散歩者goo 

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昨日記131031木(ギャラリーはたなか「岡田よしたか絵画展」)

2013年11月01日 16時53分55秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
天気:晴 ―mm  21.3 12.9℃ 61% 1.4m北北東 

昨日は食材の無くなったので、夕方から買出しに出かけた。
帰宅後、岡田さんから案内をいただいていた港区磯路2-11-5のギャラリーはたなかで開かれている「岡田よしたか絵画展」(11月10日まで)に出かけた。
JR弁天町駅から南に歩き、みなと通をひたすら西に歩き、港区役所の東向かいに、ギャラリーはある。
このギャラリーでは、以前から岡田さんの展覧会を開いている。
作品は、絵本に使った原画が多く展示されていた。

いつもは、よく日曜日に出かけていたが、最近日曜日も展覧会やその他の用事で、出かけることが多いので、今回は初日に出かけた。
岡田さんとは、ギャラリーをしていたときに、個展をしていただいたご縁で、近くで展覧会があるときは、出来るだけ行くようにしている。

彼は、東京で開催される「人人展」や文化人も参加する「行商美術」のメンバーでもある。
近年は、「アエラ」や新聞でも取り上げられ、すっかり有名になった。
絵本も何冊も出版し、売れ行きも好調という。
多くの絵本は、文も絵も岡田さんの作品であるが、最近は童話作家の方が文を書いて岡田さんが絵を書いている作品もある。

彼は、最初から絵本作家だったのではない。
独力で、今ある自分の道を切り開いてきたのだ。
始めは漫画チックで独特の味のある具象画を描く画家であった。
その頃に、漫画も描いていた経験が(出版はしていない)絵本作りに多少は役立っているのかもしれないと想像したりしている。(本人に聞かないと分からないが。)

その後、1998年に福音館の「大きなポケット」に「あやまりたおす人々」を発表し、それに続き、単行本で「おーい ペンギンさん」(2001年出版)を時間かけて作り上げて以降、彼は、本格的な絵本作家への道を歩みだし、現在に至っている。

私は絵本のことはあまり分からないが、知っている人が成功し、どんどん成果を残していくのを見るのは楽しみでもある。

帰りは久しぶりにカフェで読書をして帰りが遅くなり、8食分の食材の切分や、4食分の温野菜セットを作るため時間がかかり、夕食は11時前になった。

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山本議員の行為は、主権在民の原則を犯すのではないか。(追)

2013年11月01日 12時59分33秒 | 政治・経済・社会・法律・文化
山本議員の園遊会での振る舞いが、大きな波紋を呼んでいる。
失礼に当たるとか、様々な批判が出ている。
私はそれ以前に、非常に大きな問題を含んでいると思う。

報道でも言われているように、憲法では天皇の政治利用は禁止されているのである。
この件に関連しは、田中正造の明治天皇への直訴未遂事件との対比もされているが、当時天皇は最高権力者であり、田中正造は死を覚悟して足尾鉱毒事件を訴えようとしたのである。
その行為は今も多くの人に感動を与えている。
この場合、明治憲法では最高権力者である明治天皇への直訴は、筋が通っていると思う。

しかし、現行憲法下の天皇は、国民から敬愛される統合の象徴であり、政治的行為は許されていない。
今回のように、反原発の意見を書いた手紙を渡されても、天皇は戸惑われるだけであったのではないかと推察する。
もし、これを契機に同様の事が起きれば、天皇のお心を悩ますだけであろう。

それ以前の問題として、政治的立場がどのようなものであれ、天皇の政治利用を許せば、極端に言えば主権在民の原則を放棄するということであり、極めて危険な行為にちがいないと思う。
政治的な話は、国会で決着すべきで、主権在民の民主主義国家の日本では、それ以外の方法はない。
その他、個人の意思表示は、マスコミを使うなり、さまざまな表現の自由は認められている。
あえて、天皇に直訴をおこなった山本議員の行った行為は、国民にとって最も大切な主権在民の原則を放棄する危険な方向に繋がるのではではないか。
同時に我々国民も、改めて田中正造の直訴と対比し、主権在民の意味の重さを考えるべきではないだろうか。


この出来事の波紋が広がり、国会でも取り上げられている。
議員辞職といった声も上がっている。
確かに、園遊会という場での山本議員の行為は礼を失しているし、手紙には、個人といいつつ参議院議員の肩書きも入っているという。
国会議員の品位を汚すという意見もある。
天皇に政治的メッセージを送ることか、天皇の権威に頼り政治利用するとか、上記のようにそうした行為そのものが、主権在民・国民主権の権利を放棄することにつながりかねない危うさもある。

だからといって、議員辞職まで求めるのは行きすぎではないかと思う。
ローマ法王だって大切な儀式で、乱入した子供をうまくあしらった。
山本議員も、批判を浴びていることに充分思いが至らない未熟さがあったのだろう。

この一件で、天皇は神聖にして犯すべからずと旧憲法のような権威付けをするのも、現行憲法にふさわしくない。
無論、彼が意図的に政治利用したのであれば、議員辞職するしかないだろう。
しかし、単に思慮が足らず、直接自分の心情を伝えたかっただけなら、今後同様のことは許されないが、今回は思慮が足りなかったとして、処理すべきと思う。

逆に、これを機に皇室の権威付けを図り、皇室と市民の距離を遠ざけるような動きになれば、現行憲法の趣旨や多くの国民の意思と逆行するのではないか。
皇室は、イギリス王室のように、これからも開かれた皇室を目指して欲しいと願う。


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