一層、盛り上がってきました。


 ドアは例によって開け放し。通行の際は、くれぐれもご注意を。


 電化区間の南端・屏東では少ない乗客もどさっと降りてしまい、いっそうガラ空きに。車窓は南国色を強め、日差しも強烈になってきました。
 列車は、単線の高架橋に駆け上がりました。市街地の区間も堂々とした踏切で横切る台鉄ですが、なぜこの環境で高架化を急いだのか、理解には苦しみます。


 高雄から一時間、そんな高架区間の竹田駅で下車しました。片面ホームの簡素な駅には、監視員のおじさんが立っていて、エレベーターの利用をすすめてくれました。小駅ながら、設備は立派です。
 高架下の駅舎は小さく、待合室と呼べるものはありません。もっとも1月でも25℃を越えようかという気候に、壁付の待合室など無粋かもしれません。


 線路はすっかり新しくなった竹田駅ですが、旧駅舎も大切に保存・展示されています。ウチの田舎の駅も、昔はこうだったなと思い出した、どこか懐かしい駅舎です。
 高架橋をくぐり、ぐるりと迂回して旧駅跡を目指します。


 旧駅舎周りは竹田駅園として整備されており、カフェや公園もあります。そんな施設の一つが、池上一郎博士文庫。1943年、軍医としてこの地に赴任した池上一郎氏が、晩年に寄贈した図書を収めた図書館です。
 火~金曜日は8:30~11:30/14:00~16:30に開館、7・8月のみ週末も午前中のみ開館します。


 僕が日本人と分かると、熱く歓待してくれたのは劉理事長と張理事。お二人とも日本時代の生まれで、お互いの会話は台湾言葉が時々混じる日本語。日本語で教育を受けた世代なので、日本語で表現するのが一番しっくりくると笑っていました。
 国会議員や著名人をはじめ、この地を訪れる日本人も少なくないようで、寄せ書きをすすめられました。


 アイスをご馳走になりながら、劉理事長に駅を案内して頂きました。駅員室には畳が敷かれ、外には宿直用の風呂場も残されています。井戸からくみ上げた水を、直接湯船に注げるように工夫されていました。
 「安部さんになってよかった」「みのもんたはダメだ!」…台湾の南で、このようなお話を聞いていると、なんだか不思議な気分にもなってきます。


 撮影記念館では、戦後台湾の生活の何気ないワンシーンが展示されています。子ども達が生活を支える光景は、戦後日本と変わりありません。劉理事長からは昔の生活の様子を聞きつつ、張理事とはカメラ談義に花が咲きました。
 時間があればお昼ごはんでもとお誘い頂きましたが、先を急ぐ失礼を詫びつつ再訪を約束しました。張理事には車で駅まで送って頂き、恐縮です。今度は友達を連れてきます!と約束の握手を交わし、別れました。


 今も台湾に日本を大切に思い続けている人々がいるということは、忘れたくない事実です。そんな方々に実際に会える竹田は、高雄からのワンデイトリップにも手軽で、おすすめできます。
 1時間余りの忘れられない体験を胸に、後続の区間車に乗り込みました。


 枋寮では、7分接続で乗り換えです。大急ぎで切符を買い、売店で駅弁を買うと、ビールを勧められました。台湾の人が車内で酒を飲んでいるのも見たことがなかったけど、勧められたら買わないわけにはいかないでしょ!
 子ども達とともに、枋寮から台東まで2時間をかけて走る普快車・3671列車に乗り込みます。


 普快車はもともと普通車と呼ばれ、各駅停車を示す列車種別でした。しかし冷房付きの通勤電車や優等車両のお下がりが導入されると、準急格の復興号(のちに自由席列車は区間車へ)に格上げされていき、普快車は南廻・台東線に残るのみです。
 そんな中でもこの3671/3672列車は、かつて台湾のどこでも見られた客車列車の普快車の、最後の生き残り。日本では動態保存車を除けば見られなくなってしまった、懐かしの旧型客車です。


 暑い台湾の1月、扇風機のスイッチを入れ、窓を全開にしてのオープン・エア・クルージングです。
 真夏は辛そうだけど、今は窓を開け放すにはちょうどいい気温の季節。ディーゼルの煤煙の匂いをかぎつつの、懐かしの汽車旅が再現されます。


 3両編成のうち、前2両は日本製の旧型客車。最後尾1両は、両開きドアが通勤列車風の南アフリカ製客車で、ずいぶん様相が異なります。
 最後尾に乗った幼稚園児たちを除けば、乗客はほとんどこの列車目当てといった風情の方々ばかり。ただ1本の客車列車が残されている理由には、もともと乗客の少ない南廻線における「観光列車」的な役割も期待されているのかもしれません。


 1駅目の加祿駅では、列車交換のため長時間停車するようで、ホームに降りた同じ車両の若い女性から声を掛けられました。列車の写真を熱心に撮っており、「あなたも降りてらっしゃいよ!」と誘ってくれた…のだろうと思います。
 他の鉄っちゃん達も、何人か降りてきました。どことなくキハ20系を思い出す風貌の自強号が、轟音を立てて通過して行きました。


 枋寮で買った駅弁を開きます。窓の開く旧型客車で、ビールを傾けながらの駅弁。日本が失った汽車旅、最高な気分です!はるばる乗りに来て、本当によかったと思います。


 お弁当の最高の調味料は、南国の海の車窓。南廻線は1992年に開業した新しい路線で、ゆえにトンネルが多いのですが、合間からは美しい海を望むことができます。




 先頭車のデッキからは、ディーゼル機関車の「鼓動」を感じられます。


 洗面所まわりも懐かしい雰囲気ですが、不潔な感じはありません。ドアの向こうにずらりと並ぶロマンスシートは、かつて優等列車として活躍した証。本の中でしか見たことないけど、特急「はつかり」型の旧型客車に通じる所がありそうです。

 僕の席は立てつけが悪いのか、閉まった窓が開かなくなってしまいました。ガタガタやってると、熱心に写真を撮っていた件の女性が手伝いに来てくれました。故障みたいですねと、お互い苦笑い。
 せっかくの会話のチャンス、一昨日の記憶がよみがえり「日本の鉄っちゃんです」と自己紹介してみたところ、はばかばしい反応はなし。同好の士かと思ってましたが、単に写真が好きな人だったようです!台湾での恋、あえなく撃沈です(笑)。


 最南端の駅を過ぎ、東海岸へと出ました。海の青さが、一層増したように見えます。


 最後尾の客車は、園児たちも降りて無人に。車掌さんに声を掛けられ、例によって「日本の鉄っちゃんです」と筆談すると、写真を撮れるように最後尾の貫通ドアを開け放してくれました。
 太平洋を望む駅として有名だった、多良駅の跡を通過します。


 フレンドリーな車掌さんで、スマホで撮った日本製通勤電車の800系の写真を見せてくれました。車掌さんは英語が堪能なのですが、いかんせん僕の英語力が伴わず、会話が続きません。
 通訳に台東の日本語ができる友達を…と電話してくれていましたが、金崙駅で目の不自由な女性が乗ってきて、電話を切ってその対応に当たられていました。職務優先、当たり前ですね。それっきりになったのは残念でしたが、うれしいひと時でした。


 太麻里駅には、旧型客車が留置されていました。復興号塗装の車両もあり、興味深いです。ホーム1本をつぶして停車していたので現役かと思いましたが、割れている窓もあり、ほぼお役御免状態のようでした。
 次の知本は台湾でも有名な温泉地で、今日の宿泊先候補でしたが、リゾート地らしく男一人で行っても寂しいだけなので、今回はパスしました。


 康楽駅を出れば、終点までラストスパート。2時間という時間を感じない、充実した旅のプライスは、わずか104NT(390円)でした。


 終点、台東着。到着後、すぐに機関車は切り離され、回送されていきました。件の女性とも、バイバイと手を振って別れました。


 立派な台東の駅舎。台東は東海岸でも大きい方の街ですが、線路の付け替えで駅は街外れに移転したため、駅前には何もありません。新幹線の単独駅のようです。


 14:45分の自強号で、東部幹線を北上します。日本の日立製の気動車です。


 シートピッチにはゆとりがありますが、莒光号の方がゆったりしていたように思います。日本製の気動車ながら背面テーブルはなく、窓枠には給茶サービスが行われていた名残りのカップフォルダーが残っていました。


 沿線は南廻線より人家が張り付いており、田園風景が続きます。菜の花畑も満開で、指宿枕崎線に乗っている気分です。


 40分少々の、池上駅下車。駅弁の立ち売りが出ていますが、日本で見るおじさんではなく、おばさんの売り子が頑張っています。池上と言えば駅弁!というイメージのようで、買い求める人の姿も見られました。
 僕は列車を降りて、駅前の道を歩いて行きました。


 駅弁で有名な池上の「本家」が運営する、駅弁博物館です。


 池上は、日本で言えば南魚沼クラスの米の名産地で、池上米はブランド米です。
 館内は稲作と駅弁の展示や、昔の学校を再現した部屋があり、日本人にとってもどこか懐かしい感じ。


 古い看板には、日本語も見られます。


 駅弁の直販コーナーもあり、眺めのいい2階席もありますが、僕は玄関先に止められた東急製のディーゼルカーの中で食べることにしました。


 駅弁といえば排骨飯なんだろうけど、ちょっと食べ飽きててもいたので、鯛のかば焼き弁当(80NT=300円)にしました。
 古びたディーゼルカーの座席で開ければ、汽車旅気分が盛り上がります。


 1時間後の莒光号で、さらに北上します。16:28発の73列車は金・土・日のみ運行の週末臨時列車で、例外的に立席乗車(無座)の扱いはありません。
 2週間前の切符売出し早々に売り切れており、その後何度確認しても満席状態。立席乗車もできないので難儀していましたが、昨日高雄で自動券売機に向かってみたら、難なく買うことができました。


 3両は、自転車の積み込ができる特別仕様。東海岸の各都市は自転車レジャーを売出し中のようで、タイアップしての臨時列車のようです。
 しかしこの日は自転車の持ち込みがゼロで、3両はからっぽ状態。普通車の方も空席の方が目立ち、当初の満席は何だったのでしょう。


 今日の目的地・瑞穂は莒光号も停車しますが、手前の玉里で下車。その理由は、後続の普快車として走るこの車両・DR2700型に乗りたいから!
 1966年に特急用車両としてデビューした日本製のディーゼルカーで、現在は台東周辺の普快車として活躍中。現在進められている電化工事が完成の暁には、廃車ではないかとウワサされる貴重な老兵です。


 緑色のロマンスシートはガタがきており、回転させてもがっちり固定できません。
 車内の円弧のくぐり戸は、どうしても車内に飛び出さざるをえなかったディーゼルの排気口を、隠すための装飾。日本人技術者のアイデアで、現地でも好評だったとのことです。その後の車両にも受け継がれています。


 電化工事とともに、線路や駅の改良も進行中の台東線。ホームの嵩上げで、旧型のステップ付車両はホームと車内の間に、大きな「落とし穴」ができていました。
 そのまま運用しちゃうあたりが、何ともおおらか。


 ロマンスシートは最前部まで配置されており、特急時代は展望車として羨望の的だったことでしょう。現在は車掌席として使われており、勝手に座ってしまわないよう「車長席 Staff Only」とマジックで殴り書きしてありました。


 古びたディイーゼルカーはエンジンの音も高らかに、改良の終わった真新しい線路を快走します。窓枠はガタガタ、照明はチカチカ。虫の声が響く外から吹き込んでくるのは、生ぬるい夕方の風。普快車は、時代離れした汽車旅を提供してくれます。
 「Staff Only」席の車掌さんは、玉里発車時には弁当を食べており、三民駅を出る頃に車内改札を始めました。ドアは手動だからドア扱いはないし、ホームの安全確認は駅員さんの仕事なので、車掌さんは車内改札に専念できるんですね。


 瑞穂着。ドアは連結部にしかなく、2両編成の乗降口は2ヶ所のみ。乗り降りに時間がかかりますが、だからこそローカル区間で余生を送っているのでしょう。
 通学の高校生を乗せ、瑞穂を発車していきました。


 瑞穂温泉までは、タクシーの世話になりました。約10分で、180NT(670円)。日本のタクシーよりは安いですが、もろ手を上げて喜ぶほどではありません。
 今夜の泊りは、日本時代から続く瑞穂温泉山荘です。畳の部屋は温泉・朝食付きで570NT(2,100円)と激安ですが、畳の古さは相当なもの。新品の畳は入手困難なはずで、日本の感覚で考えてはいけませんが、膝を付くことははばかられました。


 温泉は鉄分を豊富に含んだ、良質なお湯。露天風呂(翌朝撮影)は台湾式の水着着用で、シャワー室でかかり湯と着替えをして入浴します。
 夕方なのに入浴者は誰もおらず、一人でのんびりと鼻歌交じりで、異国の湯を楽しみました。のぼせて上がる頃にドヤドヤとやってきたのは、大陸からのツアー客。途端に騒がしくなってしまい、早めに入っておいてよかった!


 日本語のできる宿のおやじさんに「夕ご飯は?」と聞かれたので、少し食べたいと答えると、下の方にファミリーマートがあるからというまさかの返答。団体さんの対応で、てんてこまいのようでした。
 こうなったら台湾のコンビニ飯を極めたる!と気分を変え、買ってきたのは麺線。レトルトにしてはよくできていて、おいしく平らげましたが、もちろん西門町で食べたものの方が数段うまかったです。


 日本名は「瑞穂温泉リゾート」と言い、食事会場になっているテラスはリゾート地の風情があります。
 窓もテレビもない部屋に戻ってさみしく過ごす気もせず、ここで南国の夜風に吹かれながらビールを傾けました。照明は消されていたのですが、僕の存在に気付いたのか、スタッフがそっと灯してくれたのは嬉しかったです。


 宿泊者は個室湯にも入ることができて、一室借りることに。空っぽの浴槽に自分で湯を張るのが台湾式の個室湯スタイルで、お湯の使い回しをしていない証なのでしょう。
 注ぎたての湯を楽しんでいると、隣り合う露天風呂からは大騒ぎする親子の声が。台湾のお風呂のマナーには反しており、件の大陸からの観光客なのでしょう。他に入浴客もおらず、迷惑は掛けていないようだからいいか。

 温まった体を布団にもぐりこませ、田舎町での一夜は更けて行きました。

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 台湾の旅6日目・1月2日は、ローカル線・集集線と、南部の主要都市・高雄を巡りました。


 集集線の始発駅は台中から南に下った二水ですが、一部の列車は台中まで乗り入れて来ます。8:17発の列車は、西部幹線の区間で一部駅を通過する「区間快車」です。
 お馴染みのローカル線向け軽快気動車に乗って、台中を出発しました。


 架線下を快走すること約1時間で、分岐駅の二水へ。単線の細道に乗り入れ、ローカル線の旅が始まります。平渓線、内湾線と同様の、時速40km前後のゆっくリズムです。
 特等席には鉄っちゃん風の男性一人。横に立って景色を眺めていたら親子連れがやって来たので、ベストポジションを譲りました。日本でも海外でも、子ども鉄っちゃんには大人になっても鉄道を愛してほしいと思う故です。


 線路は重軌条、PC枕木の立派なものですが、保線状態はベストとは言えず、素人目にも線路には狂いが見えます。狂いの部分に差し掛かると、車体がぐっと横揺れしました。
 線路と生活の場が近いのは集集線も同様で、線路の敷石なのか側道の砂利なのか、はっきりしない場所もところどころに。生活道路として線路を歩いていたおじいさんが、警笛を鳴らされていました。


 なつかしいタブレットが現役。運転席にも冷気が流れ込むようにか、ワンマン運転でもないのに運転席のドアは開け放たれていました。


 台中から2時間弱で、終点・車埕に到着しました。こちらも熱帯の木が出迎え、南国ムード満点です。天気は快晴、今日も暑くなりそう。


 車埕駅は木造ながら、現代風のウッディな建物。


 さっそく駅前探検に出かけてみました。車埕駅周辺の集落はごくごく狭い範囲にまとまっており、家々へは路地が結びます。
 平日ながら観光客の姿が目立ち、さっそくお土産屋さんには人が群がっていました。ガヤガヤは嫌なので後で戻ってくることにして、先へ進みます。


 鉄道書家の工作室、見学歓迎…という意味なのでしょう。入ってみます。


 鉄道をモチーフにした木工製品や絵が飾られていました。画家さんにもぜひ会ってみたかったですが、ご不在のようで残念でした。


 どん詰まりの先はダムになっていました。ダムの放水路下は木道の散策路になっており、青空に色付いた木々が映えます。


 路地に戻り、さきほど賑わっていた車埕小飯店に入ってみました。駅弁でもある、名物・木桶弁当の本家のお店です。
 店内には古い鉄道路線図が掲げられ、歴史を感じさせられます。


 看板猫と、近所の方とウーロン茶を片手に談笑する店のおやじさんを見ながら、弁当の出来上がりを待ちます。
 おやじさんは日本語ができて、穏やかながらも商売熱心。木桶は欲しいけど荷物になるからとお断りすると、小さな瓶の檜油を進めてくれました。少し付けただけで檜のいい香りが広がり、お土産に即決。これは家族に好評でした。


 できあがった排骨飯の木桶弁当は、できたて、揚げたて。カリカリした肉が、おいしかったです。
 木桶で食べたら、おいしさも ひとしおだったろうと思います。


 木造駅舎、木工細工、木桶、檜油と、木に関する名物が続いたのは、車埕が林業の街ゆえ。木工資料館もあり、大断面の木造ドームは「木構之美」として解説されていました。
 木材の切り出しのために活躍した鉄道車両も保存されており、阿蘇の小国を思い出す集落です。


 カフェも数軒あるのですが、時間もなかったのでテイクアウト専門の店へ。
 ポットか、よくてもコーヒーマシンから供されるのかと思っていたら、注文を受けてから豆を挽く本格派。フィルターを蒸らし、カップを温めるという手順の一つ一つまで丁寧で、もちろん美味でした。


 1時間半の散策を終え、上り列車でバック。20分弱で下車した街・集集は、観光地でもあります。
 木造駅舎は歴史ありげですが、1999年の大地震で全壊した後、原図を元に再建されたものだとか。ぱっと見、再建したものとは思えないほどの味わいがある駅舎です。


 集集の街は、自転車で巡るのがお決まり。駅前には無数のレンタルサイクル屋さんがあり、外国人の対応にも慣れているようでした。
 午後5時まで150NTを提示されましたが、1時間後の列車で発たなきゃいけないんだと伝えると、100NTになりました。それでも370円ですから、そこそこの値段です。


 自転車とはいえ異国で乗り物を操るのですから、ちょっと緊張しつつ慎重にペダルをこぎ始めました。
 寺院の武昌宮までは、自転車で10分弱。


 ここにもいましたか、アヒルちゃん。全土で流行していることが分かります。


 武昌宮の裏手にあるのが、大地震で倒壊した旧武昌宮。集集は「被災地」と呼ばれた街の一つで、その震災を後世に伝える遺構として保存されています。
 現行の震度基準に照らせば、震度7に達するのではないかと言われる激しい揺れを、視覚に訴える遺構です。


 破壊され、鉄筋が露わになった柱も間近で見ることができます。
 立ち入りを制限する柵はないに等しく、自己責任での見学です。


 熱帯植物が並ぶ街の外れまで来ました。帽子をかぶってこなかったのは迂闊で、熱い日差しが容赦なく照りつけます。


 ヒマワリが並び、夏の終わり頃を感じるほどです。


 案内看板に「十三目仔窯」と出ており、窯元かなにかかなと思いながらペダルを進めました。
 レンガ造のそれは、レンガやタイルを焼くために作られた窯とのことで、今は売店などに活用されているようです。残念ながらこの日は、すべての店がお休みでした。


 集集線の真横にあり、線路に面した「模擬駅」もあります。本物の列車が通過する瞬間を、見てみたいものです。


 集集駅前に戻り、自転車を返却。
 駅前からは、こんな豆汽車も走ってます。もちろん本物の蒸気機関車ではなく、エンジンはSUZUKI製です(笑)。


 ミニ遊園地へは、集集線の線路を跨いでいきます。踏切はありません。
 鉄道側が設けた「通行禁止」の看板の下には、「線路の上に留まらないで」「置き石しないで」「列車に近付かないで」の注意書き。渡っていいのかダメなのか、なんとも迷う光景ですが、要は自己責任でということでしょう。


 帰路も特等席を確保。線路右手には並行して、グニャリと曲がったもう1本の線路が残されています。これも震災遺構の一つです。


 さらに傾いた鉄塔もそのまま。
 保存か撤去か、東日本沿岸の各地で震災遺構の今後が議論されており、もちろん台湾でも多くが取り壊されたのでしょうが、一定数は遺す道を選んだようです。


 二水では接続する特急がないため、1駅、西部幹線を上ります。
 特急電車とすれ違い、集集線の列車も水を得た魚の如く、負けじと全力疾走です。


 田中着。親しみを感じる駅名ですが、日本起源の地名ではないとのこと。


 田中駅の周辺には、味のある古い商店建築が多く残っています。日本流に言えば「看板建築」…通りの表面のみを洋館風に飾った建築物のようですが、台湾式に通りに面した1階部分はオープンになっています。
 大地震は田中でもかなりの揺れだったはずで、あまり強い構造には見えませんが、多くが耐え抜いていました。


 小腹が減ったので、路上の小龍包の店でおやつを買い出し。
 1つ35NT、1袋100NTとあったのですが、どどんと9個渡されて35NT(130NT)でした。それでも列車の中でペロリと平らげてしまったのだから、美味しかったことには間違いありません。


 田中からは14:55発の自強号で、高雄へと下ります。自強号は特急に相当する列車種別ですが、高鉄が開業した今は停車駅を増やして、地域間の足として活躍しています。
 乗車率はざっと7割といったところで、平日昼下がりの「並行在来線」であることを考えればよく乗っています。


 有名な阿里山登山鉄道が分岐する嘉義は、今回は後ろ髪をひかれながらもパス。記憶にないのは、うつらうつらしていたからです(笑)。
 主要都市の台南も、今回は通過。駅名板は正面が旧字体の臺南、側面が新字体の台南となっており、どのように使い分けられているのか、興味深い所です。


 高速鉄道の左営駅が見えてくれば、台鉄の新左営駅。ちなみに台鉄の左営駅は別にあり、さすがにこれは世を惑わしそうです。
 台鉄は並行するMRTとともに高雄市内へのアクセスも担い、自強号にも乗り換え客が乗ってきました。


 長旅を終え、高雄駅着。新しい駅舎の横には、旧駅舎が保存されていました。


 旧駅舎では、台鉄の地下化事業の広報施設になっていました。「曳家」されて一時的に現在の位置に立っている旧駅舎ですが、地下化の完成後にはまた元の位置に戻す計画だとか。
 建物がそこに建った歴史そのものまでも、大切にしている証です。


 今日の泊りは、高雄駅から徒歩5分の宿泊施設「Single inn」。最小限の宿泊室は窓なしで、壁は天井まで通じておらず、日本でも見られるキャビンタイプのカプセルホテルに近い感覚です。代わりに大型テレビを始め、設備は最新式です。
 楽天トラベル経由で日本からでも予約可能、宿泊料は900NT(3,300円)でした。今回泊まった宿泊施設では一番の高値でしたが、たまには熟睡しないと(笑)。


 まだ時間は夕方6時、一休みもそこそこに、街歩きに出発です。
 高雄にもMRTが通っており、十字に交わる2路線が運行中。改札機にはICカードの読み取り機がありますが、悠遊カードは使えません。市内のコンビニやバスでは使えるのに、何て分かりにくい!と思いますが、日本の地方都市でも見られる現象ではあります。


 美麗島駅で、紅線から橘線に乗り換え。乗り換え通路は暗く、本来は広告が入っているべきであろう柱も、空白のままです。


 橘線の電車は、3両という短い編成で、夕方のラッシュ時にも関わらずガラガラでした。
 台湾第2の都市とはいえ、地方での地下鉄運営は厳しそうだなと、この時は思ったのでした。


 終点・西子湾駅から周辺の見どころまでは距離がありますが、マイクロバスが接続していました。カードの読み取り機があったのでかざそうとしたところ、運賃はなんと無料とのこと。
 丘の上の、旧英国領事館へ(入場100NT=370円)。レンガ造の建築物が、美しくライトアップされていました。


 アーチの向こう側には、輝く高雄の街並み。
 建物の手入れはよく行き届いており、大切にされているのは、日本が建てたものだけではありませんでした。


 ゆっくりと時を過ごしたくなり、オープンカフェでラテをオーダー。100NTでしたが、入場券に付いている割引券で70NT(260円)になりました。ただ入場ゲートの中にあるカフェなんだから全員が割引対象になり、二重価格表示では…と、どこか釈然としないわけじゃありません。
 ようやく涼しさを感じるようになった風に吹かれ、虫の声を聴きながらラテを傾けます。正月であることを忘れ、港町の夜景と対座しました。


 市街地に戻り、高雄で一番高い高層ビル・高雄85ビルの展望台へ。はるか眼下には、光の道が続いていました。
 日本の夜景に比べて、区画内の明かりが少ないように感じましたが、窓の小ささゆえでしょうか。道路の車の車列が、相対的に際立って見えました。


 南側では、観覧車や色がグラデーションに変わるビルが目立ってます。


 すでに乗り換えで2回通った美麗島駅に下車。コンコースは、ご覧のようなステンドグラス風のドーム天井になっていました。
 なんとピアノの生演奏も行われており、豊かな市民空間を演出します。


 駅の上にあるのは、高雄の観光名所の一つである六合観光夜市。
 地方都市とはいえ、あちこちから日本語や韓国語が聞こえ、外国人観光客も大挙押し寄せていることが分かります。


 港町らしく、海産物も豊富。屋外に生ものを並べて大丈夫かなと思いましたが、台はかなり冷やされているようで、水滴がしたたり落ちていました。


 海鮮粥(70NT=260円)を食べます。観光地価格かもしれませんが、ダシもよく効いていて、おいしかったです。


 六合は観光客向けなので、ぜひ地元向けにもと友人に推されていたのが、巨蛋駅から徒歩5分の瑞豊夜市。
 二・四・五・六・日曜日…つまり火・木・金・土・日のみの開催ということを行ってから知り、今日は木曜日。あぶないところでした。


 明日も学校や会社があるはずなのに、9時前の夜市は人でぎっしり。食べ物や衣類、雑貨まで何でもござれの品揃えです。


 パチンコや射的、店主と対戦するカードゲームまであり、言葉さえ分かればエキサイトできそうです。
 宿に帰ってゆっくり風呂に浸かり、ぱりっと糊の効いた布団でぐっすり眠りました。

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 新年明けまして、1月1日は旅の5日目。4日間かけて、主に在来線を使いながらじっくりと台湾をぐるり1周します。


 昨夜は2時就寝でしたが、気合いを入れて7時に起床。第一ランナーは、8時発の高速鉄道列車です。
 高速鉄道の切符は有人窓口でも買えますが、自動券売機でもOK。漢字が読めればさほど難しくもないので、並ぶ人の少ない券売機の利用がおすすめです。


 台湾の高速鉄道(高鉄)の車両は、日本の700系新幹線がベースです。
 厳密に言えば、線路や信号は諸外国の方式を取り入れているため「新幹線」とは別物。『新幹線の車両が走る高速鉄道』ということになりますが、メカに詳しくなければ新幹線以外の何物でもありません。


 3―2列の座席が展開する普通車も、新幹線そのもの。色使いはJR東海とも西日本とも違う、爽やかなグリーンがベースの配色です。


 台湾の鉄道では一般的ではない、座席の背面テーブルも踏襲しており、テーブルにプリントされた車内案内のデザインも同じです。
 車端部に荷物置き場があるのは日本との違いで、大いに活用されていました。


 停車駅が多いタイプの列車で、板橋、桃園とこまめに乗客を拾っていきます。東海道新幹線と同じで始発駅に乗客が集中しているわけではなく、桃園からは日本人の団体さんも乗ってきました。
 高架の線路を300km/hで快走!ビルは途切れず、東海道メガロポリスを走っているような錯覚に陥ります。


 66km離れた新竹駅へ、わずか35分で到着。駅周辺には真新しいビルが並び、副都心を形成し始めています。
 注意すべきは台鉄の新竹駅とはまったく違う場所にあり、台鉄の接続駅は六家駅であること。分かりにくいですが、高鉄は民間会社の経営であることを考えれば合点がいきます。東海道新幹線の岐阜羽島駅と、名鉄の新羽島駅の関係ですね。


 六家駅のある六家線は、内湾線の竹中から1駅間別れた盲腸線で、2011年に開業したばかりです。
 ただ電化区間は新竹~竹中~六家のみで、内湾線の竹中~内湾は非電化で残されています。運転系統も新竹~六家間の直通電車が中心で、逆に竹中~内湾間が支線のような扱いになっています。ガラガラの電車で、竹中へ。


 竹中始発の六湾行きに乗り換え。平渓線と同じ、軽快型のディーゼルカーが活躍します。最後部の特等席をゲット、流れる車窓を楽しみました。
 1時間間隔のローカル線とはいえ、4両編成で座席も埋まっています。祭日の観光客の他、学生や用務客の姿も目に付き、日常の足として活躍する路線です。


 横山駅は駅舎もなく、駅前の道路とホームが一体になっていました。ただ上屋は立派です。
 紅葉も始まったばかり。列車にカメラを向ける人の姿もありました。


 合興駅には、旧型客車が展示されていました。駅の利用者だけではなくドライブの休憩場所にもなっているようで、多くの人の姿がありました。
 ここでも列車を撮影する人が目立ち、鉄道趣味が一般に浸透している様子が伺えます。


 南国らしい雰囲気の、内湾着。大勢の観光客が降り立ちます。


 RC造の立派な駅舎ですが、ローカル線のターミナルらしい雰囲気も感じられます。


 古い駅舎に、ICカード読み取り機。日本のローカル線のようです。


 駅周辺は散策コースになっています。吊り橋で、清流の対岸へと渡りました。


 温泉施設があり、山間の温泉もいいなと思ったのですが、個室湯専門のようで1,000NT(3,700円)からとかなりの高値で断念。
 雰囲気のいいカフェも点在していますが、10時過ぎとあってまだ準備中でした。


 南坪古道へ、足を踏み入れます。よく見れば植生がだいぶ異なるようですが、九州の山と比べてもさほど大きな違いは感じられません。
 聞いたことのない野鳥の声が聞こえてきて、季節を忘れそうです。


 展望台まではかなりの距離があるようなので、そこそこ眺望の広がったところで断念。山の空気を吸って、引き返しました。


 駅前はいわゆる「老街」で、店がひしめき合い、いい雰囲気。猪の腸詰やフレッシュジュースを買い求め、列車の時間までのんびりと散策しました。


 11時の列車で、竹中へと戻ります。ワンデイトリップから帰るにはまだ早い時間で、冷房の効いたガラガラの車内でくつろぎました。
 一方で竹中で乗り換えた電車は、街へ出かける人で混雑。六家線の開業と電化とともに大増発された区間ですが、すっかり根付いているようでした。


 新竹駅着。日本統治時代に建てられた立派な駅舎が、今も現役です。


 狭い改札の間口もそのままで、自動改札も遠慮気味に1台ずつ設置されています。




 駅前広場の公園は、線路を模したしつらえになっていました。


 新竹駅からは在来線長距離列車の旅。急行格の莒光号に乗って2時間、彰化駅まで下ります。


 急行格とはいえ、車内は足置き付きのゆったりしたシートが並びます。14系客車のハコと、国鉄時代のグリーン車の座席を思い出しました。


 折り戸の出入口も14系テイストですが、手動です。走行中に開けたり、列車が停車する直前に飛び降りたりすることもできます。線路が見通せる連結面も、なかなかスリリング。


 新竹駅で買った駅弁をほおばりつつの、汽車の旅。


 台湾西部を縦断する西部幹線は、九州なら鹿児島本線に相当する大動脈。しかし竹南~彰化では、内陸を走る山線、海沿いを走る海線に分かれ、今回はあえて海線の列車を選んでみました。
 主要都市の台中を通らない海線は、ローカル線の風情。しかし一部では立派な高架になっており、幹線としての格を見せていました。


 海線とはいえ、海岸沿いをつかず離れず走るわけではなく、海は一部で望むだけです。
 どこでも冷房がガンガン効いていて、省エネには無頓着なのかなと思う台湾ですが、クリーンエネルギーの活用も進んでいました。


 約2時間、彰化駅着。南に下るに従って、空気も変わってくるようです。南国の感を、強くします。


 側線には、貴重な旧型の自強号電車が停車中。バックの旧型客車も絡めてカメラを向けていたところ、鉄っちゃんと思しき少年から声を掛けられました。
 「日本 鉄道迷」(鉄っちゃんのことです)と筆談で伝え、後はたどたどしい英語と筆談での会話。それでも趣味を同じくする者同士で、国境を越えた楽しい鉄談義ができました。


 台中へ向かう電車の中ではお仲間さんも加わり、記念切符を見せて頂きました。何でも彰化にある扇型機関庫が、工事を終え今日から一般公開を再開したとのことで、各地から鉄っちゃんが集結。切符の即売も行われたようです。
 切符も朝から行列して手に入れたものだったとのことですが、記念にと手渡して頂き感動。

 鍾先生、謝謝!


 台中駅着。こちらも日本時代の面影を残す、赤レンガの駅舎です。台湾では、日本よりも日本時代の建築物が大切にされている印象ですが、駅舎建築も例外ではありませんでした。


 台中では宿の予約をしていませんでしたが、目星を付けていた駅前ホテルに飛び込みでチェックイン。600NT(2,200円)と、台北のドミと同額でした。
 部屋は、値段を考えれば立派なもの。窓がなくてもガマンです。火災時の二方向避難は確保されていましたが、2つ目の避難経路が分かりづらかったので、よく確認しておきました。


 部屋に荷物を置き、郊外の亜州大学を目指しました。無料シャトルバスがあるとの情報を得ていたのですが見つからず、一般路線バスも分かりづらかったので、タクシーへ逃避。郊外へかなり走り、邦貨で1,000円を超えてしまいました。
 大学に近付くと菜の花が咲き乱れ、菜の花がりをする人の姿も見られました。すっかり春の陽気、春の光景です。




 亜州大学で今注目を集めているのが、安藤忠雄の設計による亜州現代美術館。三角形を微妙にずらし、三層に重ねたような平面が特徴です。


 入場券は100NT(370円)。
 写真は撮影OKの場所のみで撮影しましたが、現地の方はNGの場所でもガンガン撮影していて、職員の方も咎める様子はありませんでした。




 光の入れ方や、空間の切り取り方が面白い。




 設計者の建築展も開かれていました。


 バス停には、氏の笑顔が輝いていました。
 敷居の高そうな現代美術館とはいえ、訪問者は地元の方々が中心。周囲でも、和やかに遊ぶ人々の姿が見られました。現代に生まれた台湾の日本建築は、統治時代の建築物と同様、大切にされていくのでしょう。


 今度は路線バス(カードも使えます)で一旦ホテルに戻り、夜の市内散策に出発。
 市内へ向かうバスに乗るつもりが方向を間違えてしまい、イケネエと とっさに降りた場所は台中公園でした。台中を代表する公園で、美しくライトアップされています。


 池の周囲にはマンションが固まり、大濠公園を思い出しました。


 改めてバスを捕まえようと、路線図を解読して繁華街へ向かうバスを見つけましたが、なかなか止まってくれません。乗る意思を見せない限り止まってくれず、瞬時に系統番号を判断してバスへ突進するのは、外国人にとっては至難の業です。
 自分で頑張ってみたものの、結局成功せず、地元の方が捕まえたバスに「便乗」させて頂きました。繁華街で下車。台湾に来ると、「そごう」は日本より輝いて見えます。


 繁華街の精明一街へ。オープンカフェがならび、なかなか洗練された雰囲気です。周辺にもイタリアンやバーなど、お洒落な店が並んでいました。
 ただあまり賑わいには薄く、地方都市ゆえかなとも思いました。


 おしゃれ繁華街では一人で入れるような店もなく、空腹を抱えたままバスで台中駅前へ。路地裏にオープンな飲食店を見つけ、引き寄せられるように飛び込みました。
 メニューも分からず、おばちゃん店主に翻訳アプリで「魚の夕食」と表示させてみたら、野菜を3品、魚を1品選ぶように言われました。


 出てきた定食がこの通り。70NT(260円)でした。
 後から入ってきたおじちゃん連中は、ご飯と一緒にお酒も楽しんでいて、なるほどこういうトコで飲むのですね。ただ酔っぱらうほどではなく、お酒に節度ある印象は変わりませんでした。

 早起きは続くので、11時前には就寝です。

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 旅の4日目は、2013年(民国102年)も押し迫った12月31日。台北市内を巡り、新年を迎えました。


 まずは、昨夜散歩した台北駅の南側を改めて散策。近代的な街並みの中にも、日本時代の近代建築が点在しています。
 手前の建築物は、1922年竣工の旧三井物産ビル。近代文化遺産として残されているわけではなく、今もオフィスとして使われています。日本が作った建築物ながら、2階部分が道路に張り出す台湾スタイルです。


 そして隣接する建物は、第一勧業銀行から台湾土地銀行を経て、現在は台湾博物館の分館になっています。


 通りに面して、美しく並ぶ列柱。天井には、精巧なレリーフで飾られています。


 入場は無料で、館内撮影の許可も貰えました。吹き抜けの空間には恐竜の化石が展示され、3階のカフェでは、化石を眺めながらサンドイッチのブレックファーストを食べられました。
 金庫室は銀行時代の資料館になっており、時代の変遷とともに歩んだ建物の歴史を知ることができます。大切に使われている建物で、書き置きコーナーに感謝の言葉を綴っておきました。


 午前の陽に輝く総統府。4日目にして、ようやく南国らしい晴れの天気に恵まれました。


 通りを挟んだ区画には、玄関が大きく張り出した裁判所。
 界隈には威厳ある近代建築物が並び、霞が関を歩いている気分になったのでした。


 中正記念堂駅から、MRTで移動します。市内中心部のMRTの駅は2層が吹き抜けになったものが多く、解放感があります。
 写真は小南門線の電車ですが、他線と同じ青い帯。ラインカラーが採用されているMRTですが、電車そのものは共通運用のようです。


 各駅では、台北101で行われるカウントダウンへ「2線でアクセス」「4駅へ退場」の呼びかけが、広く行われていました。
 どれほどの混雑になるのか怖いようで、興味深くもあります。


 新興繁華街である、市政府駅で下車。ショッピングゾーンだけではなく、2017年のユニバーシアードに向けドーム競技場の整備も進んでいます。
 競技場の工事現場の仮囲いが緑化されているのは、いい配慮。景観上も好ましいし、ヒートアイランド抑制にも効果があるのでは?


 市政府駅から徒歩5分の、松山文創園区へ。75年前に作られ、15年前まで現役だった煙草工場を再生した複合文化施設です。


 豊かな亜熱帯の植物の森と、古びた工場建築。


 イベントの一環で、香港の2階建路面電車を模した豆汽車が往復していました。


 古い建築を利用した新しい施設ですが、建設当時の面影を色濃く残しています。


 廊下の床のひび割れはそのまま。


 トイレは便器こそ最新式にものに取り替わっていますが、モザイクタイルの床や腰壁は昔のままです。
 さすがに、外部に面した窓の多くはアルミサッシに変わっていましたが、それも状態のよいものは木製建具のままになっていました。


 室内も壁面の塗装を施した程度だけど、カラフルなチェアでポップな空間に。
 日本だと、近代建築物の再生ではフルリノベーションされる事例も多いのですが、古いものも極力古いまま、磨きこんで使っていくのが台湾流のようです。




 館内には「台湾設計館」があり、「設計?図面の博物館かな?」と思っていましたが、英訳すればデザインミュージアム。設計=デザインなんですね。入場料100NT(370円)を払うとリストバンドを巻かれ、文創園区内に点在する展示室を見られます。
 世界と台湾の工業デザインの変遷が、一同に会する展示室。戦後の台湾製品にも多くの日本語が見られるのは、興味深いところです。






 ここも建物に施された装飾は、床のカーペットと壁・天井への塗装くらい。


 機械修理工場は、琉璃工房(ガラスアートギャラリー)のギャラリー兼ショップに。小山堂というレストランも併設しており、最低消費額300NT(1,100円)はなかなかの値段ですが、この空間でゆったりしたくて席につきました。


 中洋折衷メニューの角煮リゾットは、かなりのボリューム。


 食後のコーヒーは、ミュージアムカフェでゆったりと。この日はいい天気でしたが、結局朝から昼過ぎまで、日本時代の近代建築物の中で過ごしたことになります。
 日本の手を離れて60年、これらはしっかり台湾の地に根付き、台湾の建築物として活躍する姿を頼もしく思ったのでした。


 信義線から淡水線に乗り継ぎ、北投温泉を目指します。温泉は一人で行っても寂しいので、ルームメイトさんと待ち合わせて行くことにしました。
 示し合わせたわけでもないのに、北投駅で乗り換えた新北投支線の電車の中で落ち合うことができました。


 淡水線を走る電車のうち、新店線から直通してくる電車は終点の淡水行きですが、信義線からの直通電車は北投止まり。だったら北投~新北投間の区間電車も信義線に直通すればいいじゃん!と思っていましたが…
 この1駅間の区間電車は、北投温泉へ向かう観光客を意識した特別仕様。この電車を走らせたいんですね!タッチパネルで情報を得ることもできて、なかなか便利そうです。


 新北投駅前はありふれた電車の駅前でしたが、川沿いを遡って行くと、どことなく温泉地の風情が沸いてきました。
 高層ビルのホテルが林立していて、秘湯というよりは大規模な温泉旅館街の趣です。


 川沿いの、市立図書館北投分館。木をふんだんに使った、窓の大きい居心地の良さそうな図書館です。
 後刻、中まで入ったところ、窓が大きく開放的ながら、低い天井が落ち着きを感じられる空間。館内では飲み物を飲めるようで、コーヒーを片手にしゃれた空間でくつろぐ市民の姿は、武雄図書館を思い出しました。


 川では、足湯を楽しむ人々の姿が。温泉旅館からの廃湯も流れ込んでいるので、あまり推奨はされていないようですが…


 地獄谷へ。青い湯から、もうもうと湯気が立ち込めます。
 別府や島原の地獄に比べれば規模は小さなものですが、逆に日本の地獄に台湾からの観光客が訪れる理由も分かった気がしました。


 ガイドブックを見つつ、どこの温泉に入ろうか、熱海大飯店(笑)がお手頃な値段だなと向かってみたら、熱海の横に新しい温泉施設ができていました。
 その名も百楽涯温泉酒店。唐破風の玄関が日本風を演出してて、聞いてみれば、台湾式の水着着用ではなく裸で入れる日本式ということで即決しました。280NT(1,040円)となかなかいい値段ですが、この界隈ではお手ごろな方です。


 脱衣所と浴室の仕切りがないのは台湾式と言われますが、別府や沖縄の公衆浴場でも見られるスタイルです。ただ土足と裸足の床が入り組んでおり、湯上りの時には足のよごれが気になるかも。
 湯の浴槽が2つに、水風呂とミストサウナがあるだけのシンプルな浴室。白濁した湯は温泉成分がふんだんに入っている感じです。温度はやや熱めでよく温まり、疲れもすっと抜けていきました。テラスからの風景も温泉地らしくて、和みます。


 これまた日本時代の遺産である温泉博物館は、残念ながら閉館時間を過ぎていました。
 背後に立つのは、日本から進出してきた純日本式旅館「加賀屋」。かなりのお値段らしいのですが、ちょうどチェックインの時間とあって、次々に部屋に明かりが灯っていました。


 MRTで市内へと戻ります。北投のホームで見た淡水行きの電車は、なんとJR東日本の広告電車。日本企業も頑張っています。


 午後6時を過ぎた台北駅は、昨日までの同時刻とは比べ物にならない混雑に。昨日までは見かけなかった、「ここに立ち止まらないで」「トイレはこちら」のぶら下がり看板も設置されていました。
 年越しに向けて、街はざわつき始める時間です。


 ドミの部屋からは、昨日までは もやに隠れ見えなかった台北101が姿を現していました。年越しに向かって、30分ごとに電飾が灯ります。
 秋葉原ビルの屋上も解放されるとかで、ここから見ようかなと心動きかけましたが、近くまで行っても意外と混まないし、台湾の人たちと迎える年越しがおすすめというルームメイトさんの進言に従い、街中に乗り込むことにしました。


 タクシーに乗れば意外と道は混んでおらず、歩道を歩く人を横目に、市政府駅まで乗りつけることができました。
 テレビ局の中継車もやってきています。(女子アナさん、きれいだったな~!)


 あと2時間!


 歩行者に開放された道を埋める、人、人、人…ただ押し合いへし合いするわけでもなく、座り込んで和やかにその時を待ちます。
 昨日までの寒さはだいぶ和らぎ、凍えずに済むのはありがたいこと。地面に寝ころび待つ人もいました。


 通りから1段上がった位置にある市政府の公開緑地が、通りから目に付かないようで意外な穴場。2時間前というやや出遅れた時間だったにも関わらず、特等席をゲットしました。
 1時間前、日本はすでに新年を迎えた時間です。大勢のカメラマンたちと共に、その時を待ちます。


 テレビ局のイベントステージに行けば次第にボルテージが上がって行ったのでしょうけど、やや遠巻きに眺めていた僕らにとっては、唐突にカウントダウンがスタート。ビルのてっぺんの数字が「3、2、1…」となった瞬間…
 なんじゃこりゃ! 想像していたよりも、何倍ものスケール感の「横向き打ち上げ」花火です。派手なだけでなく、ビルの外周を螺旋状に打ち上げたり、ビルの電飾と組み合わせたりと、芸術的です。


 YouTubeにアップされている、他の方が撮影された動画です。あの時の興奮を、今も思い出します。


 『HAPPY NEW YEAR 快楽 台北101 敬祝 新年』。ビルに現れるメッセージに、周りの台湾の人々とともに新年を迎えた喜びを共にして、4分間の一大エンターテイメントは幕を閉じました。
 台北101に隣接して高層ビルが立つ計画があり、来年以降は開催するにしても、規模の縮小は避けられないと言われているカウントダウン花火。しかし隣接のビルと協力して、今以上の花火を演出することも不可能ではないはずです。きっと、また来ます!


 残煙を流しつつ、美しく輝く台北101。


 一斉に、帰路につく人々。しかし焦った雰囲気はなく、時々101をバックに写真を撮りつつ、イベントの余韻を楽しんでいる雰囲気でした。押す人も、騒ぐ若者もおらず、警備にあたる警察官の姿すらほとんど見られません。
 いつもはきれいな街ですが、さすがにこの日は路上に多くのゴミが残されていました。ゴミを集めるのは、黄色いベストを来た高校生たち。深夜にボランティアさせていいの!?と思いますが、危険はないのでしょう。新年早々、とても気持ち良くなる光景でした。


 北側の永吉路まで出れば、タクシーの空車が群がっていました。1台目は「1人200NT!」もふっかけられましたが、2台目で親切なタクシーにあたり、定価の180NTで台北駅へ。ドミに戻った時間は1時前、想像よりはるかにスムーズでした。

 部屋に戻ると、シャワーの音。湯上りにビルの中から見たの?と聞いてみたら、真下まで行って、市政府駅からMRTで帰ってきたとのこと。終了後すぐに駅に向かったら、2本待って乗れたとのことです。
 大混雑でかなり待つと聞いていたMRTですが、信義線開通のおかげもあり、だいぶスムーズになったようでした。翌日のニュースでは、名物の誘導員が今年は「倍返しだ!」をパロって誘導している姿が流れており、和やかに大輸送作戦が行われたようです。

 今年は116万人の人出だったというカウントダウンですが、少ない警備でスムーズに終わり、驚愕という他ありません。花火そのものもきれいでしたが、台湾の人々の高き「民度」を見られたことも、大きな思い出になりました。
 年明けの興奮で早寝するのもなんだか惜しく、部屋では2時頃まで盛り上がってしまいました。2014年の幕開けとともに、僕の旅も第2幕へと移ります。

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