散歩者goo 

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昨日記131103日(貧困の記憶 ほぼ終日在宅)

2013年11月04日 12時10分19秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
天気:雨 8.0mm  18.2  16.0℃ 87% 1.1m北北東 

昨日は、ほぼ終日雨だった。
昨日記131102で記載した、財政逼迫が頭にあり、先週の予定では、昨日は雨でも美術館に行く予定だったが、経済的理由から家にこもることにした。
このことは、自己破産前に四六時中体感していた、貧困の厳しさを再確認する作業になった。

破産前の時は、いつも頭の中にあったのは、資金繰りのこと、即ちどのカードローンからカネを借りどのカードローンに返却するか、で日々頭が一杯だった。
そのために、とにかくどんな(早朝深夜土日関係なく)アルバイトをしても、お金を返さなくてはならないという強迫観念だけで頭が一杯で、自己破産することは頭に無かった。
お金の返済については、たしか、1ヶ月のうち4―5回の返済日があり、その度に数箇所の銀行のATMを走り回り、その数日前から預金残高を確認していた。
広告を見て、過払い請求で、多少なりとも借金が軽減されると思い、司法書士に過払い請求で借金減額の相談に行った。
すると何度か司法書士が私の借金を調査し検討するうちに、自己破産するのが最善の方法だと言い出した。
自己破産のことを、司法書士から勧められるまで、私は借金は必ず返せると信じていた。
しかし客観的に見ると、アルバイトがあっても多分返済には、10年20年かかりそうだった。
司法書士が、アルバイトがなくなれば、たちまち返済は滞るのだし、年齢を考えると今後返済できるだけの収入が得られるか疑問なので、傷が大きくならないうちに自己破産すべきだと進められた。
2―3百万円程度の借金で自己破産とは、思いも寄らなかったが、冷静に考えると、司法書士のアドバイスに従ったほうがよさそうだと思った。
幸い、自己破産しても、ほぼ全額が金融機関からの借り入れだったので、個人的に迷惑をかけることは無かった。

破産前は、公共機関を使った外出やお金を支払う催しものには、ほとんど縁がなかった。
とにかく食料費を切り詰め、出費をしないよう家に篭る生活していた。
その頃、図書館の利用を始め、外出する時は市内は自転車と決めていた。
破産前は、年に一回の同窓会ですら、全く参加できなかった。
米はくず米を食べ、食材は痛んだ処分品ばかりを優先的に買って食べた。
電気料金滞納で、給電停止の警告はしょっちゅうあった。

それに比べ今の状況は、前にも言ったように、多少出費することがあっても、その後しっかりと節約すれば、資金ショートすることは無いし、交通機関を使っての外出や催し物への参加も、ある程度分相応に絞り込めば問題なく出来る。
そうしたことを考えると、たとえ生活保護程度の生活水準であっても、破産前の生活と比べると、良い環境だ。
私にとって、冷暖房が無いといったことは気にならないし、古い服や靴でもほとんど気にならない。
無論衣類が汚れたり破れたりしているのは気になるし、出来るだけ洗濯は毎日のようにしている。
とにかく、今の年金を最大限有効に使い、出来ればアルバイトもして、生活を充実させたいと思っている。
その中で、たまには使いすぎて生活を抑制して資金調節をすることは、今後も出てくるだろうが、破産前の萎縮した食べるだけの生活から比較すれば問題ないし、いまPCを打っていることそのものが、恵まれた環境の証拠でもある。。
ホームレスの人の中には、食べることに困る人もいるのだから。

ただ、サラリーマン時代は、数百万円は普通に株式投資する余裕があり、ある程度余裕のある生活も知っていたが、仕事が忙しく遊ぶ時間はほとんどなかった。
しかし、その当時からグルメやファッションや旅行や車や家には興味なかった。
40代に会社をやめアメリカに行ったのも、英語をマスターするのが目的で旅行目的ではなかった。
始めは1ヶ月ほど滞在先で英語を勉強しつつ、英語を使って生活して遊ぶ積りであった。
その後、アメリカに行く前には、英語をマスターして技術の仕事に活かす積りに方針が変わり、1年半ほど英語学習したが、挫折して中南米を回って帰ってきた。
帰国後、十数年の間に、喫茶店や中南米の民芸雑貨店やギャラリー等の経営に失敗した。
その結果、借金を抱え極貧に近い生活を送るようになった。
そのため、幸か不幸か、中流から貧困までいろんな生活がよく見えるようになり、視野は広がった。

昨日は気分転換に雨の中カフェに行った以外は家に篭り、TVを見て、新聞を読んで、PCを見たり、ラジオを聴いたりし、その他8食分の食事の準備等に時間を割かれた。

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