Chang! Blog

福岡のハングル検定準2級建築士、そして一児の父の[ちゃん]のブログです

年末年始、東北へ【17】仙台空港鉄道と仙台空港

2012年02月25日 | ■旅と鉄道

 2月も終わりに近付いていますが、年末年始の旅のふりかえりもようやく佳境。仙台空港から九州へ帰るため、仙台駅から仙台空港鉄道に乗りました。

 仙台空港の被害はニュースでも多く報じられてきましたが、空港に乗り入れる鉄道も、地下トンネルの水没や総合指令所の破壊など、壊滅的被害を受けました。それでも全線復旧は約半年後の10月1日と、被害の大きさを考えればかなりの早さだったと思います。


 自動改札機に、多くの利用者が行き交う仙台駅。電車が到着する度に人波が押し寄せ、100万都市の交通インフラの勢いを感じます。東北本線の復旧は4月になってからで、これだけの利用がある鉄道が止まった影響も大きかっただろうと思いました。

 さて空港鉄道の始発駅は東北本線の名取ですが、電車はすべて仙台駅に乗り入れ。2両ワンマンの電車は、帰省客でいっぱいです。
 高架を走る空港鉄道の車窓からは、片付かない田畑や、ひっくり返ったままの車が見え、(恐らく地域外の人が大部分であろう)乗客も、神妙な視線で車窓に見入っていました。


 仙台駅から25分で、空港着。わずか2両の電車とはいえ、満員の車内から一斉に降り立つと、結構な人波になります。


 駅のコンコースでは、仙台空港鉄道の「復興への軌跡」として、写真展が開かれていました。


 飛行機までは時間を取っていたので、まずは屋上の展望デッキへ。100円の入場料が要ります。
 滑走路はすっかりきれいになり、大量の海水、土砂、がれきとともに飛行機が流されていたあの映像の姿から1年も経っていないとは、信じられないほどです。

 津波からわずか数日で滑走路を復旧して災害支援の拠点になり、4月13日には臨時便として旅客便を再開、そして9月25日には空港機能が完全復旧。米軍の協力も得ながら成し遂げた偉業に、ただ頭が下がるばかりです。


 空港の周囲にもレンタカー屋や駐車場が並び、周辺の経済活動も回っている様子。隣り合うように、被害を受けたままの家屋が残されているのが、仙台空港周辺の今です。


 空港周辺を歩いてみても、様々な光景が「隣り合って」います。
 できあがったばかりの駐車場の後ろに立つ、立ち枯れした木。


 がれきの山の向こう側には、発着する飛行機。


 家や木々が流され、さえぎるものがなくなった空港周辺は、日が陰ると強い風の冷たさが増してきます。
 仙台空港だけは、何事もなかったかのように煌々と明かりを灯していますが、多くの人の努力の賜物であることを、忘れてはいけないと思いました。

 お土産品があふれるターミナルビルで、ごっそりお土産を買い込んで、帰りの飛行機へ。本来、福岡行きはIBEXエアラインの運航なのですが機材故障とかで、昨年末にははやばやと欠航が決定。ANAの臨時便が、2時間遅れで飛びました。

 福岡までは、あっという間の2時間。東北に比べれば暖かいかなと思った福岡は、期待したほどではありませんでした。

九州新幹線1周年イベント&テコ入れ策発表

2012年02月22日 |  □九州新幹線全線開業

 九州新幹線も、間もなく全線開業1周年。1周年記念イベントは開業日の3月12日(月)ではなく、週末の3月17日(土)から20日(祝)にかけて準備されています。
 3月17日のダイヤ改定に合わせた、あるいは1周年を迎えて初めての週末に合わせての日程と思われますが、震災から1年という節目を外すというのも、一方の理由かもしれません。

 各駅では、出発式や記念イベントが目白押し。1年前に予定されていたものの、震災の影響でほとんどが中止になった開業記念イベントを彷彿させます。激安フリーきっぷの発売やスタンプラリーも企画されているようで、今から楽しみ。詳しくは、JR九州の特設サイトに掲載されています。

 一方で、当初の想定値こそ越えつつあるものの、好調とまでは言えない新規開業区間のテコ入れ策もリリースされました。


【1】 定期券にプラスして使える「新幹線特急料金回数券」発売

 ちょっと寝坊してしまった、飲み会帰りに早く家に着きたい、疲れたから座って帰りたい…通勤でも、ついつい使ってしまいたくなる新幹線ですが、そんな気持ちを後押しするかのような回数券が発売されます。その名も「定期券専用新幹線特急料金回数券」。

 新幹線に平行する区間の在来線定期券に、プラスして使える回数券です。博多~新鳥栖・久留米間は4枚で2,400円。1枚あたり600円という値段は在来線の特急券と同じ値段で、在来線時代に「ときどき特急」を使っていた人には、抵抗なく受け入れられる値段だと思います。
 また大牟田までの定期券に、新大牟田までの回数券を組み合わせられるという、柔軟な対応も。一度回数券を買ってしまえば、その後は「ついつい新幹線」という流れにもなりそうで、新幹線定期の利用拡大にも貢献するかもしれません。


【2】 近距離の「2枚きっぷ」、吉塚~博多間延長

 在来線時代の「2/4枚きっぷ」は、博多発着の近距離区間のものを中心に、吉塚駅まで使えるものが多くありました。吉塚駅は県庁や県警、九大病院があり、ニーズの高い駅。朝の特急にも吉塚駅を終着とするものもあるほどです。
 ところが近距離の新幹線回数券は、博多駅までの有効に。吉塚に行こうと思えば、プラス320円の往復運賃をプラスせねばなりませんでした。かくいう僕も出張で吉塚に行く機会が多く、久留米から博多までは「日帰り2枚きっぷ」2,400円という値段に納得しつつ、吉塚までプラス320円となると、利用を躊躇させるに充分な「壁」でした。

 4月1日からは、新大牟田までの「2枚きっぷ」「日帰り2枚きっぷ」の有効区間が吉塚へ延長。値段は、これまでの据え置きになります。これからは、出張旅費にちょっとプラスで手出しして新幹線…という機会が増えそうです。


 この他にも「ビックリつばめ2枚きっぷ」の継続販売や、光の森までの2枚きっぷ発売など、熊本以北でのテコ入れが続きます。きめ細やかな大盤振る舞い…在来線で見せてきたJR九州「らしい」戦略が、新幹線でも花開いてきました。

年末年始、東北へ【16】快走!るーぷる仙台

2012年02月21日 | ■旅と鉄道
 全国の観光都市には、観光バスならぬ「観光地周遊バス」が各地で走っています。主要な観光地を結ぶ路線バスで、マイペースかつ効率的に観光地を回りたい旅人には、強い味方!


 仙台でも「るーぷる仙台」という名前で、かわいいレトロバスが走っています。震災で一時運休に追い込まれましたが、現在は一部区間で迂回しながらも、ほぼ震災前のルートで走っています。
 1月4日、「はやぶさ」で仙台に到着してから3時間半は市内見物に充てる時間があったので、1日乗車券を買って乗り込んでみました。


 車内もレトロ調。小型バスのため細い道でも走ることができて、一般の路線バスは入らないような路地や学生街を眺められる楽しみがあります。反面、混雑にはちょっと弱いところも…


 まずは仙台城跡で下車。伊達魂!の力強い文字が出迎えます。


 城跡からは、100万都市・仙台を一望。


 こちらも力強い眼差しが、仙台の街を見守ります。


 ただ仙台城跡も震災とは無関係ではなく、しかも観光地の復旧は後回しになっているのか、痛々しい傷跡が残る場所が随所で見られました。


 東屋も立ち入り禁止に。


 落下したままの銅像。けが人は出なかったのでしょうか。


 30分後のバスに乗り、次に降りたのは青葉山植物園ゲート前バス停。バス停の名前になっている植物園は休園のようですが、東北大学キャンパスを見たくて降りてみました。
 キャンパス内には公道が走り、路線バスも多くが行き交います。街区と一体化している感じで、なかなか珍しい形態では?並木道が、こじゃれた“街並み”を作ります。


 さすがは東北随一の大学だけあり、建物もいいセンスしています。


 学食も、まるで大きなカフェのよう。ただ漂ってくる匂いは、お馴染みの「大学生協」でした(笑)。


 東北大学も地震で被害を受けており、全壊の判定を受けた建物もいくつかあるようです。


 この建物は欄干が落下したままの状態で、復旧工事には着手されていないようです。大学が元の状態へ戻るには、あと数年の歳月を要すると言われています。


 3度目の「るーぷる」に乗車。ハンドルを握る青柳運転士は、車内放送のテープ以上に的確な観光案内(+注意喚起)で、車内を和ませます。
 「ご覧いただける広瀬川の河原は、夏場はバーベキューを楽しむ市民で賑わいます。石が黒いのは、その跡です」
 なんて、観光客にはどうでもいいことのようだけど、見知らぬ街をぐっと身近にしてくれる情報です。
 今回は飛行機の時間もあり、2つのバス停にしか降りられなかったけど、次回はもっとゆっくり「降りて」みたいものだと思いました。

「祝!九州」九州縦断ウェーブから1周年

2012年02月20日 |  □九州新幹線全線開業
 「あの日、手を振ってくれてありがとう。
  笑ってくれて、ありがとう。
  一つになってくれて、ありがとう。」

 昨年のCM大賞も受賞した、九州新幹線全線開業記念CM「祝!九州」の撮影が行われた「あの日」から、今日で丸1年です。
 360万回の再生を記録したCMを見ながら、1年前の一体感を思い出してみるのも、一興ではないでしょうか…

年末年始、東北へ【15】E5系「はやて」に乗る

2012年02月19日 | ■旅と鉄道
 旅の終着地は青森でしたが、帰路の飛行機は仙台~福岡便を取っていたので、最終日の1月4日に、東北新幹線で仙台へと戻りました。
 東京から青森まで使ってきた「北海道&東日本パス」は1万円、青森から仙台へ戻る2時間弱の新幹線も1万円。どちらの方がコスパは高いのか、一概には判断できません。


 青森は大雪。雪の中を走りぬけてきた「あけぼの」が雄姿を見せる青森駅から、1駅上った新青森駅へ移動します。青森~新青森間は特急も普通乗車券だけで乗れる特例がありますが、「パス」は特例の適用外なので、1駅間の乗車券を別途購入しました。
 左側に停まっているのが、新青森終着の「スーパー白鳥」。青函を結ぶスピードランナーの乗り心地を、5分ばかり楽しみました。


 ガラス張りの、近代的な新青森駅舎。こちらも雪に埋まりそうです。


 駅付近には何もない新青森ですが、駅の中は盛り場のような賑わい。外観とは打って変わって、地域のイロが出ていていい感じです。帰省ラッシュということで、お土産を求める人で大賑わいでした。


 震災からの全線復旧後も、長らく暫定ダイヤによる徐行運転が続いていましたが、9月からは通常ダイヤに復しています。


 そして仙台まで乗るのが、左側のE5系「はやぶさ」型。怪しく緑色にギラつく車体が、大人の雰囲気を漂わせています。


 先頭車には、大きくシンボルマークが舞います。


 グリーン車を上回る陸のファーストクラスこと「グランクラス」には、「がんばろう東北!」の力強いロゴマークも。
 ちなみにE5系は300km運転を行う「はやぶさ」型の車両ですが、乗った列車は「はやて352号」。年末年始の臨時列車で、最高速度は275kmと「はやて」レベルですが、「はやぶさ」の車両を楽しめる列車として指名買いしました。


 グリーン車やグランクラスは次回のお楽しみとして、今回は普通車に乗車。5列の座席は「はやて」並みですが、照明が温かみのあるものに変わり、座席にも枕が付いて乗り心地が良くなりました。
 東京から新青森まで、そして将来的には新函館まで。長時間の乗車でも快適にくつろげそうです。ただ300kmに早くなっただけでなく、接客設備のグレードアップが図られたのは、嬉しい路線変更です。


 サニタリ回りも、ホテルのよう。


 昨冬開業の新青森から八戸までは、今回が初めての乗車。この区間での最高速度は260kmですが、景色が飛ぶように流れていきます。
 二戸では、東京に戻るのか、嫁夫婦に見送られるお父さんが乗り込んできました。婿さん、
 「お義父さん、『はやぶさ』に乗れるんですね!」
 と羨ましそう。E5系=はやぶさというイメージは、しっかり根付いているようです。


 均整の撮れた容姿が美しい岩手山を見れば、盛岡着。新青森の時点では空席を多く残し、「臨時列車だから乗客が集まりにくいのかな」と思っていましたが、盛岡を発車する頃にはほぼ満席の盛況になりました。


 普通列車で3日間かけた道のりを、2時間弱というあっという間の時間で戻ってきて仙台着。隣り合うE2系はやて型と比較して、「鼻」の長さが際立ちます。


 編成を増やすE5系ですが、まだまだ注目を集める存在。500系以来の「ヒーロー感」がある車両です。


 仙台は雪も消え、日差しも差す天気。新幹線のスピード感を、天気や気温からも感じられた2時間の旅でした。

年末年始、東北へ【14】AUGAの衝撃

2012年02月18日 | ■建築&街づくり
 もう2月もなかばですが、まだまだ続きます、年末年始の東北旅レポ。
 普通列車ばかりを乗り継ぐ、東京から東北への北上行も、1月3日、ついに北端の青森市に到達しました。ひさびさに青函連絡船・八甲田丸を見物した後は、コンパクトシティを標榜する青森市のまちなかへ。


 なるほど、狭い範囲に店があつまっていて、いい具合に人通りも多く、賑わって見えます。


 そしてこちらが、まちなか活性化の成功例として語られることが多い複合ビル・AUGA。ポップな外観から受けるイメージ通り、1~4階はファッション関係のテナントがずらりと並び、若い世代で賑わっていました。


 しかし、AUGAがすごいのはその上。6~8階は、青森市立図書館になっているのです。


 男女共同参画プラザや、大学の街なかラボなんかも併設。


 公共施設フロアの吹き抜けには、参考書を広げる学生の姿があちこちに。よくよく考えてみたら、ファッションビルと図書館の利用者は世代的にも重なる部分は多いわけで、複合化で起きるシナジー効果は大きいのかもしれません。
 若者が集まる背景に、電車の本数の少なさが挙げられることもあります。ただ駅で待っているより、本を読んだり勉強したりしている方が、有意義ですね。

 青森市の人口は30万弱と、久留米市と同規模なだけに、何かと参考になる施設だとは思いますが、駅の位置関係や電車の本数を考えると、簡単に真似はできないのかなとも思いました。


 ちなみに図書館フロアは1月2日からオープンしており、運営面も「公共施設離れ」しています。


 ここまでだと理解できる話ですが、地下に降りると更に驚くべき施設が。なんと、昔ながらのイメージそのままの「市場」が入っているんです!


 市場の各店舗でも新鮮な魚介類を食べられるし、フードコートコーナーも居酒屋的に使えます。


 僕もここで、地酒とともに じゃっぱ汁を頂きました。

 夕方6時を過ぎていて、市場のほとんどの店が閉まっていましたが、駅前でもあるし、昼間は観光客で賑わうのだろうなと想像。ところが翌朝行ってみると、人でごった返すという雰囲気にまでは至っていませんでした。
 1月4日、まだまだ帰省ラッシュのシーズンで、お土産を買い求める人が多いのかなと思ったんですが… 新幹線開業で、新青森へ玄関口が移ったことが影響しているのかもしれません。

年末年始、東北へ【13】青い森鉄道の存在感

2012年02月14日 | ■旅と鉄道
 青い森鉄道は、岩手県との県境・目時から青森を結ぶ鉄道会社。東北新幹線開業に伴い在来線特急がなくなることから収益悪化が予想され、経営分離されたJR東北本線を引き継いだ第三セクター鉄道です。
 新幹線の八戸開業の段階では目時~八戸間のわずかな区間でしたが、昨年の新青森開業に伴い、三セク鉄道では最長の121.9kmを誇る路線になりました。

 鉄道のプロであるJRが手放すくらいですから、経営環境が厳しくないはずはなく、年間十数億円の赤字が見込まれています。JRの幹線クラスのインフラが重荷になっている様子も見られますが、長距離快速電車あり、学割や途中下車制度ありと、JRや大手私鉄並みの独特の存在感を放つ鉄道会社です。


 八戸駅で並ぶ、青い森鉄道の列車。オリジナルキャラクター「モーリー」が愛嬌を振りまきます。


 三沢駅の時刻表。1時間半列車が開く時間帯もあり、区間によってはローカル線に近い実態があります。


 在来線特急が走っていた頃を彷彿させる、長いホーム。発着するのは、2両編成の電車ばかりです。


 複線電化の立派な線路は、JRと寸分違わぬ規格。スピードも早く、地方ローカル私鉄という枠には収まりきれない鉄道です。


 野辺地駅。帰省ラッシュの時期とあって、多くの乗客で賑わいます。


 野辺地駅は、本線が青い森鉄道、分岐する大湊線はJR。世界最大の鉄道会社・JR東日本も、この駅では脇役です。


 JR時代と変わらず、八戸・青森から大湊線への直通列車も走ります。


 浅虫温泉駅。ステンレスの都会的な電車も、雪まみれになると力強い顔立ちになります。


 青森駅。青い森鉄道も、しっかりとテリトリーを確保しています。


 駅舎にも、大きく「青い森鉄道」の文字。
 経営的には厳しそうな鉄道ですが、新幹線とは別の存在感を示し続けてほしいものです。

年末年始、東北へ【12】十和田観光電鉄、最後の冬

2012年02月13日 | ■旅と鉄道
 年末年始東北の旅、青森・三沢で迎えた1月3日の朝は、十和田観光電鉄に乗りました。
 十鉄は、三沢と十和田市を結ぶ地域密着型の鉄道。もともと乗客の減少が続いていたところに、東北新幹線延伸で三沢に特急が来なくなったことがとどめとなり、この春の廃線が決まっています。
 雪原のステンレスカーが、最後の活躍を見せます。


 サボの「電化60周年」の文字が誇らしげですが、60年目にしてその歴史にピリオドを打つことになりました。


 雪の駅で交換します。


 人気者の凸型機関車。車内は空いていますが、ファンの姿が目立ちます。


 終点・十和田市駅着。1本ホームの終着駅ですが、こ線橋で向かい側のビルと結ばれています。


 改札口はビルの2階。


 そして1階は、寒い中でも快適にバスを待てる、屋内型のバスターミナルになっています。大手私鉄を彷彿させるような電車~バスの連携輸送が図られているのです。


 地方私鉄らしからぬターミナルは、ショッピングセンター「とうてつ駅ビル店」を併設した立派なもの。駅は市街地から離れていますが、だからこそ大型店を開発できる余地があったのだろうと思います。電車、バスの拠点に大型店があり、駐車場も充分な広さを確保。おそらく当初は、成功を収めていたんじゃないかと想像します。
 しかし全国大手のショッピングセンターが台頭する中で競争力を失ったのか、とうてつは5年前に閉店。そして鉄路も失われようとしています。


 市街地までは、歩いて10分ほど。雪の天気にはアーケードがありがたいですが、商店街は歯抜け状です。ビジネスホテルは、ずいぶん多いように感じました。


 十和田市駅と、七戸十和田駅への看板。新旧の玄関口の交代劇です。


 折り返しの電車で、三沢へ。眩しい雪原の中を走ります。


 近代的な十和田市とは対照的に、三沢駅はレトロ感たっぷり。


 10時をまわり、乗客の姿も増えてきました。


 ぬくもりを感じるストーブ。このまま映画の撮影ができそうです。


 雪解けを待たずして3月31日に消える電車と駅。最後の日まで、無事故で使命を全うできることを祈りつつ、青い森鉄道で三沢を後にしました。

年末年始、東北へ【11】八戸線・八戸~久慈

2012年02月12日 | ■旅と鉄道
 年末年始の東北の旅、1月2日は八戸から久慈を結ぶ八戸線も往復しました。現在は途中の種市から久慈までが不通になっていますが、既に春のダイヤ改定時の運行再開がアナウンスされています。
沿岸部の路線ではもっとも早い再開になったのも、被災前のルート通りに復旧されるがゆえ。再開まで3ヶ月を切った路線の、今を見届けてきました。


 早くも帰省ラッシュが始まった八戸駅が、八戸線の起点。2両編成の普通列車は、ほとんどの座席が埋まる盛況でした。


 本八戸駅で下車。高架の駅で、八戸の繁華街へはこちらが最寄りです。ただ本数は多くなく、新幹線から市内へのアクセス線としての機能は、不十分な気がします。


 市街地は、初売りということでデパートも通りも大賑わい。「せんべい汁」のふるまいは、早々に品切れになったようです。


 屋台村もいい雰囲気。いつか泊まりで、ゆっくり夜まで楽しんでみたい町です。


 本八戸から種市へは、「リゾートうみねこ」号を使用した普通列車で、種市へと向かいます。


 車内はご覧の通りの豪華仕様。3列のゆったりしたリクライニングシートが並び、1列の席は窓側に向けることができます。わずかな角度に見えますが、窓を向くだけでぐっと景色が見やすくなりました。


 2号車は、座面に畳を使ったお座敷ボックス車両。グループ客にはうってつけです。「靴を脱いでおくつろぎ下さい」と下駄箱が設けてありましたが、普通列車として走っているゆえか、スリッパは納められていませんでした。


 最前部の展望スペースからは、前面展望も思いのまま。
 こんなに豪華なリゾート車両が普通列車になっているのも、八戸線が震災で部分運休しているため。本来は八戸から三陸鉄道北リアス線を直通し、宮古まで走る列車として構想されていたものです。
 三陸鉄道は分断されましたが、全線復旧の折には、本来の姿で走ってくれるものと期待しています。


 海側の荒々しくも美しい海岸線の風景も、思いのままに満喫できます。震災当日のニュースでは、八戸港湾地区が津波に飲まれるシーンに衝撃を受けたものですが、この周辺では水平線からの高さがあるため、被災を免れているようです。


 この先の線路を走れるのも、もうすぐ。


 種市からは、1日4往復の代行バスが結びます。
 仙台支社管内の代行バスは、駅ごとに係員の方が立って乗り換えの案内に努めていましたが、こちらは管轄の支社が違い運行方法のノウハウも異なるのか、案内員はなし。その代わりに、なつかしの「バス車掌」が乗務しています。
 本来はバスガイドさんのようで、小さな子どもを優しく相手していました。


 既に修理を終え、線路の敷設が始まった区間あり。


 路盤の復旧工事真っ盛りの区間あり。
 常磐線や仙石線で移設が検討される中で現路線での復旧となったのは、高台が迫る地形から万一の際も避難誘導が可能だと判断されたからでしょうか。実際に、沿線の洋野町では住宅55棟流出の被害を出しながら、日頃の訓練の成果もあって死者・負傷者をゼロに留めています。⇒ http://bit.ly/t8LjxY


 次の災害への備えも怠りありません。


 久慈着。
 2台目のバスが「回送」扱いで続行してきており、どうやら乗客の多い・少ないに関わらず、2台運行で対応しているようです。少しもったいないような運用にも見えますが、突然多くの乗客が現れても「乗車拒否」しないための工夫なのでしょう。鉄道路線並みの責務を負った路線ならではの運用です。




 今のところJRの列車は来ない駅ですが、窓口もそば屋も営業中。変わらず交通の拠点として機能しています。


 改札口も看板でふさがれていますが、ディスティネーションキャンペーン開催の頃には、きっと取り払われていることでしょう。


 閉じ込められているオレンジの気動車が、八戸に行ける日も間もなくです。

年末年始、東北へ【10】三陸鉄道北リアス線・久慈~陸中野田

2012年02月12日 | ■旅と鉄道
 年末年始の東北の旅、北リアス線の宮古~小本間に乗った翌日の1月2日。盛岡、八戸へと迂回し、ぐるりと一回りする形で、不通区間の反対側の久慈駅へとたどり着きました。
 北部で運行再開している区間・久慈~陸中野田間は、わずか2駅間とはいえ、距離は11km。本数も南側の倍の8往復があり、流動の多さを物語っています。


 一部区間の再開に留まっている現在、多くの車両はお休み中。三陸縦断直通列車・リアスシーライナーとして活躍していたイベント対応車も、じっと再開の日を待っています。


 陸中野田行き「復興支援列車」は、地デジ化の広告車両。東北3県の地デジ化は半年先送りになっており、今まさに広報の真っ盛りです。


 列車は山間部を走ります。落葉樹が多い印象です。


 山を抜けると、田園地帯へ。徐行運転は解除になっておらず、ゆっくりと進みます。


 陸中野田着。ここまでの車窓からは、特に地震の爪痕を感じることはありませんでした。


 陸中野田駅は、鉄道の駅でありながら「道の駅」を併設。レストランこそ早仕舞いしていたようですが、お土産屋さんは営業していたので、正月から空けている実家にせめてもの償いと、三陸の海の幸の高級缶詰を発送しました。


 列車や駅周辺は通常の姿でしたが、野田村自体は中心部が流出する大きな被害を受けています。
三陸鉄道の線路も、野田駅から先は大変な惨状だったと言いますが、1月2日の時点では、かさ上げされた国道に平行して線路の路盤が整備されていました。
 この先、田野畑駅までは、春の運行再開を目指しているとのことです。


 ここまで家々の基礎だけが残る光景は何度も見てきましたが、野田村では建物の基礎まで撤去されたところが多く、ここが宅地だったのか畑地だったのか、そしてこの場所はどんな惨状だったのか理解するには、想像力を要する状況になっていました。わずかに残った塀から、ここには本来、平穏な暮らしがあったことに思い至ります。
 がれきや津波に押し流された車は、災害廃棄物置き場に積みあがっており、すさまじい破壊力の後を伝えていました。


 公共施設が集まる中心部も浸水の被害を受けましたが、夏には既に復旧工事に着手されていたようです。


 正月とあってひっそりしてはいましたが、活気への息吹も感じられました。


 野田駅では、委託の乗車券販売窓口が開いており、久慈までのきっぷを求めると、今や貴重品になった硬券が出てきてびっくり。職場の鉄っちゃん仲間へ、陸中宇部までのきっぷも買い求め、ささやかな支援としました。
 今は行き止まりの終着駅になってしまいましたが、その終着駅が先に伸び、「対岸」へと結ばれる日は2年後。決して、遠い日ではありません。