Chang! Blog
福岡のハングル検定準2級建築士、そして一児の父の[ちゃん]のブログです




 2011年の原発事故以降、立ち入り制限が続く福島県の浜通り地方。段階的な制限の緩和に伴い、国道6号線の一般通行許可や常磐道の全通など、道路交通網は徐々に復しています。
 一方のJRは、常磐線の全線復旧の見込みは立たないものの、原ノ町~竜田間の代行バスの運行を1月31日から開始。震災後約4年にして、常磐線経由の乗車券も発売が再開されました。


 原ノ町~竜田間の代行バスは1日2本。上りの場合、朝6時50分の始発の後は、16時50分発の最終までバスはありません。運転士の他、女性の乗務員さんが一人乗っています。
 このバスこそ、浜通りを縦断する唯一の公共交通機関。乗客は10人に満たないものでしたが、その数が多いのか少ないのか、なんとも判断はできません。


 バスはトイレが装備されていますが、基本的には「非常用」という考え方。用は、駅のトイレで済ませておくように呼び掛けられていました。
 万一バスが故障した際も、高線量の地域で降ろすわけにはいかない配慮と思われます。


 原ノ町駅周辺でも、風評被害から耕作を止めた土地が多く、心が痛みます。
 しかしさらに南下し、避難指示解除準備区域に入ると、コンビニやGSすら営業再開に至らない店舗が増えてきてきました。立ち入りこそ自由ではあるものの、まだ宿泊ができないとなると、経済活動は困難なんだと思います。


 双葉町に入り、帰還困難区域へ。通行こそ自由ですが、二輪車での通行は禁じられていることからも分かる通り、まだまだ線量は高濃度な地域です。


 分岐する道にはバリケードが張られ、通行を制限されています。単に国道を通過するのが自由になっただけで、面としては今も「帰宅困難」であることを示していました。
 そして、バリケードの向こう側にある家々は、途方もない数。万単位の人々が故郷を追われていることを、今を生きる者として決して忘れてはいけません。


 国道沿いに並ぶ家々にも、もれなくバリケードが張られています。
 すれ違う車の中には、作業着に身を包んだ作業員さんを乗せたバスも多く見られました。危険と隣り合わせの中、国難と闘い続ける方々に敬意を表します。


 家々だけでなく、事業所や店舗も3.11から時が止まったまま。よく名前を知っている全国チェーンの店も、地震で全壊状態したまま取り残されています。
 バリケードの中に車が何台も残っている事業所も多く、財産の避難もかなわぬままだった、逼迫した状況を物語っていました。


 代行バスの終点、竜田駅に到着。定刻では8時15分着なのですが、30分早い7時45分に到着しました。時間にはだいぶ余裕を取ってあり、接続の電車までの待ち時間も50分近くになります。
 平日にはもっと渋滞するのかもしれませんが、ちょっと余裕があり過ぎかな?と感じなくもありません。


 すでに いわき方面からの電車が通じている駅周辺も、今は避難解除準備区域。国道沿いではコンビニも営業を再開していましたが、集落のスーパーは事務所に転じたままです。


 全国津々浦々にネットワークを広げる郵便局ですら、閉鎖状態。板が打ち付けられた姿は、痛々しいです。


 駅前の商店もシャッターを降ろしたまま。人の気配はありません。
 ただ いわきから着いた電車からは10人以上が降りてきて、駅前に待っていた「住民一時立入 大熊3号」と書かれたバスに乗り込んでいきました。車のない避難者にとっては、心強い電車だと思います。


 竜田駅から、原ノ町方向を望みます。この先、富岡までは3年後に復旧させる方針が示されています。


 8両編成の長い電車に乗って、いわき方面へ。広野駅からは数十人単位の乗客が乗り込み、駅裏では宅地開発が進んでいました。
 2011年冬に訪れた時には、広野が復旧区間の終着駅。その時の駅周辺は、ちょうど今の竜田駅のような様子だったので、どこかほっとする気がしました。竜田駅も数年後には、広野駅のような姿になっているのでしょう。


 いわき駅でどっと乗客を降ろし、各駅停車は南へ、南へ。そのまま2時間近く揺られ、日立駅で下車しました。
 ガラスを多用した駅舎は、建築家・妹島和世氏の手によるもの。自由通路を歩いていると、空に浮かんでいるような感覚になれます。


 駅舎内の海側にあるのが、海を望むカフェ「SEA BiRDS CAFE」。窓ガラスの外側には太平洋の大海原が広がる、気持ちのいいカフェです。


 10時半前という時間にも関わらず、テーブル席にはほとんど「予約席」の札が立てられていました。どの時間帯でも予約は受けてくれるそうなので、旅行で訪れる時も電話しておいた方がよさそう。
 僕も電話で席を抑えていましたが、一人だとテーブル席では落ち着かない感じ。後から入ってきた二人連れに譲って、海と対峙するカウンター席におさまりました。


 ロコモコにコーヒーを合わせて、海を見ながらのブランチタイム。雲一つない快晴で、ガラス鉢のようなカフェはちょっと暑いけど、この景色には変えられません。


 ちなみに、駅のコンコースからカフェを見た図。浮かんでいるよう、というか、ほとんど浮かんでいる状態です。


 ガラス清掃の手間は大きそう。これだけの手間を、この先何十年もかけていくという覚悟がなければ、できない駅舎でしょう。


 さらに常磐線電車で上り、大甕駅で下車。おさかなセンターまで10分の道のりを、バス高速輸送システム…BRTが結んでいます。古くは国鉄白棚線、最近ではJR気仙沼線や大船渡線の仮復旧で用いられた、鉄道跡の専用道を行くバスです。
 乗り場は、かなり目立つように大書きされていて迷いません。


 ピンク色のバスはデザインされていて、よく目立ちます。


 整理券はICカード方式で、何度も繰り返し利用するタイプです。始めて見ました。
 図柄は、乗客に押されるボンネットバス。戦時中の木炭バスは、よくエンストして乗客に押してもらっていたと聞きますが、その様子かな。


 住宅街を走っていたバスは右に折れ、上がった遮断機をくぐり専用道に入ります。


 先輩格のBRTと違い、専用道の右側に歩道が並んでいるのが特徴。自転車の通行も禁止されており、安心して歩ける散歩道です。廃止前の日立電鉄は全線単線だったはずで、よく幅員を確保できたものと思います。
 一般道路とは立体交差の箇所もある一方、信号待ちを強いられる交差点もあって、一般のバスより早いのか遅いのか、なんとも言えないところ。その効果を検証する間もなく、1kmの南部図書館前で専用道は終わってしまいます。


 1kmでは専用道としては短いものの、延伸の予定もあるとか。今後の「本領発揮」に期待しましょう。
 南部図書館は久慈浜駅跡に建てられており、記念碑も残されています。BRTの南部図書館前「駅」も、広々としていました。


 併設の歩道を歩き、日立商業下へ。バス停標識には「BRT」のロゴがポップに描かれ、膜構造の上屋もこじゃれています。新時代の交通機関として育てて行こう、という気概はよく感じられる施設です。
 上屋があるのは、駅行きのみ。路線の主眼が、駅へのアクセスに置かれているのが分かります。


 上りの、青いバスが近づいてきました。交差点には信号機が装備されているものの、バスが近づくと信号が変わる感応式信号です。
 スピードアップのためには、接近とともに遮断機が下りる鉄道方式が望ましいと思うのですが、国内のBRTでそこまで踏み込んだ例は、まだ見られません。


 大甕駅に戻り、勝田駅に出て、特急「ときわ」に乗りました。上野東京ラインの開通とともに、これまでの「ひたち」系統をリフレッシュ。速達タイプの「ひたち」と、主要駅停車タイプの「ときわ」に分離して生まれた、新しい列車です。


 「ひたち」「ときわ」は、2012年デビューのE657系電車が活躍。「スーパーひたち」「フレッシュひたち」もいい車両だったのに、取り換える必要があったのかな…と思っていましたが、E657系はぐっと豪華な雰囲気になりました。
 デッキまわりは深い木目調の壁と、縦ラインに発光する照明が印象的。洗面台周りの間接照明も、百貨店かホテルのような雰囲気です。


 座席も、枕の位置が調節できる快適仕様。


 「ときわ」では、残念ながら車内販売はなし。それでも全国的に取りやめが相次ぐ中、「ひたち」で続けられているのは立派です。
 全体的な雰囲気と相まって、「ロマンスカー」に乗っているような贅沢感を味わえる列車だと感じられました。


 もう一つの特徴は、全車指定席の導入。座席の上には空席情報を示すランプがあり、指定券を持っていない場合は空席を利用するシステムです。このあたりも、JRというより私鉄特急に近い思想を感じます。
 ちなみにネットのチケットレスサービスを使うと300円引きになりますが、PHSのメアドでは非対応だったので恩恵を受けられませんでした。特に短距離だと割引率も大きいだけに、残念。


 橋上駅に建て替えが進む石岡駅で、関鉄グリーンバス、通称「かしてつバス」の茨城空港行きに乗り換え。行先表示に「駅」が続くこの路線も、鉄道跡の専用道を走るバス路線です。


 石岡南台駅にはホームや跨線橋が残り、鉄道路線の雰囲気を色濃く残すバス道です。ただスピードは上がらず、交換で時間を要したり、交差点も車が優先になっていたりと、鉄道時代に比べて時間がかかるのは難点。
 このあたりの状況、3年前に乗った時とあまり変わっていません。


 四箇村駅で専用道は終わり、一般道に入ったらスピードが上がるのも同じ。専用道延伸の計画もあったようですが、工事が行われている様子はありませんでした。
 鉄道時代の面影を残していた小川駅は、バスの乗り継ぎ拠点として再整備。今後も地域の核となっていくのでしょう。


 狭い商店街を抜け、広々した道路に出れば茨城空港です。
 ちなみに水戸方面からならば、直行バスが安くて早くてラクなのは百も承知。「ときわ」と「かしてつバス」を乗り継いだのは、単に乗りたかったからに他なりません。


 茨城空港のターミナルビルは、老若男女で大賑わい。といってもほとんどは飛行機の搭乗客ではなく、イベント見物に訪れた人でした。
 茨城空港の国内線は、千歳、神戸、福岡にそれぞれ1日2便。いずれも経営の行く末が心配されるスカイマークの運航で、福岡行きも最近では1便がよく運休になっています。茨城空港にとって、正念場のタイミングです。


 最小限の設備で、コンパクトな作りのターミナル。混み合うこともあるので早めの保安検査を、中にも売店あります…との言葉を信じ入ってみれば、売店が休業中!一気に手持無沙汰になりました。
 小さな売店が開いたのは、搭乗時間直前でした。


 スカイマーク835便、15時25分の福岡行きに搭乗します。
 ボーディングブリッジはなく、滑走路を歩いて機体まで。「ご搭乗心から歓迎いたします」の旗に見送られ、タラップを登りました。


 白い革張りシートがまぶしい機内。最終的な搭乗率は4割程度に留まり、日曜夕方の便としては、いささか寂しい気もしました。
 1ヶ月前に購入した航空券は9,500円と、LCCに比べても遜色ない値段。東京駅からのバスを早めに抑えれば500円で済み、使いこなし方によってはリーズナブルに使える空港ではあるのですが…。


 空港を飛び立った飛行機の眼下に広がるのは、霞ケ浦や太平洋。平野にびっしりと埋まるビニールハウスも、壮観でした。


 スカイマークの機内販売は、リーズナブルなのが嬉しいところ。ミニ缶ではあるものの、おつまみ付きのビールは税込み200円です。ほろ酔い気分でぼおっとしていれば、九州までの2時間はあっという間。


 日曜夕方5時半の福岡空港は混みあっていたようで、博多湾の周辺を大きく迂回。玄海灘の島々や糸島半島を見下ろしつつ、ドームやタワーが並ぶももち地区や…


 大濠公園上空を回り、無事福岡空港へ着陸。短い週末の東北探訪も、幕を降ろしました。

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 8時の記念式典までは時間があったので、タクシーを飛ばして日和山に登りました。壊滅的な被害を受けた、門脇・南浜地区を見下ろす山です。
 立派なビルだった石巻市民病院や、辛うじて残っていた家屋は取り壊され、がれきや廃車体の山も処分が進み、消えていました。災害危険区域となった麓から海岸にかけては、公園化されるとのことです。


 駅までの帰路は、徒歩で下りました。いちはやく復活していた石ノ森萬画館は足場が組まれておりドキッとしますが、外壁の改修工事中とのこと。


 市街地の津波浸水域でも、未だ痕跡はあちこちで見られる一方、家の再建も進んでいます。


 石ノ森キャラクターの像が並ぶマンガ通り。マンガ像はきれいに磨き込まれており、萬画館への来訪者を誘います。
 道路のインターロッキング舗装にはまだ凸凹が多く、こけないように注意。震災後の神戸でも、道路の段差解消までにはずいぶん時間がかかったように記憶しています。


 2年前にはあった駅前通りのアーケードは、すっかり消えてなくなっていました。震災が、老朽化を早めてしまったとのこと。
 被災地に限らずアーケード撤去の動きは他都市でも見られ、時代の流れではあるのですが、街の中心が視覚的には見えづらくなったように感じられます。


 仙石線・仙石東北ラインの開業記念式典は、8時から。沿線の学校の鼓笛隊演奏で幕を開けました。




 会場となった仙石線ホーム先端は、関係者以外立ち入り禁止。告知されたイベントなのに一般人シャットアウトというのは、ちょっと違和感も。大勢のギャラリーは、ホームに停車中の電車から見守りました。
 知事や市長、JR東日本副社長などの祝辞が続きます。単なる復旧に留まらず、仙石東北ラインという悲願が実ったことに対する、感謝と期待が大きかったのは印象的でした。


 車掌への花束贈呈。


 そして、テープカット。


 一日駅長の出発合図とともに、真新しいハイブリッドディーゼルカーが仙台に向けて出発していきました。


 駅前でのイベントは、午後まで続きます。僕もお祝いムードに乗って、記念バッジや笹かまぼこのプレゼントにありつき、屋台では石巻やきそばや牛タン串を味わいました。


 一方 駅前の片隅では、完成した復興公営住宅の見学会行きバスも待機中。ハード面での整備は、少しずつ進んでいます。


 さて僕は、石巻線の列車で女川へと下ります。一昨年末に乗った時は、渡波までの部分復旧状態。その直後に浦宿まで延伸されましたが、女川までの一駅間は街のかさ上げ事業完成を待って、この3月21日に復旧したばかりです。
 車両も従来の国鉄形から、JR世代の新型車に一新され、快適になりました。


 石巻線は、女川駅付近で内陸方向に短縮された以外、ほぼ原位置で復旧されました。ただ地盤沈下の影響は大きく、線路の海抜が低くなった区間では、真新しい堤防が築かれています。


 少し海抜が上がる区間では、万石湾の養殖イカダを見降ろす、以前のままの車窓が健在です。


 トンネルを抜ければ、周囲のすべてが新しい女川駅に到着。真新しいホームを、乗客が埋めました。


 坂茂氏設計の女川駅舎は、羽根を広げたような幕屋根が輝く、木材を多用した温もりのある建物です。
 一昨年に女川駅付近を訪れた際には、すべてが流され、それこそ「なにもない」状態でした。わずか1年半、資材難の中でよくここまで駅と線路を作り上げたものと思います。


 震災前からあった温泉施設「ゆぽっぽ」も復活。自然光が入り、タイル画も輝く明るい浴室です。サウナや露天風呂はないけれど、500円払って入る価値は充分にあると思います。


 駅や海が見渡せる畳敷きの休憩所も、なかなかスタイリッシュです。


 駅から海へと続くシンボルロードは、まだ駅前部分が完成したのみ。完成後の、ゆったりした街並みを思い描けました。


 駅前ではすでに2軒、商店の新築工事が進んでいました。人口減少の中、コンパクトな市街地で再起を目指す女川の、再起したばかりの姿です。


 地域医療センターを挟んだ旧市街地も、工事の真っ最中。津波で転倒したビルも解体され、かさ上げ工事が進んでいました。


 周囲でも造成が進む女川駅に、折り返し11時18分発になる列車が入ってきました。


 1時間前の列車を、はるかに上回る混雑ぶり。多くは観光客のようです。


 折り返し列車は、陸羽東線向けの観光車両でした。海側の座席は窓に向けることができて、石巻線でもぴったりの仕様です。


 石巻駅からは、仙石東北ライン・快速仙台行きに乗り込みます。


 ディーゼルカーとはいえ、電車の規格で作られた車体は大きく、クロスシートが並んだ車内は快適。モーター音が響いてくるのはハイブリッド車ならではで、電車に対して「見劣り」しない車両です。
 車内ではハイブリッドカーよろしく、モニタでハイブリッドシステム駆動の様子を見ることができます。


 沿線では、復興住宅用地の造成が進みます。仙石線にも来年、新駅の石巻あゆみ野駅が開業予定。新たな街づくりは、やはりここでも鉄道と駅がセットです。


 再び新しい高架橋に上がり、野蒜駅着。震災前の仙石線快速も停車していた駅で、仙石東北ラインの快速も引き続き停車します。


 500m内陸の高台に移設された駅からは、旧野蒜駅が俯瞰できました。


 駅前には、三陸鉄道でも見かけた屋内型の式典会場が。石巻駅での式典を終えた来賓が移動して開かれた後で、すでに撤収作業が始まっていました。


 2階建ての新駅舎は、目の前が仮囲いで囲まれています。


 駅前の様子も、ご覧の通り。線路と駅こそ復旧したものの、駅前の造成はまだこれからの段階です。もっとも、造成が完了した時点で駅がなければ誰も寄りつかないわけで、需要に先行させて作られた駅といえます。


 駅から下った旧野蒜小学校跡では、開業記念イベントが開かれていました。スタバの出店は、なんと「振る舞い」。5月の東北とは思えない日差しの中、冷たいコーヒーはありがたかったです。


 賑わうイベント会場の側に、ひっそりと残る旧仙石線の踏切跡。仙石線の電車が津波に巻き込まれ、流出したのもこの辺りでの出来事です。
 踏切両側の線路と枕木は撤去済みで、いずれここに線路があったことも忘れられていくのでしょうか。


 旧野蒜駅は、もう少し石巻方へ下った側にありました。周囲から家々が消えた、奥松島パークラインを歩いて旧駅に向かいます。


 津波に襲われた旧野蒜駅舎は、きれいになってファミマが入居していて意表をつかれました。旧駅の待合室跡もレストスペース的に使われており、ドライブの休息場所として重宝されているようです。


 しかしホームは、架線や線路こそ撤去されたものの、今も激しく損傷したまま時が止まっていました。
 立ち入り禁止とは書かれておらず、かといって震災遺構として保全がはかられているわけでもありません。今後は、どうなっていくのでしょうか。


 駅前には、昨日まで行き交っていた代行バスの案内が残っていました。


 来た道を引き返し、東名駅方向に歩きます。途中には海鮮屋台の店があり、フラフラと足が向いてしまいましたが、人気の店のようで待つ人多数。諦めて歩いていると、東名の集落にラーメン屋さんを見つけました。
 木・金・土のみ営業の店の建物は、まるっきり日本家屋。家主のおばあさんは津波で亡くなり、主を失った家を再生したお店なのだそうです。


 あっさり味のラーメンはおいしかったのですが、カフェメニューのコーヒーを食後に頼んでみたら、豆入りのミルを渡されびっくり。仙台の有名なコーヒー店の豆とかで、しっかり苦味のきいたコーヒーは文句なくうまかったです。


 陸橋から見た、東名駅跡。周囲から流された家々や車で滅茶苦茶になったホームは、すっかりなくなっていました。
 旧駅跡は建設会社の資材置き場になっており、駅だったことを示すものはほとんど残っていません。


 駅跡から山側に歩くと、新しい家が続々と立ち並んでいました。このあたりも津波浸水域のはずだけど、高台の宅地造成を待っていられずに、再建されたのでしょうか。


 新しい東名駅は、野蒜丘陵地区の西側に位置します。駅までのアクセス道路は途中までの開通。真新しい道路を登り、新駅を目指します。


 東名駅は、無人駅。小さな駅舎は、一言でいうと薄い!


 野蒜駅周辺と同様、周囲は造成工事の真っただ中。何もない高台を貫く線路を、「マンガッタンライナー」が進入してきました。


 駅前も道路が貫くのみで、建物は「薄い」駅舎と仮設トイレしか見当たりません。浸水域での住宅再建が進む中、商店などと共に高台へ街ができるのか、将来の姿になかなか想像が及びませんでした。
 ただ震災前より仙台への時間短縮が図られた分、広範囲からの移住者を呼び込むポテンシャルはあるのかも。数年後、活気ある街になっていることを願っています。


 東名駅に快速は止まらないため、一旦下り普通電車で野蒜に引き換えし、上り快速で折り返すようにプランニングしていました。
 ところがダイヤが乱れているのか、下りの普通電車がやって来ません。そのまま上りの快速がやって来てしまい、全速力で通過する列車を呆然と見送りました。


 遅れてきた普通電車で野蒜へ戻ったものの、次の快速は40分後。吹き上げてくる潮風を受けつつぼおっと過ごしていたら、頭上から轟音が響いてきました。
 仙石線復旧を記念して、松島基地のブルーインパルスがお祝いに飛んだらしく、空に飛行機雲を残し松島方向へ消えて行きました。電車が遅れたおかげで見られた、余得です。


 気を取り直して、後続の仙石東北ラインの快速に乗車。4両編成の車両は席が埋まっており、心強い盛況っぷりです。


 高城町を出ると、右手に東北本線の線路が近づいてきました。はるか昔は別会社だった、東北線と仙石線。線路は絡み合いながらもライバルのごとく、お互いの線路は交わることがありませんでした。


 そこに短い渡り線が新設され、新型気動車が行き交うようになりました。東北本線は交流電化、仙石線は直流電化ですが、電源切り替え区間を設けるには渡り線が短すぎるため、交直流電車ではなくディーゼルカーが導入されたとのこと。
 さきほどまで走っていた仙石線の線路が、左手に離れて行きます。仙石線に乗り慣れている人ほど、不思議な感覚にとらわれる体験でしょう。


 沿岸の町を結ぶ仙石線に対し、東北線は仙台へほぼストレート。通勤時間帯の快速は東北線内ノンストップになり、さらに速達性は高まります。
 野蒜から35分で、仙台着。通勤にも、まったく無理がない距離になりました。


 仙台では常磐線に乗り換え、南下します。17時23分の浜吉田行きは、オールロングシートの701系。純然たる、通勤仕様の電車です。


 週末ながらに混雑する車内で、うつらうつらすること35分、亘理駅着。常磐線の不通区間は浜吉田~相馬間ですが、代行バスの乗り継ぎ拠点は、1駅手前の亘理です。
 18時15分発の代行バスは、各駅停車の相馬行き。仙台バスの貸し切りバス仕様のバスが待っていました。代行輸送も4年に渡り、もう「日常の姿」とは思うのですが、きちんと案内の警備員が配備されています。


 仙台湾からの津波で、甚大な被害を受けた浜吉田~相馬間の線路と街。線路は仙石線と同様、内陸に移設されることになり、新しい高架橋が立ちあがり始めていました。


 坂本駅では、駅舎の位置もはっきりと示されていました。


 現在地で復旧が決まった駒ヶ嶺駅の周辺に、新しい住宅が立ち並んでいたのは、ここ数年の変化です。自宅の再建にあたって、やはり駅への近さはポイントになったのでしょう。今はまだ電車が来ないけど、復旧が確約されたからこそできた再建なんだと思います。


 相馬~原ノ町駅間は、両側を不通区間に挟まれながら運行される、JRでも唯一の孤立線区。19分の道のりを、2両編成の電車が往復します。
 本来の検修所がない、孤立した区間での運行は苦労がつきもののはずですが、車体はきちんと清掃が行き届いています。


 トイレが使えず、中吊り広告がほとんどない車内。限られた区間の運行ゆえ、乗客は決して多くはありません。それでも電車を走らせる姿勢には、頭が下がります。
 終点、原ノ町よりも途中駅の鹿島での乗降が目立ちました。


 原ノ町駅。「スーパーひたち」と415系電車が閉じ込められたままで、ひたちの白い車体は、年々黒ずんでいってます。
 今夜は南相馬市原町区泊り。食堂でビールを一杯飲んでいたら、猛烈なめまいに襲われました。過労状態かと心配になりましたが、周りの人も騒ぎ出してようやく地震であると理解。震度3で収まりましたが、「いつもと違う揺れ」「めまいかと思った」と周囲も驚いた地震の正体は、日本全土を揺らした小笠原沖の巨大地震でした。

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 5月30日(土)、東日本大震災から4年2ヶ月を経て、仙台と石巻を結ぶJR仙石線が全線復旧することになりました。被災各線の中でも、線路のルート変更を伴う復旧は初めてで、高台移転による復興まちづくりとも関連した取組みとして注目されます。
 そこで復旧初日の様子を記録しようと、前日29日(金)夕方の福岡~仙台線を、マイレージで押さえました。




 ところが29日は1日休みが取れることになり、となれば朝から仙台の地を楽しみたいと思うのが人情。マイルの特典航空券の変更は4日前までですが、当日空港に行って空席があれば、前の便に変更できるのがANAのルールです。
 朝9時、空港に到着すれば、10時5分発の仙台便は満席。キャンセル発生に望みをつなぎ、第1ターミナルの展望台のマッサージチェアに体を揉まれながら待機しました。


 9時50分、呼び出しの時間になっても、声はかからず。「満席での出発となりました」の一声もなく、置いてけぼりを食らったようでちょっと寂しくなりました。残念・・・。
 帰宅して、大人しく家の掃除に勤しみました。


 気を取り直して16時、再び福岡空港へ。夕方便も夜便も満席で、仙台便は終日満員という状況でした。
 仙台行きの機材は小さい上、平行していたスカイマーク便の休止の影響もあるのでしょう。


 日本海側を北上して約2時間、仙台空港が近づいてきました。海岸の堤防の復旧工事は進みましたが、陸地はまだまだ荒涼とした状態。緑の復活には、時間がかかりそうです。


 汗ばむ陽気だった福岡に比べると、ぐっと寒い仙台空港着。仙台空港駅から、仙台空港アクセス鉄道に乗って仙台駅に向かいました。SUGOCAも使えて、便利です。
 ワンマン運転とはいえ、JR東日本の標準仕様の電車で自動放送を聞いていると、いまいる場所が東北なんだか東京なんだか分からなくなります。仙台に近付くにつれ、4両の電車はラッシュともいえる混み具合になってきました。


 仙台駅到着。向かい側のホームにはキハ110系が停車していて、カメラを構える人も数人いました。
 実はこの列車、仙台と石巻を石巻線経由で結ぶ、直通快速の最終列車です。不通が続く仙石線に代わって1日2往復、通勤輸送の大切な足として走ってきました。そのお勤めも、今日で終わりです。


 地下の仙石線ホームは震災の年、節電のため「真っ暗」ともいえるくらいに照明が落とされていましたが、だいぶ明るくなりました。それでも、まだまだ照度は抑え目のように感じます。
案内板には、明日の復旧の告知が繰り返し流れていました。


 地下区間を飛び出した最初の駅、苦竹で下車。急カーブを描く古びた高架上のホームは、鶴見線を連想させます。


 都心からは距離のある街ですが、周辺には飲み屋が連なっており、ささやかな規模ながら繁華街の趣を感じる界隈です。近隣に自衛隊の駐屯地があるのだとか。


 今日は、ひさびさのゲストハウス泊り。500円で夕ご飯を食べられる上に、アルコール類も充実した、僕のような旅人には嬉しい宿です。
 荷を降ろすのもそこそこに、ご飯を食べながら一夜限りの旅仲間と盛り上がりました。


 とはいえ、明日は仙石線の始発に乗るべく4時台起き。夜更けまで語り合いたい気持ちをぐっと抑え、先に布団に入りました。


 翌朝、4時半に起床。周りに迷惑を掛けないよう、そっと部屋を出ました。
 4時台に起きるのだなんて何年ぶりか分からないけど、東に来た分ずっと夜明けは早く、いつもの6時台起きとあまり気分が変わりませんでした。


 苦竹駅では、足元がおぼつかない人が何人か始発を待っており、まだ前夜の続きといった風情。しかし柱に掲げられた横断幕が、今日が念願の再出発の日であることを伝えていました。




 あおば通り5時01分始発の、仙石線復旧一番電車が入ってきました。ヘッドマークなどの飾り付けは一切なく、突如寸断された4年2ヶ月前と同じ姿です。


 車内もカメラを手にした人が多いくらいで、いたって日常の雰囲気。ただ車内放送では、この列車が復旧一番電車であることや、沿線復興に関わるJR東日本としての決意、沿線の歓迎には応えてほしいことなど、一番電車らしい内容の女性車掌の放送が続きました。


 一部で内陸移設が行われたとはいえ、引き続き海岸近くを走る仙石線。車内には、津波警報発令時の避難要領が掲示されていました。決して二度と来てほしくはない災害だけど、備えは忘れちゃいけません。


 多賀城、本塩釜など、高架の都会風の駅を過ぎれば、松島湾が見え始めてきます。
 松島海岸駅は、松島観光の拠点駅。昨日までは、代行バスの乗り継ぎ拠点として乗り換え客が行き交っていました。駅前広場の静けさは、本来の姿でもあります。


 今回の全線復旧に合わせて、松島付近で仙石線と東北線をショートカットする「仙石東北ライン」が開業するのも大きなエポック。両線の渡り線には、多くの人がカメラを向けていました。


 高城町から陸前小野までは、いよいよ今日から復旧の区間。今乗っている電車が、4年2ヶ月ぶりの営業列車です。
 陸前大塚までは、既設の線路を復旧した区間。松島湾を望む風光明媚な車窓は、真新しい防波堤に阻まれていました。しかし、4年2ヶ月前に起きた災害を考えれば、やむを得ないことです。


 陸前大塚駅で、石巻からの一番電車と行き違い。車内にいた人の2/3以上がホームに出て、その到着を見届けました。電車に乗っている分には一番電車目当てなのか、普通の乗客なのか区別がつきませんでしたが、やはりお祝い乗車が多かったようです。
 クールな通勤電車ながら、上下列車で手を振り合い、再開の喜びを分かち合いました。


 この先 陸前小野までは、津波で壊滅的な被害を受けた区間。将来に渡って安全を担保すると同時に、高台移転のまちづくりの核となるべく、まったく新しい線路を引き直しました。
 防波堤の用地として生まれ変わる旧線跡を横目に、真新しい高架橋を丘陵地帯に向けて駆け上がります。


 移転した東名駅着。駅前には、大規模な造成地が広がるばかりです。


 松島湾は、高台から見下ろす格好になりました。


 快速停車駅でもある野蒜駅では、多くの関係者が下り一番電車を見送りました。両駅の周辺はのちほど歩いてみるとして、先を急ぎます。


 鳴瀬川の長い橋梁を渡り、陸前小野駅着。ソックスで作られたオリジナルキャラ「おのくん」を手にした、地元の人たちの見送りを受けました。
 陸前小野から石巻までは既に復旧していた区間ですが、車や自転車から手を振る人が大勢いたのが印象的でした。電化設備が被災したことから、昨日まではディーゼルカーが走っていた区間。以前のように走る4両の電車も、復興のシンボルなのかもしれません。


 石巻側の代行バス乗り継ぎ拠点だった矢本駅も、今日からは普通の中間駅です。


 1時間半の行程を走り抜き、一番電車は6時27分、無事に石巻駅に到着。大勢の出迎えを受け、4年2ヶ月ぶりの「電車」が石巻駅に入ってきました。


 到着したホームの向かい側では、仙石線と東北線を松島付近の短絡線で結んだ新ルート「仙石東北ライン」の出発式が行われていました。
 以前から要望のあったという悲願のルートだけに、全線復旧と並ぶ大きなエポック。仙石線一番列車の出発式と1時間差で行われたのも、石巻の期待の現われです。






 ホームにも駅前にも、お祝いムード一色でした。

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 最終日は、大阪空港ホテルで迎えました。空港ターミナルに直結した、便利なホテルです。
 泊まり代は、一部屋1万円。ちょっとお高い気はしましたが、雰囲気はいいし、なにより立地にかかる値段だと思います。


 それだけに、窓からどーんと空港の滑走路が広がる景色を期待してしまいますが、現実は・・・残念ですね(笑)。


 宿泊客は、空港レストランでの朝食を300円で食べられるというので、直結のターミナルビルに出てみました。
 こちらの展望は、期待通り。朝食は定価だと750円するそうですが、ムム・・・。300円で妥当と感じられる内容だったのは、残念です。


 空港に直結ということは、駅に直結ということでもあります。モノレールに乗って、千里中央方面へ。遮るものない眺めは爽快で、特に大阪平野を見渡す区間は、夜景もさぞかしきれいなことでしょう。


 御堂筋線と直通する、北大阪急行の千里中央駅へ。大阪市外なので市営地下鉄と別会社になっていますが、地下鉄が「都営」に生まれ変わった折には、もしかすると・・・?
 北大阪急行は戦後、万博アクセスとして開業しましたが、地下駅は御堂筋線のような2層吹き抜け構造になっていました。


 地下鉄とはいえ、淀川を渡るまでは高架区間が続き、郊外電車に乗っているようです。
 淀屋橋駅で降りて、橋を渡り中之島へ。大阪市役所のある、大阪の中心地です。都になれば北区役所に変わることになりますが、相対的に地位は下がるのでしょうか。


 風格ある橋がいくつも並び、背景の高層ビルと好対照を成す都市景観です。


 府立中之島図書館は、日曜休館で残念!6月からは改装に入るとかで、館内の見学はしばらくお預けになりそうです。
 次に来る時は「都立図書館」になっちゃっているのかな、なんて言いつつ、名残惜しく立ち去りました。


 隣接する市立中央公会堂も、イベントのため館内見学はかなわず。佐賀の偉人、辰野金吾氏も設計に関わった、赤レンガ造のホールです。ここも見てみたかった!
 「府市合わせ」なんて言われる大阪ですが、府立図書館、市立公会堂が仲良く並んでいる光景からは感じられません。もっとも双方とも民間人からの寄附によるもので、府市が並ぶ光景は「民都」の象徴なのかも。


 人が多かったのは、満開を迎えた中之島バラ園の「花見客」が押し寄せていたからでした。風格ただよう島の雰囲気に、高貴なバラはよく似合います。


 梅田に戻り、地下街をうめきたへ。巨大な梅田の地下街は飲食店も充実していて、立ち飲みで昼酒もあおれます。
 地下街というより、ガード下の雰囲気です。


 昨日も一度訪れたグランフロントに来たのは、昨日早々に売り切れ・店じまいしていた噂の「近大マグロ」へリベンジするため。
 しかし今日も、開店早々に大行列になっていました。時間を考え、なくなく断念。店の雰囲気も大学施設とは思えないほどムーディーで、いつか食べに来たいです。




 梅田では、広い街の回遊性を高めるべく、レンタサイクルや周遊バスの取組みが行われています。いずれも緑基調のかわいいデザイン。「乗りたい」と思わせるデザインは大切だし、都市景観の一つにもなります。


 難波に出ると、橋下大阪市長の「最後の住民説明会」に大勢の市民が詰め掛けていました。今回の住民投票の特徴の一つが、投票当日まで運動が可能なこと。聞き入る市民は、最後まで迷っているのでしょうか、自身の投票行動が正しかったのかを確かめに来たのでしょうか。
 耳を傾ける市民はみな熱心な表情で、市政への関心が高まるのはいいことです。一方、「何が都構想だ!」と賛成派スタッフに詰め寄る人もいて、ワンイッシューが生んだ対立の構図に、今後が心配にもなりました。


 帰路は関空から、LCCのピーチに乗って福岡へ飛んで帰ります。運賃はわずか5千円。1万円以上で1晩をかけたフェリーと、まさに対極にある交通機関です。
 関空までは、「ラピート」で。94年デビューの21年選手ですが、古いだとか時代を感じるだとか、そんな概念を超越したデザインは今なお健在です。JRの「はるか」に比べればもともと安い運賃も、片道から買える割引きっぷでさらにお安くなります。


 室内もゴージャスで、乗りドク感があります。ただ空港までたかだか30分のショートランナーが、ここまで豪華じゃないといけないのかなという疑問も。指定席の豪華特急、自由席の急行がめいめい30分毎に走るより、一部指定席の列車が15分毎に走った方が便利なような気はします。


 とはいいつつ、久々のラピートの乗り心地に満足して関空着。吹き抜け空間がダイナミックなターミナルビルも、ひさびさに入りました。
 それにしても、ピーチの乗り場案内が見当たらず、不親切なだと思って案内に聞いてみれば、バスに乗って行く別ターミナルとのこと。LCCの搭乗には、余裕が肝心です。


 南海の普通の路線バスタイプの連絡バスに詰め込まれ、第2ターミナルへ。やっぱりLCC、安い代償は大きいなあと思っていましたが・・・


 真新しい第2ターミナルは、天井がなく鉄骨がむき出しで、確かにローコストな仕様。でも白基調の内装は清掃も行き届いていてピカピカだし、飲食店も充実しています。なによりコンパクトな作りで、移動距離が短いのが気に入りました。


 保安検査場内の売店、軽食コーナーも充実していて、余裕を持って手続きしてもらうためにはよい工夫かも。たこやき&生ビールのセットで、関西に別れを告げました。


 ターミナルからは、直接滑走路を歩いて搭乗します。飛行機の全容が見えて楽しいと言っていられるのも、天気がいいから。いままで大雨の時にLCCに乗ったことはないけど、辛いだろうなと想像します。


 関西~九州間を飛行機に乗るなんて、初めての経験。瀬戸大橋がよく見え・・・


 行きにはくぐった、しまなみ海道。来島海峡大橋も、はるか眼下でした。


 南西航空の機体(?)に出迎えられ、福岡空港着。充実の週末2.5日の旅でした。
 帰宅後は、9時からは開票速報にかぶり付き。まれに見る接戦で手に汗を握りましたが、結果は周知の通りでした。


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 泉大津駅からは、南海電車で新今宮駅へ。地下鉄の動物園前駅へ歩き、駅長室で大阪周遊パスを買い求めました。2日間、市営地下鉄とバスが乗り放題になるだけではなく、観光スポットへの入場券も付いてきます。これで3千円は、かなりお値打ちです。
 天王寺まで1駅、地下鉄で移動。「橋下改革」で初乗り運賃は180円に値下がりしましたが、パスがあるのでそれすらスルーです。戦前に開業した区間の御堂筋線の駅は天井が高く、「蛍光灯シャンデリア」も特徴的。大阪市の先人の偉業です。


 地下道を通って、あべのハルカスへ。足元のあべの橋駅コンコースの電飾広告では、明日の住民投票が呼びかけられていました。選管の広告なので、賛否に関しては触れられません。
 地下鉄車内でも、車内放送で盛んに呼びかけられていました。


 朝9時オープンの、あべのハルカス展望台へ。いわずと知れた、日本最高峰のビルの展望台です。当日券発売開始の8時50分、展望台オープンの9時にはスタッフから丁寧に一礼され、ちょっと気恥ずかしくなりました。
 入場予約券を持った人が優先でしたが2人だけで、僕らも一番乗り。人気という展望台ではあるけど、少し曇りがちの天気が影響したのかも。


 シースルーではないものの、ガラス張りでシャフトの中の電飾が見えるエレベータに乗り、わずか1分で地上300メートルへ。行きかう車も豆粒のような、大阪の街並みが広がりました。


 JRや近鉄、阪堺、南海も、鉄道模型のように走り回っていました。




 人が浮いているかのよう。


 地上から見ると高い通天閣も、周囲に溶け込んでいます。


 カフェは、昼間は大行列になるようだけど、朝イチとなれば余裕あり。朝からゆったりと、地ワインを傾けました。
 ちなみに、通天閣や梅田スカイビルなど、数々の展望スポットに無料で入れる大阪周遊パスですが、ハルカスは対象外。さすがに通常入場料1,500円ともなれば、別格扱いか。


 御堂筋線を上り、本町で乗り換えて中央線へ。大阪港駅から、ウォーターフロントエリアへと足を向けました。


 日本最大「級」とされる、天保山の大観覧車もパスの適用範囲です。


 シースルータイプのゴンドラに列ができていましたが、度胸もないので普通のゴンドラに。これもガラスの面積が大きく、なかなかスリルがあります。


 そして大阪港の遊覧船、サンタマリア号もパスが使えるのだから驚き。普通に乗れば、45分間のデイクルーズでも1,600円かかります。・・・あれ、ハルカスより高いじゃん!
 円安の昨今、福岡でも中国語圏からの観光客を多く見かけるようになったけど、大阪ともなれば別格。周囲は日本語の方が劣勢で、どこにいるのか分からなくなりました。


 横浜や神戸に比べると、見える風景は「美しい」といいうより「躍動的」な感じ。コンテナクレーンが林立する背後には、大阪都庁・・・ではなく、大阪府庁咲洲庁舎がそびえ立っていました。


 雄大な、赤い港大橋をくぐります。マストが当らないか心配になるけど、実際にくぐってみれば、橋げたははるか頭上にありました。


 ベイエリアの「無料探訪」を終え、バスと地下鉄を乗り継いで梅田方面へ。地下鉄構内の駅売店は、3年前にファミマとポプラに生まれ変わりました。
 これも橋下改革の一つとされ、天下り先をなくし民間ノウハウでサービス向上!と謳われますが、さて評判やいかに。


 地上に出ると、反対を呼び掛ける街宣車が通過していきました。


 東海道線沿いの高架橋側を歩き、中崎町の雑居ビルにやってきました。古そうなビルですが、「リノベ」というより「化粧直し」と表現したい程度のリニューアルで、建物の持ち味を活かしていました。


 3、4階のカフェ・マーブルは、昼2時過ぎにも関わらずくつろぐ若者、それも女性でいっぱい。男ひとりだったらたじろいでしまいそうな雰囲気ですが、ここは鉄っちゃんとしても見逃せない店であります。








 それがこのベランダ席からの風景。大阪駅からもほど近い、線路のすぐそばなのです。しかも路線は、天下の東海道本線。普通、快速、新快速のみならず、サンダーバードやスーパーはくとなど、長距離特急も華を添えます。


 電車を眺めながらのサンドは、格別な味でした。






 さて戦災に遭わなかった中崎町は、昔ながらの長屋が残る界隈。そこへ若者を中心に新しい血が入っていて、古い建物を思い思いにアレンジして活用しています。
 人通りも多く、その側で昔ながらの暮らしも続いていて、なんとも心地よい混沌さがあります。


 そしてこの町もまた、お隣同士でも賛否は分かれていたのでした。




 地下鉄を2本乗り継ぎ、道頓堀へ。何度も大阪に来ている割に、この界隈に来たのは初めてかも。
 幅広い歩行者天国は人で埋まり、飲食店が並ぶ様は、ソウルか台北の街を歩いているようだ…と感じるのは、外国人観光客が大挙押し寄せているからでもあるでしょう。本来は電気屋があるような通りではなさそうだけど、新しい電気屋があり、商機をがっちりつかんでいました。


 道頓堀は眺める(人によっては飛び込む)ものだと思っていましたが、水面からの街並みを楽しむこともできます。それが「とんぼリバークルーズ」。しつこいようですが、ここも周遊パスで乗ることができます。




 「大阪のおねーちゃん」のガイドで、道頓堀と道頓堀沿いの風景を楽しく学べます。
 「おーきに」「おーきに」
 大音量での関西弁講座もあり、周りで聞いている大阪の人がイラっとしないのか心配ですが、恥も外聞もありません(笑)。


 おなじみグリコの看板も、視線が下がるとより迫力が増しました。


 お腹も空いてきた時間…ということで、堺の友人を呼び出し、新世界の韓国料理屋さんへ。大阪で韓国料理といえば鶴橋だけど、こちらは友人が以前バイトしていた店で、新世界界隈らしい安いお値段も嬉しいところです。


 名物は、ちりとり鍋! チヂミに韓国焼酎も合わせて、おいしい夜が過ぎて行きました。


 大阪の夜はまだまだ終わりません。タクシーを飛ばして、キタへ向かいます。
 大阪市街地の移動はいつも地下鉄なので、地上の景色は新鮮。一方通行も印象的です。


 友人の案内で、兎我野町の「do with café」。店構えはオシャレなカフェバー。料理もお酒も美味しくて、値段も場所を考えればリーズナブルな方に感じました。客層も、女性グループや子ども連れもいて多彩な雰囲気。
 なのに、「ドラァグクイーン」たちのおもてなしとステージがあるのだから、なんとも面白い。日頃あまり縁のない世界だけに、楽しかったです。やっぱり地元人の案内に限る!


 阪急梅田駅で、締めの一杯。駅のホームを眺められるカフェで、生ビールを傾けました。
 九州では阪急=百貨店のイメージですが、やはり梅田駅にずらり並ぶマルーンの電車こそシンボルだと思います。次々に入っては出て行く電車を眺めながらビールが飲めるカフェ、福岡にもほしいな。


 宝塚線で蛍池へ、さらにモノレールで大阪空港へ。今日の泊りは、空港内のホテルです。飲みすぎたので、探検は明日にまわしてお休みなさい!


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 5月の第3週の週末、大阪市は市内有権者を対象とした特別区設置住民投票という、大きな分岐点に立ちました。市民が市の枠組みを決める瞬間、ぜひその現場に行ってみたい!
 九州から関西方面といえば、阪九フェリーが新造船を導入したばかり。一方で関空を拠点に台頭するLCC・ピーチは、新幹線の価格戦略にも影響を与えています。そこでこれらを往復の足に、激戦の地・大阪へと旅立ってみました。


 小倉までは、883系のソニックでスピーディーに移動。リニューアルを行ったとはいえ10年が経過し、痛みもだいぶ目だってきました。特にリニューアル対象から外れたデッキまわりは、かなりボロボロな印象です。


 電車は微妙に遅れ、小倉駅で5分乗り継ぎの阪九フェリー連絡バスに、間に合わない可能性が出てきました。一計を案じ、隣のホームに待機していた普通電車で門司へ先回り。バスも門司駅を経由するので、電車のアドバンテージで余裕を持って間に合いました。
 門司駅には、大阪方面と東京方面のフェリーの広告が並び、要衝であることを示しています。


 ホームページには高速バスタイプの車両が出ていたのに、実際に来た連絡バスは路線バスタイプ。誇大広告か!?と思っていたら、後続に高速バスタイプが2台続いていました。
 クルマ積み込み客がお得意のフェリーにあって、徒歩客を3台のバスでさばくとは、なかなかの盛況です。


 ターミナルでチェックイン。カードキーを受け取り、気分はホテルです。
 大柄な船体に乗り込み、予約していたデラックス和洋室の扉を開けると・・・


 そこは、ゆったりしたツインルーム。ビジネスホテルよりも広く、広さだけ見ればシティホテル並みといっても差し支えないでしょう。定員はソファのエキストラベッドを含め3人ですが、2人利用でも追加料金は不要です。
 「和洋室」の名は、靴を脱いで上がれるカーペット式ゆえ。雰囲気は洋室ですが、靴を脱いでくつろげるのが嬉しいところです。この構造、普通のビジネスホテルでもうけそう。


 タオルや洗面道具、スリッパ、お茶セットといったアメニティも充実。これでバスタオルが付いていれば完璧なのですが、そこまでの準備はありませんでした。


 室温調整や船内放送のオン・オフも自由自在。出入り口横にカードキーのホルダーがありますが、電源とは連動していません。ホテル並みのオートロックなので、締め出しを防ぐための配慮です。


 衛星放送でテレビも楽しめるので閉じこもってしまいそうですが、もったいないので船内探検へ。通常は航海の支障になるため塞がれる、船首部分に展望室があるのも一大特徴です。豪華な雰囲気で、サロンと呼ぶにふさわしいです。
 ちょうど出航の時間を迎えたのですが、いつの間にか出ていたものだからビックリ。旋回の時こそ振動があったものの、巡航ではほとんど音もしません。これならグッスリ眠れそうです。


 船体の中央には、大きな吹き抜け空間が。エレベータは、なんとシースルーです。カジュアルな雰囲気は、ホテルというよりショッピングセンターのよう。いずれにせよ船の中とは感じさせない空間です。


 売店は、大きめのキオスク並みに充実。お土産品も、各地のものが揃っています。オリジナルグッズも豊富で、ついつい手が伸びてしまいそうに。


 オリジナルワインやチーズといった、女子好み(?)のお酒アイテムも。客層としてはビールや焼酎にさきイカが似合う世代(失礼!)が多いですが、おしゃれに船旅を楽しみたい向きにも満足の品揃えです。


 テレビコマーシャルでは、釈由美子が「お味の方はどうなの!?」と連呼していますが、阪九フェリーにとって「食」はこだわりの一つ。さっそく夕ご飯を食べに、レストランに行きました。大行列で、20分近くかかりました。


 レストランは、グループ席が内側、少人数の席が窓側になっています。大人数なら景色そっちのけでワイワイ語り合う(あるいは酒盛り?)パターンが多いわけで、理にかなった配置といえるかも。


 ステーキにご飯、サラダ、スープと生ビールまで付けて3千円弱。決して安いわけではないけど、動く船内で食べられることを考えれば妥当な値段でしょう。おいしかったです、ごちそう様でした。


 ホールに出れば、ちょうど船上ミニライブの時間。あまりライブなんかには行かないであろうおばちゃん方が、心底楽しんでいたようでナニヨリです。「おひねり」もかなりはずまれていました。


 最上階に設けられている、もう一つのウリが露天風呂つき展望大浴場。出入り口も旅館テイストで、浴衣がけで出かければ船の上にいることを忘れます。


 脱衣所も広々。写真は取れなかったけど、本邦初の露天風呂も雰囲気に気を配られていて、潮風が気持ちよかったです。これでサウナでも付いていれば完璧、男性客のウケはいいだろうけどなあ!


 夜11時、しまなみ海道の来島海峡大橋をくぐります。瀬戸内航路は時間帯の遅い便を使うことが多く、たいてい深夜だったので、今回ははじめて見届けました。
 ライトアップもなかったものの、大きな橋脚は夜目にもよく見えました。


 そして朝。泉大津港には6時到着ですが、その直前に目覚ましをかけました。上り・下りともに ゆったりステイなるサービスがあり、事前に申し出ておけば朝7時半まで船内滞在できるのです。
 以前、他社フェリーで同様のサービスを利用した際には、放送に眠りを破られました。でも個室なら放送をオフにして、熟睡もOK。かぎりなくホテルに近いサービスです。


 いそいそと下船していく人を横目に、朝風呂を浴びてレストランでゆったりと朝食。ステイを利用する人は少なく、一番船内の施設を独占できた時間でした。
 最後に気になる運賃ですが、2割引になるインターネット予約割引は、当日12時まで予約可能。今回利用したデラックスルームでも、1人あたりなんと10,860円!新幹線より安いどころか、早割に毛が生えた程度の運賃でした。

 すっかりリフレッシュして、下船。新門司港と同じく泉大津港も駅から遠く、連絡バスでのアクセスになりますが、バスはフェリーの到着に合わせて出発してしまいます。仕方ないので自腹で移動・・・とならないのが、阪九フェリーのすごいところ。乗り合いにはなるものの、ちゃんとタクシーを手配してくれていました。
 この日は僕らを含め、ステイを利用したのは4人だったので、タクシーは1台でした。


 朝8時前、南海泉大津駅に到着。さあ、関西の週末が始まります!


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 春陽館で迎えた、島原半島・小浜温泉の朝。ボリュームたっぷりのおいしい朝ごはんを食べ、硫黄臭の漂う温泉らしい温泉で朝風呂を浴びて、2日目が始まりました。
 新館からは、旧館の大きな瓦屋根が見えて、なかなか壮観です。


 路線バスで、昨日は乗り換えただけの雲仙へ。80年の歴史を誇るクラシックホテル・雲仙観光ホテルにやってきました。
 ここは28年前の小学校に入学する前の春休み、家族旅行で来た思い出のホテル。当時は他に家族旅行に出かけた記憶もなく、6歳ながらかなり強く印象に残っている場所のひとつです。


 エントランスの両側に並ぶ並木は、カイヅカイブキ。学校の校庭にもあるような木ではありますが、雲仙の環境とホテルを背景にすると、風格すら漂うように見えます。
 道路に面し、隣には高層の旅館も建つロケーションながら、それをあまり感じさせないのは、この木々がほどよく視界を遮断している効果もありそうです。


 泊まりたいのはやまやまだったのですが、本日は館内見学まで。
 「図書室」は、ホテルには珍しい部屋だと思います。避暑で長期滞在して、ゆったりとページをめくってみたいものです。


 全体的にリニューアルはかけられていますが、落ち着きある内装は6歳の時に感じた記憶を呼び起こさせます。
 ホール部分もクラシカルな雰囲気。1階ロビーから続く階段は、集合写真を撮れば内閣の写真になりそうでした。


 ホテルにはエレベータがなく、ロビーには高低差が。バリアフリーの概念からはほど遠いものの、広がりを持たせつつメリハリがつく空間になります。
 今の時代では、なかなか作りえない建物といえるかも。


 かつてはダンスホールとしても使われたレストラン。28年前、使い慣れないナイフとフォークを操った場所です。
 夕食も食べたはずだけど、一番印象に残っているのは、朝食で食べたふわふわのプレーンオムレツ。あれ以来、大好物の一つです。


 お初になるランチは、島原半島の地の食材を使ったコース料理。ゆったりと時間をかけてのコース、おいしかったぁ・・・。


 数年前まで大きな和室の宴会場もあったそうですが、個人客を重視する姿勢からか、ホールに改装したとのこと。当時、両親が残念に思ったという、バーのカラオケもなくなっていました。
 思い出の場所が変わってしまうと寂しいものですが、雲仙観光ホテルは、より本来のコンセプトに磨きをかけているようでした。次回はぜひ、泊まりで来てみたいものです。




 雲仙温泉は、旅館街と地獄が隣り合わせ。
 普賢岳のみならず、御嶽山や箱根の例からも、自然の恵みと災害は紙一重です。楽しむ時は楽しみつつ、万一の際は自然の声に耳を傾け、謙虚でありたいものだなと思いました。


 バスで諫早に戻り、最終ランナーは787系「かもめ」。885系「白いかもめ」に比べれば鈍足ですが、設備にはひとまわりゆとりがあって、グループ旅行に行くならおすすめの車両です。


 グリーン個室は珍しく埋まっていましたが、普通車のボックスシートはがらがら。席の主が現れたのは、自由席として使える佐賀以降でした。


 有明海越しに、2日間親しんだ普賢岳の勇姿を望みつつ、週末旅行は幕を下ろしました。

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 GWは福岡市周辺で大人しく過ごした分、翌週はちょっと遠くへ出かけました。諫早でハンググライダー体験をして、小浜温泉で一泊、翌日は雲仙観光というプランニングです。
 ハンググライダー体験ができる長崎いこいの村は、長崎本線湯江駅が最寄り。湯江停車の列車は少なく、10時の開始時間に間に合わせるには6時台の「かもめ」乗車が必須です。歓送迎会明けで眠気満開の土曜、5時に早起きして出発しました。


 6時半発の白いかもめは、指定席がほぼ満席でびっくり。長崎で何かイベントでもあるのかと思っていたら、通勤対応で、指定席は1号車の半車両のみというカラクリでした。
 自由席はガラガラで、革張りシートにゆったり座って長崎を目指します。885系も登場から15年、かなり痛みが目立ってきている上に、車内販売も春で廃止になってしまいました。都市間輸送はJR九州の「本業」なのに、大丈夫なのかな。


 肥前山口で、数少ない普通電車に乗り換え。土曜日というのに、高校生でいっぱいです。
 外は小雨模様。停車中に電話で問い合わせてみると、やはり今日のハンググライダー体験は見送った方がいいとの返事でした。湯江駅では降りず、気を取り直してそのまま諫早へ向いました。


 諫早駅前には西友があり「街らしい」景観だったのですが、この春に撤退してしまったばかり。駅前が一気に「老け込んだ」ように見えてしまいました。
 もっとも駅近くには他に地場のスーパーがあり、地魚の寿司がワンパック500円と激安。100均ブランドの傘も売っていて、雨の折助かりました。


 川沿いを歩いて、諫早市街地へ。


 市街地の最寄り駅になる、島原鉄道の本諫早駅から島鉄の旅に出発です。利用したきっぷは、諫早駅のみどりの窓口で買った「島原・雲仙・小浜フリーアクセスきっぷ」。島鉄全線と、諫早~小浜~雲仙~島原の島鉄バスが2日間乗り放題で2千円と、なかなかお得です。ただし購入の際には、諫早までのJR券と同時購入、または提示が必須になります。
 急遽ネットで探したきっぷ、なかなかの掘り出し物でした。


 南半分の部分廃止以来、全車が新型車両に置き換わった島鉄。以前に活躍していた旧国鉄型気動車も味わい深いものでしたが、まあ一般には快適な車両が喜ばれるでしょう。
 JR九州のキハ125系に似ていますが、クロスシートの数が多く、トイレも当初から設置されています。


 諫早市郊外の無人駅「干拓の里」で下車。同名の公園までは、干拓地を歩いて20分の道のりです。


 周囲の道路には、諫早干拓地の水門開門調査に反対する看板があちこちに。諫早としては、当然の主張だろうな・・・と思っていると、広大な公園入り口に到着しました。入場料は300円です。


 まずは干拓資料館へ。「埋め立て」と違い、海の干満の差を利用して造成する干拓は歴史が長く、時代ごとの工法の差なんかも学ぶことができます。


 展望台から眺めた、干拓地と園内。遊具やら乗馬体験やら、かなり充実した施設にも関わらず、人がほとんど見当たりません。団体の園児がいなければ、さみしくて逃げたしていたかも・・・。


 アヒルのボートも手持ち無沙汰です。食堂に入ってみたら、「今日はもう誰も来ないかと思ってました」と言われる始末。
 ただ午前中、それも雨模様だったことも影響していたようで、午後に入るとポツポツとファミリーがやって来ていました。


 再び島鉄に乗り、島原へ。高校の帰宅時間に当たり、車内は賑やかです。用務客の姿も目に付き、頼りにされているローカル線の姿が頼もしく映ります。
 いつしか天気も回復。有明海が、青空を映していました。


 南島原駅で下車。車庫があり、島鉄の要衝でもあります。
 駅舎もそれにふさわしい立派なものだったのに、取り壊されてしまい残念。その歴史を継承しつつも、こざっぱりしてしまった新駅舎が建設中でした。


 バス(別料金)に乗り継いで、安徳方面へ。普賢岳噴火の際には度重なる土石流に見舞われ、かさ上げされた地域です。
 「がまだすロード」と名づけられた高架道路も、土石流の際にも交通が寸断されないように作られた復興道路。規模は違えど、東日本大震災被災地の数年後を見ているような地域でもあります。


 がまだすロードの背後には、穏やかな普賢岳と平成新山の姿が。災害を起こす自然物は、平時はむしろ美しいというのも、世の常です。


 雲仙岳災害記念館へ。記憶も生々しい、普賢岳災害の記録を伝える資料館です。
 火砕流後の大野木場地区を再現した区画には、実際に火砕流で被災した看板やバイクが展示され、その熱の恐ろしさを伝えてくれます。


 展示室の足元には、火砕流の「速度」を感じられる展示が。時間毎に、火砕流と同じ速度で光の帯が流れます。
 その速度は100kmを超え、人の足はもちろん、車を使ってもとても逃げ切れるものではありません。


 屋上デッキに上れば、おだやかな有明海。女川町の津波遡上高さが示されており、遠き地での災害の大きさも実感できました。
 見るだけでなく、体で感じられる「アトラクション」的な要素を含んでいるのが特徴的な記念館。大勢の方が亡くなった災害ではあるけれども、多少「アトラクション」になってしまっても記憶に留めてもらい、風化を防ぎたいという思いが感じられました。


 一旦島原港に戻り、雲仙行きのバスに乗り込みました。この区間のバスに乗るのは、6歳以来、28年ぶり。
 当時は背丈(というか座高?)も低かったはずで、海が見えた記憶はありません。普賢岳災害以前の集落の姿も、想像の中の世界です。しかし峠道にかかった山の中のカーブは、どこか頭の片隅に残っている風景でした。


 今日の目的地は小浜温泉ですが、直通バスがない時間帯なので雲仙で1度乗り換え。地獄のど真ん中を、バスが走り去っていきました。
 雲仙には明日改めて来る予定なので、今日のところは乗り換えるだけです。


 ノンステップバスで峠道を下り、小浜温泉に着いたのは7時前。小浜の象徴的な風景ともいえる夕景の時間でした。ガイドブックそのままの風景です。


 そんな夕景を望む場所にあるのが、日本一長い足湯。夕焼け見物に集まった人たちと共に、歩き疲れた足を休めました。


 今夜の宿は、春陽館。唐破風の入り口も立派な、木造建物の宿です。ただし「お任せ」プランだったので、僕らの部屋はRC造の新館。歩きつかれた身には、EV付なのでありがたかったかも。
 新館の屋上露天風呂は、温泉ではなく「沸かし湯」を強調されていましたが、井戸水の沸かし湯が掛け流されていて、これはこれで気持ちのいいものでした。


 小浜といえば、ちゃんぽん!贅沢な海鮮ちゃんぽんを、ずるずるっとすすりました。あっさり味で、なかなかいけます。




 腹ごなしに歩くと、公園には派手にライトアップされた湯畑が! 湯煙もライトが当てられていて、温泉地らしい景観を夜まで楽しむことができました。

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