Chang! Blog

福岡のハングル検定準2級建築士、そして一児の父の[ちゃん]のブログです

新居浜の産業遺産を巡る【4】久留米への道

2014年09月13日 |  □福岡発おでかけ日記

 9月7日夕方5時前、イツモレンタカー松山IC店こと、エネオス椿給油所へ到着。船までは時間もあるので、送迎を道後温泉へお願いしたところ、ドライバーさん、たくみに裏道をすり抜けて行きました。松山市内の渋滞は激しく、地元人ならではのテクニックです。
 日曜日夕方の道後温泉は、それでもさすがは一大観光地。駅前も商店街も、そぞろ歩く観光客で賑やかです。


 道後温泉で、晩の風呂をひと浴びしました。せっかくの掛け流しの名湯なのに、塩素入りになってしまったのは残念。でも重要文化財に入浴できるのは、いい経験です。
 スーパームーンが翌日にせまっていたこの晩、背後には大きな月が輝いていました。


 道後温泉から松山市駅へは、低床の路面電車で。松山市内は、いよてつの路面電車4系統に郊外電車3路線、JRまで走っていて、モビリティは高い街です。


 さらに郊外電車に乗り継ぎ、松山観光港を目指します。
 元京王井の頭線の電車の3両編成で、車内は新車といっていいほどピカピカ。各地の地方私鉄で活躍する大手私鉄の「譲渡車」のレベルは、最近さらにステップアップしている印象です。


 バスで観光港へ抜け、晩ご飯は港近くの「めしや酒井屋」へ。昭和レトロをうたった食堂です。


 なつかしの看板やアニメキャラが、すらっと並んだ店内。昔のマンガ雑誌なんかも、さりげなく手に取れるように置いてあります。汚してしまわないように注意!
 昭和レトロがコンセプトの飲食店なら珍しくもありませんが、こちらは建物も、店のおばさんも、おばあさんもちゃんと「昭和」なのでリアルです(笑)。


 しかし1,000円なりのお楽しみ定食は、奇をてらったものではなく、品数がいっぱい。体にも良い晩ご飯になりました。


 お腹もいっぱいになったところで、帰路の松山・小倉フェリーに「チェックイン」。往路の乗船券の提示で3割引になるので、くれぐれも旅の途中になくさないように…。
 月に見送られ、短くも楽しかった四国の地とお別れです。


 現在、愛媛方面の船会社各社が共同で「愛顔の船旅キャンペーン」を実施中。スタンプを押して応募すると、次回の旅に使える乗船券を貰える…かも?
 特に柳井~松山と佐賀関~三崎間では、車1台を積み込める券が当たるので、ねらい目と言えそうです。また四国に来れることを願って、ペタリ!


 ぐっすり眠って、小倉港着。こちらも7時まで船内休憩できますが、下船時刻は到着直後と6時以降のみ。小倉駅前発6時15分のバスに乗るには、5時過ぎに下船せねばなりません。
 こぶりなターミナルで手持ち無沙汰に過ごしていたら、徐々に夜が明けてきました。


 今日は月曜日。工業地帯の朝が始まります。


 小倉から2時間で、久留米へ。朝8時過ぎ、まだまだ1日は始まったばかりの時間です。家で一休みして出勤、いつも通りの1週間が始まりました。
 土日だけでもどっぷり楽しめると分かった、濃い2日間+αの旅でした。


※今回の記事は、新居浜市観光協会の「あかがねのまち新居浜ブロガー旅行記」の参加レポートです。
 旅にあたって新居浜市観光協会さまには、多大なるご支援を頂きました。この場を借りて、御礼申し上げます。

新居浜の産業遺産を巡る【3】山の遺産、街の遺産

2014年09月13日 |  □福岡発おでかけ日記

 新居浜市別子山、オーベリジュゆらぎで朝を迎えました。
 7時前、そっと玄関を開けて、爽やかな朝の空気ただよう森へと踏み出します。


 森林公園・ゆらぎの森は、朝霧の中にありました。


 木々は、雨降り後のような しっとり感に包まれています。


 白い機体 飛べない空に 何思う


 椎茸も、山の恵みを受け育っていました。


 1時間少々の散歩を終え、宿に戻れば朝食の時間です。
 運動した後のご飯はウマイ! ふわふわのプレーンオムレツと、香ばしく甘いクロワッサンが食欲を掻き立てます。


 …と、のんびりくつろいでいたところ、エリアメールが鳴りだしビックリ。津波警報の文字に驚きましたが、よく見れば四国中央市の訓練メールでした。津波とは縁遠いイメージのある瀬戸内沿岸ですが、何が起きるか分からない。万一に備えた訓練は大切ですね。
 四国中央市のエリアメールが入ってきたのも意外でしたが、旧別子山村は地理的には三島(四国中央市)の方が近いのだとか。それでも新居浜と合併したのは、同じ産業を支えてきた村としての絆があったのかもしれません。


 チェックアウトの10時までのんびりさせてもらって、2日目のドライブがスタート。ホテル裏手のヘリポートへ車を走らせました。
 わずか3分でたどり着ける絶景スポットなのでしょう、晴れていれば。赤石連山は残念ながら、雲の中でした。


 昨日来た道を、再び新居浜市街地方面へと戻ります。旧別子山村の中心部は、郵便局や市役所支所があるものの、一自治体の中心部だったとは思えないほど小さなものでした。
 旧別子山村の人口は、銅山が活況を極めたピーク時には1万人を超えていたものが、合併当時は300人を割っていたのだとか。九州の産炭地の島と、重なる姿です。


 県道47号線から右折し、マイントピア別子の東平ゾーンを目指します(写真は下山時に、一時停止して撮影)。昨日の端出場ゾーンとは、山岳鉄道が結んだ地区です。
 現在の道路も隘路で、自分で運転していくと、山道を50mバックして離合場所に戻るテクニックを要求される可能性があります。山道の運転に自信がないなら、素直に端出場ゾーンから観光バスに乗るのが得策です。


 東平ゾーンは、すっぽり霧の中。まずは東平歴史資料館で、東平地区の歴史を学びます。
 ちょうど観光バスが到着して、資料館は人でいっぱいになりました。


 大正5年から昭和5年までの間に採鉱本部が置かれた東平地区は、社宅群に私立学校、劇場までが置かれた街でした。
 小ぶりながらも充実した展示で、当時の山間の都市での生活の様子が見えてきます。


 レンガ造の「マイン工房」は、銅板レリーフづくりができる体験施設です。
 建物はかつての保安本部ですが、近くに立っても全容が、み…見えない。


 索道場跡へ下って行く階段は、インクラインの跡。レールを敷いてケーブルで上げ下げする運搬装置のことで、それゆえルートは一直線です。
 「底」が霞む霧の日は、奈落に降りて行くような錯覚を覚えます。


 「東洋のマチュピチュ」とも呼ばれる、貯鉱庫・索道場跡。レンガ造の構造物が、傾斜地へ幾層にもそびえ立つのですが、霧で一番手前の索道場跡しか見えません。
 霧が流れてくれることを祈り、しばし たたずんでいましたが、動きは鈍く、全容は姿を現してくれませんでした。


 上から眺めても、この通り。「東洋のマチュピチュ」のすべてを見たければ、また来いという意味でしょうか…。
 ただ今こうして写真で見ていると、晴れの日では決してみれない、幻想的な風景ではありました。


 霧が深かったのは山の中だけだったようで、下界に下れば夏空が戻っていました。むしろ暑いくらいで、山の空気が少し恋しくもなります。
 ランチは、住宅街の中にあるcafe「Zecca」へ。なかなか挑戦的な外観ですが…


 内装も、ポップを越えてテクノと表現したい空間で、PVの世界に迷い込んだよう。こんなカフェが普通の住宅地にあるというのも、なかなか興味深いところです。
 客層も若い人ばかりではなく、40代とおぼしきご夫婦もいらっしゃいました。


 ローストビーフ丼と、グリーンカレーでくつろぎました。
 グリーンカレーは独特のクセがなく、苦手な人でもおいしく食べられそうな味です。


 新居浜、最後の目的地はイオン新居浜…ではなく、その周辺の鉱山関連施設群。大正14年に東平から移転した選鉱場や、社宅が立地したエリアで、星越・惣開ゾーンと呼ばれます。
 イオンも、前田社宅の跡地。日曜午後のイオンは駐車場がいっぱいになるほどの賑わいで、この点は地方都市の典型的な姿ではありました。


 イオンの向かい側には、住友倶楽部が。現在は住友の研修施設ですが、かつては迎賓館的な使われ方をしていたとのことです。
 手入れの行き届いた広大な施設を見ていると、ここが「ありふれた典型的な地方都市」ではないことが分かります。


 惣開小学校から裏手に回ったところにあるのが、旧星越駅。近年、手を加えられたようで、古びた感じはありません。屋根裏の換気口が、さりげなく住友マークにデザインされています。
 調べて行ったから駅と分かったのですが、駅だったことを示す看板や説明板はありません。保存していく意思は感じられましたが、活用はこれからなのでしょう。


 駅の背後では、今も住友の関連施設が動いています。駅の前後には線路も残っていて、切り通しの先はトンネルでした。
 数年前までは、選鉱場の跡も残っていたとか。駅跡前も空き地が広がっており、全盛期には「街」が広がっていたのだろうと思い巡らせます。いま「駅前」にその名残を留めているのは、1軒の商店くらいです。


 駅跡から少し離れますが、かつての「街」の面影を留めるのが、住友の山田社宅。社宅とはいえ庭付きの戸建て住宅で、幹部社員向けだったとのこと。
 整然と区画された街区に垣根が連なる様には、武家屋敷群のような風格さえ漂います。


 ほとんどの家には電気が通じており、社宅としては「現役」のようですが、住まい手のある家はわずかです。
 産業遺産として、2軒が新居浜市へ譲渡されたそうですが、その他の家は今後姿を消していくのでしょう。


 選鉱場の跡を背景に、木造平屋建ての住宅がずらりと並びます。
 個々の家ではなく「社宅群」としての集まりこそ、全盛期の栄華を伝えてくれますが、すべてを残すというのは難しい話。今のうちに目に留めておきたい産業遺産です。


 さらに西側にあるのが、星野西洋住宅。外国人技術者を雇い入れるため建てられた、洋風の住宅です。「瀟洒」という言葉がピッタリの、いいたたずまいでした。
 カフェなんかになれば、いい雰囲気になりそうだけどなぁ~! ユニークなカフェも成立する新居浜という土地だけに、なおさらそう思います。

 時間は16時前。ぼちぼち新居浜を離れる時間になってきました。

▼【4】に続く