去年上映した「楽日」と言う映画は
実行委員の中でも意見の分かれる映画でした。
観たあと気分を害して怒ってた人も入れば
これ最高、これ上映できてうれしい!と言う人も。
今年の映画では「NINIFUNI」がそれにあたるかも。
いいっすねー!よかったっ!と興奮してる人も入れば
うーん、うーん、と唸ってる人もいる映画です。
ちなみにわたしは、なんかもやもやして、唸ってました。
言いたいことはわかるのです、わかりやすすぎるほど。
同じ場所に静かに、存在する生と死の対比、
そこに並んであるのに交差しない、それぞれの無情さ
それはすばらしい。
それを描きたいがために、42分間のほぼセリフもない
変化のない画面を見せられるのですが、
まあ42分だからガマンはできるし
描きたいことは描けてるし伝わるとも思う。
でも・・・
物語を軽視するなら、映画でなくていいんじゃないかと思うのです。
もう少し短くして、映像作品という形でいいんじゃないか。
映画「熱波」の時も思ったけど
何か描きたいことややりたいこと表現したいことがあって、その手段に
ごくうすっぺらな、或いはありがちな物語を
ぞんざいに安直に使って、そこに乗っけるというのが
わたしは好きでないんだなぁというのがわかった。
物語がないのは、ないで、まあいいかとも思うのです。
「楽日」は「NINIFUNI」より長いので
観客にかなりの我慢を強いる映画でした。
ふっと寝て起きても、まだ登場人物は同じ場所を歩いてるとか
そういうシーンをずーっと見せられるのですから、
なんて傲慢な姿勢の映画なんだと思いました。
さらに「楽日」は「NINIFUNI」のような物語も特には説明されない。
最後まで見ても、なんだか混沌とした気分のままです。
でも、それはそれで、
語られない物語の奥行きを感じさせるものがあったのです。
でも「NINIFUNI」にはその奥行きがない。
ごくありきたりな事件を単純化した筋があるだけです。
シンプルな美しさはあるのかもしれないけど
どうにも、物足りないというか
映画としては満足できません。
と言いながら、まあ問題作であることは間違いなく
見ておいていい映画なのかもしれません。