今日は博論構想の仕上げ。プリントアウトして、先生に手渡す。ついでに、週10時間くらいバイトを始めた件と、求人公募に応募して就職活動を始めることも伝える。就職活動については、あくまで今は研究活動メインなので、ぼちぼち始める予定。提出書類をそろえる練習のような気持ち。もちろん落ちるつもりで書くわけじゃないけど。大学への就職はそう簡単にはいかないと思うので、数年は学生でいなくてはいけないと覚悟してはいます。ただ、私は、もう三十路が見えてきた年になったわけだし、学振からお金をもらっている間に扶養控除もはずれたし(今は収入ほとんどないけど)、親はすでに定年退職した後だし。親は生活費や学費を援助してくれるとは言ってるけど、余裕があるわけじゃないし、いつまでも甘えているわけにはいかない。バイトについては、学会参加などの旅費や飲み会などの交際費等に充てていく予定。公募については、チャンスがあれば、どんどん挑戦していこうと思います。なお、PDについては、業績面で無理なのがわかってるので、今年はやめておく。
博論構想を先生に手渡した後は、地方教育会に関する論文をコピる。時間になったので、バイトへ行く。
バイト後、伊藤光利「利益団体」(伊藤光利・田中愛治・真渕勝『政治過程論』第Ⅲ部「政治過程における組織化」、有斐閣、2000年、166~192頁)を読む。国民の社会・経済生活に根ざし、かつそのあり方に大きな影響を及ぼす「利益団体」は、さまざまな政治的現実をダイナミックかつ実証的に分析する「政治過程論」に重要な要素です。「利益団体(interest group)」は、政治に関心をもつすべての集団のことです。とくに「組織化された利益団体(interest association, organized interest、単に利益集団とも呼ぶこともあるみたい)」と呼ぶ場合は、職業的・生活的利益をもとに人々が組織化された集団を意味します。利益団体が自らの利益の保守・推進のために議会・政府に働きかける場合は、「圧力団体」と呼ぶことがあります。ただし、ほとんどの利益団体は政治に働きかけ、その働きかけが中立的か否定的かどうかは論者の主観によるので、利益団体と圧力団体を区別する積極的な理由はないそうです。この本では、教育団体も利益団体です。戦後日本の教育団体は、政策による分配で利益を得る「政策受益団体」であり、圧力活動の標的は議会(政党)より行政に向いているんだとか。
この論文を読んでわかったことは、利益の種類と政策決定に関わる政治状況によって働きかける対象が違うということ。教育団体は、市場の利益とはあまり関係ありませんが、政府が教育重視の政策を採用する場合、経済団体・労働団体などの他の団体とは違って、直接に利益(もちろんお金だけを意味しているのではない)を得るわけです。だから、教育団体も利益団体として政策決定過程に関係してくる。戦前日本の教育政策決定の場合、帝国議会や組織化されていない世論より、文部省や政府が強大な影響力を持っていました。教育団体は、問題(とくに財政問題)によっては、政党に働きかける必要があったと思いますが、基本的には、政党よりも文部省に働きかけるのが当然といえば当然。だからこそ、教育関係者をある程度組織化し、行政機関へ諮問答申や建議によって働きかけた教育会は、戦前の教育政策決定過程を深くダイナミックに理解する上で重要な存在となるように思います。
教育政策決定過程の分析において、文部省や政府だけにスポットをあてることは、国家機関中心史観を生み、極端に言えば政策決定は政府の仕事といわんばかりの現実認識を生みかねません。それを問題視して、政府に対する対抗勢力として政党を登場させるのもいいでしょう。しかし、納税者勢力である政党は、教育に対して大きな意義を感じている時以外、教育にかける予算の増大を歓迎しないはずです。教育の拡大を国民全体が重要視していた国民国家形成期の政党はいざしらず、明治初期の自由民権運動を見ればこれは一目瞭然だと思います。政党は、教育の利益を守り推進する利益団体とは基本的にいえないのでは。ではでは、教育の利益拡大を目指す教育世論が、教育雑誌などのマスメディアによく見られるので、世論を政策決定過程に登場させるのはどうでしょうか。しかし、世論は、つかみどころのない未組織の意見であり、直接的な政治的影響力は持っていません。世論は、そのままで政策決定過程に登場できる性質のものではないのです。そうなると、一定の利益拡大を要求するような世論を組織する存在、すなわち利益団体に注目するのが重要になってきます。教育会は、政党とつながらない限り議会に姿を現しませんが、代わりに行政機関へ直接働きかけていきました。教育会の場合、教育会の政策決定過程への関与は法制化されませんでした(公設の教育会を除く)。教育政策決定過程における教育会は、国家機構や行政機構のみに注目していては、姿を現してきません。しかし、教育会が諮問答申を通して、教育政策決定過程に一定の影響力を持っていたことは知られています。教育政策決定過程の分析にあたって、教育会は無視できる存在ではないはずです。
問題は、教育会の影響力がどれほどだったのかを実証すること。ただ、そのときの評価基準は、行政や議会の成案をどれだけ改訂したかという基準より、背景とする教育関係者の要求をどれだけ反映し、実現させたかという基準こそ、ふさわしいもののように思います。教育会は、政策の執行を行う行政機関でなく、政策執行のための予算決定や法律立案を行う立法機関でもなく、教育(関係者)の利益を守り推進する利益団体なわけですから。
なにやらゴチャゴチャしたことを書き殴ってしまいました。以上、利益団体論を読んで考えたこと、でした(笑)。
博論構想を先生に手渡した後は、地方教育会に関する論文をコピる。時間になったので、バイトへ行く。
バイト後、伊藤光利「利益団体」(伊藤光利・田中愛治・真渕勝『政治過程論』第Ⅲ部「政治過程における組織化」、有斐閣、2000年、166~192頁)を読む。国民の社会・経済生活に根ざし、かつそのあり方に大きな影響を及ぼす「利益団体」は、さまざまな政治的現実をダイナミックかつ実証的に分析する「政治過程論」に重要な要素です。「利益団体(interest group)」は、政治に関心をもつすべての集団のことです。とくに「組織化された利益団体(interest association, organized interest、単に利益集団とも呼ぶこともあるみたい)」と呼ぶ場合は、職業的・生活的利益をもとに人々が組織化された集団を意味します。利益団体が自らの利益の保守・推進のために議会・政府に働きかける場合は、「圧力団体」と呼ぶことがあります。ただし、ほとんどの利益団体は政治に働きかけ、その働きかけが中立的か否定的かどうかは論者の主観によるので、利益団体と圧力団体を区別する積極的な理由はないそうです。この本では、教育団体も利益団体です。戦後日本の教育団体は、政策による分配で利益を得る「政策受益団体」であり、圧力活動の標的は議会(政党)より行政に向いているんだとか。
この論文を読んでわかったことは、利益の種類と政策決定に関わる政治状況によって働きかける対象が違うということ。教育団体は、市場の利益とはあまり関係ありませんが、政府が教育重視の政策を採用する場合、経済団体・労働団体などの他の団体とは違って、直接に利益(もちろんお金だけを意味しているのではない)を得るわけです。だから、教育団体も利益団体として政策決定過程に関係してくる。戦前日本の教育政策決定の場合、帝国議会や組織化されていない世論より、文部省や政府が強大な影響力を持っていました。教育団体は、問題(とくに財政問題)によっては、政党に働きかける必要があったと思いますが、基本的には、政党よりも文部省に働きかけるのが当然といえば当然。だからこそ、教育関係者をある程度組織化し、行政機関へ諮問答申や建議によって働きかけた教育会は、戦前の教育政策決定過程を深くダイナミックに理解する上で重要な存在となるように思います。
教育政策決定過程の分析において、文部省や政府だけにスポットをあてることは、国家機関中心史観を生み、極端に言えば政策決定は政府の仕事といわんばかりの現実認識を生みかねません。それを問題視して、政府に対する対抗勢力として政党を登場させるのもいいでしょう。しかし、納税者勢力である政党は、教育に対して大きな意義を感じている時以外、教育にかける予算の増大を歓迎しないはずです。教育の拡大を国民全体が重要視していた国民国家形成期の政党はいざしらず、明治初期の自由民権運動を見ればこれは一目瞭然だと思います。政党は、教育の利益を守り推進する利益団体とは基本的にいえないのでは。ではでは、教育の利益拡大を目指す教育世論が、教育雑誌などのマスメディアによく見られるので、世論を政策決定過程に登場させるのはどうでしょうか。しかし、世論は、つかみどころのない未組織の意見であり、直接的な政治的影響力は持っていません。世論は、そのままで政策決定過程に登場できる性質のものではないのです。そうなると、一定の利益拡大を要求するような世論を組織する存在、すなわち利益団体に注目するのが重要になってきます。教育会は、政党とつながらない限り議会に姿を現しませんが、代わりに行政機関へ直接働きかけていきました。教育会の場合、教育会の政策決定過程への関与は法制化されませんでした(公設の教育会を除く)。教育政策決定過程における教育会は、国家機構や行政機構のみに注目していては、姿を現してきません。しかし、教育会が諮問答申を通して、教育政策決定過程に一定の影響力を持っていたことは知られています。教育政策決定過程の分析にあたって、教育会は無視できる存在ではないはずです。
問題は、教育会の影響力がどれほどだったのかを実証すること。ただ、そのときの評価基準は、行政や議会の成案をどれだけ改訂したかという基準より、背景とする教育関係者の要求をどれだけ反映し、実現させたかという基準こそ、ふさわしいもののように思います。教育会は、政策の執行を行う行政機関でなく、政策執行のための予算決定や法律立案を行う立法機関でもなく、教育(関係者)の利益を守り推進する利益団体なわけですから。
なにやらゴチャゴチャしたことを書き殴ってしまいました。以上、利益団体論を読んで考えたこと、でした(笑)。
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