Chang! Blog
福岡のハングル検定準2級建築士、そして一児の父の[ちゃん]のブログです




 8月11日、門司港地ビール工房で開かれる旅好きの集まりに、お招き頂きました。
 門司港といえば、街並み散策に便利な「門司港レトロのんびりきっぷ」が9月1日まで発売中。博多発3,600円、久留米発4,300円で、門司港までの往復(博多~小倉は特急自由席)+門司港の観光施設の入場券が1,800円分付いてくるというお得なきっぷです(他区間にも設定あり)。

 ちなみに博多~門司港の4枚きっぷが2枚当たり2,800円だから、のんびりきっぷは差額800円。久留米からだとさらに縮まり、プラス20円です。これで1,800円分の観光ができるのですから、かなり大盤振る舞いのきっぷです。

 そこで夕方の開宴までの時間は街歩きをする計画にして、日曜日の11時前、久留米から快速電車で旅立ちました。


 久留米で特急「きらめき6号」に乗り換え。博多~小倉間の特急は、最速のソニックが40分で結ぶのに対して、きらめきは50分。10分も余分にかかる電車を選んだ理由は…。


 グループ旅行に最適な、ボックスシートがあるから!(写真は別の日に撮影)
 きらめきではボックスシートが自由席として設定されており、ここに座りたければ早い者勝ちです。座れれば、大きなテーブルを広げての和気藹々とした時間を過ごせます。
 ちなみに「きらめき」では、2千円でグリーン個室を借りることもできます。次回は個室もいいかも。

 きらめきは小倉止まりなので、向かい側のホームで接続している普通電車に乗り換えました。週末だけでも、きらめきが門司港に直通してくれたらと思います。


 門司港着。重要文化財の門司港駅は、補修工事の真っ最中。博多駅ビルの足元並みに立派な鉄骨の覆屋に囲われ、駅ビルに建て替わるのかと錯覚してしまいそうです、


 観光チケットは、駅前の三井倶楽部の観光コンシェルジュが引き換えてくれます。
 チケットは各施設の入場券が付くのではなく、「フリーパス」になっているのがポイント。たとえばトロッコ列車は何往復してもOKだし、レトロ展望室は昼、夜の風景の違いを楽しむこともできます。使い方によっては、1,800円以上有効活用できそうです。
 フリーパスの通し番号は、ちょうど100番でした。発売から1ヶ月近くとしては、少し寂しい実績かも…。真夏は、街歩きのシーズンオフなのかもしれません。


 フリーパスとともに、和布刈の絶景バス割引券(300円→250円)と、海峡プラザでの買い物or食事割引券(100円)ももらえました。
 そこでお昼ごはんは、プラザ2階の居酒屋で名物「海鮮焼きカレー」を食らう!居酒屋らしく豊富なアルコールメニューが、夜のビールに備え断酒中の身には目に毒でした。


 お腹も満足したところで、まずは和布刈方面のトロッコ列車に乗り込みます。
 シーズンには順番待ちもできるようですが、今日はすんなり乗れました。


 走り始めれば涼しいトロッコ列車、その名の通り潮風が吹き込みます。
 しかし猛暑日のこの日、それでも暑かった!


 さすがにトンネルでは涼風を感じられました。


 関門海峡めかり駅着。関門トンネル人道を見たい!ということで、徒歩5分のトンネル入り口へ。わずかに歩くだけでも、汗が吹き出します。


 トンネル内は、地上より少し涼しめ。日差しもないので、ジョギングやウォーキングのコースにしている人も多いようです。
 少し覗くはずが、県境まで歩き…


 山口県側まで完歩!780メートル、景色も見えない中で、なかなか地道な行軍でした。
 地上に出ると、海峡を大きな「壁」が動いていきます。豪華客船・にっぽん丸の優美な姿に、しばし見惚れました。


 門司港に戻ると、いきなり国鉄バスが現れました。鉄道記念館のイベントで運行されていたようです。
 車体は都バスタイプに似ていたので再現車両かと思っていましたが、昭和61年製造の最後の国鉄バスとのこと。つばめのエンブレムがかっこよかったです。


 駅に着くと、次の列車は30分後。駅そばの旧型客車休憩施設「かんもん号」で涼みます。ニス塗もつややかな旧型客車から見る潮風号です。
 車内では軽食や飲み物の販売もあり、ビールに食指が伸びかけましたが、店員さんが休憩中で姿を見せなかったのはラッキーだったかも。


 帰路は2両とも自由席。海側に座って門司港レトロに戻ります。
 遊覧列車ながら駅はこまめに設けられており、レトロ地区ど真ん中の出光美術館前で下車。暑い日には、歩く距離が短くなり助かります。


 高層マンション最上階の、門司港レトロ展望室(通常300円)へ。関門海峡が、夏の陽に輝きます。


 トロッコ列車は、上空から見るとおもちゃの列車みたい。


 続いて旧大阪商船ビルへ。レトロ地区の中では大きく、存在感のある赤レンガの建物です。
 2階のわたせせいぞう記念館(100円)も、もちろん無料。さわやかなタッチの画からも、夏を感じられます。


 海峡ドラマシップまでは距離があり、着いたのは閉館20分前の16時40分。普通なら500円がもったいなくて入らないタイミングですが、駆け足でもいいから見ようと扉を開けました。
 歴史回廊は、照明を落とした中での人形や模型の展示が迫力を感じます。ボランティアガイドさんが、駆け足ながら専属でガイドしてくれて、理解も深まりました。


 昔の街並みを再現した「レトロ通り」も、1分見学で終了!
 鉄道記念館までは見られませんでしたが、それでも充分にモトは取れました。朝から来れば、全施設制覇も可能かも?


 喉もカラカラになったところで、ビール工房へ。


 さっそくジョッキでカンパ~イ!門司港地ビールの味は3種類、いかにも地ビールといった風味と味が楽しめます。
 個人的にはラガーの「門司港駅ビール」の、後を引く苦味が気に入りました。


 5人分の料理で13,000円のセットメニューは、「ドン!」と迫力のある料理が次々に出てきて、目でも楽しめました。


 いつしか夕暮れの時間に。下関に沈む夕陽というのも、新鮮な眺めです。


 陽も落ち…


 グラスも照明に輝いてきました。


 9時前のお開きの後は、再びレトロ展望室へ。何度行っても、お財布は痛くありません。
 ライトアップされた関門橋の光が、本州と九州をつなぎます。


 名残惜しくも、門司港を離れます。
 帰路も「きらめき」のボックスシートでくつろぎ、久留米に着いたのは0時前。「飲み会」というには、あまりにも充実した門司港の一日でした。

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 7月11日~15日に旅した、富山・白川郷・郡上八幡の旅行記です。

 鉄道ジャーニー「キラリ輝く日本のふるさとへ」

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 下り一番列車で豊後竹田に着いた後は、1時間ほど街をぶらぶら。日曜朝の地方都市とあっては静かそのもので、朝ごはんにありつけないかとの淡い期待は、もろくも崩れました。天気も崩れ始めます。
 しかし時間が経つにつれて、お揃いの黄色いシャツを着た人々が集まり始めました。九州横断特急の1番列車に向けた、歓迎・見送りイベントのために集まってきたようです。


 「今でしょ!!たけた」。今風の横断幕を持つのは、今の若者たちです。


 だんだんとホームが黄色に染まってきました。


 「元気です!たけた」。横断幕は何枚も準備されていました。


 別府から熊本経由、人吉行きの九州横断特急1号が到着。黄色い風船を振っての、大歓迎です。


 別府と阿蘇という、九州の名だたる観光地を結ぶ観光特急だけに、外国人観光客の姿も多数。時ならぬイベントに、興奮気味にカメラを向けていました。
 元気な子どもたちに見送られ、竹田を離れて行きます。


 こちらもマスコミ各社が取材合戦の真っ最中。


 玉来駅を通過。さきほど下り一番列車で通った時よりも、ずっと大勢の人が待ち受けていました。
 黄色のシャツと風船は存在感も抜群。車内からは歓声が上がります。


 車内では地元観光協会が、米やお水などがぎっしり詰まった記念品を配布。一眼レフを振り回していた僕は「関係者」と見なされてしまったのか、もらえませんでした(泣)。
 同じく記念品を配っていた和服姿のお兄さんからも「マスコミの方ですか?」と聞かれる始末。もう少し、格好を考えた方がよかったかな?




 次の停車駅、豊後荻で下車。JRのプレスリリースでは荻での歓迎イベントの告知はありませんでしたが、こちらのホームも黄色いシャツで埋め尽くされていました。
 さきほどの和服のお兄さんは、歓迎隊と言葉を交わして再び列車に飛び乗り。くろちゃんの旗を振り、初列車の乗客を見送りました。


 現在は竹田市域となっている荻ですが、元は独立した自治体で、現在でも観光協会は独自の組織を持っているようです。
 お祝いの横断幕は、しっかりしたものが何枚も作られていました。


 ホールでは被災状況の写真展示も。
 徹底的に破壊された線路を、よくぞ1年余りで復したものだと感心します。


 次のお出迎え・見送りは別府行の「九州横断特急2号」。荻からの観光PRも行うようで、特産のトマトが山のように準備されていました。


 旗を振ってお見送り。車内の人もほとんどがこちらに手を振っており、僕も「にわか地元人」になって笑顔の交換。人吉からのキャラバン隊も乗っており、つながった線路で人も行き交い始めました。


 次の宮地方面の普通列車を待っていると、宮地から折り返してきた先ほどの和服のお兄さんが、駅内食堂のご飯に誘ってくれました。
 てっきり観光協会の方かなにかと思っていましたが、熊本出身、京都在住の個人の方で、沿線の方にお祝いの気持ちを届けているのだそうです。かといってマニアな雰囲気は微塵もなく、地元の方ともすぐに仲良くなっていました。

 駅内食堂もイベント準備のため臨時休業だったらしいのですが、お兄さんに心動かされ、ありあわせの材料でご飯を出してくれたようです。舌代にはない、野菜たっぷりちらしずしでした。
 食事中には、「支所長がぜひお礼をしたいと言っているので、連絡先を教えて頂けないか」と市役所の方が来られていましたが、お兄さん、丁寧にご辞退されていました。


 見送りイベントは九州横断特急向けだったようですが、残っていた人にお兄さんも交えて、宮地行き普通列車に向けても行うことに。
 笑顔に見送られ、さわやかな気分で豊後荻駅を後にしました。


 新型キハ220系の車内は、乗車率120%といったところ。いつもこれくらい乗っていればという声も聞かれました。


 かなり長い区間に渡って、線路が新しくなっている区間もあります。新線建設か、それ以上の厳しい環境での復旧劇に、頭が下がる思いです。




 宮地駅到着。


 駅構内には、災害復旧資料館がオープン。北部豪雨だけではなく、1990年の被害についても詳細に解説しています。
 トンネルに流れ込んだ鉄砲水で押し出されてきた線路の実物も、前代未聞の被害を伝える証人として展示されています。


 宮地駅からは「あそぼーい」で熊本へ。鉄道記念館で開かれた展示会で車内を見学したことはありますが、営業運転する列車に乗るのは今回が初めてです。


 くろカフェには、客室乗務員からこんなメッセージが。


 立野のスイッチバックは、ななつ星の乗り入れに備えた引き込み線の延長工事が完了。
 全線復旧を迎え、「夢の豪華列車」の運行開始もいよいよ秒読み段階に入りました。


 熊本に着くと、鹿児島本線が大雨の影響で運転見合わせになっていてびっくり。運行再開の見込みも立たないということで、通常運行の新幹線に乗って久留米へ帰りました。
 雨の影響で、この日行われる予定だった久留米水の祭典のパレードは中止に。しかし夕方には止み、一万人のそろばん総踊りは予定通り実施されました。雨が大きな被害にならず、なによりです。

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 明けて8月4日の朝。予報を覆し、ところどころで晴れ間も見える天気となりました。爽やかな朝の空気が気持ちよくて、熱帯夜の続く下界とは別天地です。
 毎週第1日曜日は阿蘇マルシェの開催日。激安でお腹いっぱい朝ごはんを食べられるということで、ゲストさん何人かで連れ立って会場の乙姫小学校へ出かけられて行きました。


 一緒に朝ごはんを食べに行きたい気持ちを、ぐっと抑えて歩くこと15分で、阿蘇駅着。
 落ち着いたテイストにリニューアルされた阿蘇駅ですが、早朝6時台とあって列車を待つのは僕一人でした。しかし駅員さんいわく「宮地駅はすごい人出だよ」とのこと。


 熊本発、豊後竹田直通の始発普通列車は、キハ125系の単行です。通常ならこれで充分なのでしょうが、すでに多くの「鉄っちゃん」風の乗客で、席はほとんどが埋まっていました。
 いこいの村駅では練習試合でもあるのか、制服の高校生が大勢降りて行きました。


 宮地駅着は6時53分。復旧記念式典は6時40分から始まっており、大勢の人でホームはぎっしり埋まっていました。
 子どもたちが多いのも印象的で、6時30分からは駅前広場でラジオ体操大会が行われたとのこと。大人からは「第二までやったの、何年ぶりだろ?」という声が聞こえてきました。


 ホームからは、大勢の乗客が車内へ。全員乗れるかどうか心配になりましたが、ぎっしりというほどの混雑にはなりませんでした。
 鉄っちゃんは前後の風景が見える場所を求めて席を立ったので、空席もチラホラ。地元のお年寄りもゆっくりと復旧一番列車の旅を楽しめるようで、なによりです。


 ホームではテープカットが行われました。


 式典も終わり、あとは発車を待つばかり。阿蘇市長はホーム側の席に座る乗客ひとりひとりに、いってらっしゃいと声を掛けていました。


 長いタイフォンを鳴らし、出発進行!来賓の見送りを受けて、豊後竹田駅へと向かいます。


 車内ではさっそく、マスコミ各社のインタビューが始まりました。
 頭上ではヘリコプターが舞い、特別な日であることを伝えてくれます。


 JR世代の新型気動車といえども、長く続く25‰の勾配にスピードも落ちて行きます。
 その分カルデラの風景も、ゆっくりと楽しむことができます。


 波野駅に到着。歓迎式典も飾り付けもありませんが、地元の方が出迎えに来られていました。この駅で交換となる上り一番列車に乗り継ぐため、降りる人も少なくありません。
 熊本行きはキハ47系の二両編成で、竹田に泊まらない限り乗れない列車だったこともあってか、かなり空いていました。


 次の停車駅、滝水も飾り付けはなかったものの、地元の方が手製の横断幕を掲げて歓迎。素朴ながらも、よろこびが伝わってきます。


 日の丸でお祝い!というのも、どこか懐かしい風景でした。


 被災した場所は201箇所にも上り、手を入れられた場所はあちこちに。真新しいバラスト・重い軌道と、ローカル線らしいか細い草生した線路が交互に現れます。


 豊後荻着。この区間にいつもは乗り入れてこない、あそぼーいとの列車交換です。


 全線復旧を記念して、沿線の子ども達を乗せて走った特別列車。くろちゃんの描かれた記念の旗を、こちらに向けてくれました。
 駅のお出迎え隊はほとんどが「あそぼーい」の見送りのため反対側のホームにいたようで、下りホームは人が少なかったです。


 玉来駅。飾り付けは華やかでしたが、見送る人はわずかでした。既に上り1番列車が出発して1時間後、日常に戻りつつあるということでしょう。


 宮地駅から45分。代行バスよりずっと早く、終点の豊後竹田駅に到着しました。一日駅長を務める地元タレント・首藤健二郎さんが出迎えます。




 到着の式典はありませんでしたが、写真を撮る人、インタビューを受ける人などなど、初日らしい雰囲気に包まれました。


 復旧記念行事は、お昼にかけてが本番のようです。

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 昨年七月の九州北部豪雨では、JR九州の鉄道各線も甚大な被害に。久大本線、日田彦山線、豊肥本線は一部運休に追い込まれました。
 久大本線は由布院観光の書き入れ時でもある夏休みに「ゆふいんの森」が長期運休に追い込まれ、経営的な打撃も少なくなかったようです。

 その後、日田彦山線は7月27日、久大本線も8月25日に復旧しましたが、豊肥本線の被害はけた違い。9月3日には宮地~豊後竹田を残し復旧したのもの、同区間の復旧工事は長期に渡るものと思われました。

 豊肥本線はたびたび大雨の被害を受けており、豊肥本線の急行「火の山」や特急「あそ」が途中駅止まりになったのを見たのは、僕の記憶の中だけでも今回が3度目のこと。
 1990年には同じ区間が1年3ヶ月、1993年には豊後清川~緒方間が8ヶ月に渡って不通になっています。

 1990年の被害は大きく、このまま廃止になるのではとの噂も上がったものです。今回の被害はそれをもはるかに上回るものでしたが、復旧作業にはJR九州の全力が投じられ、わずか1年余りで復旧にこぎつけました。
 その背景として、同区間を経由するクルーズトレイン「ななつ星in九州」の運行開始が10月に迫っていたのも見逃せない点。しかし観光列車が地域の足の復旧を後押ししたのであれば、それはそれで意義深いことでもあると思います。

 8月3日、全線復旧を翌日に控えた豊肥本線。まずは大分大学駅から、三重町行の普通列車に乗りました。
 キハ200系気動車が「新型車両登場!」と華々しくデビューしたのは、僕が大分大学を卒業する直前の2002年のこと。大分では画期的だった都会派気動車もデビュー13年、すっかり当地に根付いたようです。


 豊後大野市の中心地、三重町にはサークルでよくドライブで来ていましたが、駅に降り立ったのは初めて。教会風の、かわいい駅舎です。


 三重町からはキハ220系の単行気動車。ロングシートなのは残念ですが、ハイパワーのエンジンを武器に、坂道も軽々と登って行きます。
 満員近かった列車ですが、緒方でかなり降りてガラガラに。終点、豊後竹田まで乗ったのは数人でした。


 豊後竹田駅のホームには、黄色いてるてる坊主がズラリ!全線復旧を祝う『元気、快晴!プロジェクト』の一環です。


 駅前広場も、前夜祭に向けてステージの準備が進みます。


 駅前通りにも、復旧を祝う横断幕が。今夜は子ども夜市が開催させるとのことで、その準備も進められていました。


 一方、1年間に渡って重責を担ってきた代行バスも、今日で運行終了です。発着場所の駅前をイベント会場に譲り、バスは横の駐車場でひっそりと発車準備を進めていました。大分バスの分離子会社、大野竹田バスが委託を受けて運行します。
 バスでは、切符の確認や案内放送は一切なし。地元の利用者ばかりだったということでしょう。乗客は、僕を合わせてもわずか3人という寂しさでした。


 国道を阿蘇方面に走りますが、脇道に入り玉来駅に立ち寄ります。駅に寄るため時間のロスが多いのは代行バスの弱みで、一部の便は豊後竹田~宮地間をノンストップで結んでいます。
 玉来駅でも、黄色いてるてる坊主がずらりと並んで明日を待っていました。


 豊後荻駅。復旧イベントに向け、駅前広場を封鎖しての準備が進んでいます。ここで地元高校生が下車、残ったのは僕と、旅行者風のおじさん一人です。


 鉄道駅同士を結ぶ道は、一部では離合もままならない隘路。大雨の被害が、ところどころで残っていました。


 滝水駅を出てすぐの踏切が閉まったものだから、びっくり。黄色いキハ125系の試運転列車が駆けて行きました。
 明日の復旧に向け、最後の準備が進んでいます。


 九州最高峰の波野駅は、滝水駅と同様に飾り付けはなし。黄色いてるてる坊主は、大分県側だけのキャンペーンだったのかな?


 国道57号線に出たバスは、立派な2車線道路を快調に飛ばし始めます。
 滝室坂は数キロに渡って続く急坂で、ブレーキがきかなくなった時のための避難帯があちこちにある難路。しかし同じだけの勾配を豊肥本線も上り下りするのですから、鉄道にとっても厳しい道のりです。


 カルデラの絶景が、眼下に広がります。


 そして57号線も鉄道と同様に大きな被害を受け、一部では仮橋になっています。豊後竹田~宮地間の直通バス代行輸送が始まったのは、災害から約2か月目のことでした。


 1時間15分で、宮地駅着。こちらでも、てるてる坊主がお出迎え。熊本県側も祝賀ムードで、少しほっとしました。


 宮地から接続の列車は時間が空いていたので、並行するバスに乗って阿蘇駅方面へ。大分~熊本を結ぶ都市間急行バスで、高速バス並みの3列シートなのですが、初乗り運賃130円で乗れる一般バス路線でもあります。
 大分~熊本間のメインルートといえる存在で、豊肥本線が不通の今は両都市間を直通する唯一の公共交通機関でもありますが、ガラガラに空いていました。


 カドリードミニオン前で下車し、今夜の宿へ。昨年できたばかりの新しいゲストハウス「阿蘇び心」です。2000円+空調代200円と激安ながら、快適に過ごすことができました。
 ゲストハウスの「使い方」も詳しく指南してくれるので、ゲストハウス初心者の方にもおすすめできます。
 バーコーナーもあって、阿蘇の水と米でできた焼酎を、やはり阿蘇の水で割れば最高の味わい。明日の晴れを願って、杯を重ねました。

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 8月4日、昨年の九州北部豪雨で大きな被害を受けた豊肥本線が、全線復旧することに。ぜひその喜びを共にしたくて、旅に出ることにしました。
 せっかくなので、久留米から大分、阿蘇を巡り久留米に帰ってくる一周ルートで行くことに。「ゆふいんの森」と「あそぼーい」の二大観光特急にも乗り、最近大きく変化しているという大分の街も見てみることにしました。


 久留米駅で「久留米→久留米」の乗車券を「大人買い」して、ゆふいんの森の発車する三番ホームへ。外国人の姿が多く、他の列車の発着ではあまり見かけないシーンです。
 今日は乗り換えだけかもしれないけど、今度は久留米の観光にもいらして下さいね!
 日田からも多くの外国人観光客が乗り込んできて、国際特急の雰囲気に。話には聞いていましたが、実際に乗って実感した「ゆふ森」の客層の変化でした。


 最近はネット予約で、指定席も自由席並みの値段で買えるし、シートマップで好きな席も選べて便利です。
 今回もかぶりつき席を確保!…は残念ながらできませんでしたが、最後尾の席を抑えて、後ろ向きに流れゆく景色を楽しみました。夏の緑と川が輝きます。


 由布院駅到着を前にゆとりの出たビュッフェに行って、ランチのお弁当を買いました。
 由布院名物のぎっしりお弁当を、木の香るサロンで頂きます。窓が大きくて気持ちいいです。


 おいしくお弁当を食べていると、列車は由布院に到着。ぞろっと降りて行き、車内は閑散としてしまいました。これは「ゆふ森」デビュー時から変わらない現象で、三往復のうち二往復を由布院折り返しにしているのは理にかなってます。
 でもガラガラになった車内は、くつろげて好きです。時間も十二時半過ぎと、お昼ご飯には丁度いい時間になってます。


 サロンは天窓まで付いていて、山の上の緑も見上げることができます。
 列車にいながら森林浴の気分です。


 大分駅に到着。高架になった大分駅は初めてで、目を白黒させてしまいました。


 学生時代に慣れ親しんだ古びたホームは、追憶の彼方へ…
 すっかり都会の駅になりました。


 コンコースもフローリング貼りの豪華仕様。


 SUGOCA対応の自動改札がズラリと並ぶ姿は、福岡都市圏のようです。


 自由通路の天井は「ななつ星」テイスト。


 そしてコンコースでは土日祝日に、ロードトレインが走ります。お手頃なアトラクションとして、人気を集めているようです。


 「府内中央口」に出ると、見慣れた駅舎はすっかり姿を消していました。
 ミニ博多駅ともいえる駅ビルが今後建設されるそうで、いよいよ景色は一変しそうです。


 駅前商店街は、七夕の飾り付けで賑やかな雰囲気。昨夜、今夜は駅前通りも歩行者天国にして盛り上がるようです。
 せっかく大学の四年間も大分にいたのに、街中のお祭りには一度も行ったことがありませんでした。祭りに「参加」する楽しさを知った今となっては、何とももったいないことをしていたと思います。


 自由通路を抜け、上野の森口へ。大分駅の「南口」といえば、本当になにもない場所といったイメージだったのですが、あまりの変貌ぶりに浦島太郎の気分です。


 そして七月にできたばかりのホール&生涯学習センター「ホルトホール」も賑わいの中心地に。








 ホールだけでなく、会議室やボランティアセンター、市民図書館まで備えた複合施設です。図書館はもともと街中にあり、クルマのなかった学生時代の僕は重宝したものですが、ますます便利になりました。
 久留米でも新しいホールの建設が進んでいますが、こんな賑わいになってほしいものだなと思いました。


 豊肥本線に乗り二駅目の、敷戸駅で下車。四年生の八月まで住んでいたアパートの最寄駅です。大分大学駅がなかった入学当時は、大学の最寄駅でもありました。
 駅前のコンビニ・スパーは「大分からあげ」の店に返信。激安、揚げたてのからあげがホントうまいんだけど、学生時代にあったら依存しまくってただろうな…。


 そして大分大学は、建物はほとんどそのままながら、大規模改修が入り見違えるようにきれいになりました。
 コンビニもできたし寮もきれいになっているし、快適な施設で学べる今の学生さんがうらやましい!


 工学部の建物と建物の隙間には、いろんな小粒の建築物が増えていました。


 学生街の旦野原ハイツは思いの他変化が少なく、友人たちの住んでいたアパートもそのままでなつかしい気分に。ただ僕が五年生?の半年間に住んでいたアパートだけは、見つけることができませんでした。
 フロ・トイレ共同の安アパート、もうなくなっちゃったのかな…。

 少し切ない気持ちを抱えつつ、今度は大分大学駅から豊肥本線の旅を再開です。 

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