Chang! Blog
福岡のハングル検定準2級建築士、そして一児の父の[ちゃん]のブログです




 早朝6時に起床。折しも台風19号が接近中で、起きるや否やテレビをつけて情報をチェックしました。福岡や広島を直撃することはなさそうだけど、JR西日本の在来線各線では大規模運休が予告されており、はやめに帰っておいた方がよさそうです。
 予定を切り上げ、お昼の新幹線で帰ることを決心しましたが、本来「こだま往復」は変更ができないきっぷ。無理と言われればそれまでですが、さてどうなることか。


 というわけで、まだ台風の気配を感じない広島の街へ歩き出しました。早朝から、路面電車は長い編成で街を行き交います。


 中電前からもほど近い、平和記念公園へ。


 噴水のまわりに人が集まっており、何事かと思えば時刻は6時半。噴水に一礼した後、ラジオ体操が始まりました。
 せっかくなので、僕も飛び入り参加。久々に「第2」までしっかり体を動かし、全身がすっきりしました。


 体操が終わると、何人かは慰霊碑に向かって手を合わせ、公園を後にしていました。
 昼間だと観光客の姿の方が目立つ公園ですが、早朝は広島市民の健康づくりの場であり、毎朝の祈りの場でもありました。


 早朝の原爆ドーム。


 ホテルに戻り、充実の朝食を食べているうちに雨が降り出してきました。地下街の「紙屋町シャレオ」を巡り、基町クレドへ登る頃には時折暴風も吹くように。
 街を歩く人の姿も少なく、少しずつ台風が近づいてきていることを感じさせました。


 太田川や、名建築「基町アパート」を望むことができるテラスも、閉鎖中でした。


 広電で広島駅に行けば、みどりの窓口は大行列。「こだま往復」の変更を申し出ると、すんなり受け付けてもらえました。19号接近で旅行を中止する人には無手数料払い戻しも行っており、柔軟な措置が取られていました。
 発車までの時間は、駅ビルでお好み焼きを昼食に。麺入りのお好み焼きは、ボリュームたっぷりです。


 今回の台風では前日、JR西日本が京阪神地区の夕方以降全終日運休を予告し、予定通りに決行。一方で私鉄は大きな遅れもなく運行を続けていたことから、その措置には賛否が分かれました。
 中国地方でも同様の予告がなされ、12時前後には各方面の「最終列車」が出発。一事が万事、特に広島では大きな土砂災害があったこともあり一定の理解はできましたが、隣で新幹線がほぼ定時で走っているのは、奇異な光景ではありました。


 おかげで、無事に九州へ帰れます。ゆったりしたレールスターの座席に身を委ねていれば、3日間の旅疲れ(飲み疲れ?)であっという間に夢の中へ。気付けば、新下関駅の直前でした。
 寝てしまえば、「のぞみ」も「こだま」も変わらない!?


 福岡も吹き返しの風が強かったものの、間引き運転だった特急も徐々に本数を戻しており、ほぼ通常ダイヤでの運行が続けられていました。
 博多駅の2階カフェで「旅のふりかえり」をした後は、吹き抜けの「ななつ星」1周年記念コーナーを見学。「ななつ星」はちょっと無理だけど、次の旅への夢を膨らませつつ3連休の旅の幕は降りました。

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 3連休の広島の旅。連休だけに宿探しは難航したのですが、一瞬だけ生まれたキャンセルを狙って確保したのが、コンフォートホテル広島大手町でした。
 14階の客室からは、ビルの谷間ではありますが広電の電車が見えます。まさにトレインビューホテルで、しばし行き交う電車を眺めていました。


 広島市内を縦横無尽に駆け巡る市内電車は、旅行者にとっても強い味方。広島駅~紙屋町~宇品を結ぶ1系統は利用者が多く、ほとんどが連接車による運行です。
 低床電車の「グリーンムーバ―Max」に当たることが多いのですが、中にはこんな古豪も。昭和50年に西鉄の福岡市内線を追われてやってきたベテランが、健在です。もう広島生活の方が長いのでは?


 7系統で横川へ。広島市街地から山陽本線を西へ向かうなら、一旦広島駅に出るよりも、こちらが便利です。
 駅前は大屋根で覆われていて、乗り換えにも傘いらず。駅の規模が小さい分、迷わずに済むのもいいところです。


 山陽本線の「黄色い電車」で岩国へ。錦川清流線のディーゼルカーに乗り換えました。
 錦川鉄道・錦川清流線は、1987年にJR岩日線を転換して生まれた、第三セクター鉄道。沿線人口は決して多くないものの、積極的な観光客の誘致で堅実な経営を続けています。


 派手なラッピングの気動車の車内は、ゆったりした転換クロスシートで快適。大きめのテーブルも備えられ、観光輸送にも対応した豪華仕様です。
 2両編成ながら後部の1両は締め切りになっていて いぶかしんでいたところ、清流新岩国駅から大挙、団体さんが乗り込んできました。1両目とて、ほとんどが観光客の風情です。


 清流線の名に違わず、車窓からは錦川の清らかな流れを望みます。川底まで透き通る川面は青色に輝き、アユ釣りに勤しむ釣り人の姿を映していました。
 眺めのいい場所では、どの列車も「観光徐行」を行い、遠来の乗客を楽しませてくれます。


 駅周辺に張り付く集落は、正しい日本の田舎!といった風情です。赤い瓦の家々は、庭の手入れも行き届いています。空き家も見られないわけではありませんが、山あいの集落としては少ない方では。レールが通じている分、過疎化のスピードも緩いのかもしれません。
 清流線の本数は1日10往復と決して多くないものの、5時台から22時台まで動いており、岩国市内への通勤にも充分使えます。


 急に開けて「街」らしくなったところで、終点・錦町駅に到着。終点の印が立つ、どん詰まりの終着駅です。
 しかし線路の路盤は続き、駅の先で待ち受けるのは…


 その名も「とことこトレイン」! 日本海側へと結ぶべく工事が始まり、途中まで完成していたのにも関わらず、国鉄改革で日の目を見なかった未成線「岩日北線」の路盤を活用したロードトレインです。
 マイカーでやってくる人も多いのですが、錦川鉄道に乗ってやって来ると特典いろいろ。往復運賃が1,000円に割引されたり、事前予約ができたりします。


 高規格の路線で、錦町を出発するとすぐに長いトンネルになります。暗闇の無聊を慰めてくれるのが、輝く壁画。LEDライトではなく、蛍光石にブラックライトを当てて光らせています。
 とことこトレインも一旦停止、下車して鑑賞することができました。


 長いトンネルを抜けると、コンクリートの橋梁の上に出ました。左手のコンクリートの構造物は、出市駅として計画されていたものです。


 路盤の両側に並ぶのは、桜並木。春の美しさは、さぞかしでしょう。つい先週までは彼岸花がきれいだったそうで、いずれかきれいな季節にまた訪れてみたいものと思います。
 ちなみにとことこトレインの走る路盤は、すべて細長い公園という扱い。とことこトレインも、園内の遊具という位置付けになっています。帰路のとことこトレインからは、「公園」を散歩する人の姿も見られました。


 2本目の長いトンネルは、コウモリの住み家。前方を眺めると、それはもう無数の黒い影が飛び回っていました。さすが動作が機敏な動物だけに、とことこトレインにぶつかることはなく、客席に飛び込んでくることもありません。
 終点、雙津峡(そうづきょう)温泉着。使われぬまま解体された、呼子線や高千穂新線を見てきた者としては、幸せな「未成線」に見えた岩日北線でした。


 せっかくなので、駅名にもなっている温泉に出かけることに。徒歩圏内にはアメニティ充実の「錦パレス」と、源泉かけ流しの湯が自慢の「憩いの家」があり、後者を目指しました。
 名前から高齢者福祉施設的なものを想像していましたが、普通の温泉施設のようです。


 お腹も空いたので、まずはお昼ごはんから。鮎の塩焼き定食と錦寿司を頼んで、シェアしました。あの美しい清流で育った鮎が、まずかろうはずがありません。
 温泉は「掛け流し」の字に違わず、浴槽にじゃんじゃん注がれていました。飲泉も可能で、ほのかに鉄の味を感じます。肌触りもなめらかになる、いい湯でした。


 15時のとことこトレインで、錦町に戻ります。雙津峡温泉駅で降りずにそのまま折り返す人も多く、ちょっともったいないなと思いました。時間が許せば、ぜひ山間の温泉へ!
 帰路のトンネルでは往路と違う位置に停車し、別の壁画を楽しむことができました。


 錦川の清流に少しだけ手を触れた後、16時05分の列車で錦町を後にします。
 ホームの腕木式信号機は、国鉄時代に使われていたもの。シンボルとして昨日、取り付けられたばかりだそうです。


 帰路は、清流新岩国駅で下車。新幹線との接続駅ですが、ホームが1本だけの小さな駅です。待合室は車掌車の改造でした。
 待合室には、昨年までの旧駅名である「御庄駅」の字が残っていました。


 新岩国駅までは、徒歩5分ほど。乗り換え通路には屋根があり、濡れずに乗り換えられます。


 新岩国駅は1975年の開業以来、大規模な改修は行われていないようで、国鉄時代そのままの懐かしい雰囲気が色濃く残ります。
 サイン類のフォントは「お手洗い」以外、古めかしい感じ。フレックスの広告の「エリート気分」というフレーズには、どこかバブル時代の名残りを感じます。


 公衆電話そのものも使う機会が減りましたが、この看板、ダイヤル電話がモチーフだよね…!?
 女子トイレは全部和式だったとかで、あちこちで「時代」を感じた駅舎でした。


 新岩国駅からは、いわくにバスに乗って錦帯橋へ。ちょうど夕暮れから夜へと移り変わる時間で、いろんな色に染まる橋を見ることができました。
 錦帯橋の見える小料理屋さんで、岩国寿司と鯛のかぶと煮をつまみながら一休み。日本酒が欲しくなりますが、昨日は飲みすぎているので、我慢我慢…!


 錦帯橋からは、バスで岩国駅へ。暗い夜道を走っていましたが、駅前通りに出た途端、明るいアーケード街になりびっくり。いろんな飲み屋さんも充実していて、フラリと降りたくなる衝動に駆られます。
 岩国駅からJRに乗り、今度は西広島で広電に乗り換え。こちらもドーム状の大きな屋根がかかり、解放感がある駅舎です。


 2系統に乗り、銀山町に出てきました。京橋川の川辺に立つのが、牡蠣料理の「牡蠣亭」。本来、建造物を作ることができない河川空間ですが、国交省の特例措置で認められているものなのだとか。
 河辺の風を感じつつ、橋に目をやれば広電の電車。30mを越える宮島線の電車は、大きな窓から街に光を投げかけるように走って行きます。いいロケーションです。


 牡蠣グラタンに焼き牡蠣、牡蠣飯と、牡蠣づくしの晩御飯を堪能。思わず顔がほころぶおいしさです。
 2日目の広島をすっかり満喫しつつも、台風の影が次第に忍び寄ってきていたのでした。

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 毎年2月、10万人規模の来場者で賑わう、久留米・城島「酒蔵開き」。しかし広島に目を向けると、なんと25万人もの動員を誇る酒イベントがあります。
 その名は「広島酒まつり」。地元の酒だけではなく、全国から1,000を越える銘柄が集う、日本酒博覧会とでも呼びたいお祭りです。

 城島酒蔵開きでも大賑わいの印象なのに、20万人を超える酒イベントとは一体どんなものなの? そんな興味と、もちろんおいしいお酒を楽しみに、体育の日3連休、広島へ旅立ちました。


 10月11日土曜日、始発の「つばめ」に乗るため朝5時に起床。6時には久留米駅に到着しました。
 九州新幹線開業日と、1周年の日に乗って以来の始発新幹線。さすがは連休初日とあって、早起きの旅人で50人以上の乗車がありました。


 今回は2人旅なので、博多~広島間は「こだま往復割引きっぷ」を利用。前日まで購入できるので使いやすい切符ですが、2名以上の同一行程の利用が条件になります。
 博多駅6:33発の「こだま730号」は、元祖300km/h新幹線・500系。1997年のデビューから17年、今は「こだま」として活躍しますが、今もって色あせないかっこよさにしびれます。


 そして「こだま730号」の1号車に連結されているのが、1両まるごと子ども向けスペースになった「プラレールカー」。早朝の新幹線ながら、親子連れでいっぱいです。
 靴を脱いで、心置きなく声を出して遊べる新幹線は、家族旅行の強い味方!こだま用の割引きっぷなら、こども運賃が3,000円になるのも嬉しいところです。アテンダントさんも2名が乗務し、思い出作りをサポートしてくれます。


 もちろんその名に違わず、車内にはプラレールが走り回ります。僕も、子どもの頃にはハマったおもちゃの一つ。童心に帰ってしまいました。


 指定席3両のうち1両は元グリーン車で、2両は「レールスター」の廃車発生品の座席を装備。いずれも4列シートで快適な旅を楽しめます。
 一方の自由席は、原型の5列シート。狭いながらも、トータルで色彩がコーディネートされたスミレ色の座席は、今もって新鮮です。6号車にも「お子様用運転台」があり、1号車より空いてて穴場かも。


 早朝の「こだま」は「のぞみ」の追い抜きが少ない分はやく、1時間半で広島着。朝ごはんを食べて、在来線の電車に乗り換えました。会場最寄りの西条駅までは、普通電車で約30分。
 定期列車は混みそうだったので、4分後の臨時電車へ転身したところ、ゆったり座って行けました。それでもほぼ満員で、西条駅のホームは人で埋まりました。


 この時点で酒まつり開幕の10分前だったのですが、橋上化工事中の駅舎の前はすごい人だかり。どこでも「ウコンの力」を売ってて、酒呑みの胃袋をサポートします。


 まずは酒ひろばへ。前売り入場料1,600円で、全国全都道府県から集結した1,018銘柄が、最大10時間飲み放題という夢のような広場です。
 開会4分後、入口にはさっそく行列ができていました。まあ混雑するのは仕方がないよねと、最後尾を探して歩き始めてみると…


 行けども行けども、最後尾が見当たらない!結局街区をぐるっと3/4周した、数百メーター先が最後尾でした。
 行列に並び、結局会場に入れたのは35分後。いやはや、聞きしに勝る盛況ぶりです。


 ようやく入った「酒ひろば」は、もちろんぎっしり満員状態。お酒一杯を貰うにも行列ですが、そこは賑わいを楽しむ余裕を持ちたいところです。
 北海道・東北方面の人気が高く、鹿児島や沖縄などの珍しい日本酒も早々になくなっていました。「常連さん」はお盆を持ってきており、グループで交代で貰いに来るのが賢い楽しみ方のようです。


 ズラリと並んだ、酒、酒、酒。銘柄に詳しいわけでもなく、目録に書かれた一言PRが手掛かりです。
 二人でシェアしつつ20銘柄を飲み比べ。秋田「ゆきの美人」や、愛知「蓬莱泉」あたりが気に入りました。ここで気に行った酒蔵を目指して、旅するのも楽しいかも。


 「酒ひろば」のお向かいは、「五千人の居酒屋会場」。ステージのパフォーマンスを見ながら、出店で買ったおつまみを食べつつ1杯やれる広場です。
 こちらもほろ酔い気分の人でぎっしりでした。


 さて全国の酒を楽しめる酒まつりですが、地元酒蔵の蔵開きも見逃せません。酒蔵通りに行けば、こちらもイベント会場に負けず劣らずの人出です。
 メインストリートは、左側通行で通行人をさばいていました。


 まずは西条鶴醸造へ。歴史ありげな母屋では、展示会が開かれていました。
 その奥まで行列を進めば、無料試飲コーナーが…。うまい酒の後は、仕込み水を「和み水」にしました。


 続いて賀茂鶴。西条の酒蔵の「標準仕様」ともいえるレンガの煙突と、下見板の洋館風の事務所が並びます。


 広い広い醸造場は、見学できる催しも盛りだくさん。菰樽づくりの実演が行われていました。
 500円なりで、大吟醸など高級酒を4杯呑める有料試飲も大人気。長い行列ができていました。


 福美人酒造では、升で純米吟醸を提供(500円)。杉のいい香りに、お酒のおいしさもひとしおです。
 だいぶ酔ってきたので、理性では「もうこのくらいにしておこう」と思うのですが、次々においしそうなお酒が現れて雑念がかき消されてしまいます。


 賀茂泉酒造の蔵開きも、大規模で人が集まっていました。
 1杯100円なりの有料立ち飲みコーナーは、「角打ち」と呼びたい雰囲気。ほどよく冷えた生酒は、天にも昇る味わいでした。


 もとの事務所と察せられる下見板の建物の2階は、喫茶コーナーになっていました。畳を敷き、酒樽の蓋をテーブルにして花を飾れば、モダンな喫茶店になってしまうのだから不思議です。
 お酒も飲めたのですが、さすがに一休みして、コーヒーと茶菓で一息つきました。窓の外には蔵元の煙突と山並み。いい時間です。


 最後は、御建神社へお参りに。酒蔵通りからは線路を挟んで5分ほどの距離があり、訪れる人は多くありませんでしたが、ここは「酒の神様」です。
 おいしいお酒に出会えた感謝を込めて、手を合わせました。


 1日目は8時頃までイベントが続きますが、夕方5時台の電車も帰路につく人で混雑していました。


 広島市内のホテルにチェックインした後は、繁華街へ。仕事つながりの知人と落ち合い、広島名物づくしの宴と相成りました。
 「美酒鍋」は、鍋にとっくり一本分の地酒をそそいだ名物料理。アルコールは飛んでしまいますが、香りはしっかり残ってます。夜になり肌寒くなってきましたが、体の中から温まりました。


 ウニホーレンはその名の通り、ほうれんそうにウニを乗っけた、瀬戸内の恵み。
 地酒にもよく合い、お腹もココロも満足の夜は過ぎて行きました。

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 10月はじめの週末は、我らが島旅師匠のプロデュースによる、下関の「エミューの島」こと蓋井島(ふたおいじま)への1泊旅行の計画でした。
 しかし折から接近中の台風18号の影響を受け、宿から渡島見合わせを勧める連絡が。残念ではありましたが蓋井島をあきらめ、せっかく予定を合わせた休日なので、ひとまず下関へと旅立つことにしました。


 小倉までは、新幹線を利用。週末なら「よかよかきっぷ」で往復3千円になるので、在来線特急とも大差ない金額で乗れるのはありがたいです。
 東京行き「のぞみ」は、初めて乗ったN700系「アドバンス」。ロゴで区別できましたが、ただ乗っている分には従来のN700系との違いを発見できませんでした。


 小倉~下関間は、415系電車で結びます。ロングシート改造車が多数を占めるようになった中、貴重な原型のセミクロスタイプでした。
 電源切り替えのデッドセクションを惰性で越え、長い関門トンネルをくぐれば本州・下関です。


 案内板の「九州方面」の文字を見て、逆に本州へ来たことを実感。
 下関駅はリニューアルを終え、電車と高い段差が生じていたホームも、かさ上げされていました。駅舎本来も一新、駅ビルも完成して、まったく別の駅のような装いです。


 11時に予約しておいた、駅前大丸の春帆楼茶寮へ。高級ふく料理店として知られる店ですが、大丸店では2千円でふく刺し付きの定食を食べられます。
 天ぷらも付いて、ボリューム満点。なかなかお値打ちなメニューだと思います。


 腹ごなしに、唐戸までぶらぶら散歩。すっかり秋めいてきた時期ですが、日差しはじりじりと肌を焼きます。
 唐戸にはいつの間にやら、ミニ遊園地が誕生。その名も「はい!からっと横丁」(笑)。デパートの屋上遊園地のノリで、気軽に遊べそうな遊園地でした。


 唐戸と門司は、まさに目と鼻の先。関門連絡船は、頻発運行で観光客を運びます。十数年前には廃止の危機にあったのが、信じられないほどです。
 いい季候なので、巌流島への遊覧船も大勢の人が楽しんでいました。


 唐戸市場で買った、ワンパック800円なりのお寿司を「おやつ」に。午後1時半をまわると品薄状態ですが、見切り品もあってうまく選べばお得です。
 海峡を眺めながら、青空の下で寿司を食べてると、平和な気分になってきます。


 さて蓋井島へは行けなくなりましたが、駅裏の竹崎渡船場から20分という手ごろな場所に、六連島という島があります。せっかくなので、渡ってみることに。
 船の待合所は建ったばかりのようで、正方形の畳が並ぶモダンな建物でした。


 六連島航路は短距離航路ながら、本数はわずか1日4往復。竹崎からの最終便は18時で、島から下関市内へ通勤するのは難しそうです。
 下関駅から徒歩5分もかからない場所ですが、海側は漁村のようなたたずまいでした。


 出航すると船は、彦島と本土の間の、通称「小瀬戸」と呼ばれる狭い海域を抜けて行きます。
 海峡なので波もおだやか。デッキに出て潮風を浴びていたら、船員さんに「橋をくぐったら右側は波をかぶるから」と注意をもらいました。


 その言葉に違わず、彦島道路をくぐれば一気に外洋の波に。確かに、不思議と右側だけ波をかぶっていました。デッキの床も、いつしか水浸し。
 下関から小倉へと抜ける響灘は大型船の大通りでもあり、小さな渡船は縫うように島を目指します。


 わずか20分とはいえ、本格的に外洋を渡ったような気分で六連島に到着。
 そこは下関駅からわずかな距離とは思えない、島ののどかな風景がありました。




 ほとんどの車やバイクにナンバーはなく、バイクに乗る人はもれなくヘルメットをかぶっていません。
 キーも付けっぱなし、離島の大らかさがそこにはあります。


 やぶを掻き分け登っていったところにあるのが、六連島灯台。1872年に完成した、下関市の文化財でもあります。
 漢字で打ち出された、風見鶏の「東・西・南・北」の字がいい味出してました。


 現在も海峡の要衝である場所だけに、自衛隊のレーダー基地もあります。
 防衛省の施設も立っていますが、人の気配は感じられませんでした。


 海越しには、行くはずだった蓋井島の影が。
 これだけの晴天なのに渡れなかったのは、やはり残念。いつか必ず行きます!




 離島ののどかさ満載ながら、都市圏に近い島であることを物語るのが、花の栽培が盛んなこと。立ち並ぶビニルハウスは、普通の離島とはちょっと違う風景です。
 北九州都市圏という大消費地を控えているからこそ、産業として成り立つのでしょう。


 集落は、路地が入り組んだ島らしい住まい方。屋根の色が、中国地方にいることを感じさせます。


 家のワンコが、どこまでも付いてきました。


 六連島は、うにの瓶詰 発祥の地。その商品化に尽力した城戸久七氏の碑が、寺の中にありました。
 「うに」と掘られた三角の石を載せた碑は、どこかユーモラスです。




 今日、10月4日は島の秋祭りの前夜祭。あちこちで準備が進んでいましたが、島外の人が島に泊まるための施設はありません。
 島外からの観光客を呼び込むようなものではなく、あくまで島の人による、島の人のためのお祭りです。


 17:30の船で、夕暮れ迫る島を後にします。帰路は、不思議なほど穏やかな航海でした。
 九州と山陽路の電車が並ぶ、下関らしい風景に見送られ九州へ。蓋井島には行けなかったけど、思いがけず身近な場所で、島旅らしい島旅を満喫できた土曜日でした。

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