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sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

一番近い人に

2013-11-13 | Weblog
友だちだと、ちっともこわくなくて愉快な相手なのに、
恋人や夫婦になるとこわい人になるというか、
パートナーにこわがられて破綻する、というのは
うちもほぼそのパターンだけどなんでだろうなぁ。
一番近い人間に一番いい顔をみせるだけでいいのに、
なぜかできないことみたいですね。

わたしは元夫に対しては、萎縮してこわくて、
顔色をうかがって言いたいことも言えなくなって、そういうこわさだった。
でも離婚話の時にそれを言うと彼は驚いてたな。
こわがられてる、こわがらせてる自覚がなかったらしい。
逆に彼もわたしをこわかったと言った。
でも、こわさの種類が違う。
わたしが彼に感じたのは、抑圧と支配のこわさだ。
モノを言わせないこわさだ。
彼がわたしに感じたのは、わたしの内側に入れない冷たさの方だと思う。
寄せ付けない部分があったんだろう。
でも当たり前やん、抑圧してくるこわい相手を、
自分の心の柔らかい部分に寄せ付けられるわけがないよ。

親しくなればなるほど喧嘩が増えたり
怖くなったりするのは、なんででしょうね。
遠慮がなくなるから?
遠慮がなくなれば、より相手の気持ちがわかるようになって
より仲良くできそうに思うので
やっぱり減っていくのは思いやりなのかなぁ。
存在が当たり前になると、減っていくものなんでしょうか。

わたしは、前の結婚以外は、
べったりと仲良くなる関係は、友だちでもほとんどなかったと思うので
親しくなればなるほど仲良くなっていく人ばかりな気がするけど
いつかまた特定の人と、もっと仲良くなることがあっても
こわがったり、こわがられたりは、したくないなぁ。

搬入好き

2013-11-12 | 芸術、とか
個展やグループ展の搬入って、好きなんです。
自分の個展をひとりでやるのは、しんどいけど、
(モノゴトを決めるのが苦手。
 選ばなかった無限の選択に圧し潰されそうになる)
数人のグループ展や、人の展示の手伝いは大好き。

これから面白いことが始まる前夜のわくわくした感じも、
これから見られ楽しまれる大事な作品たちがひっそりと待ってる感じも。

昨日は、友だちの二人展の搬入手伝いに行ってきました。
(この日だけ映画祭をさぼりました。笑)
年配の女友だちの陶芸作品と、その教え子の若い青年画家のコラボです。



場所が、うちから徒歩20分くらいの、
市内一?素敵な、カフェとギャラリーのスペース「HANARE」。
友だちも教え子青年もHANAREの人も
みんな京都造形大つながりだったりもして少し同窓会気分も。
素敵な庭が見えて、天井の高い古い建物を使ったゆったりした空間で
作業の合間に飲むコーヒーの時間が
本当に気持ちよくて幸せでした。ああ、楽しかった。


画家の青年が小学生~中学生まで通ってたのが
友だちのやってた造形教室だったのですが、
それから10年以上もたって、こうやってコラボできるなんて
素敵な関係だなぁと思う。

そして、これまでの集大成に、という年配の友だちと、
これからが期待される新進の画家の
気持ちも方向も全く違う作品たちを一緒に見るのも楽しいです。

駅からかなり歩くのですが
行ってみる価値のある場所だと思います。
わたしは展示期間は、作家のトークのある日にお邪魔するつもりです。
たくさんの人が見てくれますように。
HANARE:2wayz


ずっと

2013-11-11 | Weblog
結婚というものに興味も関心も持てないのは、
子どもの頃から親に日本人とは結婚できないといわれ続けたせいもあるけど、
一番の原因は「ずっと」ということを信じてないからだろうな。
「ずっと」は,あると思うのよ、結果的には。
でも、いつも誰にでもあるものではないと思うし
必ずある、と信じていいものでもないと思ってる。

「ずっと」を信じられないのは、潔癖すぎるからかもしれない。
結婚は生活だから,いろんな要素がどうしても入って来る。
理解や愛と同じくらい妥協や誤解や欺瞞も入って来るだろう。
それを全部折り合いをつけて包み込んで、というのが、
自分は潔癖すぎて難しいのです。ナイーブなお花畑な頭です。

それで、今この瞬間の切実さ100%の気持ちしか
信じないことになったのかもしれない。
本当は「ずっと」に憧れてもいるんだけどねぇ。
もっと年取って、誰かに恋いこがれるような気持ちが遠いものになったら、
いろんなものを包み込む「ずっと」の関係もできるようになるかなぁ。
遅すぎるかなぁ。

というか、そういうこととは別に、
単にわたしが、どんないいことにでさえ
固定されることがガマンできないだけかもしれないけど。
全然束縛などないものあっても。
若い頃に自由というものに飢えすぎてたせいかもしれません。
自由を思って泣かない夜はなかった20代。

そのせいで、いつも、自分の人生を,誰にもさわらせない、
わけてくれないような人ばかり好きになる。
わたしの自由を脅かさないような人。
そのかわり、わたしもその人の自由に指一本ふれられなかったりする。

宝塚映画祭

2013-11-10 | 映画
ここには、あんまり書いてないけど
宝塚映画祭の実行委員をやっています。

そもそも映画祭というものが何なのかも
よくわかってなかったのですが(笑)
まあ、なんとかやっています。

デジタル関係が苦手なので、できることが極端に少ないのですが
TwitterやFacebookなどにちまちまと情報をあげて行くようなことを
毎日してます。あと事務局電話番とか諸々の雑用とか。
昼間時間が取れるので、こういう仕事ならできる(笑)

いろいろと思うことは多くて
あまりに使えない自分に凹むことも多いです、実は。
でも面白い映画祭だと思います。
面白い人が集まってるので、地元が楽しくなりました。
こういう地域との関わり方なんて
想像もしなかったな、若い頃。
同年代の実行委員さんたちのことは、デキるなぁ、と感心し、
若い実行委員さんたちのことは賢いなぁと感心します。
そしてたまに学生さんの無邪気さや素直さにびっくりして、
この人たちのこれからがまぶしくて楽しみです。

本当は、映画祭がらみだけでも毎日ブログ書けるほど
いろんなネタや事件や考察があるんだけど
まあ、いいや。
いつか過去になったら、いろいろ整理して書こう。

今年は9日(土)からはじまってます。15日(金)まで。
ホームページ見て下さい。(→宝塚映画祭ホームページ
すごく変で面白い映画祭だっていうのがわかると思う。

月曜以外は大体いるので、見かけたら声かけて下さいね。

映画:世界一美しい本を作る男 -シュタイデルとの旅

2013-11-09 | 映画


これね、思い出したの。
「ピアノマニア」という去年見た映画。(→ブログ
ピアノの調律師さんのドキュメンタリーで
その調律師さんと、シュタイデルさんが
すごく似てるんですよねぇ、印象が。
どちらも、とことん職人気質で
妥協のない美しいものを作る人だからかな。

ピアノマニアでは、要求の多いピアニストとのやりとりが中心で
それを聴く観客のことはピアニスト経由だけで感じる。
シュタイデルでは、本作りを依頼する写真家たちとのやりとりが中心で
やはりそれを購買する読者のことは、写真家経由でしか
考えてない感じがしました。
そういうところ、芸術家だなぁ、と思う。
自分が納得できる仕事をすることが
大勢の消費者を満足させることより大事なんだな。
まあ結果的に、観客や読者を喜ばせることになるんだけど
消費者不在で、いいものを追求して行ける人は
まれだと思うけど、
この二人はそれが出来る人です。

ふわふわ優しい人ではなく、飄々ともしていない。厳しそうな人です。
ダメなものはダメと言うし、納得のいかないことには不機嫌になる。
こういう人とわたしは、友だちにはなれないけど
尊敬はするし、憧れもあるなぁ。
自分は、自分自身にも他人にもきびしくなれないから。

美しい本を作る会社なので
写真家からの注文が多いようで
錚々たる写真家が次々に出てきます。
マーティン・パー。ロバート・フランク、
ジョエル・スタンフェルド、ロバート・アダムス・・・
他にも芸術家や有名作家たち。

でも羨ましいなと思ったのは、有名人に愛されていることより
本を自社内で、企画デザインから印刷までほぼ全工程を作るというところ。
かなり珍しい業態のようで、でもそこがすごくいいなぁと
そういう会社で仕事をする人が羨ましくなりました。
今は、ニューヨークで企画、中国でレイアウト、インドで印刷、というような
コスト削減のやり方が多いそうだけど、
自社内ですべてすると、コストは嵩むけど、自由度は高くなるよね。
本当に納得のいくことしかしないんだなぁ、
厳しそうだけど、いい会社だろうなぁ、と思いました。
これから写真集見るときは、出版社もよく見ることにしよう。

唐突に思い出したい

2013-11-08 | Weblog
十年以上、一度も思い出したことのない何か、とかを、
唐突に思い出したりしたいなぁ。
いいことの方がいいけど、なんでもいい。
つまんないディテールを、何か唐突に思い出したい。
学食の、食券。思い出した、ひとつ。
プラスチックのクリーム色の切符大の食券で、
銀色の文字でミルクと縦に書いてあって、なんかかわいいなぁと思って、
ずっと持ってたんだった。
卒業したあとも何年、何十年も?
今も家の中のどこかにあるかな。
100円くらいだったかな。

ものすごく、どうでもいいことだな。
こういうことを、何十年ぶりに思い出したい。
いくつも。
なんとなく。

プラスチックの食券入れてた引き出しに、
もっともっとはるか昔の、子供の頃の、駄菓子屋で買った、
やはりプラスチックの小さいお皿とか鍋とか、入ってた気がする。

中学の時、夏休みに何かの用事で学校に行った時に着てた、
似合わない鮮やかな水色のシャツとか。
どうでもいい、忘れてたディテールって、結構思い出せるなぁ。

月記:2013年10月

2013-11-07 | 月記
写真展に出したり、撮影やワークショップ行ったり、
関わっている映画祭までひと月で
わたしはたいしたことしないのに、やることが色々だったり、
時間に追われるひと月でした。
でもよく遊んだ、写真と映画の日々。


・服部と言う降りたことのない駅で打ち合わせ数回。この駅好き。
・映画泥棒の被り物作る
・映画祭プレイベント:写真をスクリーンで見る
・映画祭プレイベント:プレゼンパーティ
・映画祭関係の写真in写真みたいなの撮影がんばる
・清荒神の参道など撮影会
・六甲ミートアーツ撮影会
・「写真祭」出展、撮影会とワークショップ参加
 特別なライティングでポートレイト撮ってもらう
 めちゃめちゃ楽しかった。
・京都は建仁寺撮影
・FM宝塚で映画祭のことしゃべる
・クラシックコンサート:ベルクのバイオリン協奏曲と
 マーラーの交響曲第6番イ短調「悲劇的」
・尼崎銭湯王国展
・住所変更。書類上ずっと豊中にあった住所を
 今の場所に移す。保険や年金など独立。物入り。
・劇場で見た映画「地獄でなぜ悪い」「凶悪」「ルノワール」
 「ムードインディゴ」「早春」「マリリン・モンロー瞳の中の秘密」
 「世界で一番美しい本を作る男」「クロニクル」

映画:マリリン・モンロー 瞳の中の秘密

2013-11-06 | 映画


マリリン・モンロー好きなんですよねぇ。
若い頃の自分は、女っぽい感じも拒否してたし
ストイックで迷いのない感じに憧れてたので
マリリン・モンローにさほど惹かれなかった。
彼女には余分なものが色々纏わり付いてる感じがするから。

でも年を取ると、そういう弱さや迷いや余分なものこそが
なんだか愛おしくなるのですねぇ。
彼女のことを思うと切ない感じがします。

作家の伊集院静が昔、雑誌かエッセイかなにかで言ってたことがあって
それは、女の人が年を取って、体もこころもだらしなく弛んできても
そのだらしなさも、かわいいじゃないかと思う、というようなこと。
ああ、また食べちゃった、まあいいか、というような
自分に甘い女の人のダメさもかわいいじゃないか、と。
だらしなさなんて、もう人生の敵!でしかなかった
超ストイック志向わたしには驚きの言葉だった。
そこまで許しちゃうのか、かわいいと思えるのか、
大人の男ってすごいなぁ、
そりゃ、この人、モテるわ・・・、と。

それが自分が十分に年を取ってくると
その気持ちが何だかわかってきちゃいました。
マリリン・モンローに関しては、そういう気持ちもあります。

いえ、彼女はだらしない女ではなく
すごく真摯な努力の人という一面があったのは、
このドキュメンタリーを見なくても知っています。
でも、それでも彼女にはそれでは超えられなかったそれ以上の
弱さや揺らぎを持っていたと思うのです。
語弊があるかもしれないけど、いわゆるだらしなさのようなもの。
それが切ないのよねぇ。


映画は彼女の人生のドキュメンタリー。
未発表のノートかなにかが見つかったそうで、古い映像の合間に、
それを読む今の俳優の映像が挟まる感じで進んで行きます。
でも、この俳優たちのあまりにデジタルな感じのパキッとした絵柄というか
すっと立ってカメラ目線で語るようにナレーションするシーンは
今やYoutubeなどでよく見る、アメリカ人のプレゼン映像や
有名俳優に語らせるCMそっくりの既視感で
俳優たちがそれぞれ精一杯何かを表現しようと演技すればするほど
気持ちが冷めちゃう感じだったけどね、わたしには。

さらに、その見つかったメモは未発表だったにしろ
内容的には、よく知られてるマリリン以上の新しいものは何もなくて
これだけ書かれ語られ尽くした人についてのことは
やはりもう、新しいものはでてこないのかなぁと、ちょっと残念。

というように映画自体の出来は、たいして感心しなかったけど
彼女のスチール写真や映像をたくさんまとめて見ることが出来て
それだけでも、まあ値打ちはあったか、と満足しました。
錚々たるカメラマンたちに撮られたのだろうから
さすがに素晴らしい写真満載で、うっとり。
それだけで満足していい映画です。

汚しても平気な人

2013-11-05 | Weblog
リクライニングを戻すどころか、ひっくり返した座席もそのまま、
床は飲み物こぼして水たまりビショビショ、座席の上には飲みさしのペットボトル、
お菓子の紙、ビニール袋いっぱいの大きなビニール袋もそのまま床、で
新幹線を降りて行った家族連れは中国系。
こういうのを見るたびに、わたしの中国系の友達が嘆く。
マレーシアは他民族国家で地方には、単民族で構成された村や集落があるのですが
マレーシアに住んでた時の中国系の友人が、
マレー系の村は貧しくてもきれいだけど
中国系の村は汚い。
ゴミを床や道に平気で捨てるし
川も汚し放題で、僕は本当に恥ずかしいよ、と言ってたのを思い出す。

そういって恥じる人がいるようにきちんとした人も多いのに、
外国で傍若無人な振る舞いをすると
その国の人全体が悪く思われがちですね。

さて、一方自分自身を振り返ると、
うちの中は散らかりっぱなしで埃だらけだけど、わたしは、
ホテルなどはきれいに使う。
無駄なタオルは使わないし、
ゴミも掃除しやすいようにきれいに捨てておく。
ベッドも軽く直すし、テーブルやデスクの上は整頓、
洗面所も飛び散った水滴は軽く拭いておく。
使ったタオル類はバスタブに軽く畳んでかけておく。
だから、部屋を散らかして平気な人と旅行するのは結構しんどい。

元夫は部屋に入って数時間後には床にゴミも洗濯物も散らかしっぱなしで、
チェックアウト時間すぎるまで、一切片付けをしない人で、
旅行はストレスだった。
どうせメイドが片付けるんだから、と
いくらでも汚して平気な人が、わたしにはわからない。

メイドがいるのが普通の東南アジアのインター校生徒が、
食べ物の残りを投げて遊んで床に捨てて平気でいるのに、ぎょっとした事がある。
そんなのは自分ではない誰かが片付けて当然と思ってる。
学校は掃除夫がいて、子供らは掃除はしないし、家でも同じ。

誰かが、自分の快適のために働いてくれてると思うと、
それがその人の仕事だからにすぎなくてもありがたいと思うけど、
そういうことを全く思わない人と一緒にすごしたり旅行したりするのは
ストレスだなぁ。
マナーということではなく
人への敬意と、自分の挟持ですね。

というわたし自身の家は、散らかりまくりですが。
写真は唯一散らかって見えない角度。笑

カメラバッグ

2013-11-04 | 写真
カメラとPCを持たなければ、手ぶらでもOKなくらい荷物は少なくて、
以前はいつも小さいカバンばかりで、カバンの小さい女でいるのが好きだった。
荷物が少ないと、より自由に近い気持ちがするよね。

でもカメラは大事で好きで、持ってる方が安心していられるから、いつも悩む。
撮らないつもりの日も本当は持って歩きたい。
わたしの写真はほとんど、たまたま見たものを撮るスナップだし。
でも荷物の多い女になりたくないんだなぁ。
レンズまで持つと、自由から遠くなる気がする。
でも、カメラは好きだからなぁ・・・。
家に帰ってきてから、少しカメラを眺めて、ちょっと触ったりします。
好きだなぁと何回も何百回も思う。全然使いこなせてないけど。

そして
三脚と替えのレンズを持っていかなきゃ行けない用ができて
とうとうあきらめてカメラバッグを買うことに。
デジイチ持ち歩いて3年間、
ずっとカバンに裸で突っ込んできたんだけど
さすがに替えのレンズまではつっこめず。
でもカメラバッグ、大きめデジイチ、レンズ付きボディと
レンズ2つくらい入れようと思うと
中々ほしくなるものがない。
ミラーレス用の、小さいのは、けっこう趣味のいいものも出てるんだけど
大きめはダメですね。
ごっついのしかない。ごっついのもいいけど
おっさんくさいのは、いや(笑)

それで、結局自転車のビアンキという会社の
メッセンジャーバッグのようなのに
カメラ用のソフトバッグ?を入れて使うことにした。
ふたを開けた中の色が、きれいなミントグリーン。
ブランドカラーのチェレステという色で
この色がもう、ツボで買ってしまいました。
使ってみると、持ちやすいし、少しぶつけても安心だし
やっぱりいいかも。

カメラバッグの写真がまだありません、すみません。
このカニさんのいるボウルの緑みたいな色。
外側は焦げ茶のキャンバス地でキャメル色の皮パイピング、の感じ。

松江泰治

2013-11-03 | 写真
ごくたまに、その日にあったことをブログに書くことがあります。
大体数週間とか数ヶ月とか遅れてだけど、今日は書いてみようかな。

午後に、宝塚のメディア図書館で
写真家の松江泰治さんと写真評論家の清水譲さんの対談を聴いてきました。


松江さんの写真は美術館で見たことがある、と思う。
大きなカラー写真で、街をうんと上空から写した感じのものだったかな。
それはわりと好き、と思ったけど
彼の白黒の、地表を写した写真は
写真集を買おうと思うほどは惹かれてなかった。



前に書いた、写真集を読む:3というブログで彼のことを
>東大の地学出身で地表の写真を撮る。
>わかりやすく特徴づけるものを排除し
>階調を狭くしニュートラルなグレーの中
>ディテールだけをきめ細かく、
>地球の表面というものを8×10のモノクロで撮る。
>カラーで撮った静岡上空の空撮写真集「JP22」。
>カラー写真ではよりグラフィカルに。

と書きました。
その写真家の、新しい写真集2冊について、評論家との対談でしたが
いや、もう、面白かった。
写真も素晴らしくて、結局写真集2冊とも買ってしまった(笑)。

曰く「アンセル・アダムスってピントが甘いんだよね~」
ええっ!
アンセル・アダムスというのはアメリカの大変有名な写真家で
F.64グループと言われている人で、ヨセミテ国立公園の山写真などがとても有名。
これはカメラの絞りを64まで絞って、パンフォーカスで、
肉眼で見える以上にきっちりとシャープに撮っていると言われる人なのですが
それを「ピント甘いよね~」とおっしゃる。
おお!なんかすごい!
そして
そもそもピントとは、というお話しになりました。
ピントが合ってるってどういうことかなんて、よく考えたこともなかったので
もうすごく新鮮で、目からうろこが落ちました。

ピントが合うというのは、普通モノの焦点、輪郭が合ってて
崩れがないことだと思われているけど
彼にとっては、それは単なる人間の見え方の問題でしかなく、
そんなのは絵柄に囚われた見方である、と。
ピントが合うというのは、そうではなくネガに詰まっている途方もない情報量を
どれだけ取り込んでいるか、という理系的問題なのである、と。
それを「絶対ピント」という言葉で表してらした。

うわー。そういう考え方もあるのか、うんあるよねぇと驚きつつ
もう松江さんという人が面白くて仕方ない。
この人天才だなぁとしみじみ思いました。

「前に黒白写真を選んでいたのは、カラーはピントが合わないから」なのだけど
(カラーはプリントすると黒白よりもさらに、
情報量がすかすかになってしまうからでしょうか)
顕微鏡用の引き延ばし機を使うようになって
またデジタルの加工の可能性も利用するようになって
カラーもどんどん撮るようになったのだそうです。
カラーはピントが合わない、という考え方も新鮮でした。驚きの連続。

松江さんの写真の特徴は、まずは順光で撮るということ。
いい時間は一日に数分なので、綿密な予定を立て
予定より8分遅れちゃったときのことを「もうやんなる、ひどいよね~」。
彼は飲むコーヒーから食べるものまで、すべて吟味して選んだものだけの人で
撮影も分単位できっちり決めてされるとのこと。
ああ、天才っぽい・・・
(対談相手の清水さん曰く「オタクオーラ全開ですね~笑」)

もう1つの特徴は、航空写真ほどの高度でなく
人の視点でもない、気球くらいの視点から撮る。
だから俯瞰写真ではないのです。
鉛直構図は「絵」になりやすすぎるからいやなのだそうです。
たとえば、屋根はグラフィックな長方形になってしまい
デザインになってしまう。そうではなく、家は家に見えてほしいんだよね、と。
だから彼の黒白の地表写真をそういうグラフィカルなものとして
見ていた人たちは、カラーになって離れて行ったとおっしゃる。
すみません、わたしもそういう写真だと思ってました。
そうじゃなくて、全然逆で
彼は極限まで写真の情報量を残そうとこだわってただけで、
グラフィカルな絵作りには一滴も興味がない人なのでした。
写真も面白いけど、何よりこの人面白い!

本人は、面白いこと探してやってるだけで
「おもしろいよ~」と呑気な感じでおっしゃる。
たとえばうどんも自分で踏むらしいのですが
「小麦は面白いよね~、いつも何種類かストックがある。
小麦選ぶのは印画紙選ぶのと同じだね~」

写真を撮りに行く時に現地でのふれあいは?みたいな質問に対して
数分刻みで東京から飛行機で行き
ヘリコプターで決めた場所で決めたモノを撮影し
現地では、撮影の往復以外には一歩も足をおろすことなく、
きっちりと予定通りに東京に帰ってくるのが、楽しいんだよね、とか。
・・・オタクオーラと言うか、もうすごいマイペースオーラ、
天才オーラ満載だと思いました。
その天才感に
「ジョブスと似てるといわれたことは?」と会場から質問されると、

「ジョブスって誰だっけ?」(←真面目に思い出そうとしながら)

好きだなぁ、こういう人。
「ああ、アップル社の人ね。わかった。でもアップル社は好きじゃないんだよ」
そしてスマホもケータイも持ってないのに、GPSは、なんかすごいのを持ってたりして
ガーウィンがどうとか、わたしの全然知らないことを話す。
「だってGPSおもしろいよねー。ぼくずっと、全部自分の移動記録してるんだ」
と楽しそうに話す。

非常にあたりの柔らかい、優しそうな人で
ふわんとしてるんだけど、こういう感じ覚えがあるなぁと考えたら
ちょっと赤塚不二夫とか、荒俣宏とかと、同じ匂いの人なのでした。
写真家の津田直さんの話を聞いた時にも、底知れぬ独特のものを感じて
うわー天才だな、この人、と思ったし、絵描きよりも写真家の方が、
そういう底知れない感を感じる人が多い気がするなぁ。

いや、本当におもしろかった。
そして対談相手の清水譲さんの話は、すごく的確でわかりやすい評論で
松江さんに足りない言葉を完璧に補って説明されるので
ひゃー頭いい人だなぁと、舌を巻きました。

映画:クロニクル

2013-11-01 | 映画


映画、好きな映画の感想がたまってるんだけど
書きやすいのから書いていこう。

これは、レディースデイに映画のハシゴ中のわたしに
友だちからLINEが来て、今クロニクル見たんだけど
夕方の映画こっちにしたら!すっごくいいからー!と。

その日の夕方の映画は、何ヶ月も見たくて待ってた映画で
それは替えられないけど、絶対見るよと約束。
ところが「クロニクル」なんと翌日が最終日で
無理矢理早起きして時間を作って見ました。

主役の男の子がすごくいいのよ!というので期待していったら
主役の子は確かにキュート。
若い頃のディカプリオのような、繊細な細面で
虐められっこの役だけど、明るい役も似合うだろうなぁと思った。

映画自体は、わたしにはなんとも後味の悪い映画なんだけど、
映画を見たあと、もやもやして、あれこれ考えさせられたので
いい映画なんだろうなと思います。

昔の映画「キャリー」の男の子版のような映画です。
「キャリー」はテレビで何度もやってたので何度も見たけど
オカルト系の映画は苦手なので、細部はよく覚えていません。
ただ、大人になってみた時に
こんな悲しい話だっけ、と思ったのは覚えている。
「キャリー」のリメイク版ももうすぐ公開なので
今回この映画を見て、それもまあ、見てみようと思わされました。


主人公は、家でも働かない父親に虐待され
学校でもスクールカーストの底辺で虐められるアンドリュー。
ある日手に入れたビデオで日常のすべてを記録し始めるんだけど
いとこのマットと、ラグビー部のスター、スティーブと一緒に
大きな穴の中に入ることで超能力を手に入れる。
マットもスティーブも明るいアメリカンボーイで
人気もあるし、性格もよさそうなんだけど、
力を得た3人の中で、アンドリューの行為はどんどんエスカレートし、
ついには人を傷つけるようになって・・・


前半は、アンドリューの境遇に同情したりしたけど
後半は、もうこの子がいやでいやで、楽しめなくなった。
泣きながら悲しみながら制御できない怒りで仕返しをする、という構図なら
まだ共感できる隙もあるんだけど
アンドリューは最初から他人の傷や命に対して鈍すぎるのです。
なんで人を傷つけるのがいけないのかが、そもそもわかってないみたい。
だから仕返しをした相手の折れた歯を、うれしそうに数えたりするし
スティーブの死にも、さびしいよ、と言うだけで
全然責任は感じていない。
元々これだけ他人に対する想像力や尊重が欠落してたなら
そりゃ、人生うまくいかないだろうよ、としか思わないです。
ただ、力を誇示したくてしかたない思い上がったバカでしかないのです。

こういうのに虫酸が走るのです、わたし。
威張った男というのが、ものすごく嫌いで仕方ない。
アンドリューの力は物理的な暴力だけど
現実世間でも権力やお金で、同じ態度をする人は結構いますよね。
権力を得ることで、まちがった全能感を持ち
平気で人を支配し生殺与奪までも
自分の思いのままにしていいかのように思う人間。
アンドリューもそういう気持ち悪い人間にしか見えなくなってしまった。

わたしは元々、たとえば学校などで明るくて人気のある子よりも、
一人で離れているような静かな人の方に共感しがちで
自分自身完全にそちらサイドの人間だと思うので
最初はアンドリューに同情し共感してたんだけど
後半は無理でした。
彼の孤独がどんなに深かったとしても、共感は難しいのに
映画で見る限り、彼の孤独なんてすごく薄っぺらなのです。
そんな薄っぺらな孤独からの幼稚な怒りで
平気で無関係の人まで殺しまくるのが、後味悪すぎて。
虐待父親はひどいけど、彼は今では父より強いんだし
女の子との初体験の失敗とか、アホみたいな理由で
(本人は傷ついたんだろうけど)世界をぶっこわすようなことするか?と
アンドリューの幼稚さに辟易するばかりでした。

逆に、前半ごく普通の、ただの健康な男の子に見えたマットが
人を傷つけることを、命がけで避けようとする様に
少しほっとしたけど。

見終わったときは、この後味の悪さが何かわからなかったんだけど、
途中、3人にどんどん能力が身に付いて楽しんでいるシーンでさえ、
その後のもっとエスカレートする様子を想像してはびくびくして見ていて
ひゃっはー!と男の子たちが楽しんでいるシーンを
一緒に楽しめなかったのも原因のひとつかも。
小心者ですね。
でもこれを見て、「キャリー」も見ようと思えたので
見てよかったです。