散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

昨日記131106水(ジム 時速9km30分4.5km)

2013年11月07日 13時42分53秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
天気:晴 ―mm  20.7  10.4℃ 67% 1.4m北北東

昨日もジムと読書のためカフェに行った以外は、変化の無い日であった。
最近、就寝時間が12時半から1時頃になり、朝の起床時間は変わらないが、その後昼寝をしたり、居眠りをしたり、なんとなくTVやPCを見たりして、生活が不規則になっていて、今日もある意味不規則な生活となっている。

私の、計画では、この昨日記は午前中の早い時間に済ませる予定であるが、最近は午後又は夜になることも多い。

若いときから、12時ごろ静かになった頃から本を読んだりすることが多かった。
特に、サラリーマン時代は、帰宅時間が11時過ぎは普通だったので、寝るのが1時ごろになるのは普通であった。

以前から、科学的な情報では、夜型の作業は、ミスが多く能率が上がらないということは知っていた。
能率が上がっているように見えるのは、感覚が麻痺しているためではないかという指摘もある。
作業実験をすると、明らかに昼間の作業のほうが、深夜の作業と比べ、誤りが少なく能率が上がるという、実験のデータを見たこともある。

芸術家に深夜型が多いのは、私の勝手な憶測だが、ある意味朦朧とした状態、即ち知性を麻痺させた状態のほうが、感情や情緒を抑圧しコントロールする知性の働きが低下することで感情や情緒を開放し表現しやすくなっているのかも知れないと思っている。

私は、芸術家でもないし、夜遅くまで本を読んだりして夜更かししても、翌日睡眠不足でダラダラ過ごすだけなので、やはりメリハリをつけて、規則正しい生活に復帰することが良いと思っている。

ということで昨日も午前中は、NHKの経営委員人選の報道に問題を感じ一気呵成にブログやツイッターに投稿したが、その後はダラダラと過ごした。

夕方、メリハリをつけ、体力を維持するために、ジムに行き時速9.0kmで30分間約4.5km走った。
ランニングは、きつくは無かっし、その後も疲労感はなかった。
一昨年夏前には、ほぼ時速10mで30分間走れる力を持っていたので、当然なのだが、その当時からすれば、体力は落ちているようだ。
今後もっと楽に走れるようになれば、速度を速め極力時速10kmで30分間走れるように、体力UPする予定である。
昨日も、食事の準備の遅れが重なり、寝たのは1時前であった。
そのため今日(11/7)も食事準備が出来ておらず、生活パターンが乱れている。
今日から、生活リズムを早く取り戻したい。

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昨日記131105火(散髪 読書)

2013年11月06日 22時03分43秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
天気:晴 ―mm  15.3  12.1℃ 62% 1.5m北北東

昨日は、散髪に出かけた。
8月に行って以来だ。
昨日も、混んでいたら止めるつもりであったが、偶然すいていた。
料金が1000円で、ビジネス街にあるので、いつも人は多い。
給料日の後は、よく混んでいる。
私の場合、上ははげているし横も毛が随分少なくなったので、まけてもらってもいいような気がする。
小心者なので、丸刈りにするだけの勇気はない。
最近は、散髪回数が少なくなるように、刈り上げてもらっている。
刈り上げてくれというと、どのあたりまでというと問い返される。
上までというと、丸刈りみたいになりますよという。
では上のほうを少し残して、と答える。
以前適当にと言ったら、耳の周囲をバリカンで刈って、その後はさみで切って整えたので、私からすれば長いめの状態で散髪された。
当然のことながら次の散髪までの期間は短かく、そのときはなんとなく悔しく思えた。
それ以降、散髪するときは刈り上げてもらうことにした。
散髪の目安は、髪が耳にかかるようになってから、しばらくしていくようにしている。
長いときは、3ヶ月ほど行かないときもある。
髪の毛がふさふさしていて、禿げていなければ、毛を伸ばしヘアスタイルに凝ったかもしれないが、現状の頭ではどうしようもない。

少し困っているのは、3-4年前まで毛生え薬を使ったところ、全く毛が無かったところにパラパラと毛が生えだしたのだ。
しかしそれ以上、生えなかったので今は使用を止めているが、一度生えだした毛は、今もパラパラ生えている。
仕方ないので、時々はさみできることもある。
とにかく中途半端な毛の生え方は困るのだ。
まあ、年齢を考えれば、パラパラ生えている毛は、そのうち抜けてきれいな禿げになるだろうと思っている。
散髪後は近くのカフェで読書に励んだ。
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NHKの経営委員

2013年11月06日 11時12分47秒 | 政治・経済・社会・法律・文化
NHKの経営委員の候補が問題になっているようだ。
朝日新聞の関連記事を下に示す。
民主、NHK人事に不同意 百田尚樹氏ら 中立性疑問視」2013年11月6日( http://digital.asahi.com/articles/TKY201311050477.html )
「NHK人事、首相寄り 委員候補に支持者や元家庭教師」2013年10月26日
( http://digital.asahi.com/articles/TKY201310250815.html?iref=comkiji_redirect&ref=reca )

NHKは日本で最大の報道機関であることは疑いなく、最も国民に身近で信頼される報道機関でもある。
一時期、不祥事が続き、受信料の不払い運動が起こり、NHKが批判されていた時は、NHK民営化論まで沸き起こった。
当時、私はNHKの番組を見て、知らない人や、商業主義に毒された自分の利益だけしか考えない人たちがそうしたことを言うのだろうと思っていた。

当時NHKでは、ワーキングプアーの問題を掘り起こしたり、弱者の目線で問題提起したりといった、活動を続けていたし、教育系の番組は、多くの人に最新の考えを紹介したりして大きな影響を与えていると、感じていた。
そうした報道機関を、商業化=民営化するなんてとんでもないと思った。
もし、民営化すれば、たちまち、弱者の視点に立った、マイナーな番組や、富裕層や強いものに都合の悪い批判的なや良心的な番組は、当然のことながら廃止され、皮相的な面白おかしい番組が増えるであろうと思った。

その後、そのような議論は収束し、多くの番組で国民に支持される質の高い番組を生み出し、東日本大震災では、NHKの実力を遺憾なく発揮した。
多分、ほとんどの国民は、NHKの存在を評価したと思う。
その後も、ドラマを初め娯楽番組も含め、多くのヒット番組を作り続け、一方報道・情報・教育番組では、質の高い番組を継続して生み出している。

(このように書くと、何かNHKの回し者のようですが、私はNHKとは全く利害関係は関係ありません。
ただ現在も、様々な番組を通じて、多くの高度に知的なものを吸収し、娯楽番組を楽しんでいます。)

このようにNHKは、日本最大の影響力のある報道機関に間違いないと感覚的に思っている。
当然のことながら、国民に対する影響力は非常に強いと思われる。
具体例を言うなら、ドラマの「あまちゃん」ブームを見れば分かるし、「絆」が強調されたり、ワーキングプアーや格差が広く認識されたりしたことを見れば分かる。
そのNHKの経営委員は当然のことながら出来る限り、不偏不党・中立であるべきだ。
現実には、どこまでが不偏不党・中立かというのは難しい問題だが、少なくとも少数意見もある程度尊重できる姿勢でなければならないと思う。

ところが、冒頭の政権の方針を見れば、首相に近い人たち4人を経営委員に選ぶという。
もしそれが実現すると、経営委員長は、12人中の4人の意向で大きく左右される可能性があるという。

極端な話ではあるが、NHKが政権の意向に沿った番組作りをするようになれば、独裁政権は、容易に誕生する可能性も無くはない。
歴史的に見てヒットラー政権や戦前の日本がそうであり、共産主義政権や現在も北朝鮮がそうであるし、今の中国も一部そうである。
政権の意向に沿った番組作りをする場合、一方では情報遮断が行われ、政権にとって都合の悪い事実は一切報道されなくなり、政権の方針や意向に合うもののみが賛美されるようになる。

そうなると、国民は判断する材料を失い、政権のいうことを信用し、従うようになる。
今でも情報遮断され、国民が政権の意図のままに動かされている国は多い。
そのような国の国民は、本当のことを知らず、政権に都合のいいように利用され、不幸でもある。

いまの社会システムでは、幾重にも国民のチェクが入る機会があり、万一にもそのようなことは、起きないと思われるが、精神的に徐々に旧来の保守主義を英雄視する情報戦略を取れば、それに情緒的に国民が流され、徐々に更に保守化していく可能性は無いとも限らない。

現に、自民党では、「婚外子」遺産相続の問題の最高裁判決に対応する民法改正議論で、旧来の家族制度を個人の人権より重く見る方向の考え方の方が非常に強いといい、最高裁の判決のほうが誤った判決と考えているようだ。

このような考え方に沿った番組作りは簡単に出来るであろうし、元々少し前まで世間では普通の考え方だったので、NHKでこのような考え方、戦前の美徳を強調するようなキャンペーンをすれば、無批判な視聴者はすぐにそれに流されるであろう。
このようなことにならぬためにも、NHKの経営委員は、出来る限り中立的な人を人選すべきである。



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布団たたきの罪

2013年11月05日 15時39分44秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
先ほど、FBで布団たたきに関する不満の投稿を見た。
そういえば、私も以前同じようなことをブログに書いた記憶があったので、探して見つかったが、少し面白かったので再掲します。

我が家の周囲はすべて二階建てだ。
当然周囲の家の二階は日当たりがよい。
従って朝になるとよく布団干しの光景を見かける。
布団干しはいいのだがパタパタと熱心に布団の埃をたたき出すのは、いかがな物かと思う。
こういうことは面と向かっては言い難い。
些細なことで近隣に波風をたたせたくないので我慢する。
「あそこの長屋のおっさんうるさいでえ、気い付けや」なんてひまなおばちゃんの格好の話の種にされてはたまらないのだ。

その不満を、ここで一言冷静に。

まず問題はなぜ自分とこの埃を撒き散らすのかである。
パタパタの最中に下を通ろうものなら、上から降り注ぐ埃をまともに被ることになる。
いろんな場所で、布団のパタパタ風景に遭遇するが、未だかつて下に人が通っていているとパタパタを止めるというような、気配りのある人を見たことがない。
これは、大阪という風土のなせる業か、他府県でも同様なのかは知らない。 
とにかく、この行為は頭のフケを上からばら撒くのと同じなのだ。
フケも表皮の残骸であり、布団にも実は体の表皮の残骸や抜け毛や汗や垢の乾燥物が多く付着してるのだ。
そうしたハウスダストのアレルゲンをパタパタと勢いよくバラ撒いているのであり、通行人にとっては全く失礼な話だ。
当然、布団のパタパタで飛び出す埃には、アレルギーの原因物質や、PM2.5(大きさが2.5ミクロン以下の物質)も含まれるだろう。
マーキングのつもりなら、犬だけでいい。

パタパタしなくても、今は便利な掃除機がある。
ジャパネット・・でも、宣伝している。

随分前(2007年ごろ)TV番組で実験していたが、日干しした布団を騒音おばさん流にパタパタ叩いても、表面の埃(ダニやフケやその他の埃)が飛び出すだけで、布団の中のダニの死骸やその他中にある埃は表に出なかった。

ところが、掃除機で布団を吸うと、ホコリはほとんど取れるようだ。
さらにパタパタをすると綿の繊維が切れるので布団の寿命が短くなるらしい。
また日干しで布団の中のダニが死滅するかと思いきや、日光の影響のない奥にもぐりこむらしい。 
布団は断熱材なのだ。
それでも、布団の裏表をしっかりと日光にあてて干せば、ダニには効果があるのかもしれないという。

そのほか、日光にさらすと、すべてのものは痛み劣化する。
例えば、プラスチック類は日光の紫外線でわずかではあるが、一定の確率で分子が切断されるため劣化する。
有機物は生物も含め同じ原理で、劣化・経年変化を起こす。
布は、日光にさらしていると、黄色く変色するし、絵画類も変色する。
人間の肌は、老化を早める。
当然、布団も何ヶ月も日光にさらしていると、繊維が弱くなったり、変色している可能性は高いと思われる。

ところで、人間は95%の人が、からだの表面に皮膚ダニを飼っているようで、それ以外に、すべての人に常在菌は多く存在する。
所詮人間は自然の生き物だ、清潔過敏?になるのもどうかと思う。

願わくば、世の奥様・だんな様方、布団干しまではよいが、騒音おばさんまがいの布団たたきで、体のフケを近隣にばら撒くのは止めていただきたいと希望します。



この記事は、以前投稿していた「村ぶろ」の2007年10月4日にUPした記事です。
再掲に当たり一部文章を整え修正し一部加筆しました。




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昨日記131104月(突然の雨で奈良行き中止 ジム ロコモティブシンドローム)

2013年11月05日 10時49分41秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
天気:晴 ーmm  21.0  13.9℃ 74% 1.8m北西(先程まで<11/6 9:05>まで11月3日の気象データを表示していました。) 

昨日は、雨もあがったので、昼一番から奈良に行き、正倉院展に行き、それから「はならぁと」に行き、最後にアウトオブプレースに行く予定であった。
出る前から空模様が気がかりだった。

お昼も早めに済ませ、自転車に乗ろうとしたときに、強い雨が降り出した。
一旦家の中に入り、TVをつけて、TVで雨雲のデジタル情報画像を見た。
なんと、大きな線状の雨雲が南西から北東方向の線になって移動していた。
明らかに、その雲の形は寒冷前線が通過しているようだった。
多分この寒冷前線は時速10kmから30kmの速さで東の奈良の方向に移動して行くのだろうと予想した。
もし、私がそのまま奈良に行くとすると、電車で移動すると寒冷前線の移動より早く奈良に着くので、この寒冷前線は後から奈良に到着し、多分私は奈良市内のどこかに移動途中で雨に遭遇するだろうと思った。
はんならぁとは、離れた展示会場を点々と回ることになるし、正倉院展の会場の国立奈良博物館までは、近鉄奈良駅から遠いので、いずれにせよ移動中は雨に降られての移動となり、非常に不自由だ。
それらのことを考え、奈良行きを断念した。
大阪の天候は、夕方まで降ったり止んだりし不安定な天気が続き、奈良行き中止の決断は正しかったようだ。

その後しばらく家でTVを見たりゴロゴロしていると、雨もあがりだしたのでジムに行った。
トレッッドミルを使ったランニングでは、時速9kmで30分4.5km走った。
前回ジムに行った日から、11日間のブランクが開いている。
その間、同窓会があったり、京都に行ったり、毎日、西天満や高津の宮や梅田や港区へと、日替わりで、忙しく移動し、よく歩き、外食の機会も多かった。
そのため出費もかさみ、一昨日の反省の原因となった。
愚痴になったが、昨日は走る前に、ブランクによる体力の低下を心配していた。
しかし、ブランクの期間よく歩いたせいか、ランニングでは体力は、ほぼ維持されていたようだ。
ランニング後、筋トレも行ったが、上半身の筋肉も少し低下した程度であり、1-2週間ほどトレーニングすれば、元に戻ると予想している。
知力、筋力、体力・持久力の維持は、日常のトレーニングとしっかりした栄養管理と休養が基本と思っている。

ところで、私は甘いものが好きで、粒チョコは、暇なときに口にするし、アンパン等をついつい買ってしまうし、バナナは最低でも1日1本は食べて、急ぎのときは食事代わりにもすることもたまにある。
蜂蜜も、毎朝食パンにたっぷり塗って食べている。
だが、暴飲暴食や甘いものの取りすぎ(お菓子類やソフトドリンクは無しでも全く問題ないいが、取りすぎは病気を招き、老化を促進し、アルツハイマーにもなりやすくなるという。)を防止しないと、いくらトレーニングしても効果が無く、体重が増えることになるのは間違いない。
実際問題、私はここ数ヶ月体重が徐々に増えだしたので、カロリー摂取量を気にしだした。

いろいろ原因を考えた結果、今回の体重増加には、甘いものの取りすぎがあるかもしれないと思うようになったのだ。
例えば、先月も約20本近いバナナを、スーパーの大特価で198円で売っていたので買った。
そして、先日も、同じ物を買った。
大量のバナナは、腐らない間に食べようとするため、1日に4―5本食べることにもなる。
そうしたことが体重増加の原因になっている可能性は強いと思っている。

一般的に健康には、腹八分目が良いといわれているが、逆に女性の場合ダイエットによる、栄養バランスの偏りや、栄養不良の人も多いといわれるので、注意が必要である。
栄養不良は、健康にも美容にも悪影響を及ぼす。
若いときから栄養不良や、運動不足だと、私の想像では、高齢化すると腰が曲がり、手押し車を押して歩く状態の、いわゆるロコモティブシンドロームになると思っている。
男女とも若いときに、ほっそりしてもてても、中年以後人生を楽しめなければ問題である。
特に、車をよく利用する人や電動自転車を愛用する人とか事務仕事の人は、意識して普段から運動て、食事と栄養面に気を配らないと、老後はロコモティブシンドローム(http://www1.nhk.or.jp/asaichi/2012/10/01/01.html)に陥り、悲惨な老後を送らなければならないかもしれない。

ところで、昨日ジムで体重を測ると、一気に500g以上体重が下がっていた。
理由は明白だ。
昨日、アメリカでいう、ブランチに近い状態の食事をしたからだ。
アメリカでは、休みの日は朝食と昼食をまとめて1回で共用する人が多い。
私も、昨日やってみたが、それが体重に反映されたと見ている。
先日、NHKの番組で、ロシアで行われている、絶食療法の効果について、紹介していた。
ロシアでは、医学的にコントロールされた状態での絶食が、健康に良いというのだ。
そのメカニズムについては解明されていないが、その治療に大学の医師も利用者として定期的に治療を受けているという。
そういう治療と、移植抜く程度の絶食ともいえない状態とは、比較にならないので、一食抜くことが健康にいいかどうか分からないが、体重は減らすことが出来そうだ。
ランニングの場合、体重が減ると走りやすくなる。

昨日久しぶりに30分間走ったせいか、今朝は(11/5)は快調である。




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昨日記131103日(貧困の記憶 ほぼ終日在宅)

2013年11月04日 12時10分19秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
天気:雨 8.0mm  18.2  16.0℃ 87% 1.1m北北東 

昨日は、ほぼ終日雨だった。
昨日記131102で記載した、財政逼迫が頭にあり、先週の予定では、昨日は雨でも美術館に行く予定だったが、経済的理由から家にこもることにした。
このことは、自己破産前に四六時中体感していた、貧困の厳しさを再確認する作業になった。

破産前の時は、いつも頭の中にあったのは、資金繰りのこと、即ちどのカードローンからカネを借りどのカードローンに返却するか、で日々頭が一杯だった。
そのために、とにかくどんな(早朝深夜土日関係なく)アルバイトをしても、お金を返さなくてはならないという強迫観念だけで頭が一杯で、自己破産することは頭に無かった。
お金の返済については、たしか、1ヶ月のうち4―5回の返済日があり、その度に数箇所の銀行のATMを走り回り、その数日前から預金残高を確認していた。
広告を見て、過払い請求で、多少なりとも借金が軽減されると思い、司法書士に過払い請求で借金減額の相談に行った。
すると何度か司法書士が私の借金を調査し検討するうちに、自己破産するのが最善の方法だと言い出した。
自己破産のことを、司法書士から勧められるまで、私は借金は必ず返せると信じていた。
しかし客観的に見ると、アルバイトがあっても多分返済には、10年20年かかりそうだった。
司法書士が、アルバイトがなくなれば、たちまち返済は滞るのだし、年齢を考えると今後返済できるだけの収入が得られるか疑問なので、傷が大きくならないうちに自己破産すべきだと進められた。
2―3百万円程度の借金で自己破産とは、思いも寄らなかったが、冷静に考えると、司法書士のアドバイスに従ったほうがよさそうだと思った。
幸い、自己破産しても、ほぼ全額が金融機関からの借り入れだったので、個人的に迷惑をかけることは無かった。

破産前は、公共機関を使った外出やお金を支払う催しものには、ほとんど縁がなかった。
とにかく食料費を切り詰め、出費をしないよう家に篭る生活していた。
その頃、図書館の利用を始め、外出する時は市内は自転車と決めていた。
破産前は、年に一回の同窓会ですら、全く参加できなかった。
米はくず米を食べ、食材は痛んだ処分品ばかりを優先的に買って食べた。
電気料金滞納で、給電停止の警告はしょっちゅうあった。

それに比べ今の状況は、前にも言ったように、多少出費することがあっても、その後しっかりと節約すれば、資金ショートすることは無いし、交通機関を使っての外出や催し物への参加も、ある程度分相応に絞り込めば問題なく出来る。
そうしたことを考えると、たとえ生活保護程度の生活水準であっても、破産前の生活と比べると、良い環境だ。
私にとって、冷暖房が無いといったことは気にならないし、古い服や靴でもほとんど気にならない。
無論衣類が汚れたり破れたりしているのは気になるし、出来るだけ洗濯は毎日のようにしている。
とにかく、今の年金を最大限有効に使い、出来ればアルバイトもして、生活を充実させたいと思っている。
その中で、たまには使いすぎて生活を抑制して資金調節をすることは、今後も出てくるだろうが、破産前の萎縮した食べるだけの生活から比較すれば問題ないし、いまPCを打っていることそのものが、恵まれた環境の証拠でもある。。
ホームレスの人の中には、食べることに困る人もいるのだから。

ただ、サラリーマン時代は、数百万円は普通に株式投資する余裕があり、ある程度余裕のある生活も知っていたが、仕事が忙しく遊ぶ時間はほとんどなかった。
しかし、その当時からグルメやファッションや旅行や車や家には興味なかった。
40代に会社をやめアメリカに行ったのも、英語をマスターするのが目的で旅行目的ではなかった。
始めは1ヶ月ほど滞在先で英語を勉強しつつ、英語を使って生活して遊ぶ積りであった。
その後、アメリカに行く前には、英語をマスターして技術の仕事に活かす積りに方針が変わり、1年半ほど英語学習したが、挫折して中南米を回って帰ってきた。
帰国後、十数年の間に、喫茶店や中南米の民芸雑貨店やギャラリー等の経営に失敗した。
その結果、借金を抱え極貧に近い生活を送るようになった。
そのため、幸か不幸か、中流から貧困までいろんな生活がよく見えるようになり、視野は広がった。

昨日は気分転換に雨の中カフェに行った以外は家に篭り、TVを見て、新聞を読んで、PCを見たり、ラジオを聴いたりし、その他8食分の食事の準備等に時間を割かれた。

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昨日記131102土(食料品の値上がり 残された人生)

2013年11月03日 17時07分53秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
天気:晴 ―mm  20.7  11.9℃ 66% 1.3m北北東 

昨日も、夕方まで終日家に居てブログを書いたり、家事をして過ごした。
朝から天気もよく、行楽にはもってこいの日であった。
だのに、ほぼ終日家にこもったには、理由があった。

一昨日、スーパーで新米の特売をしていて、富山産のコシヒカリ10kgが2998円なので迷わず、購入した。
余談だが、先月にも特売があったときに昨年度産の銘柄米100%の米10kgを購入した。
8月頃は、同じ米が10kg4000円近くしていて、他のスーパーを見るともっと高い値がついていたこともあった。
というわけで、一昨日の夜米を購入して財布の中の札がなくなり小銭だけになった。
昨日の朝は空になった財布を見ながら、自分で作った支出予測を代入した会計予測を確かめた。
今のところ、余裕はないが生活するには問題はなさそうだ。

現実に銀行口座には、十数万円のお金はあるので、生活に支障をきたすことは無いが、来年のPCの買い替え等を考えると、年末のアルバイトの収入を加えても、余裕が無いどころか、少し出費が増えると、資金ショートする可能性が高い。
ヘタに病気も出来ない。

ここ数ヶ月を振り返ると、9月10月は毎週のように京都や奈良その他の場所への行っていて、それに伴った外食も増えた。
同窓会その他催し物や、本等への出費もかさんでいる。
こうしたことが、予想より支出が膨らんだ原因となったのは明らかだ。

さらに、食料品が夏以降大きく上がっているのも影響している。
アベノミックスで、マスコミも含め、物価抑制で安売りマインドを改めようという論調が出てから、スーパーも一斉に安売り商品の価格を上げている。
それに追い討ちをかけるように、天候不順により野菜等の生鮮食料品が値上がりし、円安の影響で肉類等の輸入食材や乳製品(飼料等の値上がりを反映?)も大きく値上がりした。

こうした要因が一度に襲い掛かり、資金ショートへの不安を感じるようになったようだ。
客観的には、無駄使いさえしなければ、経済的には生活に全く支障は無い。
ただ、毎週のように公共交通機関を利用して遠方に出かけ、外食をする生活を続けると、間違いなく資金ショートするだろう。

昨日の朝は、改めて空の財布を見つめ、数ヶ月先の家計の試算を見ながら、落ち込んでいた。
昨日は、朝から奈良に行き、正倉院展を見て、ハンナラアートを見に行く積りで居たが、とりあえず、検討した結果、終日家に引きこもり、夜になってお茶を飲みに出かけることになった。
ジムには行く積りだが、ジムの定期を買うので、この休み明けに伸ばそうか迷っている。
とにかく出費の機会は、出来るだけ遅らせるようにしている。
ただし米の特売のように、必需品で今購入すれば、かなり安く入手できる場合は、無理をしてでも、結果的にコストが抑えられるので購入する。(必需品の場合のみ)

よるは、9月10月に行った展覧会のはがきやフライヤーがたくさん溜まった。
捨てずに取ってあるので、それ以前のものも、大量にある。
きのうは、とにかくすべて写真にとって、デジタル化して、はがき類や資料もは捨てることにした。
過去のものを、同じ方法ですると膨大な時間が必要なので、必要なものだけ写真を撮り順次廃棄することにし、今後展覧会等観に行ったり、考古学その他の講演会の資料も同じ方法で出来る限り一週間以内に処理するようにしたい。

ところで、個人的経済問題については繰言になるが、趣味の出費(娯楽や飲食費や各種催し物参加や本等)を減らせば問題なく生活できるので、よしとせねばなるまい。
もっと生活の苦しい人は、多いのだ。
とにかく、経済的に破綻しない範囲で、出来る限り面白く生活して行きたい。

経済的な問題も含め、将来のことを考えると、自明のことだが、所詮がんばっても、あと20年も生きられるかどうか分からないのだ。(私は100歳を超えるまで生きたいと思う。)
経済的には、年金が崩壊しなければ、年金だけで生きることだけは出来る。
肉体的には、今のところ病気も無く体力的にも多分50代程度の若さはあると思っていて、元気なことが私のとりえでもある。

それでも、人間誰でも時間がたてば、必ず老いて死ぬときが来るのであり、その運命から誰も逃れられない。
各人の寿命は、あと5年か30年か80年か本人にも分からないのだ。
既に同級生も何人も亡くなっていて、20代のときに亡くなった同級生も数人いる。
こんなことを書くと仏教の無常観そのままだが、禅宗やその他の宗教でも強調されるように、だからこそ、その一瞬を大切にして充実して生きる必要があるのだろう。
私も、体をメンテし人生を楽しみながら、細心にして大胆に、一度しかない人生を精一杯生きたいと思う。

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昨日記131101金(ブログ書き 寝つきが悪い)

2013年11月02日 18時09分10秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
天気:晴 ―mm  21.2 12.7℃ 61% 1.7m北東 

昨日は、夕方まで終日家に居てブログを書いたり、家事をして過ごした。
夜になって、本の購入を兼ねて、気分転換に天満橋までdかでた。
大阪城公園では、自転車を長時間立ちこぎして走り、足の筋肉を鍛えた。
先日の大腿四頭筋あたりの筋肉痛を心配したが、痛みも無く問題なかった。
寝る前にFBを見ていると、ついついいろんな記事を読みリンク先をたどったりして、気がつくと、1時になっていたので、大急ぎで寝たが、深夜にPC作業をすると、寝つきが悪くなることが、学術的にも知られているが、そのとおりだった。
寝る1-2時間前には、白色や青い色をやめ、暖色系の照明にして、少し暗くしリラックスする雰囲気で過ごすのが良いとされている。
だから、寝る直前までPCを操作したり、携帯を触ったり、青色系の光に接していると、、脳が興奮して睡眠に入りにくいという。
確かに寝る1時間前に電球色の小さい蛍光灯にしたときは、寝つきが良かったような気がする。
本を読むときも、夜10時半を過ぎると天井の蛍光灯は消して、机のLEDスタンドの光を一段落として本を読むようにしている。




睡眠や不眠や肥満に関しては
「睡眠、不眠、眠気防止、睡眠とダイエットについて。」http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/358478b0091231de4fb806db5ed84637
を参照してください。

参考:下記の文章を上記ブログに追記しました。
私の場合、眠気防止には、照明を明るくして、出来ればテンポの良い音楽をかけて、カフェイン(コーヒー・栄養ドリンク)・糖分=お菓子・ビタミンBやCの摂取をしたり、血行をよくする為体を動かしたり(下記眠気防止対策の⒊)をしたりしていますが、ガムをかむのも効果的です。

季節の変わり目とか冬に、夜寝るとき必要以上に暖かくしすぎると、体からの放熱が出来なくなるため、寝つきが悪くなることがあります。
人間の体は、睡眠中は睡眠開始から徐々に朝方に向かって体温を下げて行きますが、暖かくしすぎると、放熱がうまく行かずに睡眠の障害になることもあります。
逆に、寝てしばらくたっても、自分の体温で布団があたたかくならず冷え込むようでは、もっと暖かくしないと寒くて寝付けません。

室内が冷え込むときは、敷布団やマットの下に、アルミ付きの断熱シートを適当に重ねて敷いています。(気温が低くなれば何枚も重ねる。)
それでも冷えるときは、敷布団やマットと断熱シートの間に携帯カイロをいれます。(特に足元や腰)
断熱シートはアルミの反射面を体の方向に向け、体からの放熱を防止し保温しています。(底冷えが無くなります。)
厳寒期は、足元をマットと掛け布団を包むように断熱シートで覆ってやると、布団内への寒気の出入りも防止でき足元が暖かくなります。(反射面=アルミ面は内向き)




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昨日記131031木(ギャラリーはたなか「岡田よしたか絵画展」)

2013年11月01日 16時53分55秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
天気:晴 ―mm  21.3 12.9℃ 61% 1.4m北北東 

昨日は食材の無くなったので、夕方から買出しに出かけた。
帰宅後、岡田さんから案内をいただいていた港区磯路2-11-5のギャラリーはたなかで開かれている「岡田よしたか絵画展」(11月10日まで)に出かけた。
JR弁天町駅から南に歩き、みなと通をひたすら西に歩き、港区役所の東向かいに、ギャラリーはある。
このギャラリーでは、以前から岡田さんの展覧会を開いている。
作品は、絵本に使った原画が多く展示されていた。

いつもは、よく日曜日に出かけていたが、最近日曜日も展覧会やその他の用事で、出かけることが多いので、今回は初日に出かけた。
岡田さんとは、ギャラリーをしていたときに、個展をしていただいたご縁で、近くで展覧会があるときは、出来るだけ行くようにしている。

彼は、東京で開催される「人人展」や文化人も参加する「行商美術」のメンバーでもある。
近年は、「アエラ」や新聞でも取り上げられ、すっかり有名になった。
絵本も何冊も出版し、売れ行きも好調という。
多くの絵本は、文も絵も岡田さんの作品であるが、最近は童話作家の方が文を書いて岡田さんが絵を書いている作品もある。

彼は、最初から絵本作家だったのではない。
独力で、今ある自分の道を切り開いてきたのだ。
始めは漫画チックで独特の味のある具象画を描く画家であった。
その頃に、漫画も描いていた経験が(出版はしていない)絵本作りに多少は役立っているのかもしれないと想像したりしている。(本人に聞かないと分からないが。)

その後、1998年に福音館の「大きなポケット」に「あやまりたおす人々」を発表し、それに続き、単行本で「おーい ペンギンさん」(2001年出版)を時間かけて作り上げて以降、彼は、本格的な絵本作家への道を歩みだし、現在に至っている。

私は絵本のことはあまり分からないが、知っている人が成功し、どんどん成果を残していくのを見るのは楽しみでもある。

帰りは久しぶりにカフェで読書をして帰りが遅くなり、8食分の食材の切分や、4食分の温野菜セットを作るため時間がかかり、夕食は11時前になった。

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山本議員の行為は、主権在民の原則を犯すのではないか。(追)

2013年11月01日 12時59分33秒 | 政治・経済・社会・法律・文化
山本議員の園遊会での振る舞いが、大きな波紋を呼んでいる。
失礼に当たるとか、様々な批判が出ている。
私はそれ以前に、非常に大きな問題を含んでいると思う。

報道でも言われているように、憲法では天皇の政治利用は禁止されているのである。
この件に関連しは、田中正造の明治天皇への直訴未遂事件との対比もされているが、当時天皇は最高権力者であり、田中正造は死を覚悟して足尾鉱毒事件を訴えようとしたのである。
その行為は今も多くの人に感動を与えている。
この場合、明治憲法では最高権力者である明治天皇への直訴は、筋が通っていると思う。

しかし、現行憲法下の天皇は、国民から敬愛される統合の象徴であり、政治的行為は許されていない。
今回のように、反原発の意見を書いた手紙を渡されても、天皇は戸惑われるだけであったのではないかと推察する。
もし、これを契機に同様の事が起きれば、天皇のお心を悩ますだけであろう。

それ以前の問題として、政治的立場がどのようなものであれ、天皇の政治利用を許せば、極端に言えば主権在民の原則を放棄するということであり、極めて危険な行為にちがいないと思う。
政治的な話は、国会で決着すべきで、主権在民の民主主義国家の日本では、それ以外の方法はない。
その他、個人の意思表示は、マスコミを使うなり、さまざまな表現の自由は認められている。
あえて、天皇に直訴をおこなった山本議員の行った行為は、国民にとって最も大切な主権在民の原則を放棄する危険な方向に繋がるのではではないか。
同時に我々国民も、改めて田中正造の直訴と対比し、主権在民の意味の重さを考えるべきではないだろうか。


この出来事の波紋が広がり、国会でも取り上げられている。
議員辞職といった声も上がっている。
確かに、園遊会という場での山本議員の行為は礼を失しているし、手紙には、個人といいつつ参議院議員の肩書きも入っているという。
国会議員の品位を汚すという意見もある。
天皇に政治的メッセージを送ることか、天皇の権威に頼り政治利用するとか、上記のようにそうした行為そのものが、主権在民・国民主権の権利を放棄することにつながりかねない危うさもある。

だからといって、議員辞職まで求めるのは行きすぎではないかと思う。
ローマ法王だって大切な儀式で、乱入した子供をうまくあしらった。
山本議員も、批判を浴びていることに充分思いが至らない未熟さがあったのだろう。

この一件で、天皇は神聖にして犯すべからずと旧憲法のような権威付けをするのも、現行憲法にふさわしくない。
無論、彼が意図的に政治利用したのであれば、議員辞職するしかないだろう。
しかし、単に思慮が足らず、直接自分の心情を伝えたかっただけなら、今後同様のことは許されないが、今回は思慮が足りなかったとして、処理すべきと思う。

逆に、これを機に皇室の権威付けを図り、皇室と市民の距離を遠ざけるような動きになれば、現行憲法の趣旨や多くの国民の意思と逆行するのではないか。
皇室は、イギリス王室のように、これからも開かれた皇室を目指して欲しいと願う。


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